蛇喩経 作:kp3kp3
進化した日の夜は、住宅街の物置の下で過ごした。
隙間に潜り込んで、とぐろを巻いて、朝まで一歩も動かない。……いや、足はないけど。一歩も這わない。
夜の寒さは相変わらずだったけど、昨日より少しだけマシな気がした。体が大きくなった分、冷えるのに時間がかかるのかもしれない。
朝。いつも通りボンネットで日向ぼっこをしながら、私は改めて自分の体を観察した。
長さは……たぶん、ほんのちょっと伸びた。ほんのちょっと。定規があれば測りたい。
太さも、ほんの少しだけ。
……うん、正直あんまり変わってない。
鱗の艶が良くなったのは嬉しいけど、見た目で言えば「ちょっと元気になった蛇」くらいのものだ。進化って、もっとこう、劇的に変わるものだと思ってた。
とりあえず、ボンネットから降りて、道路を端から端まで這ってみる。
速い。……気がする。
前より体が軽くて、くねらせたときの推進力が一回り強い。曲がるときも滑らない。自転車のタイヤに空気入れ直した時、みたいな感覚。
電柱にも巻きついてみた。
半分くらいまで登れた。そして落ちた。
……成長はしてる。うん。電柱って微妙に滑るんだなぁ。
お腹が空いたから、いつも通り植え込みで待ち伏せをすることにした。
落ち葉の下に体を沈めて、頭だけ出して【隠密】。舌は出さない。熱感知に集中する。
このあたりはもう完全に慣れた。人間だった頃には絶対にできなかったことが、今は呼吸するみたいにできる。多分自転車と同じ。一度できると、もうできなかった頃がわからなくなる。
しばらくして、ばさっと羽音がした。
例の、釣り針みたいなくちばしの鳥だ。地面をつつきながら、ちょん、ちょん、と近づいてくる。
その様子を見ながら、ふと気づいた。こいつのくちばし、穴を掘って逃げる虫をほじくり出すための形なんだ。
まだ。
もう少し。
——今。
体をばねにして飛び出す。口を開いて、閉じる。牙が羽の付け根に食い込む。
ここまでは、いつも通りだった。
いつもなら、ここから鳥が暴れて、羽で顔をばしばし叩かれて、それに耐えながら毒が回るのを待つ。長いと数十秒くらいかかる。
鳥が、びくん、と一度だけ大きく跳ねた。
それで、終わりだった。
くたっと力が抜けて、動かなくなる。
……え?
私は牙を刺したまま、固まった。
え、もう? 今、噛んだばっかりだよね? 羽ばたき一回分くらいしか経ってないよね?
『個体〈ハームスロストルム〉を撃破しました』『経験値を獲得しました』
画面が出た。死んでる。ちゃんと死んでる。
……毒牙、強くなってる!? レベルが上がってたから当然か。とは言えここまで強いとは。
慌ててステータスを開いて、【毒牙】に意識を向ける。
【毒牙Lv5】 牙から即効性の毒を注入する。レベルに応じて毒性が上昇する。
説明文、増えてる。
即効性。つまり、すぐ効くってことだ。
そういえば、進化先の説明にも「強力な毒を持つ蛇」って書いてあった。私は完全に「毒が強くなるんだ、へー」くらいにしか思ってなかったけど、実際に体験するとこれは——
……すごくない?
鳥を丸呑みにしながら、私はちょっとにやけていた。気持ちだけは。
「シャラララ」
……蛇って上機嫌だとこんな声なんだ。
こうなると、試したくなるのが人情というものだ。蛇だけど。
私は、池がある公園——とは別の、住宅街の奥にある小さな児童公園に向かった。人間の通り道から外れていて、ネズミの気配が多い場所だ。
滑り台の下、砂場の縁、ベンチの陰。熱感知で探すと、すぐに見つかった。
でっぷり太ったネズミ。三回も噛んで何時間も追いかけ回した、あのタイプと同じくらいの大きさだ。
前脚の指が長くて太い。正面からやり合ったら、きっと痛い目を見る。
でも。
私は、ベンチの脚にするすると巻きついて登り、座面の裏にぶら下がった。ネズミがベンチの下を通るのを、じっと待つ。
来た。
真下を通り過ぎようとした瞬間、頭を落とすように噛みつく。後ろ足の付け根。牙が深く沈む。
すぐに離して、ベンチの上へ体を引き上げる。
ギッ! とネズミが鳴いて、こっちを見上げた。怒っている。前脚を振り上げて、ベンチの脚に飛びつこうとして——
そのまま、横に倒れた。
ぴくぴくと脚が痙攣して、それもすぐに止まる。
……え、ええ。
昨日までの苦労はなんだったの。
『個体〈クロアカムース〉を撃破しました』『経験値を獲得しました』『レベルが上がりました Lv1→Lv2』
一噛み。追いかけっこもなし。待ち時間、数秒。
私は、ベンチからゆっくり降りて、動かなくなったネズミの周りをぐるっと一周した。念のため、舌を出してにおいも確かめる。完全に死んでいる。
