パウロ転生 ー家族のために本気だすー 作:パウロ大好きマン
深夜。黒い布で顔の下半分を覆い、フードを目深に被って、俺は聖堂騎士団本部の裏手に立っていた。
昼間から堂々と正面から訪ねることはできない。アスラ王国の貴族が、ミリス教団の施設に押しかけたとなれば、カーライルの心配していた通り、政治問題へと発展しかねない。だから、こうして夜陰に紛れて動くしかなかった。
──ここに来るのは、何度目だろう。
カームとの稽古で、数えきれないほど通った道だ。見慣れた門、見慣れた石畳。それなのに、今はまるで知らない場所に来たみたいに、胸の奥が緊張で張り詰めていた。
塀を乗り越え、敷地内に降り立つ。
静かだった。いつもなら、交代で見張りに立っている聖堂騎士の姿があるはずなのに、今夜は誰一人として見当たらない。
「……変だな」
妙な胸騒ぎを覚えながらも、物陰を伝いながら本部の奥へと進んでいく。
やがて、見慣れた地下への階段にたどり着いた。
足を踏み入れた瞬間──ぞくり、と肌が粟立った。
階段の先、地下から立ち上る気配。重く、圧し掛かってくるような闘気。これまで何度も感じてきた、その感覚に、覚えがないはずがない。
「カーム団長……!」
誰もいないはずの本部で、なぜこの圧だけが、こんなにもはっきりと伝わってくるのか。考えるまでもなかった。
──待っている。
自分の師匠が、この先で待っている。その直感だけが、確信となって胸に突き刺さった。
階段を下りきると、見慣れた空間が広がっていた。白い石畳。壁際に立てかけられた木剣と盾。一年間、何度も体をぶつけ合い、何度も地面に転がされた、いつもの鍛錬場。
その中央に、カームが一人、静かに立っていた。
普段の、飄々とした空気はどこにもない。帯びている空気が、まるで別人のように張り詰めている。
いつもの稽古着ではなく、聖堂騎士団の正装に身を包んでいる。木剣でも、模擬戦用の盾でもない。本物の剣と盾を装備している。
「……来ると思っていましたよ、パウロ様。覆面までして、なかなか様になっていますね」
「……カーム団長」
フードを外しながら、俺はゆっくりと鍛錬場に足を踏み入れた。
「ゼニスを……返してください」
「……」
カームは、何も答えない。ただ、静かにこちらを見つめている。
「お願いします。彼女が、何をされるのか、カーム団長なら分かってるはずだ。あんな奴のところに、置いていいわけがない!」
「パウロ様」
「俺、カーム団長のことは信頼してます。ずっとお世話になってきたから。だから、分かってもらえると思うんです!」
言葉を重ねながら、本当は分かっていた。これは、戦わずに済ませたいという、自分の弱さだ。相手は水帝だ、勝てるわけがない。だから、なんとか──
「黙りなさい」
「……っ」
「あなたは、何か勘違いをしている」
カームの声が、鋭く響いた。一歩も動かないまま、俺を見据えた。
「世の中には、理不尽なことがいくらでもあります。正しいことが、正しいままに通る保証なんて、どこにもない。私は、聖堂騎士です。上からの命令には、従わなければならない立場にある」
「……そんなの」
「分かっていますよ、あなたの言いたいことは。それでも、私がここに立っている理由は、変わりません」
カームが、剣の柄に手をかける。
「あなたは、ゼニス様を助けたいんでしょう。なら、なぜここで、剣も抜かずに言葉だけで済まそうとしている」
「それは……」
「怖いからですか?私に勝てないと、分かっているから?」
図星だった。喉の奥が、詰まる。
「その剣は、何のために腰に差しているんですか」
カームの声が、これまでにないほど鋭く響いた。
「あなたは、この一年間、死に物狂いで努力してきたはずだ。それなのに、今ここで、言葉で済まそうとしている。──その剣は、飾りか?」
