やっぱダメだった。
半ばわかっていたはずなのに、どうして親ならば説得できるだなんて、儚い希望を見てしまったのだろうか。
シームの口から『神』なんて単語が出たからイーライも信じたくなったのかもしれない、奇跡って奴を。
三歩半ほどの間合いを空けて対峙しているのは、頭にトラ模様のような剃りこみを入れやはりチンピラ的な見た目の男だった。
シームの父の一番弟子、という話だったが。
ちらっと、広い空間の隅に仁王立ちしている壮年の男を見やる。道場主であるシームの父だ。
『娘との交際を許してほしくば、俺の一番弟子を倒してみよ!』と開口一番言い放ったのはあの格闘馬鹿である。
そして、『貴様のようなよそ者にお嬢を渡すわけにはいかない!』などと言ってイーライを道場の中央に放り投げたのが、対峙している一番弟子とやら。——言葉遣いは気高い何かを感じるが見た目はアウトローだ。
そして、問題のシームといえば、父親の横で期待するような目でイーライに熱い視線を送っている。
「きゃー! イーライ! 負けないで! 頑張って私を奪って!」
(好き勝手言いやがって……っていうかさっきは守るっつってたのに、あの女……! って、いや、別にいいか)
あれは男同士が自分を奪い合うというシチュエーションに酔っているのだろう。多分。
どうしてこんなことになっているんだろう。もう考えるのも面倒になってきた。
同時にイライラが募っていくのを自覚していた。
(話も聞いてくれないし、守るって言ったくせに戦わせるし、なんか無茶苦茶怖いし、こうなればやってやる!)
拳を握りしめ、構えると、「はじめ!」と試合開始の合図が耳に届いた。
先に動いたのは一番弟子の方だ。
一気にすり足で間合いを詰めると、振りかぶった拳をイーライに向かって打ち出してくる。
「……単純だ」
一番弟子の拳を手のひらで受け止め脱力し、そのまま受け流す。勢いを利用し、利き足を軸にし蹴りを放った。狙いはわき腹だ。
さすがにそれは素早く後退し躱されてしまう。空ぶった足が床が着くのと同時にイーライは一気に開いた間合いをつめた。
「早いっ!?」
「……遅いんだよ」
一番弟子の顔面に目掛け素早く振りかぶった手を繰り出し、目の前で手を広げ敢えて指を鳴らしてやった。
「な!?」
フェイントに決まってるだろ、と胸中だけで呟いてもう一歩踏み込み、一番弟子の背後に回り込むと背中に向かって拳を叩きこむ。バランスを崩す隙を見逃さず、足払いをかけ床に転がすと、床に両手を付いて転倒を免れようとする一番弟子の背中を遠慮なく踏みつけた。
「ぐぇええ」
「カエルみてえ」
どうでもいい感想をぼやいて、シームの父親を一瞥する。
少しだけ驚いたような表情をしていたが、すぐに目の色が変わる。
「……あ、やべえ」
あれは獲物を見つけた肉食獣の目だ。
「そこまで娘を愛しているというのならば」
「勝手に話を作らないでくださいよ!」
「……この父の屍を越えていくがいい!」
これも娘と同じく話を聞かない系か、とイーライは半ばあきらめ、道場主が目の前まで歩み寄る様を眺めた。
一歩一歩の足取りも、姿勢も、鍛え抜かれた肉体を想像させる。
間違いなく格上だとイーライは悟っていた。
(一番弟子との差、開きすぎだろ……)
ちゃんと師事しているのか、それともちゃんと教授しているのか、そんな素朴な疑問が浮かんだが、その辺りは深く掘るつもりもない。黙っておく。
「ふ、まだ体が出来上がってない、か。年齢からすれば仕方ない」
普段ならイラついていた言葉かもしれないが、圧倒的な力量差からの言葉だ。ただひやひやした感情を抑えるので精一杯だった。
何となくこうなるような気がしていたというのは後付けの言葉ではない。
ただ、ここでただ負けるのも積もりに積もったフラストレーションが許してくれない。
——むしろ、一矢報いる程度じゃ足りない。だが、悔しいかな届きそうもない、というのが正直な感想だ。
「道具を使っても構わん! 全力でかかってこい!」
「……道具を使ってもいい? その言葉、偽りなし、ですね?」
鷹揚に頷くシームの父に、イーライは勝利を確信した。
両手を目の前にかざし、集中する。己の中に蓄積した力を解放する。
量が多いから暴れそうになるそれを押さえつけるのは毎度若干の負荷がかかるが、今回は、少しぐらい多く付与されてもいいだろう。何しろ相手は規格外の達人である。
「……それは……まさか、……魔法……か?」
光を帯びるイーライの両手に思い当たったのか、驚愕の声を上げる道場主にイーライはただ頷いた。
魔法もイーライにとっては道具と同義だ。道具を使っていいというのならば魔法を使っても構わないのだろう。
「準備完了です。やりますか」
「ちょ、ちょっと待て、魔法なんて聞いてな——」
「はじめ! やっちゃって!イーライ!」
元気なシームの開始の合図にイーライは動いた。
「待て待て!それは卑怯——」
「俺にとっては
小さく詫びて、イーライは思いきり拳を振った。