蛇喩経   作:kp3kp3

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第3話

 夜は、思っていたよりずっと早くやってきた。

 

 崩れたビルの中で虫を食べたあと、少しだけ休むつもりでとぐろを巻いていたら、いつの間にか外は真っ暗になっていた。電気の消えた街に、明かりはひとつもない。遠くのモールのあたりだけが、ぼんやりと赤く光っていた。

 

 そして、寒い。

 

 めちゃくちゃ寒い。

 

 九月……だったと思う、たぶん。人間だった頃なら、夜でも半袖で過ごせるくらいの季節のはずだ。なのに、体の芯から冷えていく感じがする。

 

 しかも、寒くなるにつれて、体がどんどん重くなっていった。

 

 尻尾の先を動かそうとしても、ワンテンポ遅れてのろのろとしか動かない。頭もぼんやりしてくる。眠いというか、電池が切れかけているというか。

 

 ……あ、そうか。蛇って変温動物だ。

 

 自分で体温を作れないから、周りが冷えると体も冷えて、動けなくなる。これも生物の授業で習った気がする。私、生物の授業だけはちゃんと聞いてたのかもしれない。

 

 いや、感心してる場合じゃない。

 

 この状態で何かに襲われたら、たぶん逃げられない。

 

 私は重たい体を引きずりながら、舌を出してにおいを探った。それから、熱感知に意識を集中する。

 

 真っ暗な視界の中に、ぽつんと、オレンジ色の点が浮かんだ。

 

 ビルの奥。何かが燃えたあとみたいだった。

 

 ずりずりと這っていくと、そこには黒焦げになった段ボールや木材の山があった。誰かが焚き火でもしていたのか、それとも火事の名残か。表面は冷えているけど、灰の奥にまだほんのりと熱が残っている。

 

 私は灰の中に体を半分うずめて、とぐろを巻いた。

 

 じんわりと、お腹のあたりから温かさが染みてくる。

 

 ……生き返る。

 

 灰まみれだけど。鱗の隙間に灰が入ってきてじゃりじゃりするけど。

 

 焚き火の燃えカスの中で丸くなって夜を明かす。字面にすると、なかなか過酷だった。

 

 これ……思ったよりあったかいし居心地いいな……。

 

◇

 

 朝。

 

 外に出ると、空は嘘みたいに晴れていた。焚き火跡は寝てる間にすっかり冷めて、身体が重い。

 

 私は乗り捨てられた車のボンネットによじ登って、体をべったりと伸ばした。黒い鱗が朝日を吸って、みるみる温まっていく。

 

 あー……。

 

 これはいい。これはすごくいい。

 

 冷たくて重かった体に、血が巡っていくのが分かる。尻尾の先まで、ちゃんと自分の体だって感じがする。人間で言うのなら、車で変な体勢で寝て、痺れた所を伸ばす感じだろう。

 

 蛇が日向ぼっこしてる理由、身をもって理解した。これは気持ちいいわ。

 

 しばらくボンネットの上でだらけていると、お腹が小さく鳴った……気がした。蛇のお腹が鳴るのかは知らない。でも、空いているのは確かだった。

 

 昨日食べたのは、ネズミ一匹と虫一匹。

 

 そして昨日分かったことは、二つ。

 

 ひとつ。この世界は、弱いと死ぬ。

 

 ふたつ。倒せば、強くなれる。

 

 そして私は、死にたくない。

 

◇

 

 最初の獲物は、すぐに見つかった。

 

 街路樹の根元の、落ち葉の下。熱感知で見ると、小さな熱の点がいくつも散らばっていた。わらじ虫っぽい何かだ。

 

 落ち葉に頭を突っ込んで、ぱくっ。

 

『個体〈レペンスウェルミス〉を撃破しました』『経験値を獲得しました』

 

 ぱくっ。ぱくっ。

 

『経験値を獲得しました』『経験値を獲得しました』

 

 簡単。すごく簡単。

 

 ……なんだけど。

 

 五匹、六匹と食べたところで、ステータスを確認してみた。レベルは4のまま。経験値のバーみたいなものは見えないけど、たぶん全然溜まっていない。

 

 これ、効率が悪いやつだ。

 

 ゲームでいうところの、スライムを百匹狩るより、ちょっと強い敵を一匹倒した方がいい、みたいな。

 

 となると、もう少し大きい獲物を狙う必要がある。もちろん作戦はいのちだいじに、だが。

 

 鎌首をもたげると、ちょうど頭上の電線に鳥が何羽か止まっていた。

 

