大江山のアジト、巨大な大広間は、今やかつてない熱気と重苦しい静寂が同居する異様な光景に包まれていた。酒呑組の幹部たち、新しく傘下に加わった『百鬼夜行』のぬらりひょん、正装の白い帽子とワンピースを纏った『二百四拾族』の総長・八尺様、そして妖怪学園の代表・四天王として校長の代わりに長机の上にちょこんと座るドラゴンの姿。数百年にわたり互いに牽制し合ってきた妖怪二大勢力と都市伝説の王、そして学園の権威が、たった一人の人間の高校生——いや、腰に妖刀・正大を差し、人を辞めて『村正』と化した村上の下に集結していた。「……壮観ですね」傍らに立つ白沢が、メガネの奥の瞳を細めて呟いた。村上はホワイトボードの前に立ち、赤と黒のマーカーをカチリとクリックさせると、集まった大妖怪たちを冷徹な視線で見回した。「——これより、我が『紅院軍・大江山ホールディングス』の第1回合同戦略会議を開始する」すっかり雰囲気も変わり、見違えた村上の威厳に満ちた声に、並み居る妖怪たちが息を呑む。村上はホワイトボードに大きな時系列グラフ(タイムライン)を描き出してみせた。「全員の合意のもと、百物語を除くすべての妖怪勢力による大同盟が完成した。だが、俺たちが立ち向かうべき敵は、単なる力勝負の相手じゃない。百物語を裏で操る『件(くだん)』による、世界の認知そのものを上書きする『未来改変(バブル崩壊)』だ。そして、この計画を阻止する鍵であり、俺の奪還すべき対象……それが、退魔師・紅院君だ」「紅院……酒呑組にもいたよな?あの赤い髪で人間界じゃ急に頭角を現したガキのことか」八尺様が腕を組み、不気味に響く声で問う。「そうだ。ここで俺が提示したいのは、定量的データに基づく一つの大きな異常値(アナマリー)だ」村上はバインダーを叩き、紅院の過去の成績表と退魔師協会の公式データを提示した。「紅院君は元々俺が同行していた時は、退魔師学校でも最下位を争うほど未熟で、実力も成績も著しく低かった。だが、俺と出会い、妖怪たちの封印を重ねていく中で、彼は異常なスピードで評価を上げていった。……そして直近のデータで失踪直前、退魔師ランキング『第10位』という上位(トップランカー)にまで一気に上り詰めている」「最下位から10位だと……!?こうして聞いてみると 幾ら何でも成長スピードの限界を超えているぞ」八岐大蛇が目を丸くする。村上は冷ややかに頷いた。「そう、合理的な説明がつかない。彼が上級退魔師に駆け上がった直後に突然姿を消したこと……これは偶然でも、彼自身の単なる思い付きでもない。件が進行させている『未来改変のシステム』において、紅院君という存在が決定的な構成要素(フラグメント)として組み込まれた、あるいは利用されたと見るのが自然だ」室内がざわめく。村上はホワイトボードの端に、大きな文字で『旧・御三家』と書き込んだ。「そして、ここからが本題だ。件がなぜ彼に執着し、なぜ彼がこの世界改変の渦中に置かれているのか。……それは、紅院君の正体が、歴史の裏に隠された三つの妖魔家系『旧・御三家』の最後の一人……『紅甲飴教皇院破道閻魔』の末裔であるからだよ」「「「な……ッ!?」」」『旧・御三家』という名が響いた瞬間、大広間に集まった大妖怪たちの間に衝撃が走った。酒呑組の幹部たちも、二百四拾族の面々も、その伝説的な家系の名に顔色を変える。「旧・御三家……! あの伝説の三つの家系がこんな所に揃っていたとは……!」 「山本五郎左衛門、源浜岸雪右衛門……そして、破道閻魔!」 「墓に入っていたのではなく子孫……生き残りがいたというのか……!?」騒然とする大広間の中で、ただ一人、上座でキセルをくゆらせていた『百鬼夜行』の総将・ぬらりひょんが、ふうっと白い煙を吹き吐いた。「ほっほっほ……噂には聞いておったが、あの小僧が最後に残った閻魔の血脈であったか」ぬらりひょんは薄い目を開き、キセルをトントンと畳に叩きつけると、重々しい口調で静かに語り始めた。「村上とやら、そして若き妖怪どもよ。お主らは『旧・御三家』という存在が何であるか、その本当の起源(ルーツ)を知っておるか?」「ルーツ……?」 村上が眼鏡を押し上げると、ぬらりひょんは遠い目をして古の記憶を呼び起こすように言葉を紡いだ。