蛇喩経 作:kp3kp3
ステータス画面を閉じたあとも、私はしばらく動けなかった。
体は痛いし、疲れたし、頭は混乱している。でもそれ以上に——お腹が空いていた。
目の前には、さっき倒したネズミの死体が転がっている。
……いや、ないない。
それはない。さすがにない。人として。
そう思っているのに、舌が勝手にちろちろと動いて、においを拾ってくる。脂っぽくて、あったかくて、どうしようもなく美味しそうなにおい。
人として、とか言ってる場合じゃないのかもしれない。だって今の私、人じゃないし。
しばらく葛藤して、結局、空腹が勝った。
口を開けると、顎がびっくりするくらい大きく外れた。自分の頭より大きいネズミが、ずるずると喉の奥に入っていく。
おお……そうか、蛇って噛んで食べないんだ。喉の筋肉がぐにぐにネズミをお腹の方に運んでいく。
蛇って喉詰まらないのかなって思ってたけど詰まる。ちょっと苦しい。いや……苦しいというより圧迫感があると言おうか。
慣れない感覚だ。
ごちそうさまでした……感想は控えさせていただきます。
ただ、飲み込み終わった瞬間、じんわりと体の奥が温かくなった。引っかかれた傷の痛みが、少しだけ引いていく。
『捕食により体力が回復しました』
食べると回復するんだ。
なんというか、ありがたいけど、あんまり嬉しくない仕様だった。
お腹が落ち着いたところで、改めてステータスを確認してみることにした。
さっきは混乱していてちゃんと見られなかったけど、どうやら各項目に意識を向けると、詳しい説明が出てくるらしい。
【毒牙Lv2】 牙から毒を注入する。レベルに応じて毒性が上昇する。
【熱感知Lv1】 周囲の熱源を感知する。
うん、分かりやすい。
問題は、最後の一つだった。
【邪神の種Lv1】 4gh6漣anより██された種。宿主に■■■■を与え、その代償として医?縺薙→をjpzo4u95する。
……読めないんだけど。
肝心なところが全部文字化けしてる。政府の機密文書かな?
ただ、「代償」って単語だけははっきり読めてしまった。嫌な予感しかしない。
いくら念じても、それ以上の情報は出てこなかった。
仕方なく、次は「進化」の項目に意識を向ける。
【進化条件】 ・□□□□
こちらも読めない……けど、文字化けというより、今は見られないって感じみたいだ。
進化したら、何になるんだろう。もっと大きな蛇? それとも……
ちょっとだけ、わくわくしている自分がいた。
——いやいや、わくわくしてる場合じゃない。まずは生き延びることが最優先だ。
思い詰めるより、わくわくしてるくらいの方がいいか?
側溝の中をしばらく進むと、出口らしき場所に行き当たった。コンクリートの壁に開いた排水口から、外の赤い光が差し込んでいる。
顔だけ出して、外の様子をうかがう。化け物みたいなやつは見当たらない。
夕方だった。空がオレンジ色に染まっていて、壊れたビルの影が長く伸びている。
そして——遠くに、明かりが見えた。
大きな建物。たぶんショッピングモールだ。入口のあたりには車やら机やらが積み上げられてバリケードみたいになっていて、屋上からはうっすら煙が上がっている。
人がいる。
心臓が跳ねた。
生きてる人がいるんだ。この街にも、まだ。
気がつけば、私はモールの方へ向かって這い出していた。
別に、何か考えがあったわけじゃない。蛇の体で行ってどうするのか、とか。助けてもらえるのか、とか。そういうことは全然考えていなかった。
ただ、人に会いたかった。
自分が人間だったことを、誰かに確かめてほしかったのかもしれない。
モールの近くまで来ると、人の声が聞こえてきた。コソコソと車の下に潜り込んで、そっと様子をうかがう。
「右から来てるぞ!」「囲め囲め、逃がすな!」
バリケードの手前の駐車場。そこに、五、六人の男の人たちがいた。
手には鉄パイプやバット、包丁をくくりつけた物干し竿。みんな服はボロボロで、顔は汚れていたけど、目だけがぎらぎらしていた。
彼らが囲んでいるのは、一体の化け物だった。
化け物と言ってもそれほど異形という感じはしない。角の先が鋭い鹿……鋭いと言ってもとがり方がジャキンと言うか、殺意マシマシの形をしている。
「死ねッ!」
鉄パイプが振り下ろされる。何度も、何度も。鹿が頭を振り回すのを上手く避けながら四方八方から狩られる姿は、図鑑の挿絵なんかで見たマンモスとかを狩る姿みたいだった。
「……っしゃあ!」
一番体格のいい男の人が、ガッツポーズをした。
「レベル上がった! これで6だ!」
「マジかよ、いいなあ」「俺も上がった。4だけど」
——レベル?
