蛇喩経   作:kp3kp3

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第12話

 朝、カイロはすっかり冷たくなっていた。

 

 使い捨てだから、当たり前だ。ひと晩もってくれただけで、十分すぎるくらいだった。

 

 車の下から這い出す前に、敷いてあったタオルに、ちろっと舌を当てた。

 

 洗剤と、埃と、それから、こはるちゃんのにおいがした。

 

 ……よし。

 

 タオルは、持っていけない。手がないから。

 

 私はタオルをそのままにして、車の下から出た。モールの方は、振り返らなかった。ここにはもう来ちゃだめ、と言われたから。

 

 駐車場から出て、ボンネットに登って、日向ぼっこをする。

 

 なかなか、温まらない。

 

 日差しはちゃんと当たっている。でも、体の芯まで熱が届くのに、ずいぶん時間がかかった。こうなったばかりの頃は、ちょっと寝そべっていれば尻尾の先まで動くようになったのに。今は、その倍くらいかかっている気がする。

 

 街路樹の葉っぱが、黄色くなりはじめていた。

 

 舌を出すと、何か強烈なにおいがした。

 

 ……うっ。

 

 銀杏だった。道に落ちた実が潰れて、独特の、なんというか、ものすごく個性的なにおいを放っている。

 

 蛇になって初めて知った。銀杏は、蛇にも臭い。

 

 それはともかく。

 

 葉っぱが色づいて、銀杏が落ちている。つまり、秋が深まっている。

 

 秋の次は、冬だ。

 

 変温動物にとって、冬がどういうものかは、なんとなく分かる。夜の寒さであれだけ動けなくなるのだから、冬になったら、昼間でも動けなくなるかもしれない。

 

 野生の蛇は、冬の間は冬眠するらしい。土の中や、穴の中で、春まで眠って過ごす。

 

 ……私、冬眠とかできるのかな。

 

 できたとして、どこで?

 

 今まで私は、その日その日で寝床を探してきた。側溝、焚き火の跡、物置の下、ブロック塀の穴。一晩しのげれば、それでよかった。

 

 でも、冬を越すなら、そうはいかない。

 

 ちゃんとした、住む場所がいる。

 

◇

 

 日向ぼっこをしながら、私は物件の条件を考えた。

 

 一つ。入り口が狭いこと。大きいやつが入ってこられないように。猫又とか。

 

 二つ。濡れてないこと。水抜き穴の雨の日は、もう二度とごめんだ。でもジメジメはいい。

 

 三つ。すぐ近くに、日当たりのいい場所があること。朝一番に日向ぼっこできるように。

 

 四つ。近くに獲物がいること。

 

 五つ。人間の生活圏から離れていること。あと、猫又の縄張りからも。

 

 駅近とか、南向きとか、そういうのに近い気がする。蛇にとっての、だけど。

 

 ……あと、欲を言えば、日当たりのいい場所が石とかだと嬉しい。コンクリートでもいい。昼間の熱を溜めこんでくれるやつ。

 

 条件、多いな。

 

 こういう人が、なかなか部屋が決まらないんだと思う。私はかぐや姫か。

 

◇

 

 それから二日、私は内見に歩き回った。

 

 最初の候補は、乗り捨てられた車の中だった。窓が少し開いていて、中に入れる。座席はふかふかだし、風も入ってこない。

 

 夜になったら、車の中は外と同じくらい冷えた。金属の箱は、熱を溜めこまないらしい。却下。

 

 次の候補は、大きな下水の入り口。広くて、奥まで続いていて、大きいやつも来なさそう。

 

 入ってすぐ、足元……お腹の下がびしょびしょになった。そして、奥から何か得体の知れない、ぬめっとしたにおいがした。却下。即却下。

 

 三つ目は、空き家の床下。乾いていて、狭くて、悪くなかった。

 

 ただ、床下の土に、見覚えのある足跡があった。丸くて、指が四本の。舌を出して集中すると、あの金色の目のにおいが、うっすらと残っていた。

 

 却下。全力で却下。マジでありえない。

 

 私は、その日のうちに、その辺りから通りを三本離れた。

 

◇

 

 三日目の昼すぎ。

 

 住宅街の奥で、少しだけ坂になっている道を登っていたら、急に、周りの空気が変わった。

 

 ひんやりしていて、湿っていて、土と、苔と、古い木のにおいがする。

 

 顔を上げると、大きな木が何本も、道の先を覆うように立っていた。住宅街の真ん中に、そこだけぽっかりと、小さな森がある。

 

 森の入り口に、赤い柱が二本立っていた。

 

 上に、横木が二本、渡してある。

 

 鳥居だ。

 

 塗装はところどころ剥げて、赤というより、くすんだ茶色に近かった。根元には落ち葉が積もっていて、ずいぶん長い間、誰も掃除していないみたいだった。あの日よりずっと前から、たぶん。

 

 鳥居の向こうに、石段が続いていた。

 

 私は、その石段を見上げた。

 

 石段は、南を向いていた。日差しが、真正面から当たっている。

 

 ……いや、まさか。

 

 石段の一段目に、そっと体を乗せてみた。

 

 あったかい。

 

 昼間の日差しを、たっぷり吸いこんだ石の温かさ。ボンネットみたいに熱すぎず、コンクリートみたいに冷たすぎない。お腹の下から、じんわりと、ちょうどいい熱が染みてくる。

 

 条件三、クリア。

 

 私は、石段をゆっくりと登っていった。一段ごとに、ぽかぽかする。天国の階段かな。

 

 登りきったところに、小さな境内があった。

 

 正面に、古い木造の建物。たぶん、拝殿っていうやつだ。屋根の瓦がいくつか落ちていて、賽銭箱は横倒しになっていた。

 

