キラキラと光を放つ線が、空中に文字を描く。
気を抜くとすぐに文字の大きさがバラバラになってしまう。
自分から出でる魔力の量を細く紡ぎながらイーライは空に浮かんだ文字を最初から読み返した。
親愛なる、ファーレイ・オルフィレント様。
あなたが何も言わずに部落を飛び出してから早幾年、お元気だとは思いますが、一応聞いておきます、お元気ですか。
私は元気です。
コントロールの練習も兼ねてやっていたが、厭味ったらしい手紙になってしまった。だが。それが粉飾なしの本心だ。ここは飾っても仕方ない。
思い通りにならない魔法に感じていた焦りは少しずつイライラに変わる。
小さくため息を吐いてから、イーライは書かれた文字を手で振り払い掻き消した。
少量の魔力を注ぎ続ける作業は、魔力の多いイーライにとって苦行でしかない。
考えながら書くなんて無理だ。一気に書き上げないと集中力が続かない。
だから――後回しにする!
反動をつけベッドから立ち上がる。
伸びをすると体がぎしぎしと音を立てているような心地があった。
それに手足を伸ばすだけで、家具に体をぶつけてしまいそう。狭い安宿だから仕方ないかもしれない。
それは、それとして。
「うっし、出かけてくるか」
同行者二人は旅支度の買い足しと言ってちょっと前に出かけていったばかりである。
しばらく戻ることもなさそうだ。
今ならば一人で羽を伸ばせるに違いない。
にやり、と、いたずらを思いついた子どものような笑みを浮かべる相貌にはまだ少し幼さが残っている。
逸る気持ちを抑えきれないように、勢いをつけてイーライは扉の取っ手を掴んだ。
自由だ、と思うと足取りが軽くなる。
思わずスキップしそうになるのを堪え、それでも好きな歌を口ずさみつつ足を進める。
知らない町を歩いているだけなのに、完全に浮かれてしまっていた。
「?」
――と。イーライは思わず足を止めた。
何かが猛スピードでイーライに向かって近づいてきている。
気づいた時にはもう遅かった。
「……うわ!」
衝撃に転倒しかけたが、足を踏ん張ることで何とか耐える。
(体幹だけじゃねーのな、体格か。こんなにひょろっこいのに)
すぐに体勢を立て直し咄嗟にそんなことを考えてしまった。
普通だったらぶつかられた瞬間吹っ飛んで転がっていただろうに、とイーライは自分の両手を見下ろして――慌てて衝動で転がった人物へと意識を向ける。
尻もちをついて転がっている姿は間抜けだが、元はと言えばこいつがイーライにぶつかってきたからこうなったのだ。
「一体どういうつもり――」
「きゃあ」
あがった悲鳴に、その人物を改めて見下ろした。
つややかな金髪をさらりと下ろした、何とも可愛らしい少女だ。
こちらを見る目はわずかにうるんでいる。
くりっとした目にバラ色の唇。
思わず息を飲んだ。
(すっげー、かわいい子だ……)
しばらく目の前にいる転んだままの少女に、思わず目を奪われてしまい――すぐに我に返った。
「……あー、えっと」
ぶつかってきたのは故意にしか思えないが、相手は女性だ。
紳士たるもの! と熱弁をふるう同行者が脳裏をちらついた。
紳士たるもの、レディには常に女性を敬い気遣うこと!
「だ、大丈夫、ですか?」
恐る恐る手を差し伸べると、その少女は躊躇うことなくイーライの手をぐっと掴んだ。多分全力で。
ぎゅうっと締め付けて来る手をイーライはただ信じられない思いで眺めるしかできなかった。
「ごめんなさい、わざとじゃなかったんです」
「あ、……はぁ」
「おわびに、この私があなたと結婚してあげます!」
「あ、……はぁ。……はああ?」
「私たち結婚しましょう! 」
見たことのないような美しい少女からの求婚に、イーライは思い切り聞き返していた。
イーライを見る少女の目はキラキラと輝き、一点の曇もなかった。
(⋯⋯なんだそれ! なんでそうなる!?)
