彼の名前は蒼介、退魔師学校で優秀な成績を持って容姿鍛錬で教師からも信頼されている期待のエースである。
「蒼介のやつ今度は『ろくろ首』の封印に成功したらしいぞ……」
「ろくろ首っていえばAランク規模の妖怪じゃねえか……まだ学生なのにそんなランクの高い妖怪を単身で……」
校舎の廊下では、今日も蒼介を称賛する声が飛び交っていた。文武両道、容姿端麗、教師からの信頼も厚い彼は、周囲から「将来の退魔師界を背負う天才エース」と期待の眼差しを向けられている。
だが、当の本人はそんな名誉にも周囲の騒ぎにも一切興味を示さなかった。彼を動かしているのは、日本を守るという崇高な使命感でも、戦いの快感でもない。
(ろくろ首か……江戸時代基準だとあれで顔が良い方かもしれないけど、能面みたいな顔してたな……)
蒼介の頭の中は、全人類が知る由もない煩悩の塊だった。
彼の本当の目的は、優秀な成績で退魔師学校を卒業し、鍛え上げた圧倒的な実力で妖怪に襲われた可憐な美少女を救い出し、そのまま運命の恋へと持ち込むこと。これまで彼が封印してきた妖怪がことごとく高ランクの女性型ばかりだったのは、単に「ワンチャン美人の妖怪か、被害者の美少女がいないか」と下心全開で選定していたからに過ぎない。
しかし、蒼介には切実な悩みがあった。計画通り実力ばかりがめきめきと伸び、校内での有名度ばかりが上がっていくのに、肝心の「助けたくなるような理想の女性」に一度も出会えていないのだ。都合よく美少女ばかりが妖怪に狙われるわけでもなく、焦りばかりが募っていく。
今度の任務こそは……そう思いながら、裏に回って封印したろくろ首の札を保管するため体育倉庫へ向かった、ある日の放課後のことだった。
「キャッ!」
薄暗い倉庫の奥で、小さく可憐な悲鳴が上がった。そこでは、一人の生徒が衣服を整えている最中だった。
(ウッ……!!)
その瞬間、蒼介の脳に激しい雷が落ちた。
夕日に照らされたうなじから背中にかけての可憐なライン。不意の訪問者に驚いて振り返ったその顔立ちは、透き通るような肌と儚げな瞳を宿し、まるで一枚の美しい絵画のようだった。
(な、なんだこの可憐な生き物は……!? 盲点だった、退魔師学校にこんな素晴らしい女の子が隠れていたなんて……!)
蒼介の退魔師人生に、ついに眩しい春が訪れた。
それ以来、蒼介は彼女──紅院という生徒を徹底的にマークし始めた。
調べてみれば、紅院の成績は振るわず、退魔師ランキングは970位という最下位に近い見習い。怯えやすく頼りない雰囲気は、まさに蒼介が追い求めていた「危機に直面して自分を必要としてくれる理想のヒロイン」そのものだった。
紅院の隣には、霊能力を一切持たない『村上』という冴えない男の友人がいつも一緒にいたが、蒼介は歯顧みもしなかった。一般人の男など、いざ本物の妖怪が出現すれば腰を抜かして逃げ出すだけの存在。自分が颯爽と現れて妖怪を一撃で退治すれば、吊り橋効果も相まってイチコロに違いない。
校舎の陰から紅院の華奢な後ろ姿を見つめ、「僕のヒーロー……!」と潤んだ瞳で抱きつかれる未来を妄想しては、鼻血を堪えて不敵な笑みを浮かべる蒼介。
しかし、恋に狂った天才エースは、致命的なまでの大誤算にまだ気づいていなかった。
自分が「運命の美少女」だと信じて疑わない紅院が、顔こそ可愛いが普通に男であるという事実に──。
*
そして、ストーカーみたいな目線を向けられていることなど知らない紅院達は今回も任務にあたっていた。
村上としては紅院を……全ての妖怪を封印出来るようにするために、やることとしてはもう妖怪を手あたり次第……とはいかないのが紅院の今の実力だ。
「俺、紅院君が通ってる退魔師学校の事はよく知らないけどどういう退魔師が強いとかあるの?」
「そうだね……学校内で今話題なのは蒼介さんだよ、とても強くて顔もよくて欠点なんて何一つ見えないすごい人……だけど」
「だけど?」
「……なんて言うのかな、すごく妙なんだ、この間着替えてる時にばったり遭遇してから蒼介さんによく会うことが多くて……?」
「鎌鼬を倒して目を付けられたとか」
「ありえそう……僕でも封印出来た事が奇跡みたいに思うけど、あれ本当に危なかったからね……後から調べてみればBランクだったし」
「妖怪にもゲームみたいなランクがあるんだ」
聞いたところによると、退魔師学校の独断で組んだ妖怪のランクがあり、妖怪の情報は専用のネットワークで共有されている。
もちろん鎌鼬の『ランクB』というのはめちゃくちゃ高い、紅院のランキングや実欲を考えればとてもありえないくらいの実力者だったわけである、これより上のランクAとかになるとプロ顔負けの天才しか相手できない。
