「ええい、口先だけの屁理屈はそこまでだ!」
試験官は額に青筋を立て、手元のスイッチを押した。演習場の頑丈な鉄格子が上がり、中から封印を解かれた大型の試験用妖怪、『百目鬼(どうめき)』が解き放たれる、Aランク規模……つまり退魔師が対抗できる範囲の最強格に近い存在が紅院の目の前に現れる。
「実技試験の後半は実戦討伐だ! 上級退魔師試験も兼ねている以上、その式神と共にこの大型妖怪を退治してみせろ! 連携が取れねば命はないぞ!」
咆哮を上げ、暴走する百目鬼。他の受験生たちが恐怖で後退する中、百目鬼は直線的に村上へと襲いかかった。
「村上君、危ない!」
紅院が叫ぶが、村上は一切動じず、バインダー越しに妖怪の動きを冷静に観察した。
「指示(オーダー)を出すよ、紅院君」
「えっ!?」
「あの妖怪の霊術展開パターンを計算する必要はない。右膝関節の構造上の耐久値は、君の拳の運動エネルギーの10分の1以下だ。霊力ではなく、純粋な運動方程式に従って物理的インパクトを与えればいい、自分の力を信じて」
「よ、よく分からないけど……解ったぁぁぁっ!」
紅院は霊符も術式も一切使わず、ただ泥臭く踏み込むと、右拳を限界まで引き絞り——百目鬼の右膝へジャストミートのストレートを叩き込んだ!
どごぉぉぉぉぉんッ!!!!
演習場全体を揺らす凄まじい衝撃音。
霊力など一切乗っていない純粋な「質量と筋力」の暴力が百目鬼の巨体を打ち砕き、衝撃波だけで後方の壁に巨大なヒビが入った。
百目鬼は悲鳴を上げる暇すらなく、白目を剥いて泡を吹き、文字通り「物理的に」沈黙した。
これが、閻魔大王の……いや。
何十年も霊力が宿ると信じてストイックに鍛え続けた男、紅院の完璧な力合わせである。
「………………」
演習場が静寂に包まれる。
試験官も、他のエリート退魔師たちも、口をぐうの音も出ないほど開けて固まっていた。
「……ふむ。法廷での審理をすべてすっ飛ばした『即決物理判決』だね。まさに地獄の閻魔大王の裁き(物理)だ……ぼそり」
「え? 村上くん何か言った?」
「なんでもないよ、凄いね君って感じ」
「ん? ああ、えっと……まだ早いんじゃ……ないかな?」
村上はバインダーをパチンと閉じ、冷や汗を流す鬼頭試験官に向き直った。
「試験官。当ペアの連携および討伐完了を確認していただけますか? 規定のお時間内での処理ですので、不合格にする正当な理由は存在しないはずですが」
「ご……合格……! 式神雇用資格、ならびに上級退魔師昇格試験……合格とする……!!」
試験官は半泣きになりながら、合格印を書類に叩きつけた。
一方、任務中なので気配を消してその様子を聞いていた白沢と酒呑童子、ヤドリガミ『佐々木哲平』の調査は重要なので退魔師試験も気になるが都合よくワープして
「へぇ……村上が退魔師試験乗り込んだんだ、相変わらず凄いよね……」
通話越しで酒呑童子が酒瓶を抱えて笑っていた。その横で、白沢は冷や汗を拭いながら深々と溜め息をついた。
「……酒呑様、面白がっている場合ではありませんよ。あの村上という人間、紅院様の中に眠る【閻魔大王】の威光すらも、ただの『物理攻撃のデータ』として処理しています…… あいつの理屈の前には、大妖怪も伝説の御三家も形無しかと」
「白沢が心配してるのはそこじゃなくない? まあ、私は事前に村上が何をしたいのか教えてくれたからいいけど……まさか死に物狂いで他の妖怪たちが探してた旧・御三家がこれで全部揃うなんて……」
「……そしてあの男はここから次の旧・御三家、退魔師学校にある山本五郎左衛門の墓を狙う、もぬけの殻だからと言って我々はまだ手を出さないとは思いたいですが……」
「……だがひとまずは、土産も手に入ったし急いで白革県から退散かな」
目的の物はしっかり手に入れ、大急ぎで騒員退散していく……ここで過ごしている間にもスピンオフ1本作れそうなくらいにはまあ色々あったが、村上は聞いても興味もないだろうということでそれは全部なかったことにしてほしい。
電車を越えて色々使い、理念市まで戻る……!