「……っ」
頭の奥で、何かが弾けた。
──俺は、何のために強くなりたいんだろう。
何度も考えた。毎日剣を振り、身体を鍛え、強くなることだけを考えてきた。それなのに、肝心の理由だけは、どうしてもはっきりしなかった。
けれど、今なら分かる気がした。
目の前に浮かんだのは、ゼニスの笑顔だった。あの笑顔を、もう一度見たい。あいつが何の心配もなく笑っていられるように、守りたい。
それだけじゃない。母様も、父様も。まだ見ぬ誰かも。胸の奥に浮かぶ、懐かしくて、温かい何かも。
大切な人たちを、失いたくない。
だから、俺は強くなろうとしていたんだ。
「……飾りじゃ、ない」
剣の柄を握り直す。さっきまで震えていた手から、いつの間にか震えが消えていた。
「誰かを守る。そのための剣だ」
胸の奥で、闘気が膨れ上がる。恐怖が消えたわけじゃない。目の前に立つ男が、今の俺では到底及ばない相手だということも分かっている。
それでも、戦わないといけない。
ゼニスを連れ去り、傷つける者がいるのなら。俺の大切な人を踏みにじる者がいるのなら。
たとえ、それが俺を鍛えてくれた師匠であろうとも。
「……カーム」
魔剣『雲岳』の柄を握りしめ、真っ直ぐに師の目を見据える。
「お前が、俺の大切な人を傷つけるっていうなら──」
一歩、踏み出す。
「……お前を、斬る!!」
「……それでこそ、剣士だ」
カームが、わずかに口角を上げた。抜き放った剣を構え、盾を前に掲げる。その姿からは、いつもの飄々とした雰囲気など微塵も感じられない。
「では──始めましょうか」
俺も『雲岳』を抜き、構えを取った。
もう迷いはなかった。大切なものを守るために、俺は目の前に立つ師匠に、剣を向けた。
「"水帝"カーム」
「"剣才"パウロ・ノトス・グレイラット」
「「──勝負!!」」
────
カームが、静かに剣を構える。盾を前面に、剣を腰だめに引いた、あの見慣れた構え。
俺は、両手にそれぞれ剣を握った。左右で水神流。一年かけて、ようやく形になった構えだ。
互いに、一歩も動かない。張り詰めた静寂が、地下の鍛錬場を満たしていた。
先に動いたのは、俺の方だった。
右の剣で、斜め上から斬り込む。カームは、それを剣で軽く受け流しながら、盾を押し出してくる。
「っ……!」
咄嗟に、左の剣で盾の縁を払い、軌道をわずかに逸らす。その隙に体を回り込ませ、カームの側面を取ろうとした。
「甘い」
カームの体が、流れるように半歩引く。回り込んだはずの位置が、気づけばまた正面に戻されていた。
「くっ」
もう一度、右で斬る。受け流される。左で払う。盾で弾かれる。
この一年、何度も繰り返してきた攻防だった。それでも、毎回、新しい発見がある。カームの「流」は、ただ受けるだけじゃない。受けた瞬間に、こちらの重心のわずかなズレを見抜いて、次の一手を誘ってくる。
息を荒げず、心を波立たせず、ただ目の前の動きだけを見る。
──凪の心。
この一年、水神流の稽古を通して、少しずつ身につけてきた感覚だった。怒りも焦りも、表に出さない。殺意も敵意も、悟らせない。ただ、静かな水面のように、相手の動きだけを映す。
右で斬り、カームが受けた瞬間、左で切り返す。カームは盾で防ぎながら、体を横に滑らせ、俺の軸足を剣の腹で軽く払った。
「っ!」
体勢が崩れる。すかさず踏み込んできた剣先を、紙一重でかわす。頬のすぐ横を、冷たい風が通り過ぎた。
互いの剣が、まるで二匹の蛇が絡み合うように、幾度となく交差する。受けては流し、流しては崩し、崩されては立て直す。単純な力のぶつかり合いじゃない。一手ごとに、相手の次を読み合う戦いだった。
