第四層の湿った空気から一転し、第五層は乾燥した岩壁と無機質な鉱物に囲まれた世界だった。
ライトの白い光が反射するのは、鈍く輝く魔力結晶の微小な群生。足元はゴツゴツとした岩肌になり、一歩進むごとに硬い靴底の音が狭い通路に反響する。
「ここからが初心者脱出ライン、第五層ね」
ジョアンナが周囲の岩壁を観察しながら、落ち着いた声で言った。
「地形が複雑な分、死角が多いわ。それに、心なしか空気中の魔力の密度が四層までと違う気がするけれど……ミア、索敵はどう?」
「前方に熱源反応が一つあります。でも、これまでのロックリザードより一回り以上反応が大きいです。……おそらく、第五層の環境に適応した上位個体、あるいは特殊個体です」
ドローンからのデータを端末で確認しながら、ミアが真剣な表情で告げる。その手には、すっかり馴染んだ初心者用の回復杖が握られていた。
「上等だ。警戒しながら間合いを詰める。ジョアンナ、いつでも『風刃』を撃てるように俺の左斜め後ろをキープしてくれ」
「了解よ。射線は空けておいてね」
薄暗い通路の角を曲がった先、発光する鉱物の光に照らされて、その魔物は優然と佇んでいた。
【ロックリザード(強化個体)】
四層で戦った個体よりも一回り巨大で、その皮膚はまるで黒曜石のように黒く、禍々しい輝きを放っている。だが、何よりも異質なのはその『牙』だった。
口元から覗く鋭い牙が、まるで剥き出しの魔力結晶のように、青白い光を帯びて微細に脈動しているのだ。
「ギィィァァァッ!」
俺たちの姿を認めた瞬間、強化個体が地鳴りを立てて突進してきた。速い。四層の通常種とは比較にならない初速だ。
「ジョアンナ、牽制!」
「ええ――『風刃』!」
ジョアンナの手から放たれた空気の刃が、一直線に魔物の顔面へと飛ぶ。通常種ならこれで確実に動きが止まるか、軌道が逸れるはずだった。
しかし、強化個体は止まらない。それどころか、青白く光る牙を突き出し、迫り来る風刃を正面から噛み砕いたのだ。
パキィィン! とガラスが割れるような高い音が響き、ジョアンナの魔法が霧散する。
「嘘、魔法を噛み砕いた……!?」
ジョアンナの目が驚愕に見開かれる。
「厄介ね……! レオ、正面から受けるのは無理よ!」
「分かっている!」
俺はAGI(敏捷)の数値を意識し、極限まで集中力を高める。
突進の圧力が鼻先をかすめる。魔物が牙を剥き出しにして、俺の身体ごと噛み砕こうと横に顎を振った。その『予備動作』――首の筋肉が右へ収縮する瞬間を捉え、俺は左側へと全力で身を沈める。
ガギィィィン!!
空振った魔物の牙が、背後の頑強な岩壁に激突した。
火花が散り、まるでバターでも削るかのように、分厚い岩の壁が深く、鋭く抉り取られる。ただの生物の骨や組織の硬さではない。あれは完全に、超自然的な破壊力を持った「武器」そのものだ。
「レオさん、下がって! 敵の硬度、測定不能です!」
ミアの悲鳴に近い指示が飛ぶ。
俺はバックステップで間合いを取りつつ、冷や汗が背中を伝うのを感じていた。
手元にあるのは、補正値の低い【軽量短剣(筋力+3、敏捷+3)】だ。あの牙に一度でも接触すれば、この短剣など一瞬で叩き折られる。
だが、死線の中で、俺のゲーマーとしてのパターン認識能力が急速にパズルを組み立て始めていた。
(おかしい。あのトカゲ自身のSTR(筋力)が、岩盤をあそこまで抉るほど高いわけがない。)
『うわ、壁が削れたぞ!?』
『なんであの見た目で岩削んだよ!』
(その通りだ。他のトカゲと比べても特別に発達しているようには見えない。だとしたら、魔法だろうか?)
