蛇喩経   作:kp3kp3

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第5話

 進化した日の夜は、住宅街の物置の下で過ごした。

 

 隙間に潜り込んで、とぐろを巻いて、朝まで一歩も動かない。……いや、足はないけど。一歩も這わない。

 

 夜の寒さは相変わらずだったけど、昨日より少しだけマシな気がした。体が大きくなった分、冷えるのに時間がかかるのかもしれない。

 

 朝。いつも通りボンネットで日向ぼっこをしながら、私は改めて自分の体を観察した。

 

 長さは……たぶん、ほんのちょっと伸びた。ほんのちょっと。定規があれば測りたい。

 

 太さも、ほんの少しだけ。

 

 ……うん、正直あんまり変わってない。

 

 鱗の艶が良くなったのは嬉しいけど、見た目で言えば「ちょっと元気になった蛇」くらいのものだ。進化って、もっとこう、劇的に変わるものだと思ってた。

 

 とりあえず、ボンネットから降りて、道路を端から端まで這ってみる。

 

 速い。……気がする。

 

 前より体が軽くて、くねらせたときの推進力が一回り強い。曲がるときも滑らない。自転車のタイヤに空気入れ直した時、みたいな感覚。

 

 電柱にも巻きついてみた。

 

 半分くらいまで登れた。そして落ちた。

 

 ……成長はしてる。うん。電柱って微妙に滑るんだなぁ。

 

 お腹が空いたから、いつも通り植え込みで待ち伏せをすることにした。

 

 落ち葉の下に体を沈めて、頭だけ出して【隠密】。舌は出さない。熱感知に集中する。

 

 このあたりはもう完全に慣れた。人間だった頃には絶対にできなかったことが、今は呼吸するみたいにできる。多分自転車と同じ。一度できると、もうできなかった頃がわからなくなる。

 

 しばらくして、ばさっと羽音がした。

 

 例の、釣り針みたいなくちばしの鳥だ。地面をつつきながら、ちょん、ちょん、と近づいてくる。

 

 その様子を見ながら、ふと気づいた。こいつのくちばし、穴を掘って逃げる虫をほじくり出すための形なんだ。

 

 まだ。

 

 もう少し。

 

 ——今。

 

 体をばねにして飛び出す。口を開いて、閉じる。牙が羽の付け根に食い込む。

 

 ここまでは、いつも通りだった。

 

 いつもなら、ここから鳥が暴れて、羽で顔をばしばし叩かれて、それに耐えながら毒が回るのを待つ。長いと数十秒くらいかかる。

 

 鳥が、びくん、と一度だけ大きく跳ねた。

 

 それで、終わりだった。

 

 くたっと力が抜けて、動かなくなる。

 

 ……え?

 

 私は牙を刺したまま、固まった。

 

 え、もう? 今、噛んだばっかりだよね? 羽ばたき一回分くらいしか経ってないよね?

 

『個体〈ハームスロストルム〉を撃破しました』『経験値を獲得しました』

 

 画面が出た。死んでる。ちゃんと死んでる。

 

 ……毒牙、強くなってる!? レベルが上がってたから当然か。とは言えここまで強いとは。

 

 慌ててステータスを開いて、【毒牙】に意識を向ける。

 

【毒牙Lv5】 牙から即効性の毒を注入する。レベルに応じて毒性が上昇する。

 

 説明文、増えてる。

 

 即効性。つまり、すぐ効くってことだ。

 

 そういえば、進化先の説明にも「強力な毒を持つ蛇」って書いてあった。私は完全に「毒が強くなるんだ、へー」くらいにしか思ってなかったけど、実際に体験するとこれは——

 

 ……すごくない?

 

 鳥を丸呑みにしながら、私はちょっとにやけていた。気持ちだけは。

 

「シャラララ」

 

 ……蛇って上機嫌だとこんな声なんだ。

 

 こうなると、試したくなるのが人情というものだ。蛇だけど。

 

 私は、池がある公園——とは別の、住宅街の奥にある小さな児童公園に向かった。人間の通り道から外れていて、ネズミの気配が多い場所だ。

 

 滑り台の下、砂場の縁、ベンチの陰。熱感知で探すと、すぐに見つかった。

 

 でっぷり太ったネズミ。三回も噛んで何時間も追いかけ回した、あのタイプと同じくらいの大きさだ。

 

 前脚の指が長くて太い。正面からやり合ったら、きっと痛い目を見る。

 

 でも。

 

 私は、ベンチの脚にするすると巻きついて登り、座面の裏にぶら下がった。ネズミがベンチの下を通るのを、じっと待つ。

 

 来た。

 

 真下を通り過ぎようとした瞬間、頭を落とすように噛みつく。後ろ足の付け根。牙が深く沈む。

 

 すぐに離して、ベンチの上へ体を引き上げる。

 

 ギッ! とネズミが鳴いて、こっちを見上げた。怒っている。前脚を振り上げて、ベンチの脚に飛びつこうとして——

 

 そのまま、横に倒れた。

 

 ぴくぴくと脚が痙攣して、それもすぐに止まる。

 

 ……え、ええ。

 

 昨日までの苦労はなんだったの。

 

『個体〈クロアカムース〉を撃破しました』『経験値を獲得しました』『レベルが上がりました Lv1→Lv2』

 

 一噛み。追いかけっこもなし。待ち時間、数秒。

 

