世界五分前説。
おそらくこの物語を見ている人々の、何割かは聞いたことがあるのではないだろうか。
いわゆる思考実験の一つ。名前の通り「この世界は実は五分前に始まったかもしれない」という仮説である。
仮に数十年生きたとしよう。父と母の腕に抱かれ、二本足で立ち、小中高大と勉学に励み、やりたくもない仕事をこなしつつ、微かな給与で微かな幸せを啜りながら、生きてきた。数十年と言葉に表すと少ないかもしれない。
だが、数十年とは、およそ二桁の変数×365日分の日数だ。体感は一瞬だったとしても、流れた時間はあまりにも膨大であり、その数十年の中で情勢がいくつ変化したかは数えきれない。
ようはそれほど、膨大な記憶を抱えてきた。決して、五分間で説明できることのできない、内容はとてつもなくつまらなくも、その一人にとっては変えようのない数十年間分の、
だがそれがもし、五分前に作られたものであると、知ったら?
きっと
何故なら、その過去が本当に存在しうるものかすら──
「ゔぉぇ˝……っ」
──今この景色を見た途端、植え付けられたものだと、思わざるを得なかったからだ。
天使の軍隊。その背中を見ていた。
かわいらしいケモミミ、尻尾、身体に合わないほど大きな翼……普通の人間もいるが、どれも等しく、うら若き美少女たち。
美少女たちの頭部に、等しく浮かぶ
気品ある白き制服に包んだ彼女たちの前で、演説するのは金髪の少女。いつも掌に乗せていたシマエナガはいない。今は入学式だからだろうか……いいや、
じゃあこれは? 始業式なんてイベントは知らない。どうしてわたしがこの中にいるのだろう。俺は、誰だ? 違う、わたしなんかじゃない。 わたしは■■■■という名前が、生きた証が、確かに……あって……
「あの、大丈夫、ですかっ!? 大丈夫ですか!?」
「すみません、退いてください! 焦点、意識レベル……団長!」
「担架は要りません、私が運びます」
こうして、最初に見た光景から状況を理解してしまったがために、ついでに人格の
おそらく五度目の学生生活。しかもお嬢様学校で、ワンチャン世界滅びる可能性があるところで。
みんなホンマごめん、正直めっちゃ嬉しい。
〇
ブルーアーカイブ。青色の記録保管庫。あるいは
あるソーシャルゲームのタイトルであり、今わたしが居る世界のことだ。
透き通るような空を見上げれば、世界を覆う巨大なヘイローが浮かんでいる。街のあちこちは、ヘイローを浮かばせた美少女だらけ。しかも美少女は全員学生で、当たり前のように銃器を持っている。全身未成年銃刀法違反である。
たまにそれ以外の一般人が混ざっているが、一般人は軒並み二足歩行で歩いている動物か、顔が液晶パネルかモノアイのアンドロイド。といった具合で、ちゃんと人間と呼べる存在はいない。
わたしは? 一般生徒です。つまりヘイローも銃器もあるのだが……銃器は今は持っていない。
流石に臨戦状況以外で、ベッドの中でまで銃器を抱える必要はないからだ。臨戦状況ってなんだよ。本当にそんな状況があってたまるか。
「良かった……目の前で吐き出して、びっくりしたんですよ」
「それは、ごめん。なんか、急にパニックになっちゃって」
高級ホテルのスイートルームめいた、木造の一室。これが学校の保健室だというのだから、既に知っている保健室とはかなり乖離している。
あまりにも寝心地のいいベッドの上。そこにわたしは寝かされており、隣には橙色の髪の少女がいた。一瞬だけしか見えてなかったが、入学式の時、わたしの隣にいた子だったはず。
こういう偶然もあるんだなぁ。
「今も頭がぐわんぐわんするけど、多分慣れた……
「ほぇっ!?」
ぴょこっとはねる、小さな猫の耳。後にシスター服を身に纏う彼女、マリーは慌てて自分の体をぺたぺたと触り始めた。
「ど、どうやって私の名前を!?」
「ああいや、元から知ってたというか。まあ大当たりってことで」
多分、身分証かスマホを落として、そこから知ったのかな? って思って弄ってるんだろうけど、ぐるぐる目でそんなことしてるとエッチな目で見そうになる。
いや、エッチなんだよ。清楚な子がするそういう行動は。現行犯死刑に決まってるだろ。
「ありがとう」
ぺこり、とわたしは頭を下げた。
あの場で、初対面の女の子が目の前でゲロ吐いたというのに、マリーはそれよりも心配を優先してくれた。前世でも、こんなに善性に溢れた人なんていなかったのだから、感謝と感心がすごく強い。何よりかわいいし、清楚だし。
たとえ
「え……いえ、お礼を言われるほどのことは」
「ううん。お礼を言いたかったんだ。なんというか、初めて出会えた子が、マリーで良かったよ」
マリーは素直に受け取れなさそうに、顔を赤らめてたじろぐ。
うーんかわいい。
「あぁ、そうだ」
彼女と話していて、忘れていたことが一つあった。
きっとこれが、"彼女"の名前で、今の"わたし"。きっとここから、始まる物語が……あるのかなぁ。
今が四月の始めとして、これからいろんなイベントが起こるだろう。何故なら、ここは『キヴォトス』。ブルーアーカイブの舞台たる学園都市にして、学生の蓑に潜んだ神秘が、微かに香る箱庭世界。
連邦生徒会長の失踪を起点として、『
その内容は、学園に課せられた借金の返済活動だったり、クソゲーから始まる世界崩壊シナリオだったり、とある生徒が行った外患誘致から始まる
──まあ、この世の終わりみたいなシナリオばっかりである。
ただ、わたしはもう『先生』じゃない。今は、楽しい学園生活を期待する『
わたし如き、メインシナリオに介入できる余地などありはしない。そんな力もない……と思っている。
多分、今からできることは幾つもある。しかし、その結果シナリオが歪むこともありうる。アレらは、先生が歩んだが故に在った、
要するに、日和ってる。
バタフライエフェクトで、シナリオが捻じれ狂う。誰にも理解されないであろう、恐怖がある。
「名前、────っていうんだ」
けれど、このやり取り如きで壊れるような世界ではない。
それは誰よりも“わたし”が知っていることだから。
きっと、何も変わりはしないはず。
今はそう、信じさせて。
続きのことは全然考えていません。