 横には、屋根のついた石の水盤。手水舎。雨水が溜まっていて、落ち葉が浮いている。

 

 そして、境内を囲むように、大きな木々が立っていた。見上げると、枝の間で鳥がたくさん鳴いていた。

 

 人間のにおいは、しなかった。

 

 舌を何度出しても、人の気配はどこにもない。猫又のにおいもしない。

 

 ……ここ、すごくいいのでは。

 

 私は、拝殿の正面まで這っていった。

 

 古い木の階段の下で、なんとなく、頭を下げた。

 

 蛇が頭を下げると、ただ地面に顎をつけただけにしか見えないと思うけど。

 

 お邪魔します。

 

 家賃は……お賽銭、とか? 持ってないけど。

 

 内見の続きをする前に、まずは条件四の確認だ。

 

 境内の周りの森で、待ち伏せをしてみた。背中を大きな木の根っこにつけて、落ち葉に体を沈めて、【隠密】。

 

 鳥は、すぐに来た。

 

 森の鳥は、街の鳥より警戒心が薄いのかもしれない。二羽、三羽と地面に降りてきて、落ち葉をつついている。

 

 一羽が、目の前まで来た。

 

 ——今。

 

 ばくん。

 

『個体〈ロードーフォリア〉を撃破しました』『経験値を獲得しました』

 

 もう一羽。場所を変えて、さらにもう一羽。

 

『レベルが上がりました Lv7→Lv8』

 

 条件四、クリア。

 

 ただ、一つだけ、気になることがあった。

 

 ネズミのにおいが、ほとんどしない。

 

 街では、ゴミ捨て場にも側溝にも、あの前脚の長いネズミのにおいがあった。なのに、この森では、ほとんどしない。たまにしても、すごく古い。

 

 ……森だから、ゴミがなくて、ネズミも来ないのかな。

 

 そういうことにして、私は石段に戻った。

 

◇

 

 夕方まで、石段で日向ぼっこをした。

 

 石は、日が傾いてもなかなか冷めなかった。お腹の下から、ずっとじんわりあったかい。

 

 落ち葉が一枚、ひらひらと降ってきて、私の頭の上に乗った。

 

 振り落とす気にもならなかった。

 

 こはるちゃん、今ごろ何してるかな。

 

 隙間、塞がれちゃったかな。ダイキさんに怒られてないかな。ちゃんとごはん、食べてるかな。

 

 ……私が心配しても、仕方ないんだけど。

 

 ステータスを開く。

 

 

――――――――――――――――

名前 :クロ

種族 :ウェネヌムセルペンス

Lv  :8

状態 :正常

スキル:【毒牙Lv5】【熱感知Lv2】【隠密Lv3】【毒耐性Lv1】【悪食Lv1】【邪神の種Lv2】

進化 :条件未達成

――――――――――――――――

 

 

 あと、2。

 

 レベルが10になれば、また進化できる。前と同じなら、だけど。

 

 次に進化するときは、安全な寝床で。前にそう決めた。

 

 ここなら、ちょうどいい。

 

 あとは——一番大事な、寝室の内見だけだ。

 

◇

 

 拝殿の床は、石の土台の上に乗っていて、地面との間に隙間があった。

 

 ぐるっと一周すると、裏手の板が一枚、腐って割れていた。私がちょうど通れるくらいの穴。大きいやつは、通れない。

 

 条件一、クリア。

 

 穴に頭を差し込んで、中を覗く。

 

 暗い。

 

 でも、熱感知と舌がある。暗いのは、もう慣れっこだ。

 

 私は、床下に体を滑り込ませた。

 

 乾いていた。

 

 地面は、さらさらした土と埃。上には床板があって、雨も風も入ってこない。ひんやりしているけど、湿ってはいない。

 

 条件二、クリア。

 

 ……完璧じゃない?

 

 入り口が狭い。乾いている。すぐ前に南向きの石段。森には鳥。人間も猫又もいない。

 

 全部、クリアだ。

 

 こんな物件、二度と出てこない。即決です。私、今日からここに住みます! ここで働かせてください!

 

 いや、住むだけなんだけど。

 

 私は、うきうきしながら、床下の奥へと進んでいった。どこでとぐろを巻こうか。柱の陰がいいかな。それとも、真ん中あたり——

 

 舌の先に、何かが引っかかった。

 

 つん、と鼻の奥……じゃない、舌の奥に刺さるような、酸っぱくて、薬みたいなにおい。

 

 なんだろう、これ。

 

 においのする方へ、少しだけ進む。

 

 体の下で、何かがかさりと鳴った。

 

 小さな骨だった。

 

 ネズミの頭の骨。その隣にも、また一つ。鳥の羽が、ひとかたまり。細い脚の骨。

 

 一つ、二つじゃない。

 

 舌を出すたびに、においが分かる。床下のあちこちに、骨が散らばっている。どれも、きれいに肉がなくなっていた。

 

 ……森に、ネズミのにおいがしなかった理由。

 

 背中の鱗が、ぞわっと逆立った。

 

 熱感知に、意識を集中する。

 

 何も、映らない。

 

 床下は、どこまでもくすんだ灰色だった。赤い熱のかたまりなんて、一つもない。

 

 虫でも、熱は見えたはずなのに。

 

 なのに、においだけが、どんどん濃くなっていく。

 

 骨の山の向こうに、何か、平べったいものが落ちていた。

 

 薄くて、茶色くて、硬そうな殻。節がいくつも連なっていて、一つ一つの節から、細い棒みたいなものが二本ずつ生えている。

 

 抜け殻だった。

 

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