パウロ転生 ー家族のために本気だすー   作:パウロ大好きマン

1 / 3
第一話「本気」

 

 

 

──ルディ、無事で本当によかった。

 

 視界が、じわじわと黒く滲んでいく。その中心に、ぼんやりと立つ息子の姿があった。ヒュドラの首が、光の奔流に呑まれて弾け飛ぶ。あいつが、勝ったのか。

 

 良かった。それだけは、良かった。

 

 安堵が胸を満たした瞬間、遅れて理解が追いついてきた。俺の下半身は、もう無い。感覚だけが、そこにあったはずの場所に虚しく張り付いている。不思議なものだ。あれほどの激痛があったはずなのに、今はもう何も感じない。痛みすら、俺を見捨てて逃げていったのか。

 

 ああ、そうか。俺は、死ぬのか。

 

 その事実を、驚くほど静かに受け止めている自分がいた。恐怖はどこにもなかった。ただ、体の輪郭が少しずつ溶けて、周りの空気と混ざり合っていくような、奇妙な浮遊感だけがあった。

 

 視界が狭まっていく。音が、遠くなっていく。

 

 それなのに、頭の中だけは、やけに鮮明だった。走馬灯とはよく言ったものだ。今まさに、俺の人生が、順序もなくばらばらに溢れてくる。

 

──ノルン。アイシャ。

 

 真っ先に浮かんだのは、二人の泣き声だった。ノルンは本当によく泣く子どもだった。夜中に何度起こされたか分からない。俺が抱き上げても一向に泣き止まず、途方に暮れてゼニスに渡すと、嘘のようにぴたりと泣き止む。悔しくて、でもどこか誇らしくて、そんな顔をするゼニスを見ているのが好きだった。

 

 アイシャは、もっと複雑だ。あの子の存在そのものが、俺の弱さの証だった。それでも、小さな手で俺の指を握った時、その罪悪感ごと、愛おしさに塗り替えられてしまった。

 

 幼いお前たちを置いていく、情けない父親を許してくれ。すまない。本当に、すまない。

 

──リーリャ。

 

 水神流の道場で、剣を振っていたお前を最初に見た時のことを、まだ覚えている。あの時の俺は何も考えておらず、自分勝手で最低なことをしてあいつを傷つけた。それでもお前は、ゼニスの傍らに残ってくれた。アイシャを産んでくれた。

 

 ありがとう、では足りない。分かっている。それでも、それしか言葉が見つからない。

 

 そして──視界の隅に、結晶が見える。

 

──ゼニス。

 

 あの中で、お前は今も眠っている。時間だけが、お前の周りだけ止まっているみたいだ。

 

 お前と過ごした時間は、俺の人生でいちばんの宝物だ。ルディとノルンを産んでくれて、本当にありがとう。うまく伝えられたことがなかったが、俺はずっとお前に感謝していた。

 

 なあ、ゼニス。

 

 俺はもう、お前を迎えに行ってやれない。結晶を割って、その手を取ってやることもできない。

 

 だから、生きていてくれ。どんな姿でも構わない。俺の分まで、生きて、子どもたちの成長を見てやってくれ。

 

──家族を、探すと誓ったはずだった。

 

 その誓いのために、俺は何年も費やした。捜索団を作り、あちこちに手紙を出し、当てもない情報を追いかけ続けた。それでも見つからない日々に、少しずつ心が擦り減って酒に逃げた。誰かに当たった。魔大陸から戻ってきたルディにさえ、苛立ちをぶつけてしまった。あんな形で再会するべきじゃなかったのに。

 

 俺は、リーダーとして情けなかった。夫として、父として、情けなかった。剣士としても――本当に強かったことなど、一度もなかったんじゃないか。

 

 もっと強ければ。

 

 もっと、しっかりしていれば。

 

 ゼニスを一人にしなかった。ノルンとアイシャに、寂しい思いをさせなかった。リーリャにも、あんな苦労をかけずに済んだ。ルディに、情けない背中を見せずに済んだ。

 

 全部、俺が弱かったせいだ。

 

 もし。

 

 もし、もう一度やり直せるなら。

 

 家族を守るために──

 

 

 

────

 

 

 

「パウロ……。わたくしの可愛い赤ちゃん……。母の元に生まれてきて、ありがとう」

 

 

 

────

 

 

 ノトス・グレイラット家の屋敷で、初老の男が大声を出してドタバタと駆け回っている。

 

「坊ちゃまー!坊ちゃまー!出てきてくださいませ!坊ちゃまー!いったいどこへ行かれてしまったのだ……。ああっ、そこのメイド!」

 

「はい?どうなさいました?」

 

「坊ちゃまを見なかったか!?どこにもいらっしゃらないんだ!」

 

「坊ちゃまでしたら、馬小屋のほうへ向かわれておりました」

 

「馬小屋!?まさか外へ行くつもりか!?クソッ……こうしちゃいられない!」

 

