大型ゴブリンが、ずしりと重そうな木製の棍棒を持ち上げる。
通常の個体よりも頭一つ分は大きく、丸太のように太い腕には青筋が浮かんでいた。あの質量をまともに受けたら、一撃で終わりだ。
『でかいな』
『初見なんだけど』
『逃げなくて大丈夫?』
配信のコメント欄が、一気に緊迫感でざわつき始める。
「どうします?」
隣に立つミアが、武器を構え直しながら緊張を含んだ声で聞いてきた。
「倒せそうなら倒す」
「雑ですね」
「だってそうだろ。勝てばいいんだ」
『いつもの』
『レオらしい』
その瞬間、大型ゴブリンが地響きを立てて走り出した。
巨体に似合わない速度で肉薄し、頭上から一気に棍棒が振り下ろされる。
「シッ……!」
俺は寸前で身体を横に開いて避けた。直後、凄まじい衝撃音と共に地面が爆ぜ、土砂が飛び散る。
『うわっ』
『当たったら死ぬやつ』
ゴブリンは休む間もなく、追撃の横薙ぎを放ってきた。
すかさず身を引いたものの、容赦ない風圧が頬を強く叩く。強い。今までの雑魚ゴブリンとは完全に別物だ。
――だが、動きそのものは単純だった。
「右へ!」
ミアの鋭い声が響く。
反射的に身体を沈めると、直後、頭上を棍棒が風を切って通り過ぎていった。
その隙だらけの腕へ、すれ違いざまに短剣を滑らせる。しかし、手応えは鈍かった。
「浅い……それに、硬いな」
普通のゴブリンなら今の一撃で腕を落とせているはずだ。
大型ゴブリンが怒りで顔を真っ赤に染め、咆哮をあげる。
「怒らせちゃったみたい」
「……ああ」
そのまま一直線に突進してきた。更に速くなったが、動きもまた単調になった。
俺は横へ、さらに横へとステップを踏み、奴が振り向くより先に背後へと回り込む。
そのまま背中に短剣を振るい、深く斬りつけてから、すぐに距離を取った。深追いはしない。欲張ると死ぬ――それはゲームでも嫌というほど学んだ鉄則だ。
視界の端でコメントが流れていくが、じっくり読む余裕なんてない。
「ふう……よし」
大型ゴブリンが再び棍棒を振り上げた。
だが、今度は少し違った。肩の入り方、重心の傾き、そこから伝わる力の流れ。ゲームで何百回とボスと戦ってきた経験が、直感的に奴の次の動きを伝えてくる。
(次は――横薙ぎだ)
そう確信した俺は、奴が攻撃を繰り出すよりも先に動いた。
案の定、棍棒は俺がさっきまでいた空間を虚しく空切る。
『今の予測?』
『見えてたのか?』
答える暇はない。大きな隙ができた。
一気に踏み込む。狙うは首――いや違う、高すぎて届かない。腕か? いや、皮膚が硬くて浅手になる。
一瞬で思考を巡らせ、俺の視線はある一点で止まった。
(膝――そこだ!)
全体重を乗せ、剥き出しの膝関節へと短剣を突き立てる。
鋭い悲鳴と共に、大型ゴブリンの巨体がグラリと体勢を崩した。
「今です!」
ミアの声が飛ぶ。
俺はさらに前へと踏み込んだ。膝をつき、倒れ込むゴブリンの首元が、ちょうど目の前に迫る。
「おおおおおッ!」
ありったけの力を込め、短剣を一閃する。
次の瞬間、大型ゴブリンの巨体はドシリと落ちた。そして地響きでも起こったかのような錯覚を覚えた。
ダンジョン内に、一瞬の静寂が訪れる。そして――。
『おおおおおお』
『勝った!』
『ナイス!』
『普通に強かったな』
『レオやるじゃん!』
コメント欄が、お祭りのように一気に流れ出した。
俺はみんなに返事をする前に、たまらず近くの壁へと手をついた。
息が苦しい。鉛のように足が重い。
「レオさん?」
「……大丈夫だ」
強がってみせたが、全然大丈夫じゃない。
戦闘時間はほんの数分だったはずなのに、心臓が壊れたようにうるさかった。完全に体力が足りていない。技術を磨くより先に、まずはこの貧弱な身体をどうにかしたいところだ。
『おお!頑張った。昨日より長く動けてたんじゃないの?』
「勝ちましたね」
ミアがホッとしたように、柔らかく笑う。
「ああ、そうだな」
「魔石取ってくるので壁に寄りかかっててください」
「うん」
限界一歩手前だったが、勝てたことは素直に嬉しかった。
戻ってきたミアの手には、いつもより一回り大きな魔石が転がっている。
それに触れようとした、その時だった。
【ドロップ報酬獲得】
【ボーナス報酬を受領しました】
目の前に、半透明のシステム画面が現れた。
「え?ボーナス報酬?」
『お?』
『なんだコッチには見えん』
表示を開くと、そこにはこれまで見たこともない、奇妙なアイコンが浮かんでいた。
どうやら今日の収穫は、魔石だけでは終わらないらしい。
「はーい、それでは今日の配信はこの辺で終了します!」
ミアが浮遊するカメラドローンに向かって、満面の笑みでパタパタと手を振る。
「皆さん、今日もご視聴ありがとうございました。お疲れさまでしたー!」
『おつおつー』
『大型ゴブリン戦、マジで見応えあったわ!』
『楽しかった、ドロップ何が出たか教えてねー』
『レオ、お前もうちょっと喋れよww』
流れるコメントに、俺はボソッと呟いた。
「無茶言うな」
『あ、喋った!』
『今日一番の貴重な一言きたこれ』
最後まで好き勝手に盛り上がるコメント欄を見ながら、ミアが楽しそうに笑って配信終了ボタンを押した。
