サシャ・ブラウスは死にかけていた。
通過儀礼にて同期たちはおろか、教官の度肝すらも抜いた行動が仇になったからだ。
簡単に言うと調理場からくすねた蒸かし芋を食べながら儀礼に臨んでいたのだ。
当然教官が許すはずもなく、結果として「死ぬ寸前まで走れ」と命じられてしまう。
そしてようやく走り込みが終わったサシャが皆の元へ帰ろうとした時、体力の限界もあって倒れてしまったのだ。
「(おそらく朝には飢えて死んでる……)」
加えてこの時「食事抜き」という彼女にとっては死刑宣告にも近い罰も課せられていた。
冗談ではなく餓死寸前なのだ。
「(もっと、色んなものを……食べたかった───)」
いざ昇天しようかという時、誰かの足音が聞こえると同時に、食べ物の匂いが彼女の鼻を通った。
「ッ!!」
サシャは、本能のままにその匂いのする方へ顔面ダイブをかました。
「ぎゃあああああ!?」
あまりにも常人離れした動きに、その誰かは悲鳴を上げる。
サシャはお構い無しに手ではなく口を動かす。
「(ッ、これは───)」
結果。
「パァン!!」
彼女の口には半分に割られたパンが咥えられていた。
「そ、それだけしか無いけど……とっておいたの」
そのパンを持ってきてくれたのは1人の少女だった。
「イヤ、でもまず先に水を飲まないと……あとあの子の方にも行かなきゃ……」
「(え!?)」
この時サシャは見た。
その少女の後ろで舞い上がる天使の羽根を。
「神様ですか!?あなたが!?」
「うぇ!?」
感激のあまりサシャは大声を出す。
「し、静かにしないと……」
しかし神様ことクリスタ・レンズはサシャが大声を出した事で上官に見つかるのではないかと焦りを覚える。
そんな時。
「オイ、何やってんだ?」
そんな声と共にもう1人、姿を現した者がいた。
立ち姿から目つきから、見るものに強気な印象を与える少女だった。
名をユミルという。
「えっと……この子は今まで走りっぱなしで……」
「芋女じゃない。お前だ」
この時サシャはクリスタから貰ったパンを食べていた(と言うより貪っていた)のだが、瞬く間に完食して眠りに落ちていた。
「……え?」
「なぁお前……「いいこと」しようとしてるだろ?」
クリスタは冷や汗をかいた。
「それは芋女のためにやったのか?お前の得た達成感や高揚感はその労力に見合ったか?」
まるで心の中を見透かしたようにユミルは言う。
「わ、私は……私がこうしたかったのは……役に立つ人間だと思われたいから……」
しかしこの時、その問いが図星であるかどうかは、クリスタ自身にも分からなかった。
「なのかな……?」
「は!?知るかよ」
突然投げられた疑問にユミルは眉間に皺を寄せ、ため息をこぼした。
「とにかく……芋女をベッドまで運ぶぞ。お前1人じゃしんどいはずだ」
ここでクリスタは何かを思い出した。
「そ、そうだ!実はもう1人向こうにいて……」
「あ?あぁ……そういやいたな」
「この子の事、お願いしても良いかな?」
返答を待たずクリスタは駆け出した。
それを見たユミルは。
「馬鹿な奴ってのは同じとこに集まんのか?」
そう呟いた。
一方クリスタはサシャから少し離れた所で、潰れたカエルのような体勢で突っ伏す男の元へ辿り着く。
「だ、大丈夫……?」
先程のサシャのようにとち狂った突っ込み方をされるビジョンが頭を過ぎるも何とか堪え、恐る恐る声をかける。
「よ、良かったらこれ……」
「!」
パンの匂いを探知したからか、男は飛び起きた。
サシャに比べればごく普通の動きだったのでクリスタは特に驚くでもなくパンを手渡す。
瞬間、パンは男の口の中へ消えた。
あまりに腹が減っていたものだから、大口で詰め込んだのだ。
口いっぱいに頬張っているからか、男は微動だにしなかった。
「おー、死んでなかったんだな」
少し遅れてユミルが到着した時にはリスのように膨らんでいた頬は元に戻っており、男は多少なりとも回復したようだった。
「ぷはーっ!まさかこんなとこで飯にありつけるとは思わなかったぜ!」
「よ、良かった……」
「なぁお前、こいつに命を助けられたんだ。なら当然借りは返すよな?」
「は?」
突然ユミルはそんな事を言った。
「え!?わ、私は別に……」
クリスタが止めようとするがユミルは聞き入れず。
「なぁお前、どうやって恩返ししてくれるんだ?私ら2人にさ」
「なんでてめーもなんだよ。飯くれたのはそいつだろ」
「教官に私らの飯盗んだってチクったって良いんだぜ?」
「て、てめー卑怯だぞ!」
実際は嘘の報告なのだが、通過儀礼での行動を省みればまだユミルの方が信用はあるのだ。
なのでこの脅しが有効であることは男もわかっていた。
「ほらほらどうすんだ?ん?」
「ぐぐぐ……」
「だ、大丈夫だよ!気にしなくていいから!」
慌ててクリスタは声を上げた。
それを待っていたと言わんばかりに男はにやりと笑う。
「なんだ、つまんねーな。じゃあ私もいいわ」
同時にユミルも男に対して興味が失せたようだった。
「……よくわかんねーヤローだな」
男にしてみれば願ってもない前言撤回ではあるが、ここまで急な変化には思わず眉を顰める。
「どうせお前に返せる恩なんてたかが知れてるしな。期待しても無駄だろ?だって明日には開拓地送りになってるかもしれねぇもんな」
ピキ、と男の額に青筋が立った。
「そ、そこまで言わなくても……」
「お前な、こういう奴には借りを作ってた方がためになるんだよ。ま、何の得にもならねぇ奴もいるけどな、こいつみたいに」
もう1つ。
「はぁ……つまんねー事したな。おし、芋女をベッドまで運びに行くぞ。あいつは”ちゃんと”借りを返してくれそうだしな」
「あぁ!?」
露骨に男を挑発しながらユミルがクリスタと共にサシャの元へ戻ろうとした時。
「待てコラ」
「あ?」
「3回だけだ」
男は指を立てて。
「3回だけてめーらに従ってやる!巨人の餌でも何でもなってやろうじゃねーか!」
「……へぇ」
そう声高らかに宣言した。
「そういやお前、名前なんていうんだ?」
「は?なんだよ急に」
「いや?命令する時に名前呼ばねーと不便だろ」
男は盛大なため息を吐いた。
そして思った。
なんて嫌な理由なんだと。
「ビスタだよ。覚えとけ」
「私はユミルだ。ちゃんと敬えよ?」
「へーへー。さっさと全部使い切れよ3回分」
「……全裸で走り込みさせてやろうか?」
「失礼致しましたユミル様」
どうにかこの状況を変えようと、ビスタはクリスタに声をかけた。
「そういやオメーの名前は?」
「私はクリスタ。クリスタ・レンズ。よろしくね」
とても綺麗な笑顔だった。
ビスタはユミルとクリスタ見比べて、天使と悪魔とはこういう事かと実にわかりやすい例を見たと思った。
「おぉ、オメーだけだよここの良心は。よろしくなクリスタ」
「うん!」
そんなやり取りもあったが結果としてこの日ビスタは、ユミルとクリスタにとっての3回限りの”何でも屋”となったのだった。
「おーい、私にも優しくしろよ」
「失せろバーカ!」