◆
「やったよ村上君! 上級退魔師になれたよ! これで公共交通機関が全国無料だ〜〜っ!」
夕方、帰り道を歩きながら紅院は跳び上がって喜んでいた。
「はしゃがないで。上級退魔師になったということは、それだけ税金や確定申告の手続きが複雑化するということだ。明日からは『個人事業主としての節税セミナー』を始めるから覚悟しておいてね」
「えぇ〜!? また勉強〜〜!?」
冷酷な親友の言葉に頭を抱える紅院。
村上は隣で小さく息を吐きながら、ポケットの中のスマホ(白沢からの着信履歴)をそっと伏せた。
(旧・御三家だろうが、閻魔大王だろうが関係ない。俺の平穏な高校生活を脅かすリスクは、すべて論理と契約で排除してみせる……)
超・現実主義者の高校生と、自分が閻魔だと気づいていないポンコツ退魔師の奇妙なバディは、新たな波乱を含みながらも、今日も夕暮れの街を歩いていくのだった。
……自分の平穏さえ維持して、紅院に退魔師として立派になってもらいたい。
最初はそう考えていた。
(……閻魔大王、か)
しかし村上は、その相手が『紅院』であること、判明したのが『閻魔大王』という立場であることに悩みの種が出来ていた。
帰ってすぐに色々と現代で伝わる本を読んだ、それは閻魔大王の仕事場として有名な『地獄』についてだった。
もしも、もしも万が一本当に紅院が白沢の言うような閻魔大王の家系の場合、紅院もそれを継ぐことになる場合、紅院が閻魔の後継者になるということだろうか。
正直なところ、村上は……紅院に閻魔になってほしくないと思っている。
才能がないとか退魔師の仕事を全うさせたいとかではなく、閻魔という仕事を紅院にやれるような人間になってほしくない、村上にしては珍しく理屈や理論ではなく感情論で考えていた。
閻魔大王のやることは大まかにイメージできる、地獄に落ちた魂の過去の出来事をきめ細かく確認し、その人の罪に応じて天国か地獄かどちらに送るか決める……そんな仕事という感じだ。
それはつまり人の選択肢を自らの意思で判断し切り捨て選択することになる、時には繊細にたまに曖昧に……村上は小さい頃にひよこ鑑定士の姿を見たことあるから分かる、大まかなノリとしてはアレと同じだ。
(紅院君にそういう選択が出来るだろうか? いや、俺が気にしてるのはそっちじゃない)
地獄に落ちて、毎日どれだけの魂を見る? 穢れた人生、醜い生涯、夢も希望もない人間の掃き溜め、悪意……そんな場所に紅院を放り込むことになる可能性が1%もあるなら、それは……多分嫌だった、どうしてそんな風に思うのか? それは単純だ。
人間の嫌なところなんて普通に考えて見たくもない、しかし世の中やりたくもない仕事をやってくれる人が居て成り立つものなので自分の我儘で閻魔大王というポジションに空きが出来てはいけない。
実に……実に悩ましい。
「紅院くん?」
こうして声をかけてくる紅院君が、ただの退魔師に憧れているだけの……普通、普通とは言い難いが、なんと言えばいいのだろう。
そうだ。
ただの村上の友達でいてくれたらよかったのに。
彼の姿を観ながらそう思った。
「紅院君、酒呑組の皆がヤドリガミ調査から戻ってくるみたいだけど上級退魔師になったって伝えたらパーティやるって言ってる」
「妖怪が退魔師の昇級を祝うの!? いや……Sランク妖怪からすれば確かにそんな知ったことでもないと思うけど……」
——
かくして、大江山にある酒呑組で今回は趣旨を変えて飲み会みたいなノリだった。
「やーやー、我らが紅院ちゃんが晴れて上級退魔師になったわけだね! これで戦力としても申し分ないことになるかな」
「はい、ありがとうございます……いや、まさか本来敵対する側である妖怪に祝ってもらうことになるとは……」
「うんうん、やっぱ退魔師ってのはこういうもんだよ、そこんとこ分かってんじゃない紅院ちゃん!」
「は、ははは……ありがとうございます……」
紅院の性格に適応しているとも捉えられそうなこの飲み会、いつもなら緊張でいっぱいに違いないが今日はかなり落ち着いているように見える。
むしろそれよりも周りの妖怪たちが紅院を見て驚愕してると言った方が正しいかもしれない。
酒呑童子も、白沢も、大江山四天王などの面々も……ほんの数日の間だけ離れていたにも関わらずすごく久しぶりに顔を見たように感じる、それだけ親しくなってしまったようだ。
しかしこの会には、村上の姿はない。
こういう場所に来ても空気を壊してしまうことに繋がるからと自ら退いており、実に冷静で自分を理解しているように見える。
