パウロ転生 ー家族のために本気だすー 作:パウロ大好きマン
退屈だ。
心の底から、そう思う。
「では、この問いに答えられる者はいるか」
教壇に立つ教師が、黒板に書かれた文字を指差す。俺は頬杖をつきながら、窓の外を眺める。青い空、風に揺れる木々、校庭で棒切れを振り回して遊んでいる他のクラスの連中。
ああ、いいな。俺もあっちに混ざりたい。剣を振りたい。
俺がこの学校に入ったのは、つい最近のことだ。自分から望んだわけじゃない、父様──アマラントに半ば無理やり放り込まれたのだ。
『貴族の子として、最低限の教養くらいは身につけておけ』
そう言われて連れてこられたのが、ミルボッツ領内にあるこの学校だった。屋敷とは違う顔ぶれ、違う空気。誰と話しても、まず頭に浮かぶのは相手の爵位。そういう連中ばかりの場所だ。
正直、肌に合わない。
朝から決まった時間に起きて、決まった場所へ行く。決まった席に座って、興味もない話を何時間も聞かされる。そんな時間があるなら、剣を振っていたほうがよっぽど有意義だと思うんだけどな。
それなのに父様は、
『剣だけ振っていても、一人前の人間にはなれん』
の一点張りだった。何度言い返しても聞く耳を持たない。余計なお世話だっての。俺は、強くなりたいそれだけでいいんだ。……いや、別に理由なんてないけど、なんとなく。
「パウロ」
「……はい、なんでしょう」
名前を呼ばれて、渋々顔を上げる。
「今、何を考えていた?」
「授業のことですよ、もちろん」
「ほう。なら、今説明した内容を言ってみなさい」
教師の目が、完全に疑っている。まあ、当然か。
「…………えーっと」
何の話だったっけ。歴史の授業なのは分かるけど、問題なのはそれが俺にどう関係あるのかってところなんだよな。
「パウロ、立ちなさい」
俺は渋々立ち上がった。教師が質問を繰り返す。分からない。いや、分からないっていうより、覚える気が起きない。こんなものに時間を使うくらいなら、剣を一本でも多く振りたい。一回でも多く、もっと速く、もっと強く。
「先生、トイレに行きたいです」
「授業中だぞ」
「我慢の限界で漏れそうなんです」
「……早く戻ってこい」
教師が深いため息を吐く。
「はい!すぐに戻ります!」
嘘だ、もちろんトイレに行くつもりなんてない。教室を飛び出し、廊下を駆け抜け、階段を飛ばして降りる。人目につかない場所まで来たところで、寮の自室へ向かった。
部屋の壁に立てかけてあった木剣を、迷わず手に取った。学校指定の道具ではなく、ここへ来た初日に自分の金で買ったものだ。
木剣を握り、学校の裏手の空き地へ向かった。誰もいない、ちょうどいいな。
構える。
「……よし、いくか」
振る。一回。二回。三回。木剣が空気を切る音がする。四回。五回。六回。さっきまでの退屈が、嘘みたいに消えていく。
もっとだ。もっと振れ。もっと速く。もっと強く。
──まだ足りない。
右足を踏み込む。振り下ろす。受ける。流す。返す。身体が勝手に動く。自分で考えているわけじゃない。ただ、こうした方がいいと身体が知っている。剣を振るたびに、知らないはずの動きが次々と浮かんでくる。
「……いいぞ」
呟きながらも、手は止まらない。夢中になって、俺はただ剣を振り続けた。
「──随分と熱心だね」
「うおっ!?」
声に振り返る。そこに立っていたのは、学校で剣術を教えている女剣士──リーシェだった。水神流の上級剣士で授業ではいつも涼しい顔をして、隙というものを見たことがない。
「先生……驚かせないでくださいよ」
「授業を抜け出して、何をしているのかと思えば」
リーシェは俺の持っている木剣に目をやり、呆れたように笑った。
「やっぱり剣か。歴史の授業はどうしたの」
「あれはもう無理です。眠くなる呪文でもかけられてるんじゃないかってくらい、頭に入ってこないんですよ」
「正直だね、君は」
「褒め言葉として受け取っておきます」