 慌てた様子の男がその場を去っていく。姿が見えなくなると、メイドはほぅ……と熱い息を吐いた。

 

「ん……坊ちゃま、彼はもう行きました。どうぞ、出てこられてください」

 

「うん、そうか」

 

 くぐもった子どもの声がして、メイドのスカートがまくれ上がる。彼女のスカートの中でしゃがみ込んでいた少年こそ、アスラ王国上級貴族、ノトス・グレイラット家のひとり息子──パウロだ。

 

「かくまってくれてありがとう、おかげで助かった」

 

「い、いえ……。坊ちゃまの願いを叶えることが、使用人の役目でございますから……んっ……」

 

「あいつも父様も、しつこくてイヤになる。俺は勉強なんてしたくないのに、勝手に家庭教師なんて呼んじゃってさ。それもじいさんなんだよ。歯がないから何言ってるわかんないし。どうせなら、もっと若くて可愛い人か、剣が強い人を呼んでくれたらいいのに」

 

「あ、あの……」

 

「俺を膝に乗せて授業してくれる、優しいおねえさんがいいなぁ……。それか俺より剣が強い人でもいいなぁ……。探せばいると思うんだけど、どうかな?」

 

「そ、そうでございますね……ぁ……、ん……っ、坊ちゃま……その、足を撫でる手を、止めてはいただけませんか……?」

 

 真っ赤な顔で目を潤ませるメイドの姿に、パウロはパッと手を離してスカートの中から出てきた。

 

「ああ、ごめん!すべすべ気持ちよかったから、つい!でも、ずっと中には居られないね。だんだん熱くなってくるし」

 

「熱く……いえ、決してそのようなことは……!」

 

 真っ赤な顔で声を上げたメイドに、パウロは口の前でしぃー、と人差し指を立てる。

 

「そんなに大きい声を出さないで。あいつが戻ってきたら困るんだ」

 

「あ、申し訳ございません!」

 

「いいよ。その代わりにまたよろしく」

 

 そう言うと、パウロは廊下を駆け出した。通りすがりのメイドの尻を撫でるのを忘れずに。

 

 しかし、その手のひらは五歳とは思えないほど皮膚が硬く、何かを握り続けてできたマメがあった。

 

「(うん、もう少し大きい方が好き。さーてと!明日は誰に助けてもらうかな?)」

 

 上級貴族の長男として生まれてきたパウロは、五歳にしてすでに異性への奔放さを発揮していた。しかし、それだけではなかった。

 

 

 

────

 

 

 

 屋敷から離れた広場で、パウロは木刀を振るっていた。

 

 上から下へ。ただそれだけの動きを、何度も、何度も繰り返す。

 

「497……498……499……500! ……501……」

 

 手のひらの皮はとっくに破れ、滲んだ血で木刀の柄が湿っている。針で刺されるような痛みが、振るたびに掌から腕へ走った。それでも、パウロは剣を止めない。その顔には、楽しさとも苦しさとも違う、どこか焦りにも似た必死さがあった。

 

「準備運動は終わり。次は──」

 

 五百回を超える素振りを、準備運動と言い切る。とても五歳の子どもの修行ではない。大人でも根を上げるだろう。しかしパウロにとっては、これが日常だった。

 

 木刀を握り直し、目を閉じる。目の前に、敵を思い描く。

 

──来る。

 

 地面を蹴り抜いた。小さな体が弾丸のように前へ飛び、踏み込みの音が遅れて響く。木刀が、空気を裂いた。風を切る鋭い音。一拍遅れて、足元の土が舞い上がる。

 

 初撃の勢いを殺さず、体を捻って二の太刀。さらに返す刃で三の太刀。剣先が描く軌跡が、視界の中で光の線になる。

 

 次の瞬間には、動きががらりと変わった。

 

 迫る一撃を受け流すように、剣を斜めに滑らせる。力に逆らわず、水が岩を避けて流れるように体をさばき、相手の勢いを利用して懐へ入り込む。流れるような足運び、ぶれない重心。舞っているようだった。

 

 と思えば、突然その場に這いつくばった。口に木刀を咥え、四つん這いのまま地を這うように駆ける。土を蹴り上げ、身を翻し、跳ね上がる。常識も型も無視した、獣のような奇抜な動き。

 

 激しく上下する肩。荒れる呼吸。滝のように流れる汗が、顎から滴り落ちる。

 

 それでも、止まらない。

 

 次から次へと、型が切り替わる。鋭く、流麗に、奇怪に。

 

 三大流派と呼ばれる剣術がある。

 

 剣神流は、攻めの剣。先手を取り、相手が反応するより速く斬る。迷いのない踏み込みと、圧倒的な速さで勝負を決める流派だ。

 

 水神流は、守りの剣。相手の攻撃を受け流し、崩し、その隙に反撃を叩き込む。剣を「防ぐ」ことを第一とする、堅牢で理にかなった流派である。

 