 私は、ベンチからゆっくり降りて、動かなくなったネズミの周りをぐるっと一周した。念のため、舌を出してにおいも確かめる。完全に死んでいる。

 

 ……すごい。

 

 いや、本当にすごい。

 

 昨日までの私が見たら泣くと思う。あんなに頑張ったのに、って。

 

 進化……見た目は地味だけどすごい。

 

 それからの半日は、正直、楽しかった。

 

 植え込みで待って、鳥を一羽。ゴミ捨て場の陰で、ネズミをもう一匹。側溝の入り口で、極彩色の、大きめの……カエルっぽい何か。

 

 カエルは皮膚がぬるぬるしていて、噛んだ瞬間に口の中がぴりっとした。向こうも毒持ちだったらしい。一瞬焦ったけど、カエルの方が先に動かなくなった。

 

『個体〈トルプルラーナ〉を撃破しました』『経験値を獲得しました』『スキル【毒耐性Lv1】を獲得しました』

 

 毒を持ってる同士の勝負で、勝った。

 

 毒の格が違う、というやつだろうか。言ってみたかっただけだけど。

 

 そして、午後。

 

 私は、ちょっと大物を狙ってみることにした。

 

 住宅街の電線に、ときどき止まっている黒い鳥。カラスに似ているけど、足と目が三つあって、ついでにくちばしが横にも開く。十字に開くと言えばいいのだろうか。

 

 昨日までの私なら、見つけた瞬間に茂みに隠れていた相手だ。

 

 でも今なら。

 

 今の毒なら、一噛みさえすれば。

 

 私は、そいつがよく降りてくるゴミ捨て場のそばで、待ち伏せを始めた。生ゴミの袋が破れて、中身が散らばっている。その袋の中に潜んで頭だけ少し出す。

 

 じっと。

 

 じっと。

 

 ばさり、と重い羽音。黒い影が、目の前に降りてきた。

 

 でかい。見ると今の私の頭のずっと上に、くちばしがある。三つの目が、ぎょろぎょろと周りを見回している。

 

 一瞬だけ、やめようかと思った。

 

 でも、そいつが生ゴミに頭を突っ込んで、足元ががら空きになったのを見た瞬間、体が勝手に動いていた。

 

 鳥特有の細い脚に、噛みつく。

 

 ガアッ! と耳が痛くなるような鳴き声。黒い翼が、ばさっと広がる。翼の縁が、私の頭のすぐ上をかすめた。風圧で体が浮きそうになる。

 

 ドン、とすぐ横にくちばしが振り下ろされた。危ない危ない。

 

 私はすぐに牙を抜いて、ゴミ袋の陰に転がり込む。

 

 三つ目の鳥は、怒り狂って周りを見回していた。でも、物陰まで行けば目で相手を探すやつには見つからない。

 

 そして、飛び立った。

 

 あ、逃げられる——と思ったのは一瞬だった。

 

 電線の高さまで上がったところで、鳥の羽ばたきががくんと乱れた。ふらふらと空中で傾いて、そのまま隣の家の庭に、どさっと落ちた。

 

『個体〈ルプトゥスコルウス〉を撃破しました』『経験値を獲得しました』『レベルが上がりました Lv2→Lv4』『スキル【隠密】のレベルが上がりました Lv1→Lv2』

 

 私は、ゴミ袋の陰から顔を出したまま、しばらくぽかんとしていた。

 

 それから、じわじわと実感がわいてきた。

 

 勝った。あんな大きいのに。自分の何倍もある相手に、一噛みで。

 

 ……私、もしかして、結構強いのでは?

 

 噛めさえすれば、明らかに格上っぽい奴でもいけるんだ。

 

 三つ目の鳥は、さすがに大きすぎて丸呑みにはできなかった。何口かに分けて……いや、分けられないんだった。蛇は噛みちぎれないから。

 

 仕方なく、頭の方から頑張って飲み込もうとして、顎が外れそうになって、途中で諦めた。

 

 もったいない。すごくもったいない。

 

 でも、お腹は空いていなかったから、今日はこのくらいにしておいてやる……。いつかこいつを丸呑みにできる大蛇になるんだ。

 

 夕方、私はいつものボンネットの上で、最後の日差しを浴びていた。ポカポカはしてないけれど、なんというか風情がある。

 

 私の毒の牙は多分かなり強い。それは今日一番の収穫だ。

 

 熊みたいなあの化け物は、さすがにまだまだ無理だと思う。あのサイズだと、毒が回る前に踏み潰されそうだし。でも、そのうち。レベルを上げて、進化をしたら、きっと。

 

 私は大きくあくびをした。顎が外れるくらい大きく。蛇のあくびが本当にあくびなのかは知らないけど、気持ちよかったからあくびということにする。

 

 それから、ステータスを開いた。

 

 

――――――――――――――――

種族 :ウェネヌムセルペンス

Lv  :4

状態 :正常

スキル:【毒牙Lv5】【熱感知Lv2】【隠密Lv2】【毒耐性Lv1】【邪神の種Lv2】

進化 :条件未達成

――――――――――――――――

 

 

 順調。とっても順調。

 

 この調子なら、次の進化も遠くない。

 

 夕日が沈んでいく。そろそろ寝床を探さなきゃ。いい感じに狭くて、安全そうなところ。

 

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