なので紅院も今回は慎重にランクFとかその辺りを狙っている、ここから目指すのはランキング上位しかなれない上級退魔師だ。
「何位からなれるのそれ」
「10位から……つまりまだ970位の僕からすれば夢のまた夢だよ」
「でも諦めなければなれるわけで……あっ、じゃあさっき言ってた蒼介って人は上級?」
「28位くらいだよ、でもあの人はとんとん拍子でランキングが上がっていくから本当に上級になってしまうかも、憧れるなぁ……」
これまでの発言も、気配を隠して後ろから聞いていた蒼介、彼自身も上級退魔師は目指している。
女性にアピールするなら立場は凄いほうがよっぽどいい、そして絶好のチャンスの方から迫ろうとしている。
(そうだな……俺はすぐに上級退魔師になろう、そして紅院が追い詰められた時に颯爽と登場して格好良く妖怪を退治する)
(その後は……まぁ、考えてないけどとりあえず付き合いたいな)
とんでもない妄想にふけってしまい、このまま彼は紅院をターゲットにストーキングを続けていた、退魔師のエースの未来は色んな意味で明るいようだ。
*
そうして捜索をしていた紅院だったが突如として立ち止まり村上の肩を掴んで止める。
「待って……この辺り、調べてみたらDランクの妖怪がいるみたい、しつこいようだけどDでも僕にとっては脅威だからね」
たまたま棚ぼたで鎌鼬がなんとかなっただけで紅院の素の実力はFでも封印し損ねることが多い、だが今は鎌鼬との戦いで何かを感じ取っているのだろうか。
「それでも勝てるって思わないと、上級退魔師を目指すからには……戦わないとね」
そうやって意気込んでいる最中、電柱の隠れながら二人を覗いている蒼介は、
(Dランクか……うん、そこそこに強いが紅院のランキングでは不安も強い、準備くらいはしておこう)
と考えていた、村上に至っては全く眼中に無いというかまずそこまで目が行っていないというのが正しい、何故なら最初から彼を助ける対象にしていないので。
妖怪を見つけたら紅院を救出してかっこよく即退治が基本で、一般人の村上を護衛対象にするということは視野にも無かった。
「よし……こっちに向かってきてる……!」
紅院と村上が同時に前を向くと、そこには巨大な灰色の牛のような妖が地面を踏み鳴らしながら突進してくる姿があった……その手には……なぜか、枕が握られている。
蒼介はその妖怪がなんなのかすぐに分かった。
(……なるほど、『枕返し』か、確かに紅院にとっては厄介な相手になる、だが俺なら2秒で封印できる、待っていろ紅院!)
まだ恐怖はあるのか、紅院は今でも村上にくっついてしまう、自信をつけなくてはいけないと思っても相手は妖怪だ。
「あれは枕返しだよ……寝ている人の枕や布団の向きをひっくり返す妖怪なんだ」
「怖い要素1ミリも無くない? シム型ゲームで配置移動するみたいなたまにあるやつじゃん」
村上じゃなくても『枕返しって別にやることそんなに怖くなくない?』ってツッコミが飛んできてもおかしくないが、そこは枕返しの認識の甘いところ……紅院も蒼介もたかが枕を返すだけの存在に対して警戒を緩めていないのが何よりの証拠だ。
「確かに……枕返しは普通に聞く限りだと枕とかを動かすだけの変な妖怪と思うかもしれない……けどね、枕返しのもう一つの恐ろしさがある、それは——」
和歌山の枕返し、これは少し勝手が違う。
八人の樵(きこり)たちが、一日かかっても切れないほどのこの大木を切ろうと鋸を引くが、中ほどまで切っても翌日には元通りになるという怪現象がおこり、これが精霊たちによっておがくずで塞いで元通りにしていたと知る。そこで樵たちは、おがくずを燃やして精霊たちが大木の修復を出来ないようにして、伐採を完了させた。
するとその日の晩、精霊たちが樵たちの枕元に現れ、彼らの枕を次々にひっくり返していったという。翌朝、枕を返された樵たちは全員亡くなっていた……。
「その話は全面的に木こりが悪いからビビってもしょうがなくない?」
「いや確かにそれはそうなんだけど……」
この話の本質は、枕とは、睡眠とはという部分。
昔の時代は、睡眠中は「魂が体から抜け出して旅をする時間」と考えられており、枕は魂の倉に例えられていた。その枕や体の向きを変えられることは、魂の道筋を狂わせる不気味な現象という。
つまり、枕の位置を返されるだけで魂は帰還できなくなり、最悪の場合死ぬという。
「そう、そこから枕返しは恐ろしい存在になって、死だけじゃなく病気や不幸、場合によっては祟りまでも起こす存在として知られてる……!」