酒呑童子もそこに関しては少しさみしいく思う気持ちがあるらしい、だからといって今彼を呼べない理由が、彼女自身の判断で招集をかけてきた酒呑組の大物を呼び寄せたのだ。
「よぅお嬢、紅院殿が上級退魔師になったんだってなァ……おっと失敬、乾杯はこれからかい?」
「あー、いらっしゃい八岐大蛇さん。乾杯はもう少し待っててくれない?」
「へいへい、頭が痛くなっちまうから酒はもうちょい控えるか……しっかしまさか紅院殿が本当にここまでやっちまうとはねェ」
『八岐大蛇』
「百鬼夜行」にも掛け持ちで所属する日本神話において名を馳せた妖怪の中の妖怪、神の末裔であり龍の原型でもありながら毒を持つ神話的大妖怪であり、実際酒呑組の中でも最高位を保有するほどの権力を有している、当然Sランクだ。
そんな大妖怪が紅院を認めたような発言をするので周りの妖怪達が騒ぎ始めた、まはか退魔師と妖怪が手を取り合い平和な世界が訪れようとしているのでは? などと期待を膨らませる声も聞こえてくるが、紅院はそれを否定する言葉が出てくる。
「もしかして貴方、村上君から何か頼まれていたのでは……酒呑組の付き合いも結構長いけど、初めて見るので」
「ほう、ちゃんと酒呑組のことを見ているようだな」
八岐大蛇は語り出す、実はちょっと前から村上に独自に調べてもらうように頼んでいた、てっきり掛け持ちしている『百鬼夜行』やぬらりひょんのことかと思えば意外なものだった。
……調べてほしいのは、百物語のことだという。
目的も正体も一切不明で、分かっていることは各地に張り巡らした情報網で怪情報や都市伝説を回収していることのみ。
そして……妖怪達の四大派閥の中で最も、村上が警戒していた組織だ。
「まず……百物語は旧・御三家の争奪戦には参加せず『都市伝説』を集めて回っている」
八岐大蛇は酒を飲もうと喉を鳴らすが、すぐ傍の酒呑童子から睨まれたのですぐに両手を挙げて諦めた、酔った状態で語られるのは困ると判断されたらしい。
「奴らは『今時の流行りもの』をネタにするもんじゃねェ、怪異や妖怪が『人の口で噂され』広まっていくもんなんだよ、言わば都市伝説と怪談、伝承は違う……もっと言えば都市伝説とネットミームの違いに近いかねェ?」
「すみません、都市伝説って言葉で例えられてもよく分からないんですが……」
「だろ? 昔の頃は怪談は怪談、楽しい話は楽しい話ってちゃんと分けられてたんだけど今はもう一緒くたになっちまってるんだよなぁ……と、そこはいい、あの人間が警戒することもあってとんでもねえやつの尻尾を掴めた」
八岐大蛇は語る、村上がこんな大物を使ってまで頼み込んだ百物語という組織の重要な情報……それは明らかに、ここにいる妖怪達にとっても脅威となるもの。
「白物語は孤軍奮闘、仲間と呼べるものは何一人としていない……つまり、そいつはたった1人で酒呑組や百鬼夜行に匹敵するほどの影響力を保持してるんだ」
「……酒呑童子さんや白沢さんの他に大江山四天王……百鬼夜行……ぬらりひょんさんに、八岐大蛇さん……そんな人たちを、1人で?」
「八岐大蛇さん、貴方に直接聞くのも申し分ない話ぇすが……私や酒呑様、その他Sランク妖怪を全員相手しても勝てる可能性のある者ですか?」
「例の村上はそいつの名前を聞いたら100%勝てるとは言い切れねえとまで言った、実態を聞いたから俺もおったまげたがな」
「あの伝説の龍がそこまで言うって……一体何者なんですか?」
「件(くだん)だ」
……その名前を聞いて、一瞬で空気が静まり返った。
件、半人半牛の姿であり……ランクはF、つまり最強どころか全く脅威と思われていないはずの妖怪。
それを村上がどんな妖怪よりも警戒しているが、白沢は気付く。
「なるほど、白物語を文字通り牛耳るのが件なら……私でも警戒は欠かしません」
「件(くだん)……ですか」
白沢の言葉に、大江山の居間に集まった妖怪たちがゴクリと息を飲んだ。
「件って……あの生まれたと思ったら数日で死んじゃうっていう、あの最弱の妖怪だったっけ?」
酒呑童子が首をかしげながら酒瓶を置いた。
「ええ。人面牛身、あるいは牛面人身の姿で生まれ、わずか数日の命を終える Fランクの弱小妖怪。戦闘能力はゼロ、攻撃性も皆無。しかし……奴らが死の間際に残す『予言』だけは、歴史上ただの一度として外れたことがありません」
八岐大蛇が重々しく頷き、巨大な体を揺らした。
「飢饉、大火、戦争、疫病……件が口を開けば、どれほどあり得ない惨劇であろうと必ず現実になる。歴史を動かしてきたのは、いつの時代も大妖怪の武力ではなく、奴ら件の一言だったのさ。百物語が怪談や都市伝説を世界中から集めているのは、その予言の『種』を仕入れるため……。奴が死の間際に『〇〇によって世界は滅ぶ』と一言呟けば、その瞬間、どんな大妖怪も抗えずに詰みだ」