 スズメ……に似ている。でも、少し大きい。くちばしが妙に細長くて、先端が釣り針みたいに曲がっている。……これ、スズメに似てるのは色だけだな。

 

 あれなら、ネズミより弱そうだし、虫よりは経験値がありそうだ。

 

 ……いや、どうやって捕まえるの、あれ。

 

 向こうは空を飛べる。こっちは地面を這うしかない。手もない。足もない。

 

 とりあえず、電柱の根元まで近づいてみた。

 

 鳥たちは、ちらりとこっちを見て、ぴよぴよと何か言い合ったあと——全員、ばさっと飛び去った。

 

 ……。

 

 ですよね。

 

 それから一時間くらい、いろいろ試した。

 

 電柱に巻きついて登ってみた。三分の一くらいで滑り落ちた。頑張れば登れそうだけれど、そんなの絶対バレる。

 

 地面に降りてきたところを狙って、全速力で突っ込んでみた。私が近づくより先に飛ばれた。そりゃそうか。

 

 ゴミ捨て場で待ってみた。鳥は来たけど、私が動いた瞬間にやっぱり飛ばれた。

 

 そう、動いた瞬間に。

 

 私は、ゴミ袋の陰でとぐろを巻きながら、少し考えた。

 

 鳥たちは、私が近くにいても、じっとしている間はあんまり気にしていなかった。逃げるのは、私が動いたときだけだ。

 

 もしかしたら目が悪くて動くものに反応するのかもしれない。

 

 だったら——追いかけるんじゃなくて、待てばいい。

 

 獲物の方から、口の届く距離まで来てもらえばいい。

 

 テレビで見た気がする。木の枝や落ち葉の中でじっと動かずに、獲物が目の前を通るのを待つ。何時間でも、何日でも待つんだって。

 

 ……何日もとかはちょっと無理だけど。

 

 私は、鳥たちがよく降りてくる、ゴミ捨て場の脇の植え込みに潜り込んだ。落ち葉の下に体を沈めて、頭だけをほんの少し出す。

 

 それから、じっと動かない。

 

 舌も出さない。出すと動きでバレる気がしたから。代わりに、熱感知だけに意識を集中する。

 

 じっと。

 

 じっと。

 

 ……暇。

 

 めちゃくちゃ暇。

 

 人間だった頃の私なら、三十秒でスマホを取り出していたと思う。やばい……眠たくなってきた。でもなんか……ボケーッとしてるのが思ったより苦じゃない。体の方が、待ち方を知っているみたいだった。

 

 どれくらい経ったか分からない。

 

 ばさっ、と羽音がして、赤い熱のかたまりが、目の前に降りてきた。

 

 一羽。地面をつついている。距離、たぶん私の体ひとつ分。

 

 まだ。

 

 まだ遠い。

 

 鳥が、ちょん、ちょん、とこっちに跳ねてくる。

 

 あと半分。

 

 鳥が、足元の何かをついばもうと、首を下げた。

 

 ——今。

 

 考えるより先に、体がばねみたいに伸びた。

 

 頭を動かすというより、ポンと投げるようにガバっと口を開く。

 

 ばくん、と口が閉じて、牙が柔らかいものに食い込む感触。

 

 鳥が暴れる。羽が顔を叩く。でも、離さない。毒が流れ込んでいくのが分かる。

 

 やがて、鳥の動きが弱くなって、止まった。

 

『個体〈ハームスロストルム〉を撃破しました』『経験値を獲得しました』『レベルが上がりました Lv4→Lv5』

 

 ……やった。

 

 やった、やった!

 

 思わず尻尾がぱたぱた動いた。犬か。

 

 でも、それくらい嬉しかった。昨日のネズミは、ただ必死だっただけだ。今のは違う。自分で考えて、自分で待って、自分で仕留めた。

 

 ちゃんと、狩りができた。

 

『スキル【隠密Lv1】を獲得しました』『スキル【熱感知】のレベルが上がりました Lv1→Lv2』

 

 おまけに、スキルまでついてきた。

 

【隠密Lv1】 静止時、気配を感知されにくくなる。

 

 待ち伏せ専用、みたいなスキルだ。今の私にはぴったりだった。

 

 熱感知のレベルも上がっていた。ずっと熱だけに集中して待っていたからかもしれない。

 

 鳥は、羽ごと丸呑みにした。羽が喉にちくちくする。感想は……普通にちょっと美味しかった。慣れてきたのが一番怖い。

 

 いやでも、鳥肉だからセーフだよね?

