蛇喩経   作:kp3kp3

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第13話

 かさ。

 

 音がした。

 

 床下の奥。柱の向こうの、一番暗いところから。

 

 かさ、かさかさ。

 

 かさかさかさかさかさかさかさ——

 

 雨の音に、似ていた。

 

 たくさんの小さな何かが、一斉に地面を叩く音。

 

 熱感知には、何も映らない。床下は、どこまでもくすんだ灰色のままだ。

 

 なのに、音だけが近づいてくる。

 

 柱の陰から、何かが、ぬるりと現れた。

 

 平べったくて、赤黒くて、長い。

 

 頭の先で、二本の触角がゆらゆらと揺れている。その後ろに、硬そうな板を何十枚も重ねたみたいな胴体が続いていて、板の一枚一枚から、黄色い脚が左右に一本ずつ生えていた。

 

 脚が、波みたいに順番に動く。

 

 ムカデだった。

 

 私より、長い。私より、太い。

 

 ムカデって、蛇を食べるんだっけ。

 

 そんなことを、生物の先生は言ってなかった。言ってなかったけど、この床下に転がっている骨を見れば、答えは分かる。

 

 ここは、こいつの家だ。

 

 触角が、ぴたりと私の方を向いた。

 

 あ、これ。見つかった。

 

 先に動いたのは、向こうだった。

 

 速い。

 

 あのたくさんの脚が一斉に地面を蹴って、赤黒い体が一直線に突っ込んでくる。

 

 私は、反射的に頭を振って噛みついた。

 

 牙が、ムカデの頭のすぐ後ろに当たる。

 

 ——がちん。

 

 刺さらなかった。

 

 硬い。鱗とも、皮膚とも違う。爪を立てたプラスチックみたいに、牙の先が表面を滑った。毒は、一滴も入らなかった。

 

 代わりに、脇腹に、焼けるような痛みが走った。

 

 頭の横についた、牙みたいな鉤爪。それが、私の鱗の隙間に食い込んでいた。

 

「シャアアッ!」

 

 痛い。熱い。噛まれたところから、じわじわと熱が広がっていく。

 

 毒だ。こいつも、毒を持っている。

 

 私は、めちゃくちゃに体をよじった。鉤爪が外れる。転がるように後ろへ下がって、柱の陰に逃げ込む。

 

 ムカデは、追ってこなかった。触角を揺らしながら、柱の向こうで様子を見ている。

 

 急がない。

 

 あの猫と、同じだ。狩る側の余裕。

 

 脇腹の熱が、どんどん広がっていく。視界が、少しだけ揺れる。

 

『スキル【毒耐性】のレベルが上がりました Lv1→Lv2』

 

 ……レベルが上がっても、痛いものは痛い。

 

 でも、熱が脇腹のあたりで押しとどめられている。【毒耐性】がなかったら、今ごろもう動けなかったかもしれない。

 

 どうする。

 

 噛んでも、牙が通らない。向こうは、こっちが見えている。こっちは、熱感知で見えない。

 

 勝てる要素が、一つもない。

 

 逃げよう。

 

 この物件は、諦めよう。惜しいけど、命には代えられない。

 

 私は、入ってきた割れた板の方へ、全力で這った。

 

 穴をくぐる。外に出る。夕方の、少し冷えた空気。

 

 振り返った。

 

 穴の縁に、触角が見えた。

 

 それから、赤黒い頭が、するりと出てきた。

 

 ——え。

 

 通れるの?

 

 ムカデの体は、平べったかった。私がやっと通れた隙間を、薄い板みたいな体が、何の苦もなく滑り抜けてくる。

 

 条件一。入り口が狭いこと。大きいやつが入ってこられないように。

 

 大きくても、平べったいやつには関係なかった。

 

 私は、石段の方へ逃げた。

 

 なんでそっちに逃げたのか、自分でもよく分からない。たぶん、体が、あったかい方へ向かっただけだ。

 

 一段下りる。石が、まだほんのり温かい。昼間の熱が、残っている。

 

 後ろから、かさかさかさ、と音が追ってくる。

 

 ムカデは、境内の地面を這って、石段の一番上まで来ていた。

 

 そして、そこで、少しだけ動きが鈍った。

 

 触角を振って、ためらうように、段の縁を探っている。

 

 ……?