でも──これだけじゃ、届かない。
技術では、まだカームに及ばない。この一年でどれだけ伸びたとしても、水帝という壁は、そう簡単に越えられるものじゃなかった。
ならば。
「──雲岳、"軽身"」
魔剣に、魔力を流し込む。刀身が、ふっと羽根のように軽くなった。
「無音の太刀・
「っ、これは……!」
カームの目に、初めて驚きの色が浮かぶ。
軽くなった魔剣を、最大速度で連続して振るう。一撃、二撃、三撃──目にも留まらぬ速さの連撃が、間断なくカームへ襲いかかる。
「むっ……!」
カームは、剣と盾を目まぐるしく動かして、すべてを捌いていく。それでも、これまでより防御の動きが、明らかに忙しくなっていた。
──いける。
そう思った、その直後だった。
カームの体が、沈み込むように低くなる。連撃の合間、ほんのわずかな隙に、剣が下から掬い上げるように入ってきた。
「流」
「かっ……!」
腕を浅く裂かれる。速度を上げたことで、攻撃の線が単調になっていたのかもしれない。
「なら──雲岳"重身"」
すぐに、魔力の流し方を切り替える。刀身が、一気にずしりと重みを増した。
「孤月の太刀!!」
居合の要領で、重く変化した刃を、一瞬の踏み込みとともに振り抜く。重みを乗せた一撃が、カームの盾を正面から叩いた。
「ぐっ……!」
盾を構えたカームの体が、わずかに後ろへ押される。これまでにない手応え。
だが、それも一瞬だった。
「重さを変える、か。面白い魔剣ですね」
カームは体勢を立て直しながら、冷静に呟く。驚きはあっても、動揺はない。盾の角度を変え、重い一撃の威力を、横へ受け流す形へと変えてくる。
「そう上手くはいきませんよ」
次の瞬間、カームの剣が、俺の重い一撃の軌道を利用するように絡みついてきた。魔剣が、思った方向とは別の場所へ逸らされる。体勢が崩れたところへ、盾の縁が胸元を突き上げてきた。
「
「がっ……!」
後方へ吹き飛ばされ地面に転がるが、すぐに体を起こして短く詠唱する。
「力を失いしものに 力を与えん──ヒーリング」
傷口に、淡い光が灯る。痛みが和らいでいく。でも、治癒魔術は、あくまで傷を塞ぐだけだ。失った体力や、消耗した気力までは戻せない。
冷や汗が、背中を伝う。
軽身で速さを見せても、重身で重さを見せても、カームはそのすべてに、的確な対応を返してくる。工夫だけじゃ、やっぱり届かない。
「まだ、やりますか」
カームの声には、挑発も侮りもなかった。ただ、静かに俺を見ている。剣を構え直す。まだ、終われない。
「……当然!」
「少し本気で行きます」
カームが、剣と盾を体の前で静かに重ねた。
「水神流奥義──無貌」
「──っ!?」
次の瞬間、カームの姿が消えた。
殺気も、息遣いも、魔力の揺らぎも、闘気の圧も、何一つ感じ取れない。目は、確かにそこに人影を捉えているはずなのに、存在感そのものが、まるごと抜け落ちている。
どこから来るか、分からない。
「くっ……!」
横合いから、何かが来る気配。振り向きざまに剣を振るうが、空を切った。
「っ!?」
逆側から、肩口に鋭い痛みが走る。
「かっ……!」
見えない。読めない。これまでの「凪の心」で相手の動きを読む戦い方が、まったく通用しない。
「力を失いしものに 力を与えん──ヒーリング」
短縮詠唱で傷を塞ぎながら、必死に意識を研ぎ澄ます。でも、治しても治しても、新しい傷が刻まれていく。体力が、少しずつ削られていくのが分かる。
「ぐっ……!」
また一太刀。今度は、脇腹。治癒魔術で塞いでも、失った血までは戻らない。息が、だんだん上がってくる。
このままじゃ、まずい。技でも、速さでも、重さでも、届かなかった。水神流の正攻法では、無貌を捉えられない。
なら──