 

◇

 

 待ち伏せのやり方を覚えてから、狩りは一気に楽になった。

 

 同じ植え込みで、もう二羽。場所を変えて、公園の茂みでさらに一羽。

 

 昼すぎには、レベルは6になっていた。

 

 そして、もうひとつ覚えたことがある。

 

 それは、公園の池のそばで、でっぷり太ったネズミを見つけたときのことだった。

 

 昨日のネズミと似ているけど、ひと回り大きい。前脚の指も、昨日のやつより長くて太い。正面からやり合ったら、また鱗を剥がされるのは目に見えていた。

 

 昨日みたいに、噛みついて、巻きついて、我慢比べ——は、できれば二度とやりたくない。痛いし。

 

 そこで私は、ちょっとずるいことを考えた。

 

 木は電柱よりザラザラしていて、樹皮は登りやすいことはわかっていた。それなりの時間をかけて木に登ってからネズミを見下ろす。

 

 木の上からぶら下がるようにして後ろ足に噛み付いた。

 

 そして——すぐに離す。

 

 ギッと声をあげて暴れるネズミから逃げるように身体を持ち上げて木の上に戻る。

 

 ネズミは怒って私の方を見ていたけれど諦めて何処かへ歩いていった。

 

 それを見送ってから、ネズミの居た所に降りて、私は舌を出した。

 

 毒のにおい。私の毒のにおいが、点々と地面に残っている。それを舌でなぞるように、ゆっくり後を追いかけた。

 

 急がなくていい。毒が回るのを待てばいい。

 

 一度で死ななくても、何回でも同じことを繰り返せばいい。

 

 追いついたら、ネズミの行く先の植え込みや物陰に先回りして潜む。通りかかったところを後ろから噛んで、すぐに離れて茂みに逃げ込む。それを何度か繰り返しながら、つけ回した。

 

 しばらく進んだところで、植え込みの根元に、ネズミが倒れていた。まだ息はあったけど、もう動けないみたいだった。

 

 私は、とどめを刺した。

 

『個体〈クロアカムース〉を撃破しました』『経験値を獲得しました』『レベルが上がりました Lv6→Lv8』『スキル【毒牙】のレベルが上がりました Lv2→Lv3』

 

 ……うわ。

 

 自分でやっておいてなんだけど、えげつない。

 

 噛んで、離れて、弱るのを待って、追いかける。やってることが完全に暗殺者だ。

 

 でも、無傷だった。鱗一枚剥がれていない。

 

 これが、この体の正しい戦い方なんだと思う。力比べじゃなくて、待って、噛んで、待つ。

 

 蛇のイメージには合ってるかも。なんか、卑怯なイメージあるし。

 

◇

 

 池の水面に、自分の姿を映してみた。

 

 水面の自分と、しばらく見つめ合った。

 

 蛇だ。どこからどう見ても、ただの黒い蛇。

 

 ……それが、そんなに嫌じゃなくなってきている。目とかまん丸だし、クリックリだから可愛いかも。

 

 そのとき、遠くから人の声が聞こえた。

 

 公園の向こう。道路を、何人かの人間が歩いていた。昨日の人たちとは違うグループみたいだ。リュックを背負って、周りを警戒しながら、どこかへ向かっている。

 

 私は、反射的に茂みの中に身を伏せた。

 

 大丈夫。ここまでは来ない。距離もあるし、【隠密】もある。

 

 そう思いながら、熱感知で彼らを見た。

 

 赤くて、大きくて、あったかい熱のかたまり。

 

 ネズミより、ずっと大きい。

 

 鳥より、ずっと。

 

 あれ一人で、どれくらい——

 

 ——経験値が。

 

 ぞわっ、と鱗が逆立った。

 

 今、私、何を考えた?

 

 慌てて頭を振る。違う。違う違う。あれは人間だ。私だって、人間だった。昨日、あの人たちに経験値呼ばわりされて、あんなに嫌だったのに。

 

 同じことを、今、私が。

 

 胸の奥で、あのざわざわした何かが、まだ小さく蠢いていた。お腹が空いたときに似ている、熱くて、抑えきれない衝動。

 

 ……お腹が空いてるだけ。きっと、そう。

 

 私は蛇だけれど、人間だ。進化があるし、いつか人間になれる可能性だってある。

 

 茂みに身を潜めて、じっと待って人間を見送った。

 

 

――――――――――――――――

種族 :イニティウムセルペンス

Lv  :8

状態 :正常

スキル:【毒牙Lv3】【熱感知Lv2】【隠密Lv1】【邪神の種Lv1】

進化 :条件未達成

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