「というわけで!」
近代的なビルの前で、ミアが手持ちのカメラに向かってビシッと指を差す。ここはダンジョンに潜るための装備を販売しているギルドショップだ。
「今日はダンジョンでの生配信はお休みして、レオさんの新しい相棒を探しに、こちらの装備店にやってきました!」
今日のこれは生配信ではない。だが、後でVlogとして投稿する予定なので、ミアがしっかりとカメラを回していた。
重厚な自動ドアをくぐり、店内へ足を踏み入れる。
そこは、まるでファンタジーと近未来が融合したような空間だった。整然と並ぶショーケースには、怪しく光る剣、長大な槍、精密な弓、そして洗練されたデザインの防具がずらりとディスプレイされている。見ているだけで少し胸が躍る光景だ。
「……思ったよりも種類が多いんだな」
「一応、ギルド公認の参加者専門店ですからね」
ミアは慣れた様子で通路を進んでいく。
対する俺は、こういう専門店に来るのすら初めてだった。今までは日々の生活費を稼ぐのが精一杯で、高価な装備を買う余裕なんてなかったし、何より、あの短剣をあんな形で失う予定もなかったからだ。
「コメント無いと少し前に戻った気分だな」
「まーまー、まずは本命の短剣コーナーですね。こっちです」
ミアの案内に従って、短剣が並ぶ棚へと移動する。
そして、何気なく一番手前にあった実戦用短剣の値札に目を落とした瞬間――俺は、文字通りその場で固まった。
「……高くないか?」
「高いですよ」
「めちゃくちゃ高いな」
「ですねー」
1000ドル、1100ドル、1200ドル……。
「これとか20000ドルするぞ」
今日までの命懸けの稼ぎと、現在の銀行残高を天秤にかけると、普通に痛い。いや、かなり、胃がキリキリするレベルで痛い。
「レオさん、悩むのはこれを見てからにしてください」
ミアがクスリと笑いながら、一本の短剣を棚から手に取って俺に差し出してきた。
艶消しの施された黒い鞘。引き抜くと現れたのは、美しく研ぎ澄まされた細身の刀身だ。余計な装飾は一切ない、極めてシンプルなデザインだった。
ミアに手渡された瞬間、半透明のシステムウインドウがその性能を示した。
【装備名】軽量短剣
【レアリティ】*
【種類】**
━━━━━━━━━━━━━━━
■補正
━━━━━━━━━━━━━━━
筋力 +3
敏捷 +3
━━━━━━━━━━━━━━━
■説明
**
━━━━━━━━━━━━━━━
「うん?レアリティとかが伏せ字になってるな」
「これ、ダンジョン産以外だと、ままあることらしいです。これはノヴァテクノロジーという研究機関のものです」
「研究機関?」
「はい。良く知らないですけど、ダンジョンで使える装備を作っているメーカーです」
ミアの説明を聞きながら、俺はその黒い短剣を受け取った。
その場できゅっと、数度だけ空気を切り裂くように振ってみる。
(――あ)
軽い
あのチートじみていた運営の貸与品ほどではない。けれど、今まで使っていた鉄製の鈍器のような短剣に比べれば、天と地ほどの差があった。何より。
「……好きかも、これ」
「ふふ、やっぱり」
否定はできなかった。
握った瞬間のグリップの吸い付き、重心のバランス。不思議なくらい、妙に俺の手にしっくりと馴染む感覚があったのだ。
「……で、値段は?」
恐る恐る尋ねる俺に、ミアが満面のひまわり顔で値札をくるりと向けて見せた。
「999ドルになりまーす!」
「高い」
俺は短剣を持ったまま、しばらくその場で深刻に悩み込んだ。本当に、かなり悩んだ。これ一台で、三層の魔石を何個売ればいいんだ。来月の生活費、食費、家賃の引き落とし……頭の中で算盤(そろばん)が高速で弾かれる。
「でも、レオさん」
眉間に皺を寄せる俺を見て、ミアが少しだけ声音を落として、真面目なトーンで言った。
「――その武器は、戦ってる最中にいきなり消えたりしませんよ」
その一言が、俺の背中を強烈に押し切った。
貸与品は確かに便利だった。圧倒的に強かった。でも――戦闘の最中、ウルフの牙が目の前に迫る瞬間に、忽然と消え去る。あの底寒い絶望感。
あれは嫌だ。もう二度と、御免だった。
「……買う」
「ふふ、即決ですね」
「思ったよりな」
俺は短剣を鞘に収め、そのままレジカウンターへと向かった。
店員の指示に従って、端末にクレジットカードをかざした。電子音が鳴り、口座の残高がガクンと減った。見ていてリアルに胃が痛くなるくらいの減り幅だった。
「ちゃんと俺の装備だ」
