紅院の自室。
そこには、かつての戦いを経てすっかりちんまりとした愛玩動物のようなサイズになってしまった妖怪・鎌鼬が、せこせこと小さな手足を使ってテーブルの上に貢物を並べている姿があった。
「おいクソガキ! その棚の奥にある上等なお茶の葉出せ! あと昨日村上が買ってきた高級和菓子の箱も貢ぎものにするんだよ!」
「えぇっ!? 鎌鼬、さっきから何してるの……? どこから持ってきたのその菓子折り……」
汗をかきながら小さな体まで右往左往する鎌鼬に、畳の上で寝転がる超くつろぎ体制ポテチを齧っていた村上がドライな視線を向ける。
「誰か来るの? 宗教の勧誘と訪問販売なら居留守でいいと思うけど」
「僕ある意味そっち側だから間に合ってるよ」
「バカ言え!! 居留守なんて使える相手じゃねえんだよ!!」
鎌鼬は小さな鎌をガタガタと震わせながら、悲鳴のような声を上げた。
「もう少ししたら、お前のところに『白沢(はくたく)さん』が来るンだよ!!」
「は、白沢さん……!? それって、あの……!?」
突然の名前に紅院も驚く、鎌鼬は青ざめた顔で妖怪界の裏事情を語り始めた。
「いいかガキ共、妖怪ってのは一枚岩じゃねえ。強い妖怪共は群れを組み、規模が大きくなれば『派閥』となって巨大な勢力を作るんだ。今、現世に蘇った妖怪共は、退魔師のことなんて特に眼中にねえ……妖怪同士で壮大な陣取り合戦中なんだよ!」
「陣取り合戦……!?」
「そうだ! 退魔師共が慌てて俺たちを封印しようとしてんのはな、このまま野放しにして身内の戦争が過熱したら、勝ち残った最凶の妖怪だけが生き残る『蠱毒(こどく)』になるからだ! そんな化け物が完成したら日本は終わりだからな! それが面白くて俺も好き放題してたんだが!」
闇雲に祓うだけでは、突飛な強さを持つ怪物だけが生き残り、更なる惨劇を招きかねない。退魔師と妖怪の戦いとは、生半可な知識で解決できるほど簡単なものではないのだ。
「そして……オレ様がかつて属していたのが、京都で知られる鬼の頭領・酒呑童子様が率いる『酒吞組』だ! 江戸の世から続く超巨大組織よ! 仮にもBランクの実力者であるこのオレ様ですら、酒吞組じゃあ10種類漂う人魂を指揮するぐらいの権力しか持たねえんだぞ!」
「バイトのシフトリーダーみたいな関係って妖怪にもあるんだ……」
「うるせえ! とにかく、その酒吞組の参謀を務めているのが、これから来る白沢さんなんだよ!」
鎌鼬の言葉に、紅院は息をのむ。
「お前調べてねえのかクソガキ、酒呑童子様と白沢さん……この2体の妖怪は『Sランク』だぞ?」
「Sランク……! 退魔師学校の基準で、一番上の……!?」
「そうだ! 『現状の退魔師による討伐不可』を表す、文字通りの怪物だ!!」
絶望的なランク名に、紅院はブルブルと震えだした。自分のランキングは鎌鼬や枕返しなどランク高めの妖怪を封印してきたがまだ970位の見習い。Bランクの鎌鼬相手にすら危ない状態だった自分が、Sランクの妖怪に遭遇したら一瞬で消し飛んでしまう。
「なんで……なんでそんな凄い妖怪が僕のところに来るの!? 殺されるの!?」
「お前じゃねえよ……バーカ」
鎌鼬はビシッと小さな足で村上を指さした。
「酒呑童子様が目をつけたのは……そこにいる『村上』だ! だから視察のために白沢さんが来るんだよ!」
「俺なの?」
村上はポテチを口に運ぶ手を止め、首を傾げた。
「あの時のオレ様との戦い、そして枕返しの件……一般人のくせに、言葉ひとつで妖怪の霊気を吹き飛ばし、弱体化させる奇妙な人間がいると噂になってんだよ! 酒呑童子様が興味を持たれてな……『その村上とかいう人間を検分してこい』って白沢さんを遣わしたんだ! つーかオレ様の時から既に、お前のことは妖怪の間で話題だったんだぞ!」
「え!? 村上くん僕の知らないところで妖怪に会ってたの!?」
「近頃変なのと遭遇するなとは思ってたけど……」
その時──部屋の中の空気が、重く、濃密なものへと変貌した。