彼女は苦笑しながら、空き地へ入ってくる。
「でも、剣術の授業だけは一度も休まないよね」
「そこだけは真面目にやってる自信ありますよ。剣は好きなんで」
「知ってる。だから前から気になってたんだ」
「何がです?」
「君の剣、だよ」
彼女が腰に佩いた木剣を抜く。
「授業中、君は私の動きを真似しているように見える。でも、時々、明らかに違う動きが混ざっている。私が教えたことのない動きがね」
胸の奥が、ざわりと音を立てた。何度も感じている、あの感覚。俺自身にも、うまく説明できない動き。
「……なら、先生も試してみます?」
「試すって、何を」
「剣ですよ、もちろん」
リーシェが少し目を見開き、それからにやりと笑った。
「──いいね、それ。乗った」
彼女が構える。俺も木剣を構えた。
「今日は授業じゃないから、多少は本気でいくよ。まあ、手加減はするけど」
「手加減なんていらないです。お互いに本気でやりましょう」
「……本当に強気だね君は。なら、遠慮なくいこうか」
リーシェの表情が、すっと水面のように静かに変わる。
踏み込んできた。速い。まるで川の流れが一気に岸を削るような、無駄のない一撃。
だが──分かる。剣筋が。次にどこへ来るのか。
体が勝手に動いた。木剣を斜めに滑らせ、力に逆らわず受け流す。まるで自分自身が水になったみたいに、相手の勢いをそのまま横へ逃がす。半歩下がると、彼女の木剣は狙いを失って空を切った。
「……!」
リーシェの目が、わずかに細くなる。
もう一度。今度は俺から踏み込んだ。水神流──「流」相手の攻撃を受け、流し、隙を突く技。俺も同じ流派の理屈で剣を振るう。水神流同士のはずなのに、明らかに俺のほうが速い。相手の動きが、まるで澄んだ水の底を覗き込むみたいにはっきり見える。次の一手も、その次の一手も。
剣と剣がぶつかるたび、木剣の先から、まるで水しぶきが散るような軽い音が響いた。押し合っても、絡み合っても、俺の剣はいつも一拍先に流れを変えている。
気づけば、リーシェの木剣が地面に落ちていた。俺の木剣は、彼女の喉元でぴたりと止まっている。
「…………」
「…………」
空き地が、しんと静まり返った。俺は木剣を下ろす。
「ありがとうございました、先生」
「……うん、こちらこそ」
リーシェは落ちた木剣を拾いながら、小さく笑った。悔しそうな顔はしていない。むしろ、どこか納得しているような表情だった。
彼女は木剣を眺めながら言った。
「前からなんとなく気づいていたんだ。君の剣筋とか体の動きで、私より強いなーって」
「…………」
「君くらいの年齢の子で、ここまでの剣を振れる子を見たのは初めてだよ。強すぎるというかもう異常だね」
「……じゃあ、俺ってどれくらい強いんですかね」
リーシェは少し考えてから、首を横に振った。
「今の段階で、はっきり階級を言うのは難しいな。剣士の強さは型だけじゃなくて、実戦経験や精神の在り方でも変わってくるものだから。ただ──」
彼女は木剣を肩に担ぐ。
「君は間違いなく上級の域にあると思う。もしかしたら、聖級に片足がかかっているかもしれない」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が、かっと熱くなった。
「じゃあ先生、もっと教えてくださいよ」
「それなんだけどね。正直、私から君に教えられることは、そう多くないと思う。純粋な技に関してはね」
「え、本当ですか」
リーシェは困ったように笑った。それに、思わず眉を寄せる。
「じゃあ、どうすればいいんですか」
「強くなりたいなら、剣以外を学ぶといいよ。実戦だったら、道場剣術だけじゃ勝てないことのほうが多いからね」
彼女は木剣を肩に担いだまま、歩き出す。
「私は元冒険者だから、魔物との戦い方や、相手との間合いの取り方、地形の使い方、複数の敵を相手にした時の立ち回り──そういうものなら教えられるかも」