この人たちにも、見えてるってことか。あの画面が。
じゃあ、この人たちも化け物を倒して経験値をもらって、強くなってるってこと?
頭が追いつかないうちに、男の人の一人が、倒れた化け物を足で転がした。
「大物だな。これだけで数日は持つ」
その言葉が、妙に胸に刺さった。
じゃあ、私は? 蛇だから可食部は少ないかもだけれど。
「——おい、近くになんかいるぞ!」
「あ? サーチか?」
男の人たちが、キョロキョロと周りを見る。
サーチ? スキルのことか。そんなものがあるのか。
近づいてくる足。まずい。見つかる。
車の下を覗き込んでくる顔。目が合う。
「蛇だ!」「気をつけろ、ただの蛇じゃねえかもしれねえ!」「こんなとこに普通の蛇いるかよ、化け物だろ!」
違う。
違うの。私は——
「シャァァァ!」
私は人間です、って言いたかった。
でも出てきたのは、威嚇にしか聞こえない空気の音だけだった。
「威嚇してんぞ! 殺せ!」
鉄パイプが、車の下に突っ込まれてきた。
私は反射的に身をよじって避けた。すぐ横のアスファルトを、パイプの先がガンッと叩く。
逃げなきゃ。
私は車の反対側から飛び出して、全力で這った。
「逃げたぞ!」「追え、経験値だ!」
経験値。
あの人たちにとって、私は経験値なんだ。
後ろから足音が迫ってくる。でも、人間の足ならさっきの化け物ほど速くない。私は瓦礫の隙間を縫うように進んで、崩れたビルの奥に滑り込んだ。
「毒があるかもだぞ。気をつけろよ」
なんて声が聞こえる。気をつけるくらいなら何処かへ行ってくれ。
しばらくして、悪態をつく声と足音が遠ざかっていった。
……逃げ切れた。先程から思っていたけれど、私の体は結構足が速い。いや、足は無いのだが。
崩れたビルの暗がりで、私はとぐろを巻いてじっとしていた。
分かってた。分かってたはずなんだ。
こんな姿で人間のところに行ったら、どうなるかなんて。
それでも、ちょっとだけ期待していた。もしかしたら、誰か一人くらいは、って。
……馬鹿みたい。
もしかしたら、さっきの鹿も……。
そこで考えるのをやめた。
考えたら、たぶん、動けなくなる。
舌をちろりと出す。
近くの瓦礫の下に、小さな熱の反応があった。虫か何かだろうか。大きさからして、さっきのネズミより弱そうだ。
私は、ゆっくりと体をほどいた。
人間は助けてくれない。人間には戻れない。
だったら、私は私で、生き延びるしかない。
強くなって、誰にも殺されないくらい強くなって。
それで——それで、その先のことは、生き延びてから考えればいい。
瓦礫の隙間に、音もなく頭を滑り込ませる。
熱の塊が、すぐそこにあった。半ば無意識、反射的にぱくりと咥えて飲み込む。
『個体〈イニティウムスカラベウス〉を撃破しました』『経験値を獲得しました』『レベルが上がりました Lv3→Lv4』
青白い画面の光が、暗いビルの中をぼんやりと照らしていた。
――――――――――――――――
種族 :イニティウムセルペンス
Lv :4
状態 :正常
スキル:【毒牙Lv2】【熱感知Lv1】【邪神の種Lv1】
進化 :条件未達成
――――――――――――――――