大江山のアジト、重苦しい静寂が漂う大広間で、村上は巨大なホワイトボードの前に立っていた。 黒いスーツの袖をまくり上げ、ホワイトボードマーカーを走らせる。そこに描かれたのは、複雑に絡み合う妖怪社会の相関図と、明確な組織再編(M&A)のロードマップであった。 「——現状の戦力比率とリスクアセットを再計算したよ」 村上はバインダーを叩き、静かに集まった酒呑組の幹部たちを見回した。 「酒呑童子さんという絶対的な看板(トップタレント)を失った現在、この酒呑組および紅院軍の市場価値と防衛能力は著しく低下している。このまま百物語の『未来改変(バブル崩壊)』を迎滅・防衛しようとしても、マンパワー不足でジリ貧になるのは目に見えている」 「で、では村上様……一体どうすれば……!?」 星熊童子が震える声で尋ねる。 「簡単な話だ。自社のリソースが足りないなら、外部の競合他社を吸収合併(TOB)し、巨大なグループホールディングスを構築すればいい」 「……は? 吸収合併……!?」 「そう。具体的には、百物語を除く『妖怪四大派閥』の残りすべてを我が傘下に収め、大規模なアライアンス(同盟)を急造するんだ。一極集中的なシェアを獲得することで、件(くだん)が書き換えようとする『認知の流動性』を力づくで差し押さえる」 あまりにも突拍子もない、だが狂気的なまでにロジカルな提案に、室内が静まり返った。 白沢が静かに一歩前へ出る。 「四大派閥の併呑……言うのは易しですが、相手は数百年にわたり独立を保ってきた大妖怪たちです。どこから手を付けるおつもりで?」 「一番『コスト』と『ハードル』が低いところからだ。狙うのは——『百鬼夜行』」 村上はホワイトボードの『百鬼夜行』という文字に赤ペンで大きく丸をつけた。 「幸いなことに、俺たちには強力なコネクションがある。……そこにいる八岐大蛇(ヤマタノオロチ)さんだ」 壁際で気まずそうに酒を飲んでいた巨漢の妖怪——八岐大蛇が、ビクッと肩を揺らした。 「お、俺か!? 俺はただ……暇つぶしに酒呑組と百鬼夜行の『二刀流(Wワーク)』で籍を置いてるだけで……まあ、おめぇからすりゃそうも言ってらんねえ状況だし……そんで?俺は何をすりゃいい?」 「兼業・副業ガイドラインに則れば、あなたは両陣営の内部事情に通じている唯一の『ブリッジ人材』だ」 村上はメガネの奥の瞳を冷たく光らせた。「インサイダー情報を悪用するつもりはないが、あなたの仲介で百鬼夜行のトップ……『ぬらりひょん』との直接交渉(トップ会談)のセッティングをお願いしたい」 白沢は眉をひそめ、声のトーンを落として村上に近づいた。 「……村上様、お言葉ですが、ぬらりひょんは一筋縄ではいかない男です。古来より『客の家に勝手に上がり込み、茶を飲んで煙に巻く』とされる怪異の総将……」 「彼は貴方にとって危険な存在です、飄々として、不気味で、損得で動く……貴方が最も嫌う性格です」 白沢の懸念はもっともだった。論理や規律を重んじる村上にとって、掴みどころがなく、己の損得と気まぐれだけで他人の領域を侵すぬらりひょんは、最も相性の悪い「不確定要素の塊」だった、何より白沢の言い方からして人を騙して利益を得るような弱者の蜜を啜るような男なのだろう。 だが、村上の表情は微動だにしない。 「分かってるよ白沢さん、でもそれは件も同じだ……奴だって実態は詐欺師みたいなものだ、なのに当の本人は寿命で勝ち逃げだ……俺自身、怒りの振りどころが見つからない虚しい相手なんだよ」 村上の手の中で、バインダーの角が硬い音を立てた。 大切な存在を不条理に奪い去り、自身は歴史の裏へ逃げおおせた「件」という存在。その理不尽に対する冷ややかな憤怒が、村上の胸底で静かに、だが熾烈に燃えていた。 「だから、どんな手を使っても阻止するんだ」 村上のその一言に込められた絶対的な決意に、白沢は深く首を垂れた。 「……承知いたしました。八岐大蛇、すぐに連絡を取りなさい。応じぬ場合は、貴方は副業分の給与口座を凍結しますよ」 「こんな状況じゃなかったら労基署に通報するぞテメえら!」「俺達の労基署ってどんな奴らなのかな……」 八岐大蛇の叫び声が虚しく響いた。 ◆ その日の夜。理念市の旧市街地に佇む古びた料亭の畳部屋。八岐大蛇の手引きによって用意された秘匿会談の場には、異様な空気が満ちていた。部屋の最奥、上座の座布団の上に、ひょろりとした老人が座っていた。