「世間や退魔師どもは、奴らを単なる『封印すべし強力な妖怪の家系』と思っておる。だが、それは間違いじゃ。あの3つの家系はな……元を辿れば妖怪を祖としながらも、それぞれ全く異なる出生と悲壮な歪みを持って生まれた存在なのじゃ」広場全体が静まり返り、ぬらりひょんの言葉に耳を傾ける。「一つ目……悪の権化として選ばれ、天意によって絶対的な力を授けられた才能ある純粋なる妖怪、それが『山本五郎左衛門』」「二つ目……強大な怪異でありながら、人間の美しさや儚い生き様に強く憧れ、自らの凄惨な性質を折り曲げて人に寄り添う道を選んだ妖怪、それが『源浜岸雪右衛門』」ぬらりひょんはそこで言葉を一度切り、煙草の煙の向こうから村上を……そして、その奥にいるであろう失踪した紅院を見つめるように視線を鋭くした。「そして……三つ目。それが『紅甲飴教皇院破道閻魔』じゃ」「破道閻魔のルーツは……何なのですか?」 白沢が低く尋ねる。ぬらりひょんは鼻から煙を吐き出し、身も蓋もない真実を突きつけるように、冷酷な声で言った。「……あれは妖怪ではない。人が神になろうとした末路の存在……いや、人間のエゴと妄執が生み出した狂気の産物じゃ」「人が……神になろうとした?」村上が眉をひそめる。「そうじゃ。奴らは地獄を統括する本物の『閻魔大王』などではない。遥か昔、死への恐怖と絶対的な支配欲に憑りつかれた人間たちが、信仰と呪術によって『空想の閻魔大王』をこの現世に創り出し、自らがその絶対神へと成り代わろうとした一族……それこそが『紅甲飴教皇院破道閻魔』の正体なのじゃよ」あまりにも壮大で、かつ人間の身勝手な傲慢さに満ちた真実。大妖怪たちですら言葉を失う中、ぬらりひょんはキセルを硬い音で叩きつけ、決定的な事実を言い放った。「そう……太古の昔に存在し、安寧であったこの現世に、理不尽なる恐怖と異形……すなわち『妖怪』共を一斉に解き放った者こそ他でもない、閻魔よ」「随分詳しいですね、あてもなく旧・御三家の陣取り合戦を妖怪たちがしている……酒呑さんからはそう聞いてましたが」 村上のこの質問をいつ聞いてくるのかと待ちわびていたように不気味に口が開き、まるで答え合わせのように語り始めた。 「妖怪たちが活気を取り戻したのを見て細々と生き延びていた儂は百鬼夜行を立ち上げながら考えた、現代なら人を震え上がらせて日本征服などとのたまうよりも銭を搾り取れる手段があるじゃろうと考えた、そこで……何をしたかは八尺から聞いておろう?」「山本五郎左衛門を退魔師学校に送った……」「何も全て儂の頑張りではない、期待したのじゃ……最高峰の妖怪の霊力をハイエナのように啜れば、人だろうと妖怪に匹敵する霊力を生むじゃろうて」 そうして生まれたのが退魔師、妖怪に対抗するものと宿敵が実は力の始祖は同じといういかにもベタな展開によって成り立っていた。 そしてそれを盛り上げるには大物が必要だ、話を演出させるために強大な妖怪を各地で暴れさせる必要がある。「退魔師達が揃ってきた頃に儂は百鬼夜行の力で妖怪を退魔師に向けて提供した、これにより退魔師は妖怪に対する唯一無二の存在として社会的な地位を得たじゃろう?」「……っ」村上は歯噛みした。ぬらりひょんは続ける。「人間のエゴと執念によって創り出された、最も人間に近く、そして最も人間からかけ離れた、禁忌の存在……退魔師とはそういうものよ、儂も優秀な妖怪を競わせて仲介料を貰ってウハウハ、いい稼ぎ柱じゃったよ人間は」「なるほど……Sランク妖怪が退魔師から対象不能判定されていたのは退魔師が倒せない……という意味を誤魔化すものでもあったのか、紅院君が聞いたら怒りそうなものだ」「しかし儂もただ良い思いはせんかった、この商売を邪魔する者がおり独自に調査していた……嘘ではないぞ?」「それはわかります、高ランク妖怪のみを突如狙う何者かの話は酒呑さんに昔聞いたので」ぬらりひょんや退魔師の一部層からすれば商売敵、故に排除しようとしたが不可能だった。しかし彼らが動くのは夜、特定されるはずがないというのにまるで地獄の底から這いずり出てきたように探し当てて忙しかったのでこれまで名乗り上げてこなかったも言う。実に姑息で厄介な存在、敵として関わらなくてよかったと心底思う。「もう終わったことより今は閻魔の話よ、のう村上、その紅院という男は何聖と言っていた?」