目の前にある短剣はついこの間まで自分の手にあったはずの、疾風の短剣だった。
「おお、知ってんのか。ちょっと前に四層の討伐ボーナスで貸与されたんだ」
『それ前にレオが持ってたやつじゃね?』
ガイルがコメントを見て、俺へ視線を戻す。
「マジか?」
「はい。前に俺が貸与されてたやつです」
「え、これ?」
ガイルが短剣を持ち上げる。
「はい、それです」
「うわ、マジかよ。なんか急にお下がり感出てきたな」
「言い方」
レイが笑う。
「でも、それを二層でもらったの?」
「そうです。確か大型ゴブリン倒した後のボーナスで。」
アルが疾風の短剣を見つめ少し低い声で呟いた。
「それはちょっと変だよ。二層で出る性能じゃないと思うけど」
オーク戦の最中で回収されたことを思い出した。
「あー、それで戦闘中に回収されたのか?」
「何だそりゃ」
ガイル達とジョアンナがギョッとした顔になり、レオと短剣を見比べた。
「途中でパッと消えたんですよ」
ミアが代わりに答えると、ガイルは顔を歪めた。不味い食べ物食べるとあんな顔になるよな。
「まあ、でも安心しろ」
ガイルが短剣を鞘へ戻し、元の自信に満ちた顔へ戻った。
「大事に使ってるから」
「元カノの今の彼氏みたいな会話してる」
『草』
『例え最悪で好き』
休憩を挟みながら、俺たちはさらに進んだ。
やがて大きな分岐に差しかかる。
ガイルが奥の通路を指さした。
「俺たちはこの先から五層方面へ行くんだけど、レオたちは今日は四層見て回るんだよな?」
「そのつもりです」
「じゃあ、この辺で別れるか」
「はい」
ガイルは俺たち三人を見て、にっと笑った。
「まあ、今見た感じなら大丈夫だろ。危なそうなら引けよ」
「分かってます」
再度ガイルと握手を交わし、ミアはレイと握手している。ジョアンナは杖の具合を確かめている。
「じゃあな。またどっかで会ったら声かけろよ」
「はい。今日はありがとうございました。俺の短剣大事にして下さいね」
「今は俺のだよ」
ガイルが短剣を抱きしめた。
「本当に助かりました。最初に一緒に来てもらえて、かなり心強かったです」
ミアが頭を下げると、アルとレイは軽く手を振った。
「こっちも面白かったよ。ゼロクロの話も聞けたしな」
「次会うまでにジョアンナも始めてるかもしれないわね」
「じゃあその時は俺が教えてやるよ」
「ゲームの方はレオに聞くわ」
「なんでだよ!」
笑い声を残し、ガイルたちは五層へ続く通路へ消えていった。
ベテランの探索者たちと交わした、ほんの短い道連れ。
それだけなのに、四層へ入った直後に感じていた心細さは、いつの間にかずいぶん薄れていた。
「……よし」
俺は暗い通路の先を見る。
「ここからは、また三人だな」
「ええ」
「行きましょう!」
俺たちは道中での話を頭の片隅に置きながら、第四層の奥へと歩き出した。
「レオさん、前方に妙な熱源反応があります。でも、魔物特有の移動している気配がありません。その場にずっと静止しています」
カメラドローンを操作するミアが、システムウインドウのマップを見つめながら小声で報告してくる。
「待ち伏せか?」
「わからないわ。でも、位置はあの角を曲がった先よ。警戒して進みましょう」
ジョアンナが初心者用の杖を胸の前に構え、いつでも魔法を放てる体勢をとる。
俺が先頭に立ち、壁に背を這わせるようにして慎重に角を曲がった。ライトの光が暗がりの床を捉えた瞬間、俺たちは思わず息を呑んだ。