 北神流は、奇抜と変則の剣。型に囚われず、地形や道具、あらゆるものを利用して相手の意表を突く。何でもありの、実戦に強い流派だ。

 

 本来であれば、それぞれの流派の門下生となり、師の下で長い年月をかけて学ぶ技だ。いずれも、初級から順に段階を踏んで習得していくのが決まりで、生半可な覚悟で身につくものではない。

 

 だが、パウロは、そのどこにも属していない。誰かに教わったことなど、一度もない。

 

 それなのに、体は動いた。

 

 誰に教わったわけでもないのに、足の運びも、剣の握りも、間合いの取り方も、すべて自然と分かっている。まるで、体の奥底に染み付いているかのように。頭で考えるよりも先に、体が答えを出していた。

 

 理由は分からない。分からないのに、それが正しいと確信している。

 

「(もっと、速く……もっと、強く……)」

 

 胸の奥に、燃えるような焦燥があった。どれだけ剣を振っても、まだ足りない。まだ届かない。何に届かないのかも分からないまま、パウロは血の滲む手で、再び木刀を握り直した。

 

 

 

────

 

 

バレンティナ(パウロ母)視点

 

 

 パウロは不思議な子だ──

 

 母である私が、いちばんそう思っている。

 

 最初に違和感を覚えたのは、あの子がまだ赤子だった頃だ。よく泣く子ではなかった。夜泣きで私を困らせることも、ほとんどなかったと思う。その代わり、夜中にふと目を覚ますと、揺りかごの中で小さな手を宙に伸ばして、何かを掴むように握ったり開いたりしていた。まだ首も据わらない頃の話だ。

 

 眠りながら、うなされていたこともある。額に汗をかき、悲しげに顔を歪めて、ときおり何かを呟いていた。言葉にもならない声のはずなのに、「ゼニス……」と聞こえた気がした。ゼニスとは一体誰なのだろうか……?

 

 歩けるようになると、あの子はすぐに庭の木の枝を拾い始めた。

 

 最初は子どもの遊びだと思っていた。旦那様も「さすが俺の息子だ、もう剣士ごっこか」と笑っていた。けれど、あの子は毎日、同じ場所で、同じ枝を握って、ただ振り続けていた。

 

 二歳のとき、玩具の木剣を与えた。それを喜んで受け取ったあの子は、その日のうちに握りを工夫し始めた。持ち方を変え、足の位置を変え、首を傾げて、また振る。誰にも教わっていないのに、何かを探すように、少しずつ形を整えていった。

 

 三歳になる頃には、手のひらにマメができていた。

 

 私は驚いて、慌てて薬を塗り、包帯を巻いた。「痛くないの?」と聞くと、あの子は不思議そうに首を傾げた。「痛いよ。でも、もっと頑張らないと」と、当たり前のように答えた。あの時の、幼い顔に似合わない真剣な眼差しが、今でも忘れられない。

 

 もちろん、遊びたい盛りの子どもでもある。屋敷を脱走しては使用人を困らせるし、家庭教師の授業からはいつも逃げ回る。勉強は本当に嫌いなのだ。

 

 それに、グレイラット家の男の血は争えない。綺麗な女性を見つけると、目を輝かせて後ろをついて回る。旦那様は「俺の子だな」と苦笑いするが、母としては、この先が少し心配になるところだ。

 

 けれど、そんな年相応の顔を見せる一方で、あの子の剣への執着は、それ以上だった。

 

 どんなに遊んでいても、ふとした瞬間に、遠くを見るような目で拳を握りしめる。何かに追い立てられているように、朝も夜も剣を振る。怪我をしても、熱を出しても、止めようとしない。止めると、あの子は決まって、置いていかれた迷子のような顔をする。

 

 異常だ、と思う。

 

 正直に言えば、恐ろしくなる夜もある。五歳の子どもが、大人でも音を上げるようなことを、毎日、血を流しながら続けているのだ。何があの子をそこまで駆り立てているのか、母である私にも分からない。あの子自身にも、きっと分かっていない。

 

 それでも。

 

 夜、庭の隅で誰もいない闇に向かって剣を振り続けるあの背中を見ると、私は何も言えなくなる。あの小さな背中が、何か大きなものを背負っているように見えてしまうから。

 

 パウロは、不思議な子だ。

 

 変わっていて、手のかかる子だ。私にも、夫にも、誰にも理解できない何かを抱えているのかもしれない。

 

 それでも、私はあの子の母親だ。

 

 あの子がどんな道を選んでも、どんな姿になっても、私はあの子を愛している。手のひらの血を洗い、包帯を巻き、疲れて眠るあの子の頭を撫でる。それが、私にできるすべてだ。

 

 だから、せめて、この家にいるあいだだけは。

 

 あの子が安心して帰ってこられる場所で、ありつづけたいと思う。

 






YouTubeで、パウロ外伝と調べて視聴してみると面白いですよ。パウロの過去がよくわかります。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。