破道閻魔との激闘が終結し、ヤマ神話のルートサーバーに静寂が戻ってから、暫くの時が流れた。
日本の街並みは、相変わらず何事もなかったかのように平穏な日常を紡いでいる。
通勤ラッシュに揺られるサラリーマンも、スマホに夢中な女子高生も、インドの聖域で世界の死生観データベースをかけた境界の決戦が行われていたことなど知る由もない。
山本五郎左衛門の遺骨から精製された『高純度霊力ダイヤモンド』は、村上たちの手によって日本各地の霊脈や退魔師協会へと効果的に散布・流通された。
これにより、霊力リソースのクリーン化と標準化が達成され、退魔師と妖怪たちの戦いは表向きの姿は変わらないまま「絶滅をかけた殺し合い」から「持続可能なエネルギー循環型のマッチポンプ的演習」へと姿を変えた。退魔師たちは日々妖怪と刃を交え、妖怪たちもまた一定の緊張感を保ちながら現世に留まり続けている。
——だが、全てが解決したわけではなかった。
人を超越して妖刀『村正』のヤドリガミとなった村上の前に、今、極めて深刻かつ「身も蓋もない」新たな課題が立ちはだかっていたのだ。
◇
「……というわけで、これが今期における我が国の妖怪全体の霊気総出力の推移グラフです。見ての通り、前年比で約32%の著しい減少傾向を示しています」
妖怪学園の大講堂。
ホワイトボードの前に立ち、プロジェクターでタブレットのグラフを投影しているのは、スーツ姿の村上だった。
教壇の前にズラリと並んでいるのは、将来有望な新人達や妖怪学園の生徒たちや、百鬼夜行、酒呑組といった主要派閥の妖怪たちである。
ヤドリガミ正大が妖怪学園の校長である以上、これからは村上が校長になることは前から伝えられていたことではあるが……
講堂の壁には、村上が作成した巨大な横断幕が掲げられている。
『緊急経営戦略セミナー:現代社会における「人間関係の悪化」と「妖怪の存在感喪失」の因果関係について』
「な、なんだと……!? 全妖怪の霊気が3割も減ってるだって!?」
最前列でドラゴンがデカい図体を縮こまらせて叫んだ。
「ダイヤモンドで霊力リソースは安定したはずじゃなかったのかよ!?」
「リソースの供給体制は完璧ですが、人間に対する認識の問題です、白択さんが前もって教えてくれました」
村上は指し棒でスライドの赤線を叩いた。
「問題は、肝心の『霊気の元となるエネルギー源』……つまり、人間から発せられる『恐怖』や『畏怖』の質と量が暴落していることにあります」
「ほう……恐怖の質と量、かい?」
八尺様が巨大な身体を折り曲げ、不思議そうに首を傾げる。
「うちのもんは相変わらず、夜道を走り回ったり、天井から覗いたりして、人間共を怖がらせようとしているがね」
「それがすでに時代遅れ(アナクロ)なんです、八尺様」
村上は容赦なく言い放った。
「現代の人間が本当に恐れているのは、暗闇でも、巨大な女でも、化け物でもありません。彼らが最も恐怖し、疑っているのは——『隣にいる同じ人間』です、もはや人間不信は俺に限りません」
講堂の妖怪たちが、一斉に顔を見合わせた。
「SNSを開けば、誰かが誰かを叩き、些細な言動で炎上させ、裏切りや陰謀論に怯えている。現代人は、24時間リアルタイムで『人が人を疑う地獄』の中に生きています。人間同士の相互不信と悪意があまりに強烈すぎるせいで、怪異に対する純粋な恐怖の入る隙間が完全に消滅しているんです、嫌な世の中……」
村上は淡々と、しかし極めて冷酷な現実を突きつける。
「そうだな……例えば、夜道で後ろから怪しい影が迫ってきたとしましょう。昔の人間なら『妖怪が出た!』と恐怖し、それが皆さんの霊気となっていました。ですが、現代の人間はどう思うか? 『チッ、強盗か? 痴漢か? トクリュウか? 警察に通報して動画撮ってSNSに晒してやる』です。……そこにあるのは生々しい人間への警戒と憎悪であり、怪異への『畏怖』ではありません。結果として、恐怖の対象から外された妖怪たちの霊気は薄れ、存在そのものが風化しつつある……これが今の皆さんの置かれた惨状です」
「なんという身も蓋もない……信仰なき薄情な人間め」
ぬらりひょんが苦々しい顔でキセルを咥え、煙を吐き出した。
「人間どもめ、妖怪を怖がるゆとりすら無くすほど、同類同士で傷つけ合っておるというのか。恐ろしい時代になったものじゃのう……特に村上みたいなのが異例かと思ってみればこんなのばかりとは嫌になるわい」