大きな後頭部、和服を崩し、呑気にキセルを燻らせながら、勝手に出された高級な茶を啜っている。妖怪四大派閥の一角『百鬼夜行』の総将——ぬらりひょんである。 「ほっほっほ……酒呑童子が死んで、どうなることかと思えば……まさか、こんな人間の青二才が酒呑組の代表面をして現れるとはのう、酔狂な奴に惚れたとは聞いたが実に愉快」 ぬらりひょんは薄い目をさらに細め、煙草の煙を村上に向けて吐き出した。 「噂の『村上』とやら。酒呑の娘はいなくなって寂しかろう? だがの、損得で動くのが妖怪の世というものじゃ。看板を失ったくだらぬ酒呑組に、もはや我が『百鬼夜行』と対等に口を利く価値などない。この部屋の茶代くらいは払ってやるから、おとなしく去ぬがよい」 飄々とした態度、人を食ったような笑み、そして圧倒的な「無価値判定」。並の人間や退魔師であれば、その得体の知れない圧力に気圧されるか、不快感で感情的になるところだ。だが、村上は静かに鞄からメガホンではなく、1冊の分厚い『経営統合説明書(決算書模造データ付き)』を取り出し、畳の上に滑らせた。 「ぬらりひょんさん。まず第一に、あなたが今着席されている上座および飲まれているお茶は、当方が事前に予約・決済を完了しているプライベート空間および備品です。無許可での立ち入りおよび無償での飲食は、刑法第235条『不法占有および窃盗』、ならびに『住居侵入罪』に該当します」 「……は?」 ぬらりひょんのキセルを吸う手が止まった。 「第二に、『損得で動く』とおっしゃいましたね。では、完全な定量的データに基づいて、あなた方『百鬼夜行』が直面している致命的な経営危機(破滅リスク)について俺が集めたデータをもとにプレゼンテーションさせていただきます」 村上はメガネを押し上げ、冷酷なスピードで口を開いた。 「現在、百物語および件が進行させている『世界改変(未来の上書き)』のシステムですが、これは既存の認知リソースをすべて回収し、件が用意した新しい世界線へと総入れ替えするパッチ処理です。このプロセスが完了した場合、市場に存在するすべての『怪異の認知度』は強制的にリセットされます」 「……何が言いたい、小僧」 「簡単な算数です。百物語の改変が成功した場合、酒呑童子という巨大ブランドが消滅した今、世界で最も『認知度が低く、実体(機能)が不明瞭な妖怪』は誰だと思いますか?」 村上はビシッと、ぬらりひょんの大きな頭を指さした。 「あなたです。人間の認知において『勝手に他人の家に入り込んで茶を飲むだけのおじいさん』という極めて薄味なコンセプトしか持たないあなたは、百物語のシステムにおいて『冗長なデータ(コスト)』と判断され、一番最初にメモリから消去(永久削除)されます」 「な……ッ! 個人的な誹謗中傷じゃろうがそれは!!」 ぬらりひょんの顔が引きつる。 「誹謗中傷ではありません。単なるリスク評価です」 村上はバインダーのページをめくり、追い打ちをかける。 「さらに、あなた方の組織『百鬼夜行』は、所属妖怪に対する労務管理が極めてズサンです。現に、そこにいる八岐大蛇さんは我が酒呑組とのダブルワークを行っていますが、あなた方の組織からは社会保険の適用も無ければ、残業手当すら支払われていない。これらは現代のコンプライアンス基準において即座に業務停止命令が下るレベルのブラック環境です」 「な、なにを……ワシらは妖怪じゃぞ!? コンプライアンスなど……!」 「社会規範を無視した組織から順に、件の未来改変というコンプライアンス(淘汰)によって消滅していくのです。……ですが、救済措置はあります」 村上は一枚の契約書をぬらりひょんの前に突きつけた。 「我が『紅院軍・酒呑組ホールディングス』へ株式交換による完全子会社化(傘下入り)を受け入れてください。グループ傘下に入れば、我が方の保有する広大な労働環境改善スキーム、有給休暇制度、ならびに退魔師協会から毟り取った『危険手当200%増し』の予算枠を百鬼夜行の構成員にも分配します。これにより、件のデータ消去対象から除外され、存続が保証されます」 「な……子会社化じゃと!? このワシが、人間のガキの下につけと言うのか!?」 「嫌なら結構です。数日後、件のシステムが起動した瞬間、あなたは『ただの不法侵入のおじいさん』として存在を抹消され、歴史から姿を消すだけですので。損と得、どちらが大きいかは……計算するまでもないでしょう?」 村上は冷徹な眼光で、ぬらりひょんの目を直視した。そこには一切の揺らぎも、妥協もない。