「……へえ、めちゃくちゃ面白そうじゃないですか
「だろうね」
少しだけ考えて、思わず笑ってしまう。リーシェも釣られたように笑った。
「そういえば先生、なんでそんなに俺によくしてくれるんですか?別に、俺って大した生徒でもないと思うんですけど」
「ん?どうしてそう思うの」
「だって、授業以外の時間まで付き合ってくれる先生なんて、他にいないですし」
リーシェは木剣の先で、コツンと自分の肩を叩きながら、少し考えるような間を置いた。
「単純な話だよ。君が、私の授業を誰よりも熱心に聞いてるから」
「え、そんなの当たり前じゃないですか。剣、好きなんで」
「それが、当たり前じゃないんだよ、ここでは」
彼女は校舎のほうへ視線をやった。
「ここにいる子たちは貴族の子でしょ。剣術の授業も、家柄的にやらされてるだけの子が大半。正直、教えがいなんてほとんどないんだ。型をなぞって、時間が過ぎるのを待って、それで終わり」
「……ああ、なるほど」
「でも君は違う。授業中も、目の色が違うし、休み時間まで削って剣を振ってる。教える側からすれば、こんなに嬉しいことはないよ」
「そんな大層なもんじゃ……」
「それに、君、貴族の子にしては、変に気取ってないよね。家名とか爵位とか、そういうので態度を変えたりしない。生意気だけど、そこは嫌いじゃない」
リーシェは、悪戯っぽく笑った。
「褒められてるのか貶されてるのか、微妙なラインですね、それ」
「褒めてるんだよ、もちろん」
俺は思わず頭を掻いた。なんだか、くすぐったい気分だった。
「……先生にそう言われると、なんか調子狂いますね」
「あら、そう? じゃあ、これからも調子狂わせてあげようかな」
「勘弁してくださいよ」
そう言いながらも、口元が緩むのを止められなかった。
「まあ、そういうわけだから」
リーシェは木剣を肩に担ぎ直し、俺のほうへ手を差し出す。
「これからも、よろしくね。パウロ」
俺は木剣を持ったまま、その手を握り返した。
「はい、こちらこそ。先生には、まだまだ教わりたいことがたくさんありますから」
「言うようになったじゃない」
「先生の教え方がいいからですよ」
「調子いいなあ、君は」
リーシェは呆れたように笑いながらも、満更でもなさそうな顔をしていた。夕方の空き地に、俺たち二人の笑い声が響く。
強くなりたい理由は、まだ分からない。でも、こうして剣を振れる今この瞬間は、悪くないなと思った。
────
歴史の授業が終わると、次は魔術の授業だった。
正直、これは剣術ほど楽しみにしていない。魔術より剣のほうが性に合っている自信はある。それでも、歴史の授業よりはよっぽどマシだ。
「今日は、魔術の基礎についておさらいしてから、実演を見てもらいます」
教壇に立つのは、魔術を教えるフィオナ先生だ。リーシェ先生とは違って、こちらは物腰が柔らかく、話し方もゆったりしている。
「魔術は、体内の魔力を消費して発動するものです。同じ魔力でも、人によって得意な系統が違います。火、水、風、土、それに治癒や解毒。得意な系統の魔術を上級まで習得すると、魔術師として一人前と言われます」
ふうん、と頷く。剣と違って、生まれ持った系統次第ってわけか。
「今日は、水系統の初級攻撃魔術を実演します。よく見ておいてください」
フィオナ先生が両手を前に出す。指先に、透明な光の粒が集まっていく。
「汝の求める所に大いなる水の加護あらん 清涼なるせせらぎの流れを今ここに──ウォーターボール」
次の瞬間、彼女の手のひらから、人の頭ほどもある水の塊が飛び出した。真っ直ぐ校庭の的に向かって飛び、着弾と同時に派手な水しぶきを上げて弾ける。
「おお……!」
教室中がどよめく。何人かが身を乗り出して、拍手までしていた。俺も素直に「すげえ」と口の中で呟く。ただ──
拍手をする手が、途中で止まった。
もう一回、的に残った水の跡を見る。もう一回、フィオナ先生の手元を見る。