レンタルでも、いつか回収される不穏な貸与品でもない。完全に。百パーセント、俺自身の所有物だ。
俺は購入したばかりの新しい短剣を、少しだけ鞘から抜いてみた。鈍色の刀身が、店内のライトを弾いて綺麗に光を反射する。
性能の純粋な数値だけで言えば、あの貸与品よりはるかに低い。
でも――不思議と、後悔の念は一ミリも湧いてこなかった。
「レオさん、すごく嬉しそうですね」
「……そう見えるか?」
「見えます。目がキラキラしてますもん」
俺は手元の短剣を見つめ直した。
きっと、その通りの顔をしているのだろう。実際、ものすごく嬉しかった。
ゲームをやっていた現役時代も、コツコツ貯めたポイントで装備を更新する瞬間が一番好きだった。自分が一歩強くなるのが、はっきりと実感できるから。
これは現実のダンジョンだ。それでも、あの頃のワクワクと、どこかよく似ていた。
店を出ると、すっかりオレンジ色に染まった夕方の心地よい風が、俺の頬を優しく撫でた。
新しい相棒の重みを腰に感じながら歩き出そうとした、その時だった。
ピロン、と視界の端で、見慣れた半透明の通知ウインドウが光を放った。
【第四階層探索推奨条件を達成しました】
ピタリ、と足が止まった。
「どうしました?」
驚きに目を見張る俺の前で、画面には無機質な続きのテキストが表示されていく。
【次回攻略時より、第四階層への挑戦を推奨します】
「4階探索出来るって」
ミアは、無言で口角を上げ、背中をバシバシと叩いてきた。
「やりましたねー!」
「ちょ……痛い痛い」
「ごめんなさい」
昨日、死亡事故が起きたばかりの、危険な未開の領域。
俺たちが目指すべき取り敢えずのゴールが、新しい武器を手に入れた今、ようやく目の前まで迫っていた。
◇
「はーい、皆さんこんにちは!」
いつものダンジョンロビーの片隅で、ミアがカメラドローンに向かって満面の笑みで手を振る。
「というわけで、今日は第四階層に挑戦する前の『準備配信』をお届けしていきまーす!」
『ついに第四階層か!』
『ずっと待ってたぞ!』
『おめでとう! よくここまで来たな』
画面を埋め尽くすように、勢いよくコメントが流れていく。
ふと視界の端の数字に目をやると、リアルタイムの同時視聴者数は早くも30人を突破していた。二週間前の一桁配信が嘘のようだ。今では信じられないほどの熱気が、この小さな画面の向こうから伝わってくる。
「……随分、増えたな」
「ね、増えましたよね!」
俺の呟きに、ミアも自分のことのように嬉しそうに目を細める。
チャンネルの登録者数も、今や三百五十人に届こうとしていた。トップ配信者たちに比べれば、まだまだ豆粒みたいな規模だ。けれど、俺たちの歩みは確実に、一歩ずつ前に進んでいる。
『俺、同接一桁の頃からの古参な』
『↑まだ古参面するには早いぞw』
『とにかく大台突破おめでとう!』
そんな温かいコメントを眺めながら、俺は腰の鞘から新しい短剣を引き抜いた。
昨日、なけなしの貯金を叩いて購入した、研究機関製の【軽量短剣】。鈍く光る刀身が、ロビーの照明を吸い込んで静かに佇んでいる。
あのチートじみていた運営の貸与品ほどの軽さはない。けれど、俺の貧弱な筋力でも十分に扱いこなせる、確かな相棒だ。
「レオさん、新しい武器、カメラに見せてください!」
「ん? あ、これか。こちらです」
ミアに促され、カメラのレンズの前に短剣を差し出す。
『おおおお、かっこいい!』
『シュッとしてて強そう』
『ついに手に入れたマイ武器だな』
『今度は戦闘中に失くすなよ?ww』
「……失くさない」
『たぶん』って心の中で付け足したけど。できれば、本当に失くしたくはない。
「ちょっとレオさん、今一瞬の間がありましたよね!? 不安になる返事はやめてください!」
「……いや、大丈夫だろ」
たぶん、な。
そんな締まらないやり取りを挟みつつ、配信は穏やかに進んでいった。
視聴者からの質問に答える雑談、装備の最終確認、そしてこれから挑む第四階層の情報整理。大台を突破したコメント欄は、いつも以上に活発に動き続けている。
『ぶっちゃけ第四階層ってそんなにヤバいの?』
『事故率が跳ね上がるって聞くけど』
「あー……そうですね」
コメントを拾ったミアが、少しだけ真面目な顔をして頷いた。
「ギルドの公式データでも、ここから難易度が一段階上がると言われています。モンスターの強さも連携も、三層までとは別物になるみたいで……それでも報酬が跳ね上がるので専業で食べていけるようになります」
