注意
『エロイカ』の序盤、原作と少し変える部分があります。
原作でナポレオンとその家族と、ロザリーの一家やアランが接するタイミングと別に、ナポレオンの家族がコルシカを追われマルセイユで暮らしナポレオンの軍給料に頼っていたときに、逃げ回ることが多かったロザリー一家+アランがかなり濃密に接していた、という改変を入れます。
序文
歴史は嫌でも流れる。
ボナパルト家は歴史を支配しようとした、馬に乗るように。だがそれはクジラでありドラゴンだった。
オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェは歴史の水門を開けた。死んだから、自分が何をしたのか幸いにも見ないですんだ。
マリー・アントワネット、メッテルニヒ、オーストリア皇太后ゾフィーらは歴史を止めよう戻そうとした。
ポリニャック家は今その時にできるだけ多くを手に入れようとした。
何も求めず見守る人がいた。
20世紀、二度焼かれたベルギーと違い戦火に焼かれぬスウェーデン王室図書館に、伝説がある。
箱だという。
その箱を手に入れた者は欧州を動かせるという。
ナポレオン3世、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世、ビスマルク、またロシアやイギリスや教皇庁がとんでもない金を出して買い取ろうとして断られたという。後にはソ連やナチスドイツが闇で争奪したともいう。
誰が持つ箱?それも、もうわからない。
何が入っている?いろいろな噂。ナポレオンの隠し財宝とも、マリー・アントワネットの首飾りとも、メキシコ皇帝マクシミリアンの宝石とも言われている。
メッテルニヒや、フーシェの極秘書類とも言われる。
ボナパルト家、特にもっとも知っている可能性が高いと言われる長命の未亡人ウージェニー皇后は、最後まで正気を保っていたのに箱の件ではとんでもなく荒唐無稽で、危険に満ちた場所ばかり、毎回違うことを言った。北極、アルジェリア、アフリカ奥地、チベットの寺院、ダマスクス、塩鉱、コルシカの峡谷、バビロン、ポトシ、ナイル水源……そのたびに愚かな冒険家に死人が出、遺跡や自然が発見される。
その箱には、ライヒシュタット公フランツ、ナポレオン2世の紋章が刻まれているといわれる。ナポレオン・フランソワ・シャルル・ジョゼフ、ナポレオン1世と、その二度目の妻でオーストリア王女マリー・ルイーズ皇后の唯一の男子。ナポレオンの没落で母方のオーストリア皇室にとらわれ、フランソワをドイツ語のフランツと呼ばれ、若死にした仔鷲。ナポレオン帝国の鷲の紋章も、ハプスブルクの双頭の鷲も入らない紋章。
箱は高級木材だが無垢だとも言われる。
東洋の神秘的な漆塗りとも言われる。
生没年
ナポレオン・ボナパルト(1769~1821)
ナポレオン2世(1世の嫡子、ライヒシュタット公、1811~1832)
レティツィア・ボナパルト(マダム・メール、ナポレオン1世の母、1750~1836)
ナポレオン3世(1世の甥、1808~1873)
ウジェニー(ナポレオン3世の皇后、1826~1920)
ナポレオン4世(3世の嫡子、1856~1879)
メッテルニヒ(オーストリア宰相、1773~1859)
ゾフィー皇太后(1805~1872)
マクシミリアン1世(フランツ・ヨーゼフ皇帝の弟、メキシコ皇帝、1832~1867)
エリザベート皇后(1837~1898)
ハンス・アクセル・フォン・フェルセン(1755~1810)
カール14世(ベルナドット、スウェーデン王、1763~1844)
オスカル1世(スウェーデン王、1799~1859)
カロラ・ヴァーサ(スウェーデン旧王家王女、ザクセン王妃、1833~1907)
オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ(1755~1789)
フランソワ・シャトレ(ロザリーとベルナールの息子)…1789年、フランス革命の年に生まれたとされる。
1804年ごろ、ナポレオンが皇位につく直前、『エロイカ』で父のベルナールとその親友アラン・ド・ソワソンがナポレオン暗殺未遂事件を起こし射殺され、母ロザリーとともにフェルゼン家を頼ってスウェーデンに亡命、フランソワは王立図書館員からオスカル1世の教育係になったと原作に。