普通の男だったら美少女からの愛の告白を嬉しく思うものなのかもしれない。
こんな意味不明な求婚であったとしても。
しかし、イーライは、『普通の男』ではない。
普通じゃないから承諾できないし、なによりもこの少女の圧が怖かった。
(こ、こんなことになるんだったら宿で大人しく待っとくべきだった!)
後悔してもどうしようもない。少女はイーライの手を離してくれそうにない。逃げられるわけもない。
(こんなの予想できるわけないだろ!)
胸中で思いきりツッコミを入れながらも、イーライはのろのろと口を開いた。
どうしてか、心臓が早鐘を打っている。恐らく恐怖で。
「……な、な、急に、な、何を……?」
動揺を隠すことなく口ごもりながらも何とか言葉を紡ぐ。が、少女は浮かれた様子でイーライの手を握りしめたままぴょんぴょんとその場で跳ねた。
「そうと決まれば、まず書類関係からかしら?」
「え……、ちょ、待って……?」
「そういえばあなたの名前教えてもらってなかったわね。まず名前を書いて教えて。婚姻届けで構わないから!」
「なんでそうなる!?」
「役場に行きましょう! 婚姻届を取りに行かないと!」
「話を聞け! っていうか手を放せ!」
「……」
イーライは怒鳴りながら、少女の手を振り払おうとしたがびくともしない。それどころか少女の力が強まり、イーライの手首に細い指が食い込んだ。
「……いてえ……」
文句を言おうと視線を少女の顔へと移し、イーライは初めて恐怖を覚えた。
「い・や・よ」
「……あっ……」
駄目だ、と必死で恐怖を己の心の中から追い出して彼女を睨みつける。
深い青色の目に浮かんでいるのは狂気なのか、焦点があっているようで全然あってない。
「だ、だから、その」
「いいから、行きましょう?」
「こ……怖……じゃなくって、いいから聞けって! 俺は」
『外』の人間に呪いのことをいたずらに広めてはいけない、と言い聞かされてきたが、これはもう話さねばならないだろう、と、意を決してイーライは言葉を紡ぐ。
だが、少女に力いっぱい引っ張られて飲み込まざるをえなかった。
イーライは決して体格に恵まれていなかったが、それでもこんなに簡単に引きずられるほど力は弱くない。むしろ強い方なはず。
「先に、既成事実、つくっちゃいましょう?」
「い、いやだあああ!」
「大丈夫、怖くないから」
「怖いに決まってんだろ!」
恐怖に駆られているのを自覚しつつも、破れかぶれでイーライは魔力を放った。
瞬間、体に力がみなぎり、少女の親指を掴んで強制的に自分の手を解放させて、後方に跳躍。間合いを広げて臨戦態勢を取った。
(……油断したら、やられる!)
「……えっと、俺、……未成年なんで、それはちょっと……」
「心が繋がっていれば大丈夫よ」
「繋がってねえよ!」
「奥ゆかしいのね、そういうとこ、好・き」
「勘弁してくれ!」
怒鳴らないと気がおかしくなりそうで、イーライは必死で怒鳴り返すことしかできない。
「そもそも、結婚って何だよ!」
「愛の契約?」
「じゃなくって、何で俺と結婚したいなんて——初対面だろ!」
「だって……一目惚れしちゃったんだもの」
狂気に染まっていると思った少女の目が、急にキラキラとした光を帯びてくる。
もう怯える心を無視することもできず、イーライはじりじりと後退した。このまま逃げるしかないと、そう思った。
「一目惚れ?」
「そう、あなたを見た瞬間、胸がきゅーんとして、あなたしかいないって思ったら! 思わず体当たりしてしまったの!」
(今まで、呪いなんて大したことない。別にこのままでいいって思ってたけど……。先延ばしにしてちゃ駄目だった……! 早く呪い、解かなきゃ——)
後退するのと同じ速度で迫ってくる少女に、イーライは思った。
このままだと貞操も命も、色んなものが大ピンチだ、と。
「……『わざとじゃない』って言ってなかったか……?」
「乙女の可愛い嘘よ」