まるで空間そのものが圧迫されているかのような圧迫感。壁が軋み、空間が歪む。
「ふむ……ここが例の退魔師と、噂の人間の住処です」
歪んだ空間からヌッと姿を現したのは、格式高い和装を纏い、知的で冷徹な雰囲気を漂わせた男──『白沢』だった。万物の知識を持つとされる伝説の聖獣にして妖怪。その背後からは、生きている人間なら失神しかねないほどの巨大な霊気が溢れ出ている。
「ひぃぃぃっ! し、白沢さん! お初にお目にかかります、鎌鼬です! 貢物をご用意しましたぜ!」
鎌鼬が平伏し、必死に菓子折りを差し出す。白沢はチラリとそれを見下ろすと、フッと鼻で笑った。
「鎌鼬か。随分と惨めな姿に落ちぶれたものですね……。……まあ良いでしょう。私がここへ来た理由はただ一つ」
白沢の鋭い眼光が、部屋の隅でポテチの袋を持っている村上を射抜いた。
「村上と言いましたね。主上・酒呑童子様がお前にご興味を示されている。万物の理を知り、知恵の神として扱われるこの白沢が、直々にお前の『恐怖を消し去る力』の正体を見極めてやろう……というわけです」
Sランク妖怪の威圧感が部屋を満たす。紅院は恐怖で声も出せず、固まっている。
しかし──村上は、まったく動じていなかった。ポテチを一口噛み砕くと、いつも通りの淡々としたトーンで口を開く。
「ちょっと質問いいですか?」
「ふむ……万物を知る私に質問とは。良いですよ、何なりと問うがいい。私はこれでも人間や現代人の作ったその文明は愛しているので、質問次第では穏便に済ませましょう」
白沢は優越感に満ちた笑みを浮かべる。
「……俺って紅院君と違って封印とかは出来ないけどなんでわざわざ酒呑童子が俺に目をつけようと? 鎌鼬以外にどこから?」
「簡単なことです、酒呑様はあなたを目撃している」
「えっ……そんな強大な妖怪が日本をうろついていたら退魔師が気付かないはずないのに!?」
「Sランク妖怪の技術ナメんなよ、人間の常識なんざ通用しねえんだ、しかしそれは……」
下手すれば一般人が大物の妖怪にちょっかいかけられそうになっていた……村上にも心当たりがありそうな感じがしている、そうなったら自分でも止められるわけがない……。
「ちなみに酒呑童子ってどんな妖怪か見てもいいです」
「ええ……むしろ私は見せに来ましたので」
「どういうこと?」
白沢は現代文化を愛していると言うだけはあり、妖怪でありながらスマホを使いこなしている、Androidユーザーらしい。
そこで巧みにフリックして、写真を見せつける。
「……えっ!?」
紅院は驚いた……その姿は、白沢が酒呑童子であると表したその姿は……本当にただの女性にしか見えない。
「あの……写真間違えて……」
「いいえこれが現代における酒呑童子様です」
「間違いないよ紅院君、俺この人に会ったことあるし」
「嘘ぉ!?」
これの何が恐ろしいかというと……鎌鼬のような憑依ではない、完全に人間そのものになりきって擬態している、どう考えてもオレンジ色の髪でジャージ姿の女を見せて『これが酒呑童子です』なんて説明しても誰が信じると言うのだ……退魔師だけでなく、一般の人々を欺くのが相当得意と見える。
「で……この酒呑童子に対して村上くんは何かご失態を」
「あれもしかして俺が何かトラブル起こしたこと前提で話してる?」
だんだん紅院も村上の扱いが分かっていているが、白沢は一切感情を変えず黙々と村上に尋問するように言う。
「貴方の魂胆は読めます、全ての妖怪を封印するというのはもはや有名な話……しかしまさかその下級の退魔師でと思ったが、言霊で霊気を消せる力を持つとなれば話は別」
「俺は誰が何と言おうと紅院君を大成させたいと思ってるだけだよ」
「なるほど、では単刀直入に踏み込ませてもらいます……貴方はまずその為に酒呑組を手中に収めるかたちで落とそうとしている」
「……」
「その為に貴方が酒呑童子様に対して何かを囁こうとしていると勘づいたのです、であれば酒呑様が恐れる必要はないと言えど貴方を試しに来てほしいと私の元へ依頼しにきました、ついでに紅院君もですが」
