ワシントンD.C.、連邦捜査局本部。
机の上には、着任したばかりの捜査官には不釣り合いなほど分厚い資料が積まれていた。
レイノルズは、その向こうに座る男をまっすぐに見た。
FBI長官、ウォルター・ヘイズ。
報道で見るよりも痩せており、灰色の髪には白いものが混じっている。威圧するような話し方はしない。しかし、何も言わずに見られているだけで、背筋を伸ばしたくなる男だった。
「着任早々すまないが、潜入捜査だ。レイノルズ捜査官」
ヘイズは形だけの謝罪を口にした。
「問題ありません。どちらへ潜入すれば?」
「ダンジョン攻略パーティーだ」
予想していなかった答えに、レイノルズはわずかに眉を動かした。
ヘイズは机の上から一冊のファイルを抜き、こちらへ滑らせる。
「アタッカーはレオナルド・フォスター。配信上の呼び名はレオ。サポーターはミア・リン。こちらも普段はミアと名乗っている」
開いたページには、二人の写真が並んでいた。
一枚目は、短剣を構えて魔物と向き合う若い男。
二枚目は、その後ろから浮遊カメラへ説明している黒髪の少女だった。
どちらも配信映像から切り取られたものらしい。少女は穏やかに笑い、青年の方は戦闘中だというのに妙に冷静な顔をしている。
「構いませんが……」
レイノルズは資料をめくった。
チャンネル登録者数、同時視聴者数、攻略階層、討伐記録。どれも突出した数字ではない。登録者数も、ようやく数百人に届いた程度だった。
「こう言っては何ですが、二人とも人畜無害に見えます」
「ああ。配信を確認した限り、思想的にも行動上も目立った問題はない」
「では、何を調べるのでしょうか」
「存在Xとの関係だ」
聞き慣れない言葉だった。
「申し訳ありません。存在Xとは?」
「ああ、まだ説明を受けていなかったか」
ヘイズは椅子に深く座り直した。
「ダンジョンを作り、参加者を選んでいる何らかの知的存在。魔法災害特別対策班では、便宜上そう呼んでいる」
「人間ではない可能性も?」
「人間であるという証拠がない。組織なのか、個人なのか、生物なのかさえ分かっていない」
レイノルズは、もう一度二人の写真へ目を落とした。
「この二人が、その存在Xと接触していると?」
「あっても末端だろうがな」
ヘイズは別の資料を取り出した。
そこには、第三階層で起きた戦闘の経過が秒単位で記録されていた。
「数日前、彼らは第三階層でオークと遭遇した。その翌日にはウルフとの戦闘中、フォスターに貸与されていた武器が回収されている」
レイノルズの指が止まった。
「戦闘中に、ですか?」
「ああ」
「貸与品の回収自体はよくあることです。しかし通常、安全区域へ戻った後か、一定期間使用されなかった場合に行われるはずです」
「その通りだ。少なくとも、我々が把握している事例では一度もない」
ヘイズが卓上の端末を操作した。
壁面モニターに、ダンジョン配信の映像が映る。
銀色の短剣を握ったレオへ、物陰からウルフが迫っていた。
直後、短剣が消える。
青年の動きが一瞬だけ止まり、ウルフの牙が腕をかすめ、突き飛ばされた。
そこへ、画面外から一本の短剣が投げ込まれる。
レオはそれを受け取り、どうにかウルフを仕留めた。
「予備の武器を投げたのが、ミア・リンですか」
「ああ」
映像が止まった。
静止画の中で、ミアは武器を投げた姿勢のまま、レオを見ている。
「反応が早いですね」
「早すぎる、と分析班は評価している」
「彼女はサポーターです。予備装備を持っていても不自然ではありません」
「そこだけならな」
ヘイズは資料のページを指先で叩いた。
「ミア・リンは、貸与品が回収される可能性を事前に説明している。第三階層の魔物や地形にも詳しい。ここまでは不自然ではないが、ギルドの公開情報にない事柄まで、何度か言い当てている」
「経験者では?」
「彼女自身が参加者としてダンジョンへ入った記録はない。ギルドへの所属歴も、研究機関や軍への在籍歴も確認できなかった」
「情報源が別にあると?」
「そう考えるのが自然だろう」
レイノルズは資料を最初から読み返した。
配信を始めた時期。二人が出会った経緯。ミアが攻略を提案し、サポーターを申し出たこと。
どれも単独では不審と呼べるほどではない。
「長官は、ミア・リンが存在Xの関係者だと?」
「そこまでは言っていない」
ヘイズは即座に否定した。
「知識が豊富な民間人かもしれない。何者かから情報を受け取っているだけかもしれない。あるいは、我々が知らない法則に偶然気づいている可能性もある」
「だから、逮捕や事情聴取ではなく潜入捜査ですか」
「令状を請求できる材料はない。無理に接触して警戒させる理由もない」
慎重な判断だった。
存在Xが本当にダンジョン全体を管理しているのなら、こちらが調査していると気づかれるだけで何が起こるか分からない。
「それに、フォスターも気になる」
「レオナルド・フォスターが?」
「ああ。貸与品を戦闘中に回収されながら、彼は生還した。存在Xが殺そうとしたのなら手段が中途半端だ。試したのか、成長を促したのか、それとも単なる事故なのか」
ヘイズは一度言葉を切った。
「いずれにせよ、存在Xは彼を認識している」
レイノルズはモニターを見る。
配信映像の中で、レオは傷ついた腕を押さえていた。その隣では、ミアが心配そうに何かを話している。
どこにでもいる、若い探索者たちに見えた。
少なくとも、世界規模の異常現象を引き起こしている存在と繋がっているようには見えない。
「接触方法は?」
「第四階層の攻略に合わせ、DMを送れ。お前は参加者の筈だな。実験段階だが、隠蔽魔法のスクロールも実戦投入して構わん。現場での名前や経歴はこちらで用意する」
「彼らのパーティーに入り、ミア・リンの情報源を探れということですね」
「それだけではない」
ヘイズの声がわずかに低くなった。
「レオナルド・フォスターが、なぜ選ばれたのかも調べろ」
レイノルズは資料を閉じた。
「了解しました」
「存在Xは、参加者に力を与え、同時に命を奪っている。現在確認されているだけでも、ダンジョン内での死者は世界中で十数万人だ」
ヘイズは感情を表に出さず、事実だけを並べた。
「何者であれ、合衆国法も主権も無視して我が国の人間を選別する権利はない」
机の上には、レオとミアの配信画面が残されている。
仲の良い友人同士にしか見えない二人。
その片方が、こちらの探している糸口なのかもしれない。
「存在Xは、アメリカだけの問題ではない」
ヘイズは告げた。
「存在Xは、アメリカだけの問題ではない。全世界に対する脅威だ。糸口を探れ、レイノルズ捜査官」
「はい、長官」
レイノルズはファイルを抱え、長官室を出た。廊下を歩きながら、表紙に印刷された写真をもう一度見る。
レオナルド・フォスター。
ミア・リン。
その下には、潜入対象を示す赤いスタンプが押されていた。
新キャラです