パウロ転生 ー家族のために本気だすー   作:パウロ大好きマン

3 / 14
第三話「実力」

 

 

 窓の外を流れる景色が、見覚えのあるものに変わってきた。畑、川沿いの道、遠くに見える屋敷の屋根。

 

 やっと帰って来れた。

 

 長期休暇。学校に入って初めての、まとまった帰省だ。正直、こんなに待ち遠しいとは思っていなかった。

 

 馬車が屋敷の前で止まると、俺は荷物を担いで真っ先に飛び降りた。

 

「坊ちゃま、お帰りなさいませ」

 

「ただいま」

 

 出迎えの使用人たちに片手を振りながら、玄関をくぐる。見慣れた廊下、見慣れた匂い。学校の寮とは違う、屋敷の空気だ。

 

 母様はどこだろう。真っ先にそう思ったところで、

 

「パウロ」

 

 低い声に足を止められた。書斎の扉の前に、父様──アマランドが立っている。腕を組んで、こちらをじっと見ていた。

 

 うわ、いきなりかよ。

 

「はい、なんでしょう」

 

「学校から成績表が届いている。少し話そう、こっちに来なさい」

 

 断れる空気じゃない。俺は諦めて書斎に入った。机の上に広げられた紙を、父様が指でなぞる。

 

「剣術、運動──どちらも満点に近い。担当教師の所見にも、同学年で頭一つ抜けている、とある」

 

「まあ、そこは自信ありますよ」

 

「魔術の実技は、お世辞にも高い評価じゃないな。才能がある方じゃないんだろう」

 

「……そうですね。魔術はあんまり得意じゃないです」

 

 素直に認めると、父様は紙をめくった。

 

「だが、それにしては初級魔術を全属性習得している。適性の低さを考えれば、これは頑張った方だと教師も書いている」

 

「頑張ったというか、なんか、気になるから練習してただけですけど」

 

「魔術理論の座学は、かなりいい。特に解毒魔術に関しては、学年でも上位だそうだな」

 

「そこはよく分からないんですけど、なんか覚えたくなるんですよね」

 

 自分で言いながら、へんな答えだと思う。父様も少し眉を寄せたが、それ以上は突っ込んでこなかった。

 

「貴族としての教養はよくないな。座学も礼儀作法も、及第点ギリギリだ」

 

「……そこは、まあ」

 

「出席率も八割。完全に問題があるとまでは言わないが、褒められた数字でもない」

 

 うっ、と喉の奥で声が詰まる。剣を振りたくて授業をサボった回数、思ったより多かったんだな。

 

 父様はしばらく、成績表を眺めていた。俺は背筋を伸ばして待つ。怒鳴られる覚悟はしていた。剣ばっかり振ってないで、もっと真面目にやれ──そういう説教が来るんだろうと。

 

「……総合すると、上級貴族の長男として物足りない部分は多い」

 

「……そう、ですか。申し訳──」

 

「だが」

 

 父様は、成績表を机の上に置いた。

 

「剣術は非の打ち所がない。魔術も、才能を考えれば十分すぎるほど努力している。叱るような結果ではない」

 

 ──え。

 

 想像していた展開と違って、俺は間の抜けた声を出しそうになった。

 

「もっと教養を身につけろ、それだけは言っておく。だが、今のお前を怒鳴るつもりはない。話は以上だ」

 

「……は、はい」

 

 あっさりとそう言われて、俺は書斎を出た。廊下を歩きながら、なんだか拍子抜けした気分になる。

 

 さて、母様に会いに行こう。

 

 俺は廊下の角を曲がって、足を速めた。すれ違ったメイドの尻を撫でつつ、庭に面した部屋の扉を開けると、窓辺の椅子に座る人影が見えた。刺繍か何かをしていたらしい母様が、扉の音に顔を上げる。

 

「あら」

 

 その顔が、ふわりと綻んだ。

 

「母様!」

 

 俺は駆け出した。椅子に座ったままの母様に、勢いよく抱きつく。

 

「パウロ!よく帰ってきたわね! 一刻も早く会いたかったのだけれど、旦那様がお話があるとおっしゃっていたから……。さぁ、顔をよく見せて」

 

 背中に回された腕が、俺をぎゅっと抱きしめる。柔らかい声と、屋敷にいた頃から変わらない、優しい匂い。顔を上げると、母様は俺の頭を撫でながら笑っていた。

 

「ふふふ、少し見ないうちに大きくなったみたいね。子どもの成長は早いわ……」

 