 

 暗くて湿った床下が好きなやつ。

 

 明るくて、開けた場所は、あんまり好きじゃない。

 

 ずっと暗い床下にいたから、周りの土と同じ温度まで冷え切っていたんだ。だから、体温が極端に低くて、熱感知に映らなかった。

 

 日が沈みかけた境内の地面は、もう冷えはじめている。でも、この石段は、まだ温かい。

 

 ここなら、私の方が、少しだけ速く動ける。

 

 ムカデが、一段目を下りはじめた。

 

 平べったい体が、段の角で、くの字に曲がる。

 

 その瞬間、私は見た。

 

 曲がった体の、外側。硬い板と板の間が、ほんの少しだけ開いていた。その隙間から、白っぽい、柔らかそうなものが覗いていた。

 

 ——あそこだ。

 

 板は硬い。でも、板と板の間は、硬くない。

 

 しかも、体を曲げたときにだけ、それが開く。

 

 ムカデが、二段目に下りてくる。また、体が角で曲がる。また、白い隙間が見える。

 

 でも、今そこに飛び込んだら、すぐ横にある頭の鉤爪にやられる。あれにもう一回噛まれたら、【毒耐性】があっても、たぶんもたない。

 

 理性はやめろと言うのに、奥底から湧いてくる衝動がうるさい。

 

 殺せ、と。

 

 ……うるさい。やるなら、ちゃんとやる。私のやり方で。

 

 私は、石段の横の、落ち葉の吹き溜まりに体を沈めた。背中は、石段の側面の石垣にぴったりつける。

 

 かさかさかさ。

 

 一段下りる。止まる。触角で探る。

 

 かさかさかさ。

 

 また一段。

 

 近づいてくる。私のいる吹き溜まりの、すぐ横の段まで。

 

 やって……やる。

 

 頭が、私の目の前を通り過ぎる。触角が、落ち葉の表面を撫でていく。私の鼻先から、指一本分のところを。

 

 動くな。

 

 私は落ち葉だ。ただの落ち葉。【隠密】を使って潜む。

 

 触角が、離れていった。目は、あんまり良くないみたいだ。

 

 赤黒い胴体が、目の前を流れていく。一枚、二枚、三枚、板が通り過ぎていく。黄色い脚が、次々と石を掴んでいく。

 

 胴体の、真ん中を過ぎた。噛まれたくないから、後ろ側。

 

 ムカデの体が、段の角に差しかかる。

 

 くの字に、曲がる。

 

 白い隙間が、開く。

 

 ——今。

 

 私は、落ち葉の中から、体ごと跳ね上がった。

 

 頭を投げるように、口を開いて。

 

 牙が、板と板の隙間に、ずぶりと沈んだ。

 

 柔らかい。

 

 入った。

 

 牙の根元から、熱いものが流れ出ていく。一滴残らず、全部。

 

 ムカデの体が、びくん、と跳ねた。

 

 前の方の脚が、一斉にばたばたと石を掻く。頭が、ぐるりとこっちを向く。

 

 鉤爪が、来る。

 

 私は牙を抜いて、石段の下へ転がり落ちた。

 

 一段、二段、三段。体中を石にぶつけながら、とにかく頭から離れる。

 

 ムカデの頭が、私がいた場所の石を、がちん、と噛んだ。

 

 それから、ムカデは、私を追ってこようとした。

 

 石段を、下りてこようとした。

 

 脚が、揃わなかった。

 

 前の方の脚は動いているのに、後ろの方の脚が、ばらばらに、でたらめに動いている。噛んだところから後ろが、うまく動いていない。

 

 体が、段の縁で引っかかる。ずるりと滑る。また前の脚で踏ん張る。

 

 私は、石段の一番下で、とぐろを巻いて、それを見ていた。

 

 即効性の毒。三つ目のカラスは、一噛みで落ちた。

 

 でも、こいつは大きい。回るまでに、時間がかかる。

 