身も蓋もない現実と、逃げ場のない「超・損得勘定」の提示。ぬらりひょんは冷や汗を流しながら、目の前の高校生を見つめた。 (こ……こいつ、妖怪より不味くて、不気味で、えげつない……! 損得で動くワシの性格を完全に逆手に取りおった……!) 「……クッ」ぬらりひょんはキセルを畳に叩きつけ、絞り出すような声で言った。「……条件を……見せい。残業代と……社会保険の保障内容を……!」 「賢明なご判断です」 村上は素早くボールペンを差し出した。「では、こちらに署名と捺印を。これで『百鬼夜行』の買収(M&A)は完了です」傍らで見守っていた白沢が、驚愕のあまり目を見開いていた。あの飄々として掴みどころのなかった大妖怪・ぬらりひょんが、村上の圧倒的なロジハラと利害誘導によって、わずか十分足らずで下軍に組み込まれてしまったのだ。「……見事です、村上様」 白沢が低く呟く。 「まだだ、白沢さん。これで四大派閥の二つ(酒呑組・百鬼夜行)を抑えたに過ぎない」村上は契約書をバインダーに収めると、静かに窓の外の夜空を見上げた。「残る派閥も迅速に買収し、理念市全域に巨大な防衛網を構築する。……そして、この圧倒的な組織力を以て、件の予言を叩き潰し……あのバカ(紅院君)を連れ戻す」白沢のメガネが、夜の闇の中でキリリと冷たく光った。「待てい、小僧」 しかし、ぬらりひょんという大妖怪がただの小僧に言いたい放題言われて黙っているほど甘い妖怪でもない。 すぐに調子を整えてパチンと小拍子を鳴らす。「お前さんの言うとおり『件』が百物語を牛耳っているのは受け入れよう、奴は儂から見ても相当な食わせ物……ただし、ただしじゃ、貴様奴をどこまで買いかぶっている?根拠は?奴がそれだけのことを出来るという証明は出来るのか?」 ぬらりひょんは見逃さなかった。 件は確かに世間でも災害を絶対に言い当てる予言者として知られていることは知っているが、その能力は実は未来を予測しているのではなく、自分好みの未来を作り出しているというのはあくまで……現状は村上の想像に過ぎない、あまりにも自分に都合が良い流れからの下りというエコーチェンバー現象がそう錯覚させているのではないか?ぬらりひょんはそう踏んでいた。「儂を入れるからには形あるものとして今回のように証明できるのだろうな、史上最弱の妖怪、件の真なる狂気と尋常ならぬ悪意の力を!」「……ええ、約束しましょう。」 正直なところ村上もここはまだ見込みがない、だが首を振るしかない。 百鬼夜行という組織を協力するためなら……その為のリスクは惜しむわけにはいかないのだから。——「と、いうことで百鬼夜行との合併は終わったが……まだ問題は残ってるよね」「ええ、残った妖怪四大派閥は……八尺様率いる二百四拾族ですからね」 厄介なのがこの二百四拾族、完全に一直線に突き進む暴力型の暴走族であるこの組織は百鬼夜行や酒呑組にやったようなデータや理論、口車なんて全く効くわけもない。 紅院がいれば八尺様以外はなんとかなかったかもしれないが……贅沢なことは言えない、つまりこっちを合併するなら完全に実力で酒呑組より下だと屈服させる他ないのだ。 つまり今回の場合、酒呑組の妖怪や鬼を使った総力戦となる。「どうさなれるつもりなのですか?」「まあ、俺の大怪我は避けられないよね、最悪死ぬから救急車を前もって手配してほしいかな」「……貴方、自分が何を言っているのか分かっているのですか?ただの人間が!!何の修行もしてない貴方が妖怪に喧嘩を売ると!?」「もちろん勝てるとは思ってない……消耗戦だよ」 大人数の戦いは戦力の消費が分け目となる、そこで村上が単身で挑みに行って少しでも疲労させて落とす……そんな、当たって砕けろな合理性も何もないものだった。「……まさか貴方がそんならしくない手を取るなんて思いませんでしたよ」「ああ、俺もそう思う……けどなんか、これしかないんだよなあって思っちゃったんだ」 しかし次の問題はどうやって二百四拾族に遭遇するのか、百鬼夜行の時と違ってコネもなくアテもない。 しかし村上には考えがあった。「二百四拾族を誘うために妖怪学園を落とします」 二百四拾族のメンバーには妖怪学園四天王も含まれている、ケンタウロスの一件で攻めてきたのもあり……そこから引っ張り出すことは容易なはずだ、彼らがプライドを特に重視して舐められないようにしていることも見てきた。 だったら先に妖怪学園の方も落として掌握してしまえばいい、こちらに行っておけば自然と二百四拾族にも行き着くわけだ。