「本名は確か参拾弐聖ってあったね」 「となると32回目か……飽きぬのう、結論から言うと奴らは閻魔にはなれん半端物だったが旧・御三家というだけはあり力は手に入れた」その力というのが『早期の輪廻転生』と『転生先の指定』である、つまり死んでしまってもすぐに望んだ形に転生して生まれ変われるという能力。「この力を上手く使って儂が提供した妖怪を倒せなくとも転生……の繰り返しじゃ、どうじゃ?合理的じゃろう?」「閻魔大王になれなかったというのは?」「閻魔とは罪業を審判する存在、奴らは元はと言えば自分たちが天国に行けるよう審判基準を弄くり回そうとした身勝手極まりない奴ら、そこに同情など持ち込む余地はないのう……妖怪ではなく神にも選ばれるだけはあり真面目な者だからこそ成れる者といえよう」ぬらりひょんは再び語り始める。「閻魔とは罪人の罪業を裁く存在じゃ、しかし今の時代は地獄行きが定まっておるような人間ばかり、その中で天国に行ける者などごく僅か、閻魔というのは地獄を統括するだけの存在だろう…つまらん、実につまらん、故にじゃ、自分が可能性を広げるために1つ手を打った。」「いい人の人生を乗っ取ればいい。」その言葉で、まさに怪談物語がクライマックスを迎えたように肝が冷えた。村上はこの感覚が覚えがある、酒呑童子と隣で話して、思いを伝えてくれて、それが突然消えて……白沢が電話をかけてきた時のあの時と、あの時と同じ。これは本能が聞きたくないといっているが、答えなくてはならない。しかし、ぬらりひょんが答える前に答えを示すものが現れた。退魔師ネットで更新があった、もうとっくに人間の世界で霊気を生み出す手段は失われているはずなのに……。『重大発表』『退魔師ランキング10位 紅院』『死亡確認』「紅院君が……死んでいる?」 死んだ、またその事実を受け入れなくてはならない……かし村上の心臓が揺れる間もなかった。 ……今回はまだ続きがある、ゆっくりとスクロールしていく。『……ただし、死亡しているのはおよそ15年以上前、紅院は幼少期の時点で既に確定、現在まで紅院として生きていたのは……』『人生と経歴を乗っ取った妖怪とも違う別の【何か】である』「この通りじゃ、お前が友人と慕いそばにいて信じていたものはただの欺瞞、あるいは魂の出汁殻がそれっぽく再現していたものよ、故に自覚がなかった」「お前はずーっと閻魔もどきの掌の上だったわけよのぉ、村上?」 ぬらりひょんの声も聞こえない、まるで自分一人だけの世界に入り込んだような衝撃。 自分がずっと信じていた唯一の人間の友達の紅院君。 それさえもが嘘だった。 彼だけは騙さないと信じていたのに……いや、そう考えるのは違う。 本来、紅院君だったはずのものまでもが利用されていた……。 画面に表示された『死亡確認』の文字と、身も蓋もない注記が、大広間の冷気の中で白く光っていた。15年以上前に死んでいた——。では、村上の隣でバカみたいに真っ直ぐな瞳をし、退魔師になりたいと笑い、へっぴり腰で妖怪に挑み、村上の身も蓋もないマジレスに目を白黒させて、マウンテンゴリラみたいな筋力ばかりついて空回りして……それでも、何があってもどんなことがあっても逃げなかった純真で優しくて尊敬できた、あの親友は。 あの「紅院」は何だったのか。破道閻魔という古代の妄執が創り出した、精巧な魂の器であり、出汁殻に過ぎなかったというのか。 村上は手元のバインダーに目を落とした。そこには、退魔師協会のデータベースから抽出された、本来の「紅院」という少年が辿るはずだった、幼少期の断片的な記録や将来の希望調査票が静かにファイルされていた。『大人になったら、誰も傷つかない退魔師になる』 『友だちと一緒に、普通の高校生みたいにラーメンを食べに行きたい』 たどたどしい文字で書かれた、どこにでもある善良でささやかな夢。破道閻魔は、真なる『閻魔大王』という絶対的なシステムへ至るため、その純粋で善良な魂の器を強奪し、件の未来改変システムに組み込むための「ハックツール」として消費したのだ。何も知らず、自分自身の人生すら奪われたまま消えていった本物の少年の将来。そして、それを模倣させられていた「紅院」という存在。 