胸の奥で、何かが切り替わる音がした。
「……っ」
これまで抑えてきた感情を、あえて解き放つ。凪いでいた心を、自分の意思で荒れさせる。
──殺殺殺殺殺殺殺殺。
頭の中で、言葉にならない衝動が、爆発的に膨れ上がった。
獣のように、低く沈み込む。予備動作を、極限まで削ぎ落とす。左右の剣を、目にも留まらぬ速さで連続して繰り出す。
「ガアァァッ!!」
上下左右。その場の空間をめちゃくちゃに斬り裂く。読み合いも、駆け引きもない。純粋な殺意の塊。
「……!」
それまで、無貌の中で優雅に俺を翻弄していたカームの動きが、一瞬──止まった。
その、ほんの一瞬の綻び。
俺の頭は冷えていた。殺意に呑まれてなんかいない。ただ、戦術として使っているだけだ。
その一瞬を逃さない。
「──っ」
俺は、右の剣を手放した。
二刀流に固執しない。すべてを、一撃に賭ける。
荒れさせていた心を、もう一度、静かに凪がせる。殺意で作った隙を、冷静な一撃で射抜くために。
──凪の心。
両腕に全身の闘気を集中させる。刀身が、これまでで最大の重みを帯びていく。
「雲岳"重身"──光の太刀ッ!!」
「──っ!」
重みを纏った一閃が、まっすぐカームへ向かって奔る。カームの気配が、瞬時に戻る。盾を、真正面に構え直した。
重い衝撃音が、鍛錬場全体を揺らした。
──バキンッ!!
鋼鉄の盾が割れる音。
カームの体が、大きく後方へ吹き飛ばされる。壁際で、ようやく体勢を立て直した彼の肩から、一筋の血が流れていた。
「くっ……!」
しかし、俺の胸も斬られていた。カームは盾が破壊された瞬間に、反撃で斬り裂いたのだ。
静寂が、戻る。
荒い呼吸だけが、鍛錬場に響いていた。
盾の砕けた破片が、ぱらぱらと地面に落ちる音を立てる。
──届いた。
初めて。師匠である、カームに。
しかし、流石は水帝。
「……ふう」
カームは、肩の傷を軽く押さえながら、涼しい顔で立ち上がった。水帝としての佇まいは、何一つ揺らいでいなかった。静かな声が、鍛錬場に響く。
「……本当に、強くなりましたね」
「こんな状況で言われても、嫌味にしか聞こえないですよ……」
もう一本の剣を拾い直しながら、俺は改めて、目の前に立つ師匠を見据えた。
────
カーム視点
盾が砕け、私の体は後方へ吹き飛ばされた。
壁際で体勢を立て直しながら、肩の傷を軽く確かめる。浅い──治癒魔術は必要ない。
「……ふう」
息を整えながら、剣だけを構え直す。盾を失った今、受けと攻めの両方を、剣一本でこなさなければならない。少々、厄介なことになった。
パウロは、剣を手放したまま、膝に手をついて肩で息をしている。傷も、決して浅くない。魔剣の重量操作、連続した魔術の行使、極限の攻防──あれだけのことをやってのけたのだ。体力が底をついていてもおかしくない。
──それなのに。
「……」
私は、わずかに眉を寄せた。
荒れていたはずの呼吸が、少しずつ、静かになっていく。肩の上下運動は、まだ荒いままなのに、剣を拾い直す仕草には、無駄な力が一切なかった。視線が、研ぎ澄まされていく。体から強張りが無くなっていく。
訓練場に、ふと、重い静寂が落ちた。
──これは。
疲労で集中が切れるどころか、むしろ逆だ。極限の中で、より深いところへ潜り込もうとしている。
面白い。
心の奥で、そんな感情が湧いてくる。師匠としての立場を忘れたわけではない。それでも、一人の剣士として、この先の展開に、強く興味を惹かれている自分がいた。
静寂を破ったのは、パウロだった。
「──っ!」
魔剣に魔力を流し込む気配。刀身が、軽くなるか重くなる。はたまたブラフか。
同時に、足にも闘気が込められるのが分かった。地を蹴る音すら最小限に抑えて、一気に間合いを詰めてくる。