酒呑童子を傘下に入れる、なんて思いつかなかったし、自分に出来るとも思わなかったが、どうやら白沢は、そして酒呑童子も村上に対しては大きな警戒をしている様子だ。
「……鎌鼬さん」
「……おうよ、匂いでわかるぜ」
「何かが来てる、別の宗派が盗み聞きしているのか……」
白沢は村上の質問には答えず、紅院と鎌鼬を見る。
「……もし酒呑童子様に聞かせる内容をここで貴方が喋る気があるならば、答えを聞かせてもらいましょう、もし私を納得させることが出来たら私も含め酒呑様も貴方の傘下に入る、そういう契約でしたら考えてあげなくもない」
紅院は怪しむ……なんというか、あまりにも都合が良すぎないか? 今目の前にいる相手はどんな退魔師でも討伐・封印が不可能と判断された最上級の妖怪、更に彼の機嫌次第では自分が始末するどころか酒呑童子に対する印象操作も可能だろう。
それに鎌鼬の言うことも事実なら別の妖怪も盗み聞きしている、今の村上はライバル候補を一つ潰してくれる可能性を秘めた者……それは見逃せないだろう。
特に問題なのが村上のような一般人でも大物妖怪と出会ってしまえるくらいには適合していること、滅多な機会でもないと会えないものと思っていたが……。
そうだ、そもそもどうして村上は酒呑童子と会うことになった? 紅院は村上に聞いてみる。
「待って、そもそも村上くんはどうやってその……酒呑童子さんと会うことになったの?」
「普通に公園のベンチにいたけど」
「公園のベンチ……!?」
「ベンチでペットボトル酒抱えて寝ゲロしてて死にそうだったから介抱してた」
「伝説の鬼の頭領が寝ゲロで死にかけ……!!?」
誰もが知る大物妖怪、酒呑童子の衝撃的な醜態に、紅院も白沢も、そして鎌鼬までもがしばし硬直した。
「……な、なるほど……それは……なかなか……」
「白沢さん!? なんて表情してんですかアンタ!?」
「いや、その……酒呑童子様は確かに酒がお好きで、時折『酔い覚まし』に出歩かれることもあるのですが……」
「『酔い覚まし』というより『急性アルコール中毒の一歩手前』じゃないですかそれ!?」
「やべぇぞおい、白沢様の顔からしてめちゃくちゃ心当たりあるやつじゃねえか……」
紅院と鎌鼬のツッコミが響き渡る中、村上は淡々と続きを語る。
「それで俺は救急車呼ぼうとしたら意識戻って、『私に水をくれ……』とか言ってきたから自販機のスポドリ買ってきて飲ませて、吐瀉物片づけて、コンビニでお粥買ってきて食べさせて、最後は近くのビジネスホテルに泊まらせて帰りました」
「介護かな?」
どうにも常人には信じ難い出来事だが実際に起きており、だからこそ白沢もわざわざ村上のところに来れたのだろう、知識の神といえどゼロから辿るなんて砂場から真珠を特定するようなものだ。
……というか紅院でもだんだん察してきた。
「もしかして酒呑童子さんの連絡先に村上くんが入ってたとか」
途端に白沢が苦労人に見えてきた。
「酒呑童子が俺に用があるなら直接来てくださいってライン送っといた」
「やめて! これ以上Sランク増えたら僕の胃が持たないから!!」
「大丈夫、俺は紅院君なら酒呑童子の角も折れるって自負してるから」
「僕に対する絶対的な自信は何!? 僕そろそろプレッシャーで底面に穴抜けて漏れてきそうだよ!?」
「それはただの失禁だろ間抜け」
「ああ既に手配はしておきました、今回改めて聞いて私からもあの方に説明が欲しいと思ってましたので」
「しばらくの間失神していいかな!?」
しかし有無を確認する暇もなくうにょうにょとした物から白沢は手を伸ばして……遂に退魔師でも対処できない史上最強の鬼、酒呑童子が……。
「オエエエエエエ……!!」
出て来て早々に紅院の家の窓からレインボーを撒き散らして村上に腰を叩いてもらっていた。
(酒豪として知られてるはずの鬼の頭領が悪酔いしてる……!?)