「つまりまとめると、寝てる時に枕投げやりまくって変な方向に回ったら地獄行きってこと?」
「そ、そうだね……」
「枕投げ禁止令どころか枕をベッドの外に置くのも厳禁……? というか、寝相悪い人はそれだけで致命傷じゃん……」
枕投げなどやる前に布団が干されたり寝る時の枕がなくなっていたりする時点で、『あっ、これは枕投げやろうとしたやつのせいだな』ってなるのが小学生だ。
当然枕返しは現代基準での枕投げなんて知ったこっちゃない、とにかく枕の位置がずれたりなんかしたら「えっ、こいつら命とか色々失ってもいいのか?」となるだけである。
「だから寝るときは注意しないといけない、寝てる時だけでも僕の力が通じればいいんだけど……」
「えっと、そういうのがあるから枕返しは危険って事?」
「……危険といえば危険かな、僕も詳しくは知らないけど危険なことは間違いないし……」
「じゃあ俺達って普通に起きてるし寝る時間には程遠くて今は大したことなくない?」
現在午後18時、まだまだ睡眠を取るには遠い時間だ。
その発言が終わったと同時くらいだろうか、突然枕返しが消える。
「逃げたのかな……」
「いや……どこかに潜んだかもしれない、寝る時間になったら襲ってくるかも……」
「じゃあ寝ないで封印すれば解決だね」
「……いや、実はそう簡単に行かないんだ、夜ふかしするわけにもいかない」
紅院は一呼吸置いて続けた。
「枕返しは睡眠に関わる妖怪……夜が近づけば近づくほどその力は増す、眠気を操る幻術も使えると言われている。今は何ともないだろうけど、少し時間が経てば──」
その言葉を最後まで言い終わる前に、村上の足元がふらつき始める。頭の中に柔らかい羽毛が詰め込まれたような、抗いがたい強烈な眠気が襲ってきたのだ。
「えっ、物理的に寝かせてくるタイプ?」
「村上くん! しっかりして!」
慌てて揺さぶるが、村上は砂のように崩れ落ちていく。いくら非常識な妖怪といえど、ここまで即効性のある眠気を撒き散らすとは紅院も想定外だった。
(しまった……! 昼間とはいえ、ランクDの妖怪は伊達じゃない……!)
だが狼狽している暇はない、すぐに封印しなくては……といっても、枕返しの霊気はどんどん強くなっていく、このままでは村上以上に自分も危ない……。
……その時だった、紅院の元に助けが……。
しかしそれは蒼介ではない、蒼介はまだ紅院のピンチの時を待っていた。
紅院の救世主となりそうだったのは……。
「おい、おい退魔師のクソガキ、この俺を封印しておいて何を俺以下のランクの奴にいいようにされてるんだよ」
「えっ……鎌鼬!?」
札に封印した鎌鼬が話しかけてきた、村上との論破で霊気を失ってマスコットみたいな見た目で封印された鎌鼬だが、それでも紅院の霊力では封印しきれず破ることは出来ずとも札から出るくらいには自由を確保している……、つまり。
「あぁそうさ、どうせ破れねえから……俺を使ってみろよ、今度はてめぇの手駒としてな……! だが頃合いを見て首を掻っ切ってやれることも忘れるなよ!」
「うん、ありがとう鎌鼬……!」
紅院の最大の力は、鎌鼬という仲間が加わった。
*
一方その頃、蒼介はスマホをポチポチと弄って退魔師ネットから妖怪の様子を調べていた。
『枕返し ランクD』
「ランクDか……紅院にはちょっと厳しめか、ここはいよいよ助けに行くときかな」
蒼介は、自分の目当ての紅院は助けようとしている。
しかし、すぐそばに村上がどういう状態になっているのかまったく気に掛けていないのと同様に、鎌鼬が加わっていることも蒼介は気付いていない。
「よし、いい頃合いかな」
鎌鼬が加わっているという事を知らずに助けようと向かっている事も村上がぐっすりと眠っていて危機的状況だと思っている事も蒼介は全部勘違いだ。
だがそれを訂正してくれる者は誰もいない、そもそもそんなことが起こっていることに彼は気付いてすらいないから。
そうして走り出した先には、紅院の近くには眠らせられたままの村上がいる……ここにきてようやく紅院のそばに誰か居たよな? って認識になる。
(こいつそういえばずっと紅院のそばにいたよな……何者だ? 退魔師学校の制服じゃないが……)
普通の人が紅院は退魔師学校に行っていることを知らないように、退魔師達は紅院が普通の学校に通ってることを知らない、そもそも2校を掛け持ちなんて出来るわけないと思ってるのだから常識的な思考だ。
なので蒼介は村上を見ても『ただの一般人』という認識であり、ましてや友達なんて想定してなかった。
しかしこのときの蒼介は違った。
(……まさか紅院の彼氏ッ!?)