「母様は変わりませんね。あたたかくて、優しくて、いい匂いがします」

 

「まあ!成長したと思ったけれど、まだまだ甘えん坊さんね」

 

 母様の腕の中で、目を閉じる。

 

「ずっと、会いたかったんです。ちゃんとお別れも言えませんでしたし……。母様……ただいま戻りました」

 

「パウロ……おかえりなさい。わたくしの可愛い子……」

 

 母様の手が、俺の頬を包む。柔らかくて、温かい手だ。

 

「さあ、こっちに座って。学校のお話、たくさん聞かせてちょうだい」

 

 俺は椅子の隣に腰かけながら、さっそく口を開いた。

 

「あのね、剣術の授業で、リーシェ先生っていうのがいてさ。この間、模擬戦やったんだけど──」

 

 話したいことが、次から次に出てくる。剣のこと。魔術の授業のこと。友達のこと。学校の飯が物足りないこと。

 

 母様は、俺が話すたびに「まあ」「それで?」と相槌を打ちながら、楽しそうに耳を傾けてくれる。

 

 母様といる時間が、一番好きだ。剣を振ったりメイドのスカートに入るのとは、また別の嬉しさが胸の中にある。

 

 

 

────

 

 

 

 しばらく話し込んでいるうちに、母様がふと咳き込んだ。

 

「あら、ごめんなさいね」

 

「大丈夫?風邪でも引いてるの?」

 

「平気よ、ちょっと喉が乾燥してるだけ。最近、空気が乾いているでしょう」

 

 母様は笑いながら手を振った。それでも俺は、気づけばその手を取っていた。

 

「ん?どうしたの、パウロ」

 

「……いや、なんとなく」

 

 握った手のひらから、脈の速さが伝わってくる。とん、とん、とん──思っていたより、少し速い。

 

 なんだこれ。

 

 よく分からないまま、母様の手を両手でそっと包み込んだ。脈は速いし、息の音もどこか浅い。手のひらを通して伝わってくる感覚は、いつもよりずっと頼りなかった。

 

「パウロ?手なんて握って、どうしたの」

 

「あ、ごめん。手が冷たそうだったから」

 

 適当に誤魔化したけど、胸の奥はざわついたままだった。うまく言葉にできない。ただ、何かしてあげなきゃという気持ちだけが、腹の底からじわじわとせり上がってくる。

 

 学校で覚えた呪文が、頭の中に勝手に浮かんでくる。何度も何度も練習した、あの詠唱だ。

 

「……ねえ、母様」

 

「なあに?」

 

「解毒魔術を母様に使ってもいいかな?学校で習ったやつなんだけど、俺、それだけはなんでか得意でさ」

 

「あら。パウロが魔術を?しかも、わたくしに?」

 

「うん。母様がすごい毒にやられてるとか病気とか、そういうんじゃないんだけど……なんとなく、使ってあげたいなって思って」

 

「ふふ、なんとなく、なのね。じゃあ、お願いしようかしら。パウロが頑張って覚えたものなら、母様、見てみたいわ」

 

 母様は少し困ったように笑ったけど、嫌がっている様子はなかった。座り直して、両手を差し出してくれた。

 

「これでいい?」

 

「うん、それでいいよ」

 

 俺は母様の手を、自分の両手でそっと包み込む。少し緊張しながら、目を閉じた。

 

「清浄なる御手よ 蝕みし穢れを払い 巡りし血より厄を断て──ディトックス」

 

 手のひらから、白い光がふわりと広がる。母様の腕を伝って、光がゆっくりと吸い込まれていくのが見えた。数秒後、光は消えた。

 

「……あら」

 

 母様が、自分の胸のあたりに手を当てる。何度か、確かめるように深く息を吸っては吐いた。

 

「どうしたの?何か変わった?」

 

「なんだか……少し、体が軽くなった気がするわ。息を吸うのが、さっきより楽な感じ」

 

 母様は不思議そうに、自分の手のひらを開いたり閉じたりしている。

 

「本当に良くなった?」

 

「ええ、本当よ。大袈裟に言ってるわけじゃなくて――こんなにはっきり分かるものなのね、不思議」

 

「……よかった」

 

「パウロ、ありがとう。まさか、あなたが魔術でこんなことをしてくれるなんて、思ってもみなかったわ」

 

 母様が頭を撫でてくれる。褒められて、なんだか顔が熱くなった。

 

「別に、そんな大したことじゃないよ。ちょっと軽くなった程度だし」

 