「……なるほど」 静寂を破ったのは、低く、しかし恐ろしいほど平坦な村上の声だった。 「おう村上……? 衝撃で頭のネジが飛んだか?」 キセルを吹かしていたぬらりひょんが、探るような視線を向ける。大広間に集まった酒呑組、百鬼夜行、二百四拾族、学園の妖怪たちが一斉に村上を注視した。村上はゆっくりと目を向けて、ホワイトボードの『破道閻魔』の文字を赤ペンで二重線で囲んだ。 「これで、すべての変数が確定しました」 その瞳には、落胆も、動揺もなかった。あるのは、絶対零度の冷徹さと、相手の存在基盤を根底から解体せんとする狂気的なまでの計算速度だけだった。 「全ての元凶は、紅甲飴教皇院破道閻魔。その目的は、件の未来改変を利用して自らが現世と地獄を統括する『真なる閻魔大王』の席に就くこと。そのために善良な退魔師の魂を乗っ取り、紅院君というシステム上の脆弱性を利用した。……構造としては実にシンプルで、かつ胸糞悪い悪徳買収だ」 腰に差した妖刀『正大』が、村上の静かな怒りに呼應するように、微かに鳴動した。 「村上様……大丈夫なのですか……」 白沢が心配そうに寄り添う。村上はバインダーのページを破り捨てることなく、静かに挟み直した。 「白沢さん。俺たちはこれから、全妖怪勢力による統合アライアンス『大江山ホールディングス』をもって百物語と破道閻魔を包囲する。だが……それだけでは足りない」 「足りない……? 妖怪の全派閥と都市伝説の王、学園の権威まで揃ってまだ足りぬというのか?まあ閻魔が相手となればそうなってもおかしくはないが」 八尺様が白い帽子の下から声を上げる。村上は冷ややかに首を振った。 「件が行うのは『人間の認知の上書き』です。妖怪側の力だけで圧力をかけても、現世の人間たちの認知が『破道閻魔=絶対神』として上書きされてしまえば、市場のシェア(世界の主導権)は向こうに奪われる。……だからこそ、俺たちにはもう一つ、決定的なポートフォリオが必要になる」 「まさか……」 ドラゴンの目が丸くなった。村上は淡々と言い放つ。 「人間側の支援者……退魔師を含めた人材の残存勢力、および人間界の資本・世論・インフラの全面的な巻き込みです」 大広間がざわついた。ぬらりひょんが意地の悪い笑みを浮かべ、キセルを叩く。 「ほう……? お前さんが一番忌み嫌っておった手じゃな。人間の恐怖や信仰を煽り、嘘とプレゼンで世論を動かす……それこそお前さんが過去に忌み嫌うと聞いた『身も蓋もない詐欺師の泥縄経営』と吐き捨てていた手法そのものではないか?」 ぬらりひょんの言う通りだった。村上はこれまで、どこまでも現実的で論理的な「マジレス」と「正規の契約」だけで戦ってきた。人の弱みに付け込んで不安を煽り、実態のない価値を売りつけるような真似は、村上が最も嫌悪する宗教詐欺や悪徳商法と変わらないからだ。人間側の世論を強引に誘導し、味方につけるということは、村上自身がその「一線」を踏み越えることを意味していた。だが——。村上は腰の『正大』の柄に、しっかりと手を添えた。ヤドリガミの莫大な霊気が、村上のスーツの裾を揺らす。 「もはや俺自身が詐欺と批判されようが、コンプライアンス違反と罵られようが、知ったことではありません……俺はもう手遅れなんだ、もう信じられなくなる寸前なんだ」 村上の声が、大広間の全妖怪の魂を震わせるほどの重圧を持って響き渡った。 「あいつは……本物の紅院君も、俺の知っているあのバカな紅院君も、奪われた未来の価値を何一つ回収できないまま、ただの出汁殻として捨てられた。件と破道閻魔という最悪の粉飾決算を行う奴らのためにだ」 村上はホワイトボードに向き直り、マーカーで巨大な『終止符(ピリオド)』を叩きつけた。 「この結果がどうなろうと、俺はもう……終わりにすることにしたんだ」 人を辞め『村正』となり、妖刀を携え、自らの倫理すら投げ打つ覚悟を決めた男の顔がそこにあった。 「全妖怪の力と、人間の世論・資本の全てをアセットとして組み込み、件の未来改変も、破道閻魔の神格化も、身も蓋もない現実(ロジック)と圧倒的な力で完全に差し押さえる。……準備を始めてください。これより、現世最大の敵対的買収を開始します」 冷徹な瞳に熾烈な炎を宿した村上の宣言に、大江山のアジト全体が、震えるような歓声と戦慄に包まれた。