「最弱にして、確定した未来を叩きつける絶対の処刑人……というわけですね」
白沢が溜め息をつく。Sランク妖怪たちが顔を見合わせ、場に重苦しい静寂が広がった。
「……ですが」
白沢はメガネの位置を正すと、静かに続けた。
「村上さんは、その話を聞いた上でこう仰っていました。『人間から見た妖怪の認識は、前提条件の定義から間違っている可能性もある』と……もしかすればの話になってしまいますが」
「……何?」
八岐大蛇が眉をひそめた。
◆
パーティが始まる数時間前……村上は八岐大蛇から聞いたことを白択も理解している。
盗聴していたから。
『件の予言は100%当たる……ですか』
電話越しに白沢から報告を受けた村上は、無機質な声を返していた。
『ええ。ですから、もし百物語の件が何か決定的な予言を口にすれば、我々酒呑組も無傷では……』
『白沢さん。確率統計学の基本を思い出してください』
村上のペンを走らせる音が受話器越しに響く。
『いかに強力な霊能力や予知能力であっても、未来の確定要素が100%一致し続けるなどという現象は、情報理論的にあり得ません。バタフライ効果や人間の主観的選択肢が存在する以上、確定していない未来には必ず揺らぎが生じるはずです』
『ですが、現に件の予言は外れたことがないのですよ……そうして伝わったことは結果が示しています』
『だからこそおかしいんです。予知(未来の観察)をしているだけなら、必ずどこかで外れやズレが生じる。にもかかわらず『的中率100%』が維持されている……。つまり、あの能力の本質は【予言】などではない、俺はそう推測してます』
村上はバインダーをパチンと閉じた。
『件の能力は、未来をあらかじめ言い当てているのではない。【自分の命という莫大なコストを消費し、望む未来へと世界を強制的に書き換えている(未来改変・決定権)】……そう仮定した方が、仕様として辻褄が合いますかと』
『な……っ!? 自らの死と引き換えに、未来を望み通りに改変している……!?』
『そう考えると。都市伝説や怪談を集めているのも、予言のネタ探しではないのでは? 人間たちの「思い込み」や「認知の集合体」をリソース(素材)として集め、件の死と掛け合わせることで【確定した現実】として世界に上書き出力するための前処理です。要するに、クラウドファンディングで集めたデータを使って、世界をバグらせる悪質なパッチプログラムを送信しているようなものですよ』
◆
「——と、分析されておりました」
白沢が説明を終えると、大江山の飲み場は、先ほどとは全く違う質の恐怖で静まり返った。
「未来を言い当てるんじゃなくて……望み通りの未来に『上書き』してる……!?」
酒呑童子が冷や汗を流す。
「……恐ろしいねぇ、おい?」
八岐大蛇が苦笑いを浮かべた。
「俺たちは『どんな凶事が出ても耐えられるか』を恐れていたが、あのクソガキは能力の仕様そのものを疑って構造を暴き出しやがった」
「で、では……もし件が『酒呑様や酒呑組が滅びる』と改変(予言)をかけたら、どう防げばいいのですか!?」
虎熊童子が怯えた声をあげる。
白沢はどこか遠い目をして、村上が提示した「対策案」を思い返していた。
『村上様にお尋ねしたのです。「もし相手が未来を強制上書きしてくるなら、どう対抗すればいいのか」と……。そうしたらあの男、なんと言ったと思いますか?』
「……なんて言ったんだい?」
酒呑童子が身を乗り出す。
『「簡単ですよ」と』
白沢は喉を鳴らした。
『「改変の実行条件が『件の死』と『認知の確定』であるなら、件が死ぬ前に『全従業員の無制限残業禁止協定』と『未来確定におけるコンプライアンス違反の審査請求』を突きつけ、合意形成を永遠に保留にさせればいい。契約の不備を突いて執行手続きを永久ループさせれば、未来の書き換えはエラーを起こしてフリーズします」』
「………………」
「………………」
大江山に集う妖怪たちの誰もが、言葉を失った。
「……あいつ、絶対悪魔か何かの生まれ変わりだろ」
八岐大蛇がポツリと漏らす。
「未来改変の絶対権力を持つ都市伝説の元締め相手に、契約書の不備と手続き遅延でバグらせて封印する気かい……!?」
酒呑童子が呆れ果てて大笑いし始めた。
世界の運命を揺るがす最恐の予言妖怪「件」。
そして、その絶対的な能力すらも「システムの不具合」として処理しようとする超・現実主義者の高校生、村上。
妖怪たちの思惑と、村上の冷酷なリスクマネジメントが交錯する中、百物語との暗闘はすでに始まっていた——。