「そんなことないわ。パウロが、わたくしのために覚えてくれた魔術なんでしょう?」

 

「……まあ、そう、なのかな」

 

 正直、自分でもよく分かっていない。なんとなく覚えたかった、それだけだったはずなのに。母様にそう言われると、胸の奥がくすぐったくなる。

 

「ねえ、母様……また、使ってもいい?毎日じゃなくてもいいけど」

 

「ふふ、もちろんよ。パウロがしてくれるなら、いつでも嬉しいわ」

 

「じゃあ、明日もやるから」

 

「無理しなくていいのよ、宿題とかたくさんあるんでしょう?」

 

「無理してないよ。俺がやりたいだけだから」

 

 自分で言っておいて、少し照れくさくなった。でも、嘘じゃない。

 

 それから、休暇中の毎日に、ひとつの日課が増えた。

 

 朝は母様の部屋を覗いて、今日の予定を話す。昼は庭で剣を振りながら、時々顔を出す母様に手を振る。そして夕方になると、決まって母様の隣に座り、両手を重ねて解毒魔術を使う。

 

「ありがとう、パウロ」

 

 毎回、母様はそう言って笑う。その一言が、なぜだかいつも、剣の稽古で褒められるよりも胸の奥に残った。

 

 どうしてこんなに嬉しいのか、うまく説明できない。ただ、母様が少しでも楽になるなら、それでいい。

 

 

────

 

 

 剣を振り終えて、額の汗を拭う。

 

 母様に解毒魔術をかけ始めて、もう一年経ったのか。相変わらず、剣を振ってる時が一番落ち着く。

 

「──パウロ、ちょっといい?」

 

 空き地に顔を出したのはリーシェ先生だった。相変わらず涼しい顔で、木剣を肩に担いでいる。

 

「先生、どうしたんですか? 今日は授業ないですよね」

 

「授業とは別件。ちょっと面白い話を持ってきたんだ」

 

 彼女は切り株に腰かけながら続けた。

 

「今度、ミルボッツ領で大規模な剣術大会があるんだ。この地域だと、三本の指に入るくらいの規模の祭り事でね。アスラ王国中から剣士や戦士が集まってくる。……って言っても、知らなかったでしょ」

 

「初耳ですね。そんな大会があったとは……」

 

「だと思った。君の頭の中、剣と可愛い女の子のことしか入ってないもんね。地域の行事なんて、興味の範囲外なんだろうなって」

 

「うっ……否定できないです」

 

「自覚あるだけマシかな」

 

 リーシェ先生はくすくす笑いながら、木剣の先で軽く地面をつついた。

 

「それでね、学校側から、学生枠として君を推薦したいって話が出てるんだ。剣術の成績も、教師陣の評価も、学年で断トツだからね。教師会でも、君の名前がすぐに挙がったよ」

 

「俺が、大会に出るってことですか?」

 

 思わず聞き返す。胸の奥が、じわじわと熱くなってきた。なんだよそれ、めちゃくちゃ──

 

 リーシェ先生が、こちらをまっすぐ見る。

 

「君なら、思っているよりずっと面白いところまで行けると思うよ。私が保証する」

 

「出ます。やります。迷う理由がないです」

 

「食い気味だね、相変わらず」

 

「そりゃそうですよ。強い人とちゃんと戦えるチャンスなんて、そうそう転がってないですし」

 

 リーシェ先生は、やれやれといった様子で肩をすくめた。

 

「気持ちはよく分かるけど、まずはご両親の許可を取ること。六歳になったばかりだよね?未成年の大会参加だからね、そこは絶対条件だよ」

 

「……ですよね。内緒で参加なんてできないか」

 

 急に現実的な話になって、俺は少しだけ顔をしかめた。父様が、素直に頷くとは思えない。

 

 ──というわけで。

 

 学校から一時的な帰宅の許可をもらって、俺は久しぶりに実家の門をくぐった。

 

「父様、母様、ちょっと話があるんですけど、いいですか」

 

 夕食の席で、俺は切り出した。父様が眉を上げる。

 

「珍しいな、お前がそんな改まった顔をするのは。何かあったのか」

 

「ミルボッツ領で、大きな剣術大会があるらしいんです。学校の推薦で、学生枠として出場できるって話が来てて。それで、二人に相談しようと思って」

 

 父様の表情が、みるみる曇っていく。

 

「あの剣術大会か……駄目に決まっているだろう」

 

 食器を置く音が、思ったより大きく響いた。

 

「父様、まだ何も説明してないのに」

 