「まったくだ、人間の方がよっぽど怪異より陰湿で怖えじゃねえか……嫌になっちまうよこんな世の中!」
ドラゴンがガシガシと頭を掻きむしる。
「おい村上! だったら俺たちはどうすりゃいいんだ!? このまま人間同士の醜い争いの陰で、恐怖心を失ってひっそり消滅するのを待てってのか!?」
「まさか」
村上は久しぶりに付けたメガネを指でクイと押し上げた。
「俺がそんな無策で、わざわざこんな講義を開くわけがないでしょう。人間が人間を疑い、過剰なストレスを抱えているなら……その市場構造(不満)をこちらで吸収(マーケティング)すればいいんです」
「きゅ、吸収……?」
白沢がバインダーを握り締め、身を乗り出す。
「村上さん、具体的には一体どのようなソリューションを……?」
村上はプロジェクターの画面を切り替えた。
そこに表示されたのは——『妖怪による社会的免責(言い訳)サービスの提供』というスライドだった。
「人間同士が疑い合い、傷つけ合う最大の原因は『全ての責任を人間に帰結させること』にあります。『あいつが悪い』『自分が責められた』と考えるからストレスが溜まり、他者への攻撃性に変わる。ならば、その攻撃の矛先を、我々妖怪が『責任の引き受け先』として買って出ればいい」
村上は黒板に大きな文字で書きつけた。
『事例1:ネットでレスバが止まらないのは、新種の怪異“レスバ憑き”の仕業』
『事例2:深夜に無駄なネットショッピングをしてしまうのは、“ポチり童子”の仕業』
『事例3:締め切り直前なのに部屋の掃除を始めてしまうのは、“現実逃避の垢嘗め”の仕業』
講堂内が、しんと静まり返った。
これって妖怪の仕業だよ。
「……なあ村上よ」
ぬらりひょんが呆れ果てたように呟く。
「それは……ただの『都合のいい怪異への責任転嫁』でのようにも見えるが?」
「その通りですよ、家電のように時代革新です」
村上は堂々と頷いた。
「人間側に『ああ、自分がイライラしていたのも、無駄遣いしたのも、全部妖怪のせいだったのか』と思わせるのです。これにより、人間同士の無駄な衝突は回避され、同時に『妖怪は本当に実在して、自分たちの日常に影響を与えている』という強烈な認知と畏怖が復活します。人間は精神の安寧を得て、妖怪は確実な霊気を回収できる……完全なwin-winのビジネスモデルです、しばらくはこれを浸透させていきましょう」
「身も蓋もなさすぎるが……ロジックとしては完璧だ……!」
白沢が凄まじい速度でペンを走らせ、バインダーにメモを取る。
「心理学的にも『外的な心理的免責』を与えることで、人間側の攻撃性を鎮静化させつつ、怪異への認知度を100%に引き上げることができます! これぞ現代の認知科学に基づいた妖怪活性化プラン……!」
「よし決まりだ!」
ドラゴンが机を叩いて立ち上がった。
「俺は今日から『無駄にSNSで自慢ポストしたくなるドラゴン』として人間の裏アカウントに潜入してやればいいんだな、妖怪学園にもSNSの使い方を広めていくぞ!」
「ポポポ……おれは『長文LINEを送りつけて相手を困惑させる八尺様』にでもなるか?どうせあいつら、おれのことを好きなように弄ってんだ、こういうやつもいるか……ああでも、LINEは最近メリーさんの奴がやってんだっけな」
「百鬼夜行のものどもよ! ただちにマーケティング戦略室を立ち上げ、各々の得意分野に応じた『現代型怪異ブランディング』を開始するぞ!」
ぬらりひょんの号令とともに、講堂の妖怪たちが一斉に歓声を上げ、意気揚々と動き始めた。
◇
騒がしくなった講堂を抜け出し、村上は一人、妖怪学園の屋上へと足を運んだ。
夕暮れ時の風が、彼の髪を静かに揺らす。
腰に下げた正大の刀身が、茜色の空を受けて冷たく朱色に染まっていた。
人を超越したヤドリガミの体には、もはや寒さも温もりも感じられない。だが、胸の奥底に燻る想いだけは、決して消えることはなかった。
「……人間が人間を疑い、傷つけ合う世界、か」
村上は遠くの街並みを眺めながら、静かに呟いた。
脳裏に浮かぶのは、かつて放課後にバカな会話をし、ラーメンを食べに行こうと笑い合っていた友——紅院の顔だ。
『人間という者が弱い奴ばかりなんだ……倒すことは出来ない、悪意のある奴らから大事な物を失わないように振り払うのがせいいっぱいだ』と、あんなことは未だに紅院にしか言ってないし、これからも言わない。
あいつは世界の理不尽に呑み込まれ、消えてしまった。