 だったら、待てばいい。

 

 噛んで、離れて、待つ。

 

 私は、この体の、正しい戦い方を知っている。

 

 ムカデは、それから長いこと暴れていた。

 

 石段を半分まで下りてきて、そこで止まった。脚が一本、また一本と動かなくなっていく。最後まで動いていたのは、触角だった。

 

 それも、やがて、ゆっくりと垂れた。

 

『個体〈スコロペンドラギガース〉を撃破しました』『経験値を獲得しました』『レベルが上がりました Lv8→Lv10』『スキル【毒耐性】のレベルが上がりました Lv2→Lv3』

 

『特殊条件を満たしました』

 

『進化可能条件を満たしました』

 

 私は、しばらく石段の下から動けなかった。

 

 脇腹が、まだ熱い。体中が、石にぶつけたところで痛い。

 

 でも、生きてる。

 

 勝った。

 

 あの猫には、手も足も出なかった。……手も足もないけど。

 

 今回は、勝った。噛んでも通らない相手に、隙間を見つけて。たぶん、格上だったと思う。

 

 勝ったんだ。私は、生きてる。

 

 ムカデの死体を、少しだけ舐めた。

 

 酸っぱくて、薬っぽくて、あんまり美味しくはなさそうだった。そもそも、長すぎて飲み込めない。

 

 今回は、お腹いっぱいにするのが目的じゃない。

 

 私は、石段を這い上がって、拝殿の裏に回った。割れた板の穴をくぐって、床下に入る。

 

 もう、かさかさという音はしなかった。

 

 骨の散らばった床下は、静かで、乾いていて、ひんやりしていた。

 

 家主、交代です。

 

 私は、一番奥の柱の陰でとぐろを巻いた。

 

 それから、進化の項目を開いた。

 

 

【進化】

・グランディスセルペンス

・フォルティスウェネヌムセルペンス

・ドラコーセルペンス

 

 

 三つ、あった。

 

 前は二つだった。

 

【グランディスセルペンス】 大型の蛇。体格に優れ、寒さへの耐性が高い。

 

【フォルティスウェネヌムセルペンス】 より強力な毒を持つ蛇。

 

【ドラコーセルペンス】 竜の因子を宿す蛇。成長には多くの経験値を必要とする。

 

 私は、三つの名前を、順番に見比べた。

 

 グランディス。大きくなる。寒さに強い。

 

 今の私に、一番必要なのはこれかもしれない。冬が来る。大きい体なら、冷えにくい。この床下で、冬を越せる。大きさは、強さだ。

 

 フォルティスウェネヌム。毒が強くなる。

 

 私の武器は、毒だ。ずっとそうだった。でも、さっきのムカデは、毒が強いだけじゃ勝てなかった。牙が通る場所を見つけられたから、勝てた。これが種族的な順当進化っぽい。

 

 ドラコー。竜。

 

 竜って、何。蛇が竜になるって、どういうこと。

 

 説明は、短い。何ができるようになるのか、全然分からない。成長には、多くの経験値が必要。つまり、次の進化までが遠い。

 

 順当に考えたら、グランディスだ。これから多分冬眠するし、そのためには大きい方がいい。

 

 いのちだいじに、なら、グランディス。

 

 毒に特化するならフォルティスもあり。

 

 けれど。

 

 私は、ドラコーの文字から、目を離せなかった。

 

 死なないために、できる限り早く強くなるべきで、たぶんこれじゃない方がいいのに。

 

 竜って、絶対つよいよね。それに、多くの経験値が必要って、上位種みたいな、そういうやつな気がする。

 

 だいたいは、経験値がたくさん必要な、大器晩成型のほうが最終的につよいよね。

 

 それに。

 

 ——また、会える?