視界の端でまたたく間にチャットウィンドウがフェードアウトし、あたりにダンジョン特有の静寂が戻ってくる。
「大型ゴブリン、思ったより反応ありましたね!」
「そうか? いつもとそんなに違ったか?」
「違いましたよ! 同接、五十人超えてましたから」
歩いていた俺は、思わず足を止めて彼女を振り返った。
「五十?」
「正確には、瞬間最高で五十二人です!」
「……そんなにいたのか」
「そうですよ。すごい成長です」
ミアがはにかみ笑うと黒髪が少し揺れた。
「普通はもっと大喜びするところですよ?」
「いや、ちょっとびっくりしただけで……」
なにせゲーム配信をしていた頃は、同時視聴者が十人を超えればお祭り騒ぎだったのだ。そう考えると、確かに増えている。本当に、亀の歩みのように少しずつではあるけれど。
薄暗い通路を抜け、光が差し込むダンジョンの出口を潜り抜ける。
途端に、まばゆい人工照明の光と、大勢の人の声が耳に飛び込んできた。現実世界への帰還だ。
ロビーの周囲には、俺たちと同じ探索者の姿が数多く見られた。
大きな大剣を肩に担いだガタイのいい男、泥に汚れた防具姿の女性、疲れ切った顔でベンチに深く座り込み、スポーツドリンクを煽る人。
「今日も人が多いな」
「夕方ですからね。参加者じゃない人はこの時間に来て稼ぎますからね」
意外なことにダンジョンというのは参加者でなくても入場できる。
なのでミアのように、参加者でも無いのにダンジョンに潜る物好きもそれなりにいる。
会社員を続けながら副業として稼ぐ人もいれば、休日だけ趣味を兼ねて潜る人もいる。あるいは俺のように、配信を絡めて一攫千金を狙う者もいる。
俺たちはそのまま、総合カウンターの換金窓口へと向かった。
今日手に入れた魔石をトレイに提出すると、読み取り端末が電子音を鳴らして即座に金額を計算していく。
【魔石(小)×11】
【魔石(中)×1】
【換金額:180ドル】
「おお……」
提示された金額に、思わず声が出た。
「やっぱり、大型ゴブリンの魔石(中)が効いてますね」
ミアも隣から身を乗り出して、嬉しそうに画面を覗き込んでくる。
「一層の儲けとしては、かなり大きいですよ!」
「確かに……悪くないな」
一日でこれだけ稼げるなら、生活費としては十分すぎる。今日だけの特例だろうが、嬉しいものだ。
「あ、レオさん」
「ん?」
「あれ、見てください」
ミアが顎で示した先には、ロビーの中央に設置された巨大なホログラムモニターがあった。
そこに映し出されているのは――。
【週間討伐ランキング(全米エリア)】
世間を騒がせる有名参加者たちの名前が、ずらりと並んでいた。
総収益の文字や討伐数。配信者は同時視聴者数も書かれていた。
ミリオン超えの同接数や、数百万ドル単位の週間収益。どれをとっても、俺たちとは桁が二つも三つも違っていた。
「やっぱり、トップ層はすごいですね……」
「そうだな」
ミアは感嘆の息を漏らしていたが、俺にはあまり実感が湧かなかった。
画面の向こう側の、遠い世界の話だ。トップ配信者、有名参加者、メディアで 英雄候補 ともてはやされるニュースの中の人たち。今の弱小な俺たちには、何一つ関係のない存在。
「私たちは、第四階層に行くところからですね」
四層を探索するには 第四階層探索推奨条件を達成する必要がある。条件を達成した時点でダンジョン運営から通知されるのだ。
「推奨条件を達成しなくても潜れはしますが、流石に自殺行為ですしね。となると、私たちは先ず装備ですね」
ミアの現実的な指摘が、俺の思考を引き戻した。
「レオさんの今の短剣、今日の戦いを見てても、結構限界が来てる気がします」
「それは……俺も分かる。ボーナス報酬とやらの確認をしないとな」
大型ゴブリンの皮膚は想像以上に硬かった。今の安物の短剣では、完全に火力不足だ。無理に通そうとするから無駄に腕も疲れるし、結果として体力もゴリゴリ削られる。
「ボーナス報酬が武器だったらそれに乗り換えよう」
「ですね」
保留にしていたボーナス報酬を受け取った。
配信中にボーナス報酬を受け取らなかったのはミアからの提案だ。武器が何か事前にわかっていないと解説が難しいとのこと。
俺は空中で報酬画面のアイコンをタップした。
次の瞬間、眩いエフェクトと共に、これまでに見たことのない洗練されたデザインのアイコンが表示される。
それは、青みがかった透明の美しい短剣だった。
【報酬を受領しました】
【疾風の短剣】
『分類:貸与品』
※貸与品は運営の権限で回収される可能性があります。
青白く光るそのステータス画面を見つめた俺は聞き慣れない言葉に思わずつぶやいた。
「……貸与品?」
「貸与品ですか……。とは言え綺麗ですね」
ミアは首を捻りながら器用に頷いている。
「貸与品って何?」
「文字通りです。手に入れた階層に見合わない良質な武器が手に入ることが多いんですけど……」
ミアは珍しく言い淀んだ。
「けど?」
「何時運営が回収してくるか分からないらしいです。一瞬で消えるとか」
「怖」
どうやら今日の収穫は――俺たちの想像以上に、大きな意味を持つものになりそうだった。
ちょっと不穏な武器だけど。
良かったねって感じ