だが、あいつが最後に守ろうとしたのは、そんな弱くて、疑い深くて、愚かな人間たちの暮らす日常だったはずだ。
「見てるか、紅院君」
村上は自嘲気味に口元を緩めた。
「君が生きたかった世界は、相変わらずバグだらけで、人間どもは毎日くだらないことで疑い合ってるよ。……だけど、俺が身も蓋もないロジックと経営戦略で、どうにか全員まとめて救ってやる、全ての妖怪を封印はちょっと出来なくなったけど紅院君が望んだ世界にして見せるから」
世界の仕様がどれほど狂っていようが、創造神とやらがどんな理不尽を投げつけてこようが関係ない。
自分は自分のやり方で、友の遺した想いを貫き通すだけだ。
「さて……次は退魔師とのコンプライアンス協定の改訂作業もあるしな。……休む暇もないな」
村上は一息つくと、振り返って歩き出した。
元・高校生にして、現・妖刀『村正』。
身も蓋もない超リアリストな妖怪バスター村上の、世界を調整するための戦いは、これからもどこまでも続いていく。
そして……『目立ちたがり屋』は必ず世界に大きな爪痕を残す。
村上は人々がそれに立ち向かう強さを残せるようにしていかなくてはならない……。
そしてまた事件が発生する、白択が人間界の新しい新聞を持ってきたのだが……これまた常軌を逸する事件が発生した。
そしてそれに伴う事象の変化も。
——『血の学級会事件』
とある小学校でそこらの妖怪でも行わないような身の毛がよだつ事件が発生した。
1つのクラスが血の海に染まるほどの大虐殺、隣のクラス含めた周囲が気付かない間に事は実行されており、これによってこのクラスに所属していた1年生30人あまりと担任が死亡、たまたま校舎から離れていた三人の生徒のみが生き残ったというが……。
この事件だけではない、今現在村上にも見えない日本の全範囲、人間の方には大きな問題に直面していた。
……教育問題である。
……教育問題である。
以前から子供は悪事、イジメを行えばその親の監督責任とされる。
もちろん子供だけではなく、親自身も悪いことをしたら厳重注意、場合によっては逮捕もあり得る。
ここまでは当たり前だろう、だがここ最近はそれどころでは無かった。
イジメを行う児童はもちろん、その親に対しても容赦なく制裁を加える事件、しかもそれに対して日本国民のほとんどが『やれやれ、悪は滅べ、死んで当然だ』などという非人道的な事をいう。
もちろん、日本人の一部が気づき『これはおかしい』と、訴えるものの、その声が届くこともなく、日本の国民は疑問や躊躇もなくいじめをしている児童も、それを止めなかった教師も、そんな環境に送り込んだ親も、殺す。
日本中で連日、悲鳴と絶叫が響き渡り、教室や校庭には大量の血痕が残るようになった。
その結果、日本はもはや修復不可能な状態にまで陥ってしまった。
教育問題はさらに悪化の一途をたどり、学校は地獄と化し、家庭内暴力は急増し、地域社会は崩壊寸前となった。かつて温かい言葉と教育の場であった学校は、恐怖と憎悪の巣窟と化したのだ。
そんな事態を受けて……とんでもない法案が可決された。
学校で起きた問題は……優れた学生が解決させるようにすればいい。
その名も学級法廷制度、選ばれし小中学生に特別に『弁護士』『検事』の資格を与え、問題のあるクラスに派遣し『学級会』で議論する。
子供向けの裁判……どころではない、弁護士、検事となった子供たちは実際に法的権限を与えられており、対象の生徒を本物のような裁判にかけられるというもの……。
この法律の施行によって、今まで学校内のいじめや犯罪の隠蔽が問題視されてきた教育界に、革命的な変化が訪れることが期待されている。
特に、過去に起きた『血の学級会事件』のような悲劇を二度と繰り返さないために、早期発見と迅速な法的措置が可能になるという点で、多くの国民から支持を集めているようだ。
しかし、その裏では、この法律の施行によって、学校生活がより厳しく、重圧に満ちたものになるのではないかという懸念の声も上がっている。
特に、いじめを受けている生徒が、法的手段を使って反撃することを恐れて、さらなる孤立を深める可能性があるという指摘も多い。また、子供たちに司法の力を与えることによって、逆に誤った判断や偏見に基づいた裁定が下される危険性も否定できない。
にも関わらず、学校教育を取り仕切っていた人間達は、この法案に熱意を見出し、小学生を始めとして一刻も早い全国展開を目指している。
