怪盗は、お隣の天使様を甘やかしたい 〜世界を救った男の二度目の高校生活〜 作:スバルック
数日後の放課後。
季節外れの黒い雨雲が空を覆い、校舎を出た途端に激しい夕立が降り始めた。
昇降口には、傘を持っておらず困り果てた生徒たちが溢れていた。真昼もまた、ポツポツと地面を叩く雨粒を見つめながら、困惑したように立ち尽くしていた。
(朝はあんなに晴れていたのに……折りたたみ傘、持ってきていませんでした……)
雨脚は強まるばかりで、止む気配はない。走って帰るには距離がありすぎる。
真昼が溜息をつき、雨宿りを覚悟したその時だった。
「椎名さん。傘、持ってないの?」
背後から掛けられた落ち着いた声。振り返ると、そこには鞄から漆黒の折りたたみ傘を取り出している雨宮蓮の姿があった。
「雨宮さん……。はい、今日はうっかり忘れてしまって……」
「なら、一緒に入っていこう。俺の傘は大きめだから、二人なら十分入れる」
パッと大きな黒傘が開かれる。蓮は何の躊躇もなく雨の中へ一歩踏み出し、真昼のためにスペースを空けて差し出した。
「え……? で、ですが、雨宮さんに迷惑が……それに、学校の近くで相合い傘なんてしたら、また変な噂が……」
躊躇する真昼に、蓮はカンストした「度胸」と「魅力」の宿る瞳で静かに微笑みかけた。
「そんな噂、気にしなければいい。それに、君を雨の中で待たせて風邪でも引かれたら、俺が困る」
「〜〜〜っ!」
強引すぎない、けれど絶対に拒絶させない圧倒的な包容力。
真昼は顔を赤くしながら、吸い寄せられるように蓮の傘の下へと滑り込んだ。
一つの傘の下、肩が触れ合いそうなほど至近距離に並ぶ二人。
打ちつける雨の音の中、真昼の耳には、自分の心臓が激しく脈打つ音だけが大きく響いていた。
「……雨宮さん、濡れていませんか?」
「大丈夫。気にしないで」
歩き始めてしばらくして、真昼はふと気づいた。
蓮が持っている傘のほとんどが、自分の方へと傾けられていることに。彼の右肩は、容容しく落ちてくる雨粒によって、すでにしっとりと濡れ始めていた。
「あっ……雨宮さん! 傘が私の方に寄りすぎです! あなたの右肩が濡れてしまっていますっ!」
焦って傘を戻そうとする真昼の手を、蓮は空いている左手でそっと包み込んだ。
温かく、大きな手。
「俺は平気だから。男が女の子を守るのに、理由はいらないよ」
「っ……! だからって、自分が濡れていい理由にはなりません……っ!」
「じゃあ、もう少し近くに寄ればいい」
ぐっと、蓮が真昼の肩を抱き寄せた。
真昼の華奢な身体が、蓮の厚い胸板にすっぽりと収まる。彼の体温と、心地よい柑橘系の香りが一気に真昼の全身を包み込んだ。
「……っ!?!?!?」
声すら出ないほどの衝撃と胸のときめき。真昼は完全に固まり、蓮のコートの胸元に顔を埋める形になってしまった。
「これなら、二人とも濡れないだろ?」
耳元で囁かれる、低く優しい声。
カンストした「タラシ」のスキルを無意識に連発する元怪盗リーダーに、真昼の理性は今にも溶けて消えてしまいそうだった。
「……バカ……本当のバカです、雨宮さん……っ」
雨音に紛れ込ませるように小さく潰やきながら、真昼は溢れ出る愛おしさを抑えきれず、彼の胸元をきゅっと強く掴み返した。
第12章:濡れた身体と、特製ホットチョコレート
マンションにたどり着く頃には、雨足はさらに激しさを増していた。
二人は静かなエレベーターを乗り継ぎ、蓮の部屋へと滑り込む。