そこには、ボロボロになったバックパック、へし折れた剣、そして衣服の切れ端のようなものが散乱していた。その中心には、うつ伏せに倒れたまま動かない、探索者らしき人影がある。まるで、少し前にここで誰かが魔物に襲われ、力尽きたかのような生々しい遭難現場だった。
『うわ、マジか……死体?』
『誰かやられたのかよ』
『バッグ残ってるじゃん。レア装備あるかもだぞ』
コメント欄が一気に騒ぎ立つ。
「嘘、まさか他の参加者が……」
ミアが一瞬ジョアンナとレオを見てから呟き一歩踏み出そうとした。
「待て、ミア。近寄るな」
俺は彼女の肩を掴んで止めた。
「さっき言われただろ。落ちてる荷物には触るなって」
それだけじゃない。
荷物も衣服も、妙に一箇所へ集まりすぎている。
「血も少なすぎるわ」
ジョアンナが倒れた人影を見つめる。
「遭難現場に見せようとしている、と考えた方が自然ね」
「――っ、じゃあ!」
地面のバックパックと死体に見えていた塊が、ぐにゃりと不自然に歪んだ。
ジッパーの部分が裂けるように開き、そこから何重にも生え揃った鋭い牙が剥き出しになる。衣服や死体のフリをしていたのは、獲物を誘い出すための擬態の皮だった。
「やっぱり死体漁り型ミミックか!」
四層に生息する、遭難現場に擬態して冒険者を釣る魔物だ。
「ギチィィィ!」
嫌な金属音のような鳴き声を上げ、ミミックが驚異的な跳躍力で俺たちへ飛びかかってきた。
「ジョアンナ、正面! 『風刃』で叩き落とせ!」
「了解よ――『風刃』!」
俺は左へ退いて射線を空ける。
ジョアンナの風刃が、空中のミミックを真一文字に切り裂いた。勢いを失った巨体が地面へ転がる。
「レオさん、敵の体勢が崩れてます! 次の行動まで約3秒、右側の蝶番の結合部が弱点です!」
後ろからミアの的確なナビゲーションが飛ぶ。
「仕留める!」
着地の隙を狙い、俺は一気に踏み込んだ。
ミミックはまだ完全に起き上がれていない。鋭い牙の並ぶ口を大きく開けて威嚇してくるが、その『予備動作』の小ささは、ゼロクロで見たまんまだ。
噛みつきの軌道を完璧に読み、首を僅かに傾けて回避。
すれ違いざま、軽量短剣を、ミアの指示通り、擬態の「蝶番」にあたる柔らかい隙間へと深く突き刺した。
「ギ、チ……ッ!」
手応えあり。刃を横に引き絞ると、ミミックは激しく身悶えし、やがて動きを止めた。
俺がその死体から素早く魔石を取り外すと、不思議なことが起きた。ウネウネと動いていたミミックの本体だけが、淡い光となって一瞬で消滅したのだ。
しかし、地面にはミミックに擬態の材料として取り込まれていた、本物のバックパックやへし折れた剣、そして――犠牲者と思われる探索者の遺留品が、そのまま生々しく残された。
「うわ、本体だけ消えたわね」
『ってことは、残ったのは本物の落とし物か……』
『うわぁ、本当にここで誰か亡くなってたんだな』
「ふぅ……心臓が止まるかと思いました。まさか本当に荷物が化けてるなんて」
ミアが胸を撫で下ろしながら、神妙な面持ちで遺留品を見つめる。
ジョアンナは杖を下ろし、残された遺留品を見た。
「これは勝手に持ち帰れないわね。ギルドへ通報しましょう。死体を隠す方法なら詳しいけれど、放置するのは寝覚めが悪いもの」
「……そうだな、すぐに通報しよう」
俺は軽量短剣を鞘に収め、ギルドへの通報手続きを行うミアの横顔を見つめた。
「レオ、行きますよ。ダンジョン内だからぼーっとしちゃだめです」
「そうよ。危ないわ」
いつの間にか通報手続きも終わっていたようだ。
「ごめん、行く」