「説明されなくても分かる。パウロ、お前はまだ六歳だぞ。大人も参加する大会に、なぜお前が出る必要がある。怪我だけで済むならまだいい、命に関わることだってあるんだ」

 

「でも、俺なら大丈夫です!」

 

「グレイラット家の跡取りに万が一のことがあってみろ、家全体の問題になる。お前一人の話じゃ済まないんだぞ」

 

 父様の口調は、いつもより固かった。心配してくれているのは分かる。分かるんだけど──

 

「俺、強くなりたいんです。学校の中で教わるだけじゃなくて、本物の強い人たちと本気でぶつかって、自分がどこまでやれるのか、ちゃんと知りたいんです」

 

「その気持ちは立派だが、学校の中で満足していればいい話だろう」

 

「学校の中には、もう俺より強い相手がいないんですよ。剣の先生にだって、この間『もう教えられることがない』って言われたくらいで」

 

 父様は、しばらく黙り込んだ。反論の言葉を探しているような、そんな沈黙だった。

 

 そこで、それまで黙って聞いていた母様が口を開いた。

 

「わたくしは、賛成よ。この子に、その大会へ出させてあげたいわ」

 

「なっ……!?お前まで何を言い出すんだ!?」

 

 父様が、驚いたように母様を見る。俺自身も、まさか母様の方から賛成の声が出るとは思っていなかった。

 

「危険だという、あなたの気持ちも分かるわ。でも、この子の目を見てご覧なさいな」

 

 母様は、俺の方に視線を向ける。

 

「剣の話をするときの、この子の目。あんなに生き生きした顔、他の何をしているときも見たことがないもの」

 

「しかし……」

 

「それに、パウロは日々真面目に鍛錬を積んでいます。手を抜いたことなんて、一度もない。そんな子の望みを、頭ごなしに止めるのは、わたくしは反対よ」

 

 母様の言葉に、父様は困ったように額を押さえた。

 

「お前まで、そんなことを言うとはな……」

 

「あなたが心配しているのは、わたくしにもよく分かっているの。でも、たまには、この子を信じて、送り出してあげてもいいんじゃないかしら」

 

 しばらく、食卓に重い沈黙が落ちた。父様は、何度か口を開きかけては、また閉じる。そんなことを繰り返していた。やがて、父様が重い口を開いた。

 

「……分かった。なら、一つだけ条件を出す。それを呑めるなら、参加を認めよう。私が用意した剣士と戦い、勝てたなら大会への参加を許す」

 

「本当ですか!」

 

 思わず身を乗り出す。父様は、腕を組んだままこちらを睨むように見た。

 

「言っておくが、生半可な相手は用意しないぞ。お前の実力と覚悟があるかどうか、私自身の目で確かめさせてもらう」

 

「望むところです。誰が相手でも、負ける気はしません」

 

 俺は迷わず頷いた。胸の奥が、久しぶりに高鳴っている。

 

「ありがとうございます、母様!」

 

 小声でそう伝えると、母様は微笑んで、俺の頭をそっと撫でてくれた。

 

「頑張ってね、パウロ。わたくしは、いつでもあなたの味方だから」

 

 その一言だけで、なんでもできる気がした。父様の用意する剣士が誰なのか。それは、まだ分からない。

 

 でも──負ける気は、微塵もしなかった。

 

 

────

 

 

 二日後、屋敷の裏手にある鍛錬場。父様に連れられてそこへ行くと、すでに一人の男が待っていた。

 

 歳の頃は三十代半ばくらいだろうか。がっしりとした体格で、腰に提げた剣の柄には、かなり使い込まれた跡がある。只者じゃない、というのは、構えを見るまでもなく分かった。

 

「初めまして、坊ちゃん。私はドルガという者です。剣神流の上級剣士をしております」

 

「パウロです。よろしくお願いします」

 

 軽く頭を下げると、ドルガと名乗った男も、同じように会釈を返してきた。

 

「アマラント様から話は伺っております。坊ちゃんの腕前、しっかり見させていただきますよ」

 

「手加減なしでお願いします」

 

「ふ、威勢がいいですね。もちろん、そのつもりです」

 

 鍛錬場の端に、父様と母様が並んで立っている。父様は腕を組んで、こちらを厳しい目で見ていた。母様はいつも通り、にこにこと呑気な顔で手を振っている。

 

「頑張ってね、パウロ!」

 

 母様に応援されたとなれば、無様な姿は見せられない。俺は木剣を構えた。ドルガも、正眼に剣を構える。

 