……そして間もなくのことだ、酒呑組に乱入してくるように一つの影が乗り込んでくる。それはなんというか……奇妙だ、一番妖怪らしくない見た目だが強い霊気を感じる、とはいえどSランクの白沢よりは劣る……間違いなくそれは、妖怪学園四天王だった。 ただし……村上どころか白沢ですら見たこともない造形をしていた、たとえるならゆるキャラのような、真っ白なイルカのような……奇妙な姿をしていた。 こんな妖怪が存在するのか?インキュバスやケンタウロスも妖怪なので今更ではある話だが。「あれ何かわかります?」「いえ、私も妖怪学園には目を通してますがああいうのは……」「これはこの通り、ドラゴンだけど?」 そのイルカは自分を『ドラゴン』と名乗った、何がこの通りなのかさっぱりわからないが、とにかく自分はドラゴンらしい。 ドラゴンというと、あの有名な西洋生物の頂点にして幻想界の王、グレンデルやロックドラゴン、ワイバーンなどが有名だが、なんにせよ、それら全てに共通しているのは……『ドラゴン』ということだ、妖怪四天王にはふさわしい肩書きだが、こんな真っ白いイルカのような見た目ではない。「……あの、すいません」村上は疑問が抑えられず、白沢の制止を聞かずに挙手する。「何かな?」「どうしてドラゴンなのにゆるキャラみたいな見た目になってるんですか?」ドラゴンは当然のように呆気にとられ、そして村上の発言に不敵な笑みを浮かべる。「お前本物のドラゴン見たことあんの?」「確かに……」「えっ今ので納得するんですか!?」「俺はそういう別次元の領域に踏み込んだことがないから……本物を見たことがない以上ドラゴンかどうかを否定できない…」「ロジカル人間ならではの発想……今までこんな妖怪に会わなかったのが奇跡的すぎる……」しかしすぐに村上は調子を立て直して豆電球が光る。「あっ、でも……ティラノサウルスってあるじゃないですか」「おう、あの強い肉食恐竜な、恐竜界の俺」「最近の見解だとティラノサウルスの実際の姿は羽毛まみれのフサフサ姿という一説もあるけど……実際のティラノサウルスが毛まみれだったら嫌じゃない?」「確かに…!」「そっちも!?」意外に思い切りの良いドラゴンに白沢は引いている、村上はその調子を維持したまま勢いで続ける。「だから……貴方の言うことは分かりました、この際だから貴方に言いますと妖怪学園を占領させてもらおうかと」「……お前人間だな?随分と堂々としているなら何か考えがあるっぽいな?俺としては酒呑童子が亡くなったんで香典を送りにきたが、何が起きた?」◆「へぇ……妖怪派閥の合併、残すは二百四拾族か……俺はそっちには所属してないが、本気なのか」「件の未来改変に対抗するには、全ての妖怪の力が必要になるかもしれない」「百鬼夜行のあの狸爺を丸め込んだのが嘘じゃないと分かったときにはそれだけただことじゃないと心底ビビったぜ?」 酒呑組のアジト。その円卓に、村上と白沢、そしてドラゴンの三名が向かい合っていた。 ドラゴンは長机の上に鎮座している、サイズはコンパクトだが、ゆるキャラのような愛嬌あるフォルムの隙間から覗く霊気は明らかに只者ではない。「いや、正直言うとですね、あの爺さんは俺を馬鹿にしてくるところが余計でしたよ。酒呑組はともかく百鬼夜行の方が時代遅れですよ…まあ、今は手を貸してくれるならなんでもいいけど」 村上は苦虫を噛み潰したような顔をする。「俺達が紅院の為にやってきたのは結果的には無駄骨でした、こうなっなら妖怪の皆は妖怪は妖怪同士、退魔師は退魔師でそれぞれ生きるべきだと考えている。それでも世界は違うんだと理解しようとしない……」「だからこそ全員頼ったってわけか、まぁ俺も実を言えば百鬼夜行の奴らは嫌いだしな……あいつら頭固えし……妖怪はこうあるべきだとか伝統とか言い出しては学校にも滅多に顔見せねえし貢献しねえ、時代と一緒には変わってくれない」 ドラゴンの口調には、どこか諦念と同時に、長年煮詰まった苛立ちが滲んでいる。「二百四拾族の奴らに口勝負が通用しないってのは俺も同じ考えだ、それにお前見た感じ喧嘩もやったことなさそうだし、今のままじゃ口を利くどころか相手もさせてもらえない……ああなるほど、妖怪学園を狙ったのはそういうことでもあるのか」ドラゴンは何かに気づくと、小包を空けて村上に差し出す……そこには一本の刀が……。「ま、まさかそれは!!」「おう、ヤドリガミにして妖怪学園校長…妖刀・正大だ。」