新聞を一通り見て村上もため息が漏れる、妖怪が一番怯えさせるのはまだ情緒が育ちきってない子供、しかしこれではとても妖怪を怯える暇などない。
間違いない……これが、消えた『目立ちたがり屋』の新しいやり方だろう。
「どうしますか村上さん、まだ人間に対してどう恐怖を残していくかという段階なのに」
「先に言っておくと日本政府が決めたことである以上、俺にこのルールを覆すことは出来ないし、俺も弁護士や検事の資格もない……血の学級会事件自体も4年前、ようやく世間に公表出来たというところだ」
「では見ているだけで…」
「そうだよ、でもただ見ているだけじゃない……期待する」
「ぬらりひょんだって言ってたろ、世の中俺みたいな奴は山ほどいる、そのうちの『誰か』が、止める……それを繰り返して、奴らに抵抗する。」
「……そうですか、ではその為に今妖怪たちは準備をする必要が」
「いや、それも不要だ」
そうして村上は窓から外を眺めてみる、そう……外にはあの日の感覚がまだぶら下がっており、あれだけは人間達には見えなかったらしい、妖怪には見えるのに人間は見えない、この時点で妖怪は普通の生態系を超えており、村上も例外ではなかった。
『村上……もし、世界が君の想像を越えた形で、目立ちたがり屋に世界を乗っ取られそうになった時は……また、頑張ってもらうから、それまでは……』
村上の背後にいるのは……女性の正体は……なんとなく分かるだろう。
ひとまず今は、妖怪達のこれからを維持していこう……関わった責任は最後まで果たす。
きっと、次の物語の自分のような『誰か』が、引き受けてくれるだろう。
今の自分は終わったんだ……言い聞かせるように、終わらせるように呟いて空を見上げる。
しかしここで着信が入る、村上はスマホを見てため息つきながら出る。
「もしもし」
「ムラカミ、何やってるの?」
「何やってるのはこっちのセリフなんだけど……何?今度はどこまで旅行してたわけ?」
「旅行じゃなくて冒険だって!ぐんぐん西を進んでイベル……」
「はいはい、それでさ、しばらく顔見せてなかったからムラカミのアパート行ってたけど留守で……どこいるの?」
「はあ……分かったよ、俺今から帰るからまた合流ね」
スマホを切ってまた妖怪の空間から人間界に戻る準備をする。
「どちらから?」
「俺の両親、ほら……しょっちゅう詐欺に騙されて姿も見せない厄介な奴ら」
「そういえば貴方の家族には会ったことがありませんね……面倒事が嫌なら付き添いますよ」
「ありがとう、説明しやすさなら白沢が一番だよ……そうだな、まず変なところで言えば自分を地底人とか言ってたこと」
「ああ……そんな変人を見てきたらそんなマジレス妖怪にもなりますよね」
「紅院くんも同じことを言うだろうね、さらに言えば自分が普通の人間と違う新人類なんて言うし……妙なのに育てられたなぁ俺」
「育てられた?」
「うん、両親だけど産みの親じゃないんだ、なんか事故っていたとこを拾われたわけで父さん母さんも夫婦でもないんだって」
……その言葉に、白沢は固まった。
それって……両親というか、親というか……とんでもない奴らじゃないのか?
悩んでいるうちに村上のアパートについた。
村上はいつものようにドアを開ける。
「ただいま」
その4文字が新鮮に感じたが……扉を開けてすぐ目に飛び込んだのは……一瞬、奥にある見慣れない二人がほんの一瞬だけ無数の細胞のような、巨大な蛇のような生物に見えた。
そして……村上も。
「おかえりムラカミ!友達も連れてきたんだ……」
「友達とかじゃないって……白沢さん、俺より年下っぽいけどこれが俺を育てた人、実瑠兎と遼河」
「こら!お母さんを呼び捨てしないの!私がミルトでこっちがリョウガ、事故ってるところからムラカミを作り直して育てて……」
「……は?は!?貴方今なんて!?作り……直し?」
「ああ、またその話?いいよ気にしなくて……」
「……え?ねえムラカミ、この人改造人間とかじゃないの?それともポケモン?」
「どっちも違うよ、妖怪っていって」
「…………1つ聞いてもいいですか、村上さんは、このお方は何者なんですか!?」
「うーん、大丈夫、ちょっと私の細胞が何個か埋まってるだけで頑丈なだけの……」
「ジガルデ人に育てられた、ただの人間☆」
村上の物語はここで止まる。
この後にどんな悲劇や惨劇があったとしてもだ、そこで終わりっちゃ終わり。
『第9層』
【妖怪バスター村上 〜修羅編〜】
『おしまい』