慌てて二人の後に続いた。
ガサリ、と暗闇の奥で硬質な音が響いた。
第四層の最奥。天井が高く開けたその空間は、周囲の壁一面に発光苔が群生し、淡い緑色の光が湿った空気の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせていた。
「レオさん、ストップ。この先、反響音が多すぎて耳での索敵は不可能です」
カメラドローンを手元でコントロールしながら、ミアが緊張した声で言った。
「ジョアンナ、見えるか?」
俺は軽量短剣を低く構え、視線だけを動かして尋ねる。
「いいえ。ただの石壁にしか見えないわね」
ジョアンナは初心者用の杖を胸元で維持したまま、じっと前方の岩肌を見つめている。
「でも、妙だわ。あの位置の岩の凹凸、さっきから一ミリも動いていないはずなのに、光の影の落ち方が不自然に歪んでいるの。」
『おいおい、マジでどれが魔物か分からんぞ』
『ただの壁じゃん』
『言われてみると、なんか動いてね?』
『4層のボス部屋前だし、絶対なんかいるわ』
壁が動いてるように見える。俺の脳裏にゼロクロの記憶がフラッシュバックする。
鉱物系の擬態。高い防御力。こちらが不用意に間合いに入るまで、完全に気配を殺して待つタイプ――。
「ロックリザードだ」
俺は短く告げた。
「岩壁に同化して、通りかかる獲物を待ってる。皮膚が硬い。正面から突っ込んでも俺の軽量短剣じゃ弾かれるな。……ジョアンナ、炙り出せるか?」
「ええ、もちろん。得意な方をいくわ――『水球』!」
ジョアンナが呪文を唱えた瞬間、彼女の杖が眩しく明滅した。
杖がジョアンナのMPを急速に吸い上げ、その内部で魔力を整え、高圧の水塊へと変換していく。一呼吸の遅延の後、放たれた水球が、薄暗い空間に水飛沫を撒き散らしながら猛然と突き進んだ。
直撃。
水のはじける重い音とともに、歪んでいた岩壁が吹き飛んだ。
「グガァァァァッ!」
水しぶきの向こうから、全身を頑強な灰色の鱗で覆われた巨躯が姿を現す。全長三メートルはあるトカゲの化け物だ。だが、現れたのは一体だけではなかった。
「三体です! 左右の壁からも動き出しました!」
ミアからの予想外の警告に、俺はミアを背に庇って構え直した。
「ギチチチチ!」
水球の衝撃に連動するように、周囲の壁からさらに二体のロックリザードが剥がれ落ち、信じられない速度でこちらへ突進してくる。三層以降の魔物特有の、見事な集団連携だ。
「ミア、下がれ!」
「はい! 正面の一体は強い水流を浴びて動きが鈍ってます! 狙うならそこです!」
「分かった!」
俺は一歩前へ踏み込んだ。
右側のロックリザードが――頭部をわずかに低く下げ、尾を大きく振る挙動を始めた。突進の予備挙動だ。
「そこだ!」
俺は身体を真横にひねる。髪を持っていかれそうな風圧が、すぐ脇を通り過ぎた。
すれ違いざま、ロックリザードが大きく口を開け、魔力で微かに発光する鋭い牙で俺の肉を食い破ろうとしてくる。
「レオ、右に寄って!」
ジョアンナの声。
俺は即座にその指示に従い、右側へ大きく跳んだ。
俺の体が退いたその一瞬の射線。そこへ、ジョアンナの二発目が容赦なく撃ち込まれる。
「――『風刃』!」
水球よりも発動が速く、弾速に優れた空気の刃が、俺を追おうとした二体目のロックリザードの顔面を正面から切り裂いた。
「ギャンッ!」と短い悲鳴を上げて二体目がのけ反る。
「ジョアンナ、ナイス! そのまま二体目を抑えてくれ!」
「長くは保たないわよ!」