……すごい。
いや、本当にすごい。
昨日までの私が見たら泣くと思う。あんなに頑張ったのに、って。
進化……見た目は地味だけどすごい。
それからの半日は、正直、楽しかった。
植え込みで待って、鳥を一羽。ゴミ捨て場の陰で、ネズミをもう一匹。側溝の入り口で、極彩色の、大きめの……カエルっぽい何か。
カエルは皮膚がぬるぬるしていて、噛んだ瞬間に口の中がぴりっとした。向こうも毒持ちだったらしい。一瞬焦ったけど、カエルの方が先に動かなくなった。
『個体〈トルプルラーナ〉を撃破しました』『経験値を獲得しました』『スキル【毒耐性Lv1】を獲得しました』
毒を持ってる同士の勝負で、勝った。
毒の格が違う、というやつだろうか。言ってみたかっただけだけど。
そして、午後。
私は、ちょっと大物を狙ってみることにした。
住宅街の電線に、ときどき止まっている黒い鳥。カラスに似ているけど、足と目が三つあって、ついでにくちばしが横にも開く。十字に開くと言えばいいのだろうか。
昨日までの私なら、見つけた瞬間に茂みに隠れていた相手だ。
でも今なら。
今の毒なら、一噛みさえすれば。
私は、そいつがよく降りてくるゴミ捨て場のそばで、待ち伏せを始めた。生ゴミの袋が破れて、中身が散らばっている。その袋の中に潜んで頭だけ少し出す。
じっと。
じっと。
ばさり、と重い羽音。黒い影が、目の前に降りてきた。
でかい。見ると今の私の頭のずっと上に、くちばしがある。三つの目が、ぎょろぎょろと周りを見回している。
一瞬だけ、やめようかと思った。
でも、そいつが生ゴミに頭を突っ込んで、足元ががら空きになったのを見た瞬間、体が勝手に動いていた。
鳥特有の細い脚に、噛みつく。
ガアッ! と耳が痛くなるような鳴き声。黒い翼が、ばさっと広がる。翼の縁が、私の頭のすぐ上をかすめた。風圧で体が浮きそうになる。
ドン、とすぐ横にくちばしが振り下ろされた。危ない危ない。
私はすぐに牙を抜いて、ゴミ袋の陰に転がり込む。
三つ目の鳥は、怒り狂って周りを見回していた。でも、物陰まで行けば目で相手を探すやつには見つからない。
そして、飛び立った。
あ、逃げられる——と思ったのは一瞬だった。
電線の高さまで上がったところで、鳥の羽ばたきががくんと乱れた。ふらふらと空中で傾いて、そのまま隣の家の庭に、どさっと落ちた。
『個体〈ルプトゥスコルウス〉を撃破しました』『経験値を獲得しました』『レベルが上がりました Lv2→Lv4』『スキル【隠密】のレベルが上がりました Lv1→Lv2』
私は、ゴミ袋の陰から顔を出したまま、しばらくぽかんとしていた。
それから、じわじわと実感がわいてきた。
勝った。あんな大きいのに。自分の何倍もある相手に、一噛みで。
……私、もしかして、結構強いのでは?
噛めさえすれば、明らかに格上っぽい奴でもいけるんだ。
三つ目の鳥は、さすがに大きすぎて丸呑みにはできなかった。何口かに分けて……いや、分けられないんだった。蛇は噛みちぎれないから。
仕方なく、頭の方から頑張って飲み込もうとして、顎が外れそうになって、途中で諦めた。
もったいない。すごくもったいない。
でも、お腹は空いていなかったから、今日はこのくらいにしておいてやる……。いつかこいつを丸呑みにできる大蛇になるんだ。
夕方、私はいつものボンネットの上で、最後の日差しを浴びていた。ポカポカはしてないけれど、なんというか風情がある。
私の毒の牙は多分かなり強い。それは今日一番の収穫だ。
熊みたいなあの化け物は、さすがにまだまだ無理だと思う。あのサイズだと、毒が回る前に踏み潰されそうだし。でも、そのうち。レベルを上げて、進化をしたら、きっと。
私は大きくあくびをした。顎が外れるくらい大きく。蛇のあくびが本当にあくびなのかは知らないけど、気持ちよかったからあくびということにする。
それから、ステータスを開いた。
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種族 :ウェネヌムセルペンス
Lv :4
状態 :正常
スキル:【毒牙Lv5】【熱感知Lv2】【隠密Lv2】【毒耐性Lv1】【邪神の種Lv2】
進化 :条件未達成
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順調。とっても順調。
この調子なら、次の進化も遠くない。
夕日が沈んでいく。そろそろ寝床を探さなきゃ。いい感じに狭くて、安全そうなところ。