速い。
これまでの連撃とは、明らかに桁が違う速度だ。
「来なさい」
私は剣を構え、押し寄せる斬撃の嵐を受け止める。右から、左から、途切れることのない連撃。剣神流の鋭さと、水神流の柔らかさ、そして北神流の予測不能な軌道が、目まぐるしく切り替わりながら襲いかかってくる。
だが、何よりも異様なのは──殺意が、まるで感じられないことだった。
これだけの激しい攻めを見せていながら、パウロの剣は、恐ろしいほど静かだった。これまでの修練で培った「凪の心」を、極限状態の中でなお、維持している。
読みにくい。
殺意を向けられれば、剣士は無意識にその気配を読み取り、次の動きを予測する。だが、何の気配も発さない剣は、まるで水面のように、こちらの読みをすり抜けていく。
──かと思えば。
「!」
不意に鋭い殺気が混じった、フェイント。わざと殺意を見せることで、こちらの反応を誘う一手だ。
凪の心を基本としながら、時折、意図的に殺意を織り交ぜる。読み合いの中に、意表を突く駆け引きを差し込んでくる。
──これは、水王以上の駆け引きだ。
私は、内心で舌を巻いていた。たかだか八歳の子どもが、どうしてここまでの駆け引きを操れるのか。
剣を打ち合うたび、私の頬にも、腕にも、浅い傷が増えていく。盾を失った分、これまでなら防げたはずの一撃が、何度か体を掠めた。
それでも──私は、水帝だ。
「そこだ」
パウロの剣筋の、ほんのわずかな偏り。何百、何千という剣戟を見てきた経験が、その綻びを見逃さなかった。
水神流の「流」で、彼の攻撃の軌道を僅かに逸らす。体勢が崩れた、その一瞬を狙って、私は剣を振るった。
「──っ!?」
深く入った。
本来なら、痛みに意識が引っ張られて、体が硬直するはずだ。
しかし、パウロは止まらなかった。
傷を負った、まさにその瞬間に、すでに次の動作へ移っている。痛みに動揺した様子は、ない。怯えもない。まるで──斬られることさえ、最初から折り込み済みのように。
「……」
これは、ただの気合いや根性で片付けられるものではない。極限の集中の中で、損得すら超えた判断を下している。
恐ろしい子だ。そして──だからこそ、目が離せない。
パウロは、片手で剣を振るった。
「──光の太刀ッ!!」
「っ!」
迫る斬撃。片手で放たれたとは思えない、鋭い一閃だった。
だが、見える。私は剣を合わせ、絡めるようにして、彼の剣を弾き飛ばした。
パウロの手から、剣が離れて宙を舞う。
──仕留めた。
そう思った。その刹那、違和感が走った。
弾き飛ばされた瞬間の、パウロの表情。驚きも、焦りもない。まるで、最初からこうなることを、分かっていたかのような。
──まさか。
「雲岳"軽身"」
もう片方の手に握られていた魔剣が、さらに軽 さを増していく。
一撃目は、囮だったのだ。
私の意識と剣を、一撃目に引きつけるための布石。弾き飛ばされることさえ計算に入れ、空いたその隙へ、本命を叩き込むために。
「──光の太刀・弍閃ッ!!」
最軽量となった刃が、これまでにない速さで奔る。
即座に反応した。防御の体勢を取ろうと、剣を引き戻す。だが──間に合わない。
「ぐっ……!」
腹部に、鋭い衝撃が走る。魔剣の刃が、確かに私の体を斬り裂いていた。
熱い感触が、腹の奥から広がっていく。
一歩、二歩と後ずさりながら、私は自分の腹を押さえた。致命傷ではない。だが、二度にわたる一撃を、確かに許した。
一撃目を囮にする判断。弾き飛ばされることまで織り込む冷静さ。そして、限界に近い体で放った、最速の一太刀。
この短い攻防の中に、どれほどの計算と覚悟が詰め込まれていたのか。考えるだけで、戦慄に似た感情が込み上げてくる。
痛みに顔をしかめながらも、私は、口元が緩むのを抑えられなかった。