恋は盲目、だが紅院の男の友達と認識されなかったことは完全に蒼介の自業自得だ。
(だとしたらややこしい事になりそうだ……とりあえず後回しにしよう)
そうやって、蒼介は村上を後回しにする。
それよりも紅院への救助の方が遥かに大事なのだろう。
「紅院……今助ける……!」
そうして、彼はついに姿を現す──!
「枕返しッ!! 覚悟しろッッ!!」
そして、姿を見せたのと同時に全力で攻撃をする……が。
「うおおお! 封印!」
……何処からともなく飛んできた鎌鼬が斬撃で枕返しを拘束し、紅院の力で封印の札を貼る。
こうして、枕返しは封印された。
「え……?」
あまりに想定外な光景に、蒼介は文字通り唖然とするしかなかった。
(な……なんでBランクの鎌鼬がここに居る……? しかも紅院と共闘して封印してしまった……?)
絶句しながらも思考を巡らせつつ、蒼介は目の前の二人に歩み寄っていく、まるで騒ぎを聞きつけてたまたま足を運んだ一般的な退魔師のように。
「おい……紅院? これは何の騒ぎ?」
「えっ……あっ、蒼介さん!? もしかして枕返しを封印するために……」
「ん? ああ……まあ、そんなところだが今のは一体」
「前に封印した鎌鼬が力を貸してくれて……あっ、それより!!」
紅院は周りの様子を確認する、枕返しが予想外の力を使ってきた……村上の様子はおかしかった。
枕返しが封印されてもぴくりとも反応しない……村上がずっと倒れている。
「お、起きない……村上くんが!? ああああ僕はまた村上くんをこんな目に!! ちゃんとさっきの話で般若心経を唱えてた人は信心深いとして助かったってところまで言わなかったから!!」
「だからって今唱えんなよ! トドメさしてるみたいになってるじゃねえか成仏すんぞ!!」
パニクっている紅院と当たり前のようにツッコミに入ってる鎌鼬、完全に横になっている村上、それを見ている蒼介。
こんな時、彼は冷静に状況を推測していた。
(なるほど、この男……不意打ちで魂を抜かれているな、普通なら助からない、このまま死へと一直線だ)
(俺がここにいなければ)
蒼介はなんの躊躇いもなく村上の腹をぐっと踏むと村上の目が開く。
「村上君!?」
「足どけてください」
「…………なるほど、お前は村上というのか、単刀直入に聞くがお前は紅院とどういう関係だ?」
「え? いやそんなことより俺のお腹から足どけてくれませんか? 重いんですけど……」
「俺の質問に答えろ、退魔師・蒼介として貸しを作ったんだから」
「足どけろって言うのが聞こえないんですか?」
「ちょ……ちょっと助かったんだから二人ともやめて!!」
紅院が止めてようやく蒼介が離れて村上も起き上がれる……蒼介はこの男に妙なものを感じていた。
確かに感覚としては魂が抜けていた、しかしあの反応はまるでちょっとした仮眠のようにも見えた……そしてその割には枕返しの不意打ちを受けた、未知数だ。
「ああ……蒼介さん、さっき紅院君が言ってた……それで答えるなら俺は紅院君の友達ですよ」
「でも俺は、俺と一緒に紅院君を退魔師の頂点にすることは諦めない」
村上の言葉に蒼介の心も揺らいだが……反応は止まらない。
「そうか、ならこの貸しは必ず返せ……覚えておけ村上、いつか紅院の隣に立つのはこの俺だ! お前を超えて俺が紅院を手に入れてみせる!」
結局その日、蒼介は紅院の前にかっこよく救出して惚れさせることは出来なかった。
しかし彼は諦めない、ようやく手に入れた初恋の感情は彼の原動力となって……突き進む、彼はなんとしても紅院を手に入れるつもりだろう。
(あ、あの人……なんで僕のことそんなに期待を寄せているんだろう、月とスッポンくらいには差があるのに……)
紅院本人は知る由もない、まさか女と勘違いされて気に入られてるなんて。
ちなみにその後、蒼介はずっと紅院をストーカーしてたこと、枕返しの一件を一般人の一大事が起きていたにも関わらず黙って見過ごしていただけなのが問題視されて退魔師ランキングが45位に落ちた。