『風刃が効かないとかどうすんだよこれ!』
『レオ、落ち着け! 弱点はどこだ!?』
(魔法が使えるなら距離を取った攻撃くらいしてくるだろう。
超常の力で近接特化の力を俺はひとつだけ知っている。)
「……そうか」
俺は小さく呟いた。
「これ、あのトカゲ自身の身体が強いんじゃなくて……牙そのものに、魔力による『装備補正』がかかってるんだ」
魔物が再び、俺を肉塊に変えようと巨体を翻す。
だが、仕組みの仮説が立てば、恐怖は対策へと変わる。
「ジョアンナ! あの牙、魔力で性能を底上げしてるだけだ! 魔法そのものを無効化してるわけじゃない、出力を合わせれば通る!」
「そういうことなら、話が早いわ! ――『水球』!」
ジョアンナが杖を掲げ、先ほどよりも一瞬長く詠唱を維持する。杖の内部に大量のMPが吸い込まれ、凝縮されていくのが空気の振動で分かった。
放たれた巨大な水球が、前方の空間を水飛沫で真っ白に染め上げる。
強化個体は、先ほどと同じように青白い牙でそれを迎え撃とうと口を開いた。
「ギ、ガァ――」
だが、高密度に凝縮された水球の衝撃力は、牙の補正出力を上回った。
ドゴォォォン!! という大爆破が魔物の顔面で炸裂する。さすがの強化個体も、頭部を激しく揺さぶられ、最大の武器である顎を大きく跳ね上げられて無防備に晒した。
「ミア、位置は!」
「正面、顎の下です! 爆発の衝撃で、首元の鱗に隙間ができています!」
「もらった!」
俺は地を蹴った。
限界までAGI(敏捷)の感覚を引き出す。一瞬で懐へと潜り込み、顎の下、皮膚の柔らかい急所へと軽量短剣を確実な角度で突き立てた。
「グ、ルァ……ッ!」
手応えが手のひらを通じて伝わる。刃を真横に引き、魔物の神経を断ち切る。
巨躯が激しく痙攣し、やがて光の霧を放ちながらゆっくりと床へ倒れ伏した。
「ハァ……。……終わったか」
俺は短剣を引き抜き、その場に膝をついた。
「見事な判断だったわ、レオ。牙が『装備』と同じ原理だなんて、よくあの極限状態で思い至ったわね」
ジョアンナが感心したように息を吐き、落ちた魔石を拾い上げる。
「本当に心臓が止まるかと思いました……。でも、無事で良かったです!」
ミアが駆け寄り、ホッとしたように笑みを浮かべた。
『うおおおおお、手に汗握ったわ!』
『装備補正の仕組みを戦闘中に見抜くの天才か?』
『確かに、あの貸与品の短剣のときと似てるな』
『5層突破のヒントになりそう。レオたちお疲れ!』
配信のコメント欄が、熱い称賛と安堵の声で満たされていく。視聴者たちも、このダンジョンの謎に一歩近づいた興奮を共有しているようだった。
無事に拠点のセーフティエリアまで戻り、俺たちは配信用カメラの電源をオフにした。
静かになった空間で、俺は自分の手元にある【軽量短剣】をじっと見つめる。
「……なぁ、ジョアンナ、ミア」
「何かしら、神妙な顔をして」
「さっきのロックリザードの牙だけどさ。もし、生物の体組織がああやって魔力で『補正』を受けられるんだとしたら」
俺は短剣の柄を強く握りしめた。
「システムが用意した装備の補正って……武器が勝手に力を出してるんじゃなくて、俺たちの魔力を吸い上げて、それを強化して身体に戻してるんじゃないか?」
ミアとジョアンナが、驚いたように顔を見合わせる。
「だとしたら、貸与品みたいに最初から効率が良くないこの安い短剣でも……俺たちの側から、意識的に魔力を流し込んでやれば、性能を無理やり底上げできるんじゃないかと思ってな」
「システムの用意した仕組みに、こちらから干渉する、ということね……」
ジョアンナが顎に手を当て、理知的で現実的な目を細める。
「理論としては面白いわ。でも、人間は自分の魔力をそこまで器用に感じ取れないでしょう? 少なくとも、私は杖なしで魔力を操作するなんてできないわ」
「ああ。今の俺じゃ、短剣の中に流れる微弱な魔力すら感じ取れない。……だから、何か『感覚を強制的に引き上げる方法』が必要だ」
検証の道筋は見えた。だが、それを実現するための具体的な手段はまだない。
俺は手の中の安価な短剣を見つめながら、後一つ何かがあれば。と呟いた。
セルフバフしようっていう