ミアが配信画面に、ギルドから共有されているダンジョンの簡易地図を表示する。
俺たちが今まで潜ってきた第一階層から第三階層。そして、その先にある、赤くハイライトされた第四階層。
『レオは怖くないの?』
ふと流れたそのコメントを読み上げ、ミアが俺の顔を覗き込んできた。
俺は少しだけ視線を泳がせ、それから正直に口を開いた。
「……怖いぞ。普通に」
『え、意外』
『もっとスカしてるかと思った』
『ちゃんと言うんだな、レオも人間だったか』
「いや、人間だろ。お前ら俺を何だと思ってるんだ」
『喋った!』
相変わらず失礼な連中だ、と苦笑する。けれど、不思議と嫌な気はしなかった。
怖いというのは、紛れもない本音だ。ここで死んだら、そこで俺の人生は本当に終わり。リスポーンなんて都合のいいシステムはない。何度潜っても、何体魔物を倒しても、その恐怖だけは変わらない。
「でも――」
俺は、黒い短剣をゆっくりと鞘へと戻した。カチャリ、と硬質な音が響く。
「行かないと、何も始まらないしな」
それが、今の俺の、一番嘘偽りのない気持ちだった。
生活のため。攻略のため。この配信のため。
そして――この命懸けの現実が、ほんの少しだけ、楽しくなってきたから。だから、俺は先へ進む。
「それに」
俺の言葉を聞いたミアが、いたずらっぽく、でもどこか誇らしげに笑った。
「レオさんには、優秀なサポーターの私が付いてますからね!」
「……そうだな。頼りにしてる」
自然と、そんな言葉が口から出た。
途端に、コメント欄がニヤニヤとした空気で妙に騒がしくなる。
『おおおお!』
『いいコンビじゃん』
『これはてえてえ』
『もしかして、お二人さん付き合ってる?』
「「付き合ってません(ない)」」
一ミリのズレもない、完璧な同時即答だった。
『ハモってんじゃん』
『息ぴったりすぎるだろww』
『そこだけ、そこだけは反応速度が世界30位』
そんなプロのリスナーたちとの掛け合いを楽しんでいるうちに、予定していた配信終了の時間が近づいてくる。
ミアがカメラドローンに向き直り、締めの挨拶を始めた。
「それでは皆さん、今日の準備配信はここまでです! 次回はいよいよ第四階層の初攻略生配信になりますので、ぜひ通知をオンにして待っていてくださいね!」
『おつおつー!』
『第四階層配信、めちゃくちゃ楽しみにしてる!』
『次回絶対見に行くわ、待機!』
『……まじで生きて帰ってこいよ』
最後に流れた、そのコメントに俺は少しだけ口元を緩めた。
「――善処する」
『あ、フラグ立てた!』
『やめろww』
『一気に不安にさせるなww』
賑やかなツッコミを置き去りにして、配信の接続がブツリと切れた。
球体型のカメラドローンがふわりと高度を下げ、ミアの手元に収まる。あたりには、いつもの静かなロビーの空気が戻ってきた。
俺は、預けていた壁から身体を起こして立ち上がった。
ミアも自然な動きで、俺のすぐ隣へと並ぶ。
「……行きますか、レオさん」
「ああ」
もちろん、今日は入らない。4階層探索届を出すだけだ。それでも、新しい相棒を腰に宿した俺たちの足は、吸い寄せられるように自然とそちらへ向いていた。
「ずっと変だと思ってたんだが、ゼロクロとダンジョンって似すぎてると思うんだよな」
「コメントでも結構言ってましたしねぇ」
ミアは手元のスマホを操作しながら返した。
「一応報告しとこうかなと」
「なら、一番右の受付の人が良いですよ。ちゃんと聞いてくれます」
「マジか助かる」
俺はミアと共に備え付けの端末から探索申請データを送信し、進められた一番右の受付カウンターへと向かった。
カウンターの向こうで、制服を着た男性職員がPCのキーボードを叩く。
「第四階層の探索申請、確かに受領しました。」
「どうも。ああ、それと——」
俺はゼロクロの仕様とダンジョンの酷似点について話した。男性職員は、ちらりと俺を見て直ぐに視線を戻した。
「そうですか。ありがとうございます。上に報告をあげておきますね」
「どうも」
————同刻。ギルド受付カウンター
二人の参加者を見送った受付はこの報告をどうするか思い悩んでいた。相手が相手なので普段通りで良いの分からなかったからだ。
ピロンという音と共に半透明のシステムウインドウが開いた。ダンジョン運営からで、勿論彼以外には見えない。
【今の報告は手筈通りに】
なんだいつも通りで良いのかと下書きの報告書を削除した。
削除!