何回見ても、変わらない。
胸のあたりに、小さな引っかかりがある。今のが、大したもんじゃないとは思わない。教室中がどよめくくらいだ、普通に考えてかなりのはずだ。
それなのに、頭の奥のほうで、誰かが小さく囁く。
──もっとすごいの見たことあるだろ。
誰だよ、それ。今日、初めて魔術見たのは俺自身なんだけど。
隣の席の奴が「先生、すごいです!」と目を輝かせているのを横目に、俺はその引っかかりの正体を探すみたいに、自分の手のひらを何度か握ったり開いたりした。
「では次に、治癒魔術を見てもらいます」
フィオナ先生は、教壇の脇に置いてあった鉢植えを持ち上げた。茎の途中で折れかかった、萎れかけの花だ。
「治癒魔術は、攻撃魔術のような派手さはありません。でも、生活の中では、こちらのほうがずっと役に立つ場面が多いんですよ」
先生が折れた茎にそっと手をかざす。淡い緑色の光が、指先から溢れ出す。
「神なる力は芳醇なる糧 力失いしかの者に 再び立ち上がる力を与えん──ヒーリング」
光が茎を包み込むと、萎れていた花が、みるみる張りを取り戻していく。折れていた部分が、まるで最初から折れていなかったみたいに、すっと真っ直ぐに戻った。
「……おー」
教室の反応は、さっきよりだいぶ控えめだった。拍手もまばらだ。
でも、俺はその花から目を離せなかった。
肩の力が、いつの間にか抜けている。強く握っていたはずの拳も、いつの間にか開いていた。
花が元通りになっていくのを、ただ眺めているだけなのに。息を吐くと、それだけで胸の奥がゆるんでいく。誰かに、ぽん、と背中を撫でられたような感じ。
そんなことをしてくれる相手なんて、心当たりはないのに。答えを探そうとして、すぐに諦めた。分からないものは分からない。
「最後に、解毒魔術について説明します」
フィオナ先生が、鉢植えを教壇に戻しながら続ける。
「解毒魔術は、体内に入った毒や病を取り除く魔術です。毒や病気の種類によって難易度は大きく変わりますし、病によっては、治癒魔術以上に繊細な魔力操作が求められます」
先生は、小瓶に入った薄紫色の液体を取り出した。
「これは、弱い麻痺毒です。今から、この毒に侵された状態を再現して、解毒してみせます」
彼女は自分の手の甲に、その液体をほんの一滴垂らす。しばらくすると、指先がぴくぴくと痙攣し始めた。
「清浄なる御手よ 蝕みし穢れを払い 巡りし血より厄を断て──ディトックス」
白い光が手の甲を包む。数秒後、痙攣はぴたりと止まった。
「……はい、これで解毒完了です」
教室から、ぱらぱらと拍手が起きる。治癒魔術の時と同じくらいの、穏やかな反応だった。
俺は、気づいたら身を乗り出していた。
「……これ」
「ん? どうかした、パウロくん」
フィオナ先生が、こちらに目をやる。
「これを、覚えたいです」
言ってから、自分の声の大きさに自分で驚いた。
「あら、珍しいね。攻撃魔術じゃなくて解毒魔術?」
「……はい」
それしか、答えられなかった。
覚えたい。それだけが、腹の底にどっしりと居座っている。まるで、何年も前からそう決めていたみたいに。
「そう。まあ、興味を持ってくれるのは嬉しいことだよ。解毒は地味だから、志望する子は少ないんだ」
「……そうなんですね」
頷きながらも、視線はまだフィオナ先生の手の甲に張り付いたままだった。
剣を振りたいのは、いつものことだ。強くなりたい。理由なんてなくても、それは当たり前にそこにある。
でも、今日はそれだけじゃなかった。
水の塊を見て、口では「すげえ」と言いながら、指先は動かなかった。
花が元に戻るのを見て、勝手に息が緩んだ。
毒が消えるのを見て、気づけば身を乗り出していた。
三つとも、今日初めて見たものだ。それなのに、まるで前にも同じものを見たことがあるような気がする。
「……変だよな、俺」
誰にも聞こえないくらいの声で、そう呟いた。答える奴なんて、どこにもいなかった。