「……素晴らしい」
────
パウロ視点
「……っ」
視界が、ぐらりと揺れる。剣を支えにしていなければ、立っていられない。
体力は、もう底をついている。魔力も、ほとんど残っていない。全身の傷が、今になって一気に存在を主張し始めていた。呼吸が、思うように整わない。
このまま、負けたら。
負けたら、どうなる。ゼニスは、あの司教のところに──
「……っ、考えるな」
頭を振って、湧き上がる雑念を振り払おうとする。でも、振り払おうとすればするほど、余計に意識が散らばっていく。
今まで、積み上げてきたものすべて。剣も、魔術も、魔剣も──使い切った。それでも、届かなかった。
握る手に、力が入らない。剣の重さが、やけに重く感じられた。焦りと、恐怖と、疲労が、ぐちゃぐちゃに頭の中で渦を巻く。
──その時だった。
ふと、頭の中に、ある声が蘇った。
『パウロ!明日も一緒に遊ぼうね!』
何でもない、たわいもない別れの一言。でも、今になって、その言葉が、妙に胸に沁みた。
肩の力が、すっと抜けていく。焦りが、少しずつ静まっていく。
カームの声が、静寂の中に落ちた。これが、最後だと。
「水神流奥義──無貌」
次の瞬間、その姿が、ふっと消える。
気配も、音も、殺意も、何も感じられない。これまで何度も苦しめられてきた奥義。今の体力では、もう一太刀でも受ければ、立っていられないだろう。
それでも──俺は、焦らなかった。
ゆっくりと、目を閉じる。
暗闇の中、カームを探そうとはしなかった。見えないものを、無理に見ようとしても意味がない。
代わりに、記憶の中の声が、鮮明に蘇ってくる。いつかの稽古で、カームが教えてくれた言葉。
『己を消す奥義が、無貌です。しかし、その反対の性質を持つ奥義もあります。それは──』
あの時は、頭では理解できても、実感としては掴めていなかった。今、この瞬間、ようやく、その意味が繋がっていく。
無貌が、己の存在を消す技なら。
もう一つの奥義は、他の存在を感じ取る技。
相手の姿や気配を、探し求める必要はない。ただ、自分の剣が届く範囲──その領域だけに、意識を集中させる。
「水神流奥義──剣界」
声に出すと、不思議なほど、頭の中が静かになった。
目を閉じたまま、剣を構える。視覚には頼らない。周囲の音も、気配も、追わない。ただ、剣先から広がる、自分だけの「間合い」を、感じ取る。
暗闇の中で、時間が、やけにゆっくりと流れている気がした。
──そして。
何かがその間合いの中に、確かに踏み込んでくる。姿は見えず、気配も分からない。それでも分かった。
──来た。
迷いなく、剣を振るう。
振り抜きながら、目を開く。
初めて、カームの姿が、視界に飛び込んできた。
すぐ目の前。剣を振り抜いた体勢のまま、彼もまた、こちらを見ていた。
視線が、交わる。
カームは、微笑んでいた。
交差した刃が、互いの体を通り抜ける。
────
どれくらい、歩いただろう。
体が、鉛みたいに重い。足を一歩前に出すたびに、全身の傷が悲鳴を上げる。
壁に手をついて、体を支えながら、廊下を進む。
ゼニスが、どこにいるのか。カームとの戦いで、わずかに聞き出した場所。その記憶だけを頼りに、俺は力の入らない足を、無理やり動かし続けていた。
自分の怪我のことなんて、考えている余裕はなかった。それより先に、確かめなきゃいけないことがある。
ようやく、目的の扉の前に辿り着く。
「……っ」
震える手で、扉を押し開けた。
狭い部屋。灯りは最小限で、薄暗い。その隅、壁にもたれるようにして、小さな人影がうずくまっていた。
「……ゼニス」
声が、かすれた。
名前を呼んだ瞬間、うずくまっていた影が、びくりと震える。