「酒呑様また朝から呑んだのですか……今日は大事な話があるって言いましたよね?」
「呑まなきゃやってられるか人生はクソ……なんで一斉に妖怪復活なんてしてしまったんだ……」
なんということだこれが酒呑童子……こんなナリでも史上最強、しかしどう見てもあれはダメ人間……人としてもわりとだらしなさそうなジャージ姿の女……でも角が生えている。
しかし全く動じず村上は相手してる、もはや手慣れている動きだ。
「それで酒呑童子さんはなんで俺に会いに来たわけ? あの白沢は俺が酒呑組を乗っ取ろうとしてるって思ってるみたいだけど」
「そうだよ! 村上君が妖怪たちになにか打開策があるとしてもまさか酒呑童子に喧嘩を売るなんて度胸知らずな真似は……」
「ああむしろ私の方から酒呑組の支配権をお前に移したいと思ってる!!」
「酒呑童子さん!!?」
酒呑童子の方も復活してからストレスが溜まっているようであり、ペットボトルに入っている酒を一滴残らず飲み干してそのまま村上に詰め寄る。
「平安時代とかは勝手に山降りて好き放題出来て楽しかったのにいつの間にか令和すらとっくに過ぎてたし気がつけば酒呑組とか勝手に作られて頭領にされてからは前線に立つことも出来なくなったし人間を襲う計画書とか陣取り合戦の指示書とか作らないといけねーし大妖怪とかの会談もめんどくせーしこうして人間界いくだけで報告書書かないといけないし」
「もうやだ現世!!」
しつこいようだがこれが現在の酒呑童子という存在である。
ただの仕事疲れのOLみたいになっているが、鬼の王である、そこで酒呑童子はたまたま介抱してくれた村上にこの立場を押し付けようということは紅院からも読めた。
「じゃあ俺がトップになったら酒呑組を好きにしていいの?」
「いいよ別に私も興味ないし!」
「ダメに決まってるでしょうが!!」
「じゃあ他の派閥の妖怪に喧嘩売っていい?」
「それはむしろどんどんやって! 仕事が減る!」
「それもダメ……とは言いませんが程々に!!」
「あと最終的に紅院君を最強の退魔師にしたい」
「どうでもいい!」
「ちょっと!?」
あっさりと跳ね除けて酒呑童子とトントン拍子に進んでいく話の流れ、下手すれば酒呑組は日本の脅威になっていたはずなのにこれでいいのだろうか。
しかし話している途中で酒呑童子は空になったペットボトルを見る。
「あっ酒が切れた、ここ缶ビールとかないのか」
「人の家で勝手に酒を物色しないでください! というか未成年なのでお酒なんて買ってませんから!」
紅院が酒呑童子を止めている中、カオスな光景を前にしても村上は考えた……鎌鼬もわかる、試すつもりだ……自分や枕返しを追い込んだ言霊を。
だが白沢は止めもしない……結果が見えてるからだ。
「貴方って年齢はいくつなんですか」
「多分1500歳くらい」
「ってことは充分大人ですよね」
「いい歳こいてこんな時間からお酒呑んで仕事もしないで恥ずかしくないんです」
「恥ずかしくない!!」
なんと村上が言い切る前に堂々と酒呑は言い放った。
全然効いてない。
「この仕事や立場を守るためのプライドは」
「いらんいらんそんなもの酒のツマミにもならん」
「酒や煙草の依存は人体に深い影響を……」
「うるせえ人間だってそれを承知で規制せずにのうのうと提供してるんだ文句あるならドラッグみたいに全面的に止めてみろ!!」
「うっ……」
「嘘だろ!? 村上が口喧嘩で負けやがった!! 酒呑様の霊気が全然乱れてねえ!」
「言ったでしょう……酒呑様は誰にも止められない最強の妖怪であると」
「全然尊敬もクソもねえけどな!!」
あまりの開き直りっぷりに村上のマジレスアタックも耳から通り抜ける、確かにこれは脅威だが妖怪というか人としてわりとダメなやつである。
しかしこのまま酒呑が好き放題されるわけには……紅院が悩んでいた時、ついには布団まで占領される。
「もう嫌だ……結婚してぇ……なんであいつらだけ真っ当に幸せして私は破壊と停滞と縛りにまみれた人生過ごしてるんだ……世の中クソすぎる……」
だが村上は言霊を使えないだけで何もできなくなるわけではない。
「なるほどストレスまみれだ、人じゃなかったら血管ブチギレてますね、そこで用意しました」
「半日1泊ドカ食い酒サウナツアー(温泉付き)」
「半日1泊ドカ食い酒サウナツアー(温泉付き)……!?」
ストレスは晴らせそうだが紛れもなく健康には悪そうな代物が行われようとしていた、多分普通にやったら死ぬ。
3つのストレス解消をドッキングにしたってもっとこう……あるだろう!!
「いけません酒呑様! これは罠! 貴方は日本を統一し妖怪達を支配する大妖怪なのですよ!」
「そうやってストレスをずっと抱えて大義も果たせず潰れるんですか?」
「えっ」
「妖怪には会社も仕事の義務もなんにもないですよ」
「それ確かおばけの話じゃなかったか!?」
「あっ無理いいいいいいい!!!」
(伝説の大妖怪が欲求の吐き出し口に堕ちた────ッ!!!)
こうして村上は半日で酒呑童子を懐柔するかのようにストレス解消に付き合った、サウナの中でありったけのドカ食いと酒に溺れてストレスを汗やその他諸々と一緒に吐き出していった。
良い子は真似しないでね。
「俺は紅院君と違って妖怪を祓ったりとか倒したりできないし、これと言って個性もないですけど」
「貴方の愚痴や不満の相談に乗ったりは出来ますから」
「うっ……」
村上の発言にトゥンク……という感情が芽生える酒呑童子。
「村上……好きだ……」
「えっ」
かくして村上は酒呑組のとんでもないコネをその場で手に入れてしまった。