「早くすませる」
後衛が確実に一体を足止めしてくれている。その絶対的な安心感が、俺の集中力をさらに加速させた。
俺は視線を正面――最初に水球を受けて仰け反り、腹部を見せている一番大きな個体へと戻す。
「お腹の、鱗が少し白くなっている部分が弱点です! そこだけ皮膚が薄い!」
「よし!」
ロックリザードが巨体を揺らし、前足で地面を叩きつけて俺を押し潰そうとする。
後ろには二人いる。
俺はジョアンナの射線を残したまま、前足の叩きつけをかわした。
この一撃で俺を潰すはずだったせいか、ロックリザードが一瞬つんのめり、大きな隙が生じた。
俺は一気に懐へと潜り込んだ。
「これで、終わりだ……!」
狙うは、ミアが指示した腹部の白い部分。
貸与品だった疾風の短剣の、圧倒的な全能感に比べれば、今の軽量短剣はあまりにも軽い。
だが、あの時の『身体が軽くなる感覚』『肉を断つ感覚』は、俺の脳がハッキリと記憶している。
俺の経験と感覚が、刃の軌道を描き、一点へと導く。
頭まで響く衝撃に、短剣を離して逃げたくなる衝動を抑えつけ、その皮膚に押し込んだ。
ズブッ、と硬い皮膚を突き破り、ロックリザードの最深部へと吸い込まれた。
「グ、ガァ……ッ……」
大きな個体が、中から崩れ落ちるようにどさりと横たわる。
「こういう感覚は、ゼロクロじゃなかったな」
俺はすぐさま刃を引き抜き、残る一体へと視線を向けた。そちらもすでに、ジョアンナの連続する『風刃』によってズタズタに引き裂かれ、動きを止めていた。
「ミア、残りは?」
俺が周囲を警戒しながら尋ねると、ミアはシステムウインドウを確認し、大きく息を吐きながら満面の笑みを浮かべた。
「周囲に熱源反応もなし。敵全滅です! ……それに、今、ギルドのシステムから通知が来ました。第四層の規定討伐数を達成、第五層への進行申請許可が下りてます!」
「長くは保たないって言ってたのに倒してんじゃないか」
「あら、モタモタしてたら倒しちゃうわよって意味よ」
ジョアンナが得意気に笑い、杖を収めた。
「でも、やっぱり魔物の連携は厄介だわ。今回はレオが私の射線から綺麗に退いてくれたから良かったけれど、難しいわね」
「そうだな。実際に潜ると、気を抜く暇もなくて骨が折れる」
俺は軽量短剣の血を払いながら、戦闘後の軽い口調で応じる。
「配信的には成功。探索者的には、もう少しMPの消費を抑える方法を考えないとな」
『4層突破きた!』
『最初より連携よくなったな』
『おめでとう。次は5層か』
コメント欄に祝いの言葉が流れる。
派手な数字ではない。それでも、最初から見ている連中には少しずつ形になってきたのが伝わっているらしい。
魔物の死体から魔石を取り外すと、ロックリザードの巨体は光の霧となって消滅した。
残された3つの輝く魔石を拾い上げ、俺たちは互いの顔を見合わせる。
「さあ、戻って装備を整えましょう。5層はもっと硬い魔物が出るんでしょう?」
ジョアンナが現実的な費用の計算を始めたそうな顔で言った。
「ジョアンナさん、達成感ゼロですよ……。一回くらい『やったね』って言いましょうよ」
「言ったじゃない、『やったわね』って」
「それ、ロックリザードを倒した直後の話でしょう!」
俺は思わず口元を緩めた。
ミアが拳を握りしめる。「ええ! 美味しいものでも食べて、次への作戦会議ですね!」
まだ穴だらけだ。失敗だってする。それでも、この3人なら、もっと深い闇の奥へ進める気がした。
ミミックってちょっと作ってみたいと思っとります