 

 こはるちゃんが、手のひらを差し出してきたときの顔を思い出す。

 

 今度会うときは、胸を張って会いに行きたい。冬を越せるだけの大きな蛇、じゃなくて。

 

 もっと、ずっと、強いものになって。

 

 それに、竜なら……言葉を発したり、できるかもしれない。

 

 胸の奥で、ざわざわが動いた気がした。

 

 これは、あのざわざわのせいなんだろうか。強さへの、抑えきれない渇き。

 

 分からない。

 

 分からないけど、この選択だけは、自分で選んだと思いたかった。

 

『ドラコーセルペンスへの進化を開始しますか?』

 

 ——はい。

 

 最初に来たのは、やっぱり痒みだった。

 

 それから、熱。

 

 前の進化とは、比べものにならなかった。

 

 体の奥から、焼けた鉄を流し込まれたみたいな熱が噴き上がる。骨が、軋むんじゃなくて、形を変えていく。頭の骨の、目の上あたりが、内側から押し上げられるみたいにむず痒い。

 

 鱗の一枚一枚が、剥がれて、生え直していく感覚。

 

 視界の端で、画面が狂ったように点滅していた。

 

『進化処理を実行中』『……』『██████へ██%を送信』『██████へ██%を送信』『進化処理を実行中』『スキル【邪神の種】のレベルが上がりました Lv2→Lv3』『スキル【竜鱗】を獲得しました』

 

 意識が、落ちていく。

 

 今度は、ちゃんと床下にいる。大丈夫。ここは、私の家だ。

 

 真っ暗な中に、落ちていく。

 

◇

 

 ——ねえ。

 

 ——あー、やっと……■■がった。前より、マシ……■■

 

 ——あんた、■前……もらったんだ。

 

 ——クロ、っていうの?

 

 ——いい名前■■ない。……ペットかなにかみたいだけど。

 

 ——……ねえ、よく聞いて。■■たが強く■■たびに、■■■が■■を持ってって……

 

 ——次の……■■化で、■■ちゃんと……■■るから。それまで……

 

 ——死ぬんじゃ、ないわよ。

 

◇

 

 目が覚めた。

 

 床下の、柱の陰。割れた板の穴から、朝の光が細く差し込んでいる。

 

 ひと晩、眠っていたらしい。

 

 体の熱は、嘘みたいに引いていた。脇腹の、ムカデに噛まれた傷も、石段でぶつけた痛みも、全部なくなっていた。

 

 すぐ横に、抜け殻が落ちていた。

 

 前の抜け殻より、ずっと長い。

 

 そして、私自身も、ずっと長くなっていた。

 

 今度は、はっきり分かった。とぐろを巻くと、柱の周りを一周しても、まだ尻尾が余る。胴体の太さも、前とは全然違う。

 

 床下に差し込む光に、自分の体を映してみた。

 

 黒い鱗は、前よりも一枚一枚が大きくて、角ばっていた。光の当たり方で、ほんの少しだけ、深い緑色が混じって見える。

 

 背中の真ん中に、一筋、小さな突起が並んでいた。背骨に沿って、頭から尻尾の方まで。

 

 かっこいい……のか?

 

 私は、自分の抜け殻に、ちろっと舌を当てた。

 

 それから、少し迷って、前と同じように、それを食べた。

 

 今度は、ちゃんと自分で選んで。

 

 昨日までの私を、置いていかないように。

 

 

――――――――――――――――

名前 :クロ

種族 :ドラコーセルペンス

Lv  :1

状態 :正常

スキル:【毒牙Lv5】【熱感知Lv2】【隠密Lv3】【毒耐性Lv3】【悪食Lv1】【竜鱗Lv1】【邪神の種Lv3】

進化 :条件未達成

――――――――――――――――

 

 

【竜鱗Lv1】 あらゆるものにわずかな耐性を得る鱗。レベルに応じて強度が上昇する。

 

 新しいスキルが、一つ増えていた。あらゆるもの、って。わずかな、とは書いてあるけど……それでも強くない? なにこれ。

 

 【邪神の種】も、また一つ、上がっていた。

 

 夢の中の声を、思い出す。

 

 ——死ぬんじゃ、ないわよ。

 

 邪神……なのかな? 言われなくても、死ぬつもりは無い。

 

 私は、床下の穴から、朝の光の方へ這い出した。

 

 石段が、南向きの日差しを浴びて、温まりはじめていた。

 

 新しい家の、最初の朝だった。

 

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