「ふう、なんとか帰ってこれたね」
蓮が傘を立てかけ、濡れたコートを脱ぐ。宣言通り真昼はほとんど濡れていなかったが、蓮の右半身はしっとりと雨を吸い込んでいた。
「ナア! オイ蓮、お前、右側がびしょ濡れじゃないか! 一体どうしたんだ!?」
玄関で出迎えたモルガナが、目を見開いて「ニャー! ニャー!」と激しく鳴き立てる。
「真昼を濡らさないように帰ってきたら、こうなった」
「ぬ……相変わらず真昼には甘い奴め。だが、お前が風邪を引いたら元も子もないぞ! すぐにお風呂に入れ!」
モルガナが蓮の足をペシペシと叩きながら「ニャー!」と鳴く様子を見て、真昼も焦ったように頭を下げた。
「モルガナちゃんも心配していますよ、雨宮さん! すぐにお風呂に入ってください! 私のせいでそんなことになるなんて……っ」
「分かった分かった。じゃあ、お言葉に甘えて先に入らせてもらうよ。椎名さんはリビングで温まっていて」
蓮が浴室へ向かうと、真昼は脱衣所から乾いたバスタオルを持ち出し、脱ぎ捨てられた蓮のコートを丁寧にハンガーへかけた。
「……本当に、自分のことを後回しにして……」
ポツリと呟く真昼の足元で、モルガナがチョコンと座り直して「ナァ」と優しく鳴いた。真昼が視線を落とすと、モルガナはどこか呆れたように、けれど愛おしそうに浴室のドアを見つめている。
「……モルガナちゃんも、雨宮さんのそういうところが心配なんですね」
モルガナは真昼を見上げ、「まあな」と言うように短く「ニャン」と答えた。真昼には言葉の意味は分からなかったが、モルガナが蓮をとても大切に思っていることだけは、その仕草からしっかりと伝わってきた。
しばらくして、湯気を立てながら髪を拭く蓮が風呂場から戻ってきた。
ラフなTシャツとスウェット姿になり、普段のミステリアスな雰囲気から一転して親しみやすい男の顔になっている。
「待たせてごめん。椎名さん、服は濡れてない?」
「はい、雨宮さんが守ってくださったので……全く濡れていません。……それより、髪をちゃんと乾かさないと冷えますよ」
真昼はそう言うと、持っていたバスタオルを蓮の頭にぽんと乗せ、爪先立ちになって彼の髪を丁寧に拭き始めた。
「あっ……椎名さん?」
「じっとしていてください。これくらいのお世話はさせてくれないと、私の気が済みません」
少し拗ねたような、けれど愛おしさに満ちた真昼の瞳。
至近距離で自分の髪を拭いてくれる彼女の吐息が、蓮の額にかかる。カンストした「度胸」を持つ蓮であっても、これには思わず息を呑んだ。
「……ありがとう、真昼」
「……っ! だから、急に名前で呼ぶのはズルいです……」
真昼の手がぴたりと止まり、耳まで真っ赤にして俯く。
二人の間に流れる、密やかで甘い空気。それを破ったのは、モルガナの鳴き声だった。
「ナア〜オン!」
モルガナが蓮の足元に擦り寄り、キッチンのコンロをチラチラと見上げる。
「『髪が乾いたら、雨で冷えた身体用に特製のホットチョコレートでも淹れてくれ』って言ってる」
「ふ……そうだね。ルブラン直伝の、ココアとダークチョコレートを溶かした特製ドリンクを作ろうか」
蓮が優しく微笑むと、真昼は赤くなった顔を誤魔化すように小さく頷いた。
「……はい。楽しみにしています、雨宮さん」
外は冷たい雨が降り続いていたが、部屋の中はルブラン特製の甘いチョコレートの香りと、二人の確かな温もりで、どこまでも温かく満たされていた。