うんざりだ、と片手で目を覆い嘆息を漏らし、イーライははっとした。
流されている場合ではない。
「結婚なんてしねーよ! ていうかできないし。俺は——」
「お嬢さんに何してやがる!?」
背後からかけられた声に、イーライの疲労感は更に増した。
両肩にしがみつくような重さを感じながらも後ろを振り返った途端、一つにくくっていた髪をくいっと引っ張られ、少女へと視線を戻した。
イーライの尻尾のような毛の端っこを掴んだまま少女は熱っぽい視線でイーライを見ていた。
「引っ張るなよ」
「私以外を見ちゃ嫌」
ちょこんと首を傾げ、可愛く言われても不快感しかない。彼女の指から自分の髪をひったくるように奪い返し、イーライは声の主へと顔を向けた。
スキンヘッドのガタイの良い男がこちらへと歩みよって来ている。
派手な柄入のシャツに白のパンツ。見るからにチンピラだ。
「あんなダサいやつじゃなくて、私を見て」
「どう考えてもあれ、お前の知り合いだろ!?」
再び少女に手首を掴まれ、イーライはよろけながらもチンピラを指さした。
「そのお嬢はな、俺の嫁になる女なんだ! お前みたいなチビが気安くふれていい方じゃねえんだよ!」
「誰がチビだ!」
思わず蹴りが出たのは、紛れもなく八つ当たりだ。
素直に認め、イーライは蹴られたスネを庇うようにその場にうずくまる男を冷たい目で見下ろした。
「この、ガキ……!」
先制キックを放ったのはイーライだ。ちょっとして小競り合いぐらいは覚悟して立ち上がったチンピラと対峙するように身構えた。
が、そのイーライとチンピラの間に素早い動きで少女が滑り込んできた。
(は⋯⋯!?)
「——あんた、人の事どうこう言えるような顔してると思ってんの!?」
少女はゆっくりとチンピラに向かって手を伸ばすと、躊躇いなく襟首をつかみ上げた。
チンピラの顔色が一気に驚愕と恐怖に染まるのがわかった。
「うあ! お、お嬢! そ、そのチビが——」
「あ? 私がゲットしたから捕獲してたのよ! なんか文句ある?」
「そ、そうだったんですか!……。ごめんなさいぃいい!」
「それに、私がお前みたいなゲスの嫁ですって?」
「こ、言葉のアヤですうう! 本当に申し訳な——」
「問答無用。天誅!」
ごす、と鈍い音がして、チンピラはその場に倒れ伏した。
少女は倒れ伏すチンピラには視線を向けず、チンピラの横っ面に叩きつけた己の拳を見下ろして、手を一度開き、すぐに握った。まるで何かを確認するように。
「⋯⋯あ」
呆然とイーライはそんな流れを見ていたが、そこではっと我に返りさっきまで少女に掴まれて手を体へと引き寄せ確認する。
今は少女に掴まれていない。解放されている。
(今しかない!)
逃亡の一歩を踏み出すより、少女がイーライの腕を再び掴むほうが二呼吸ほど早かった。
「ねえ、役場よりも先にいかなきゃいけないとこ、できちゃったみたい」
「え?」
「お父さんに挨拶にいきましょ! ね?」
「挨拶……?」
またもや意味不明な単語が出てきた。
聞き返す言葉は間抜けすぎる、と思っている間にも、少女はイーライの手を力を込めて引っ張った。
仕方なくイーライも足を進めるしか——。
「なんで!? 絶対に嫌だ!」
「ええ? でも結婚するならまずは家族に挨拶すべきでしょ?」
「……うう、ああ」
どこから指摘すればいいのか、イーライはついに言葉につまった。
何を言っても無駄な気がするのは、多分気のせいじゃない。
「——シームよ」
足を止めて、少女はそう名乗って笑った。
「私の名前。シームっていうの。あなたは?」
「……イーライ」
「素敵な名前ね」
ここで名乗らないと延々と質問が繰り返されるだけのような気がして、素直に答えると少女は屈託のない笑顔を見せた。
その名前を褒められるのは、正直嬉しかった。気勢がそげ、イーライは口をつぐんだ。
「イーライ……かぁ。そうねえ、ダーリン?」
「……やめてください……」
「えー、駄目なの?」
天誅の一撃といい、この話の通じなさといい、イーライは本気で泣きたくなってきた。
だが、少女——シームは、イーライを泣かせる暇も与える気はないようだ。弱気になったイーライをそのまま引きずった。
「急に私をお父さんの弟子の中の一人と結婚させるって宣言しちゃって大変なことになってるの。あ、さっきのも弟子のひとりよ」
「……弟子?」
「私のうち、格闘技の道場なの。父が師範で弟子が七人いて、……でもどいつもこいつもムキムキだし、カッコよくないし最悪」
本人の意思を無視するように結婚させるというのは横暴な気がする、と、イーライは少しだけこのシームに同情を覚えた。
「絶対嫌だからてっとり早く彼氏作って駆け落ちしちゃおうかなって思ってたところに、イーライを偶然見つけて、ああ、これは神様がくれた奇跡だわって思ったの。当初の予定どおりこのまま逃げちゃってもいいかなって思ったんだけど、ちゃんとお父さんに言っておく必要があるわね」
「なんか、めっちゃヤな予感⋯⋯」
「大丈夫よ、さっきみたいに私が守ってあげるわ!」
ぶるっと身震いがしたが、シームは手を離してくれるつもりも足を止めてくれるつもりもなさそうだ。
仕方なくイーライは足を進めた。
保護者にうまく話せばどうにかしてくれるかもしれない、と淡い期待を抱きながら。