「では──始め!」

 

 父様の合図と同時に、俺たちは動いた。

 

 最初は、お互い様子見だ。一撃、二撃。軽く打ち合って、間合いと反応速度を測る。ドルガの剣筋は綺麗だった。無駄がなく、基本に忠実で、それでいて重い。さすが上級と呼ばれるだけはある。

 

 少しずつ、打ち合いのペースが上がっていく。剣と剣がぶつかる音が、だんだんと短く、鋭くなっていった。

 

「……ほう」

 

 ドルガの声色が変わった。最初の余裕から一転、警戒するような響きになっている。

 

「坊ちゃん、あなた──」

 

 ドルガの言葉が途中で止まる。代わりに、剣を握る手に力がこもるのが分かった。次の瞬間、ドルガの気配が変わった。

 

「悪いが、少し本気を出させてもらいます」

 

 ──無音の太刀。

 

 踏み込みと同時に、剣が消える。

 

 いや、消えたわけじゃない。速すぎて、目が追いつかないだけだ。音もなく振り下ろされる、無音の太刀。剣神流の技の一つだと、頭のどこかが理解していた。

 

 だが──

 

 見える。

 

 体は、もう動いていた。剣を斜めに滑らせ、力に逆らわず受け流す。水神流の「流」。自分自身が水になったみたいに、相手の勢いをそのまま横へ流していく。

 

「なっ……!?」

 

 ドルガの目が、大きく見開かれた。狙いを外された剣が、空を切る。

 

 その隙を、逃す理由がない。

 

 剣を腰だめに構え直す。踏み込みはしない。その場に立ったまま、力を溜める。

 

「孤月の太刀」

 

 剣神流の技の一つ。多くの剣神流の技が、瞬時に間合いを詰めて斬りかかるのに対して──無音の太刀や光の太刀のように──孤月の太刀は、その場から一歩も動かない。ただ、腰の据わった一閃で、間合いに入った相手を斬り抜ける居合の技だ。

 

 剣速だけなら、光の太刀には及ばない。それでも、無音の太刀よりは速い。

 

 鞘から抜き放つような、一瞬の斬撃。ドルガの木剣を、下から弾き飛ばした。地面に落ちる音が、静まり返った鍛錬場に響いた。

 

 ドルガは、自分の空になった手のひらを、しばらく呆然と見つめていた。やがて、膝をつく。

 

「……参りました。見事です、坊ちゃん──いや、パウロ様。完敗しました」

 

「ありがとうございました」

 

 俺は木剣を下ろして、頭を下げた。全力を出させてくれた相手に対する、最低限の礼儀だ。

 

 振り返ると、父様が固まっていた。

 

「……父様?」

 

「…………」

 

 声をかけても、返事がない。目を見開いたまま、俺とドルガを交互に見ている。

 

「あなた、大丈夫ですか?」

 

 母様が、父様の顔を覗き込む。

 

「あ、ああ……いや、その」

 

「まあ、すごいわねえ、パウロ」

 

 母様は、のんびりとした調子で拍手をしていた。緊張感のかけらもない、いつも通りの反応だ。おかげで、ぴりついていた空気が、少しだけ和らいだ気がする。

 

 ようやく我に返ったらしい父様が、声を絞り出した。

 

「……ドルガ。お前が、手を抜いたわけじゃないな」

 

「滅相もない。本気で勝ちにいって、あの結果です。……いやはや、末恐ろしい」

 

 ドルガは、まだ信じられないという顔で頭を振っている。

 

 父様は、しばらく黙って俺を見つめていた。何かを確かめるような、探るような目だった。

 

「……パウロ。大会への参加を認める」

 

 その一言に、俺は思わず拳を握った。

 

「本当ですか!」

 

「ああ。ここまでの実力があるなら、止める理由がない。ただし──油断だけはするな。今日の相手より強い人間はいくらでもいる。それを忘れるなよ」

 

「はい!分かってます!」

 

 勢いよく頷くと、父様は小さくため息をついて、それでもどこか誇らしげに笑った。

 

「まったく……お前は、本当に誰に似たんだか」

 

 その隣で、母様が「ふふ」と楽しそうに笑っている。

 

 剣を握る手に、まだ痺れが残っている。それでも、胸の中は、これ以上ないくらい高鳴っていた。

 

 大会まで、あとどれくらいだろう。

 

 もっと、強い相手と戦いたい。

 

 その一心で、俺は木剣を強く握り直した。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。