「……パウロ?」
顔を上げたゼニスの目には、涙の跡がいくつも刻まれていた。
一瞬、信じられないものを見るような表情。それが、すぐに大きく崩れた。
「パウロ……っ!」
ゼニスが、弾かれたように駆け寄ってくる。小さな体が、勢いよく俺の胸に飛び込んできた。
「パウロぉっ!!」
「……っ」
思わず、よろめく。でも、俺はその小さな体を、しっかりと抱き留めた。
「パウロ!パウロぉ……っ!うわああああん!怖かった……っ!怖かったよぉ……!」
ゼニスの声が、俺の胸に埋もれながら、大きく震える。
「誰も、来てくれなくて……!もう、パウロにも会えないかと、思ったのぉ……っ!」
「……っ、ゼニス」
その言葉を聞いた瞬間、俺の中で張り詰めていた何かが、一気に崩れた。
「……ごめん。遅くなって、ごめんな……っ」
気づけば、自分の声も、震えていた。
ゼニスの体を、両腕でしっかりと抱きしめる。強く、強く。もう二度と離さない、というように。
「よかった……っ、ゼニス……無事で、よかったぁ……っ!」
目の奥が、かっと熱くなる。堪える間もなく、涙が溢れた。腕の中で、ゼニスがしゃくり上げる。
「寂しかった……!ずっと、一人で……っ!みんな、怖い人ばっかりで……っ!」
「……うん」
「パウロが、来てくれないかもって……!そう思ったら、怖くて、怖くて……っ!」
「うん……! うん……っ! もう大丈夫だから……! もう、ここにいるから……っ!」
それ以上、言葉がうまく出てこなかった。ただ、泣きながら、互いの名前を呼び合う。
格好悪いとか、そんなことを考える余裕もなかった。情けなくても構わない。今は、ただ、ゼニスが無事だったことが、何よりも嬉しかった。
しばらく、そうして抱き合っていた。どれくらいの時間が経ったのか、分からない。
ふと、ゼニスの体がびくりと強張った。俺の体を見て、さっと青ざめる。
「……パウロ、血が……っ!どうしよう……!わたし、どうしたら……!」
「大丈夫、これくらい……」
「大丈夫じゃないよ!こんなに血……!」
ゼニスの目から、また涙が溢れ出す。でも今度は、俺への心配が滲んだ涙だった。
「待ってて……!わたしが、治してあげるから……!」
震える小さな手が、俺の傷にそっと触れる。
何度も失敗してきた、治癒魔術。ゼニスの頬に、新しい涙が伝う。悔しさと、必死さが入り混じった表情だった。
「神なる力はほうじゅんなるかて 力失いしかの者に ふたたび立ち上がる力を与えん──ヒーリング」
ゼニスの手のひらから、淡い光が、確かに灯った。光は、俺の傷口を包み込み、ゆっくりと、傷を閉じていく。
「……あ。……わたし……」
ゼニスが、自分の手のひらを、信じられないものを見るように見つめた。
「パウロ……!わたし……できたよ……っ!」
泣きながら、同時に、笑っていた。くしゃくしゃの顔で、でも、これ以上ないくらい眩しい笑顔だった。
「できたぁ……!パウロ、見て!わたし、治せた……っ!」
「……うん。もう痛くないよ、ありがとう」
俺も、泣きながら、笑っていた。
傷の痛みが、少しずつ和らいでいく。でも、それ以上に、胸の奥が、じんわりと温かくなっていくのを感じた。
ゼニスは、ちゃんと無事だった。そして、彼女自身の力で、新しい一歩を踏み出した。俺はもう一度、ゼニスの体をそっと抱き寄せた。
「……おかえり、ゼニス」
カーム『あー、痛いなー。もう動けないー。気を失いそうだー』
パウロ『え?いや、全然元気じゃ──』
カーム『あー、正体不明の賊に、三階の奥にいる保護対象が奪われるー。止められないー』
パウロ『……!』
カーム『──行った、か。ふふっ、騎士をクビにされたら、役者になろうかな』
パウロ『(演技下手だったなぁ)』