蛇喩経   作:kp3kp3

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第6話

 昨日の夜は、ブロック塀の穴の中で寝た。

 

 塀の下のほうに、ぽつぽつと開いている小さな四角い穴。水抜き穴、というらしい。

 

 入り口は狭いけど、中は私がとぐろを巻けるくらいの広さがあって、何より入り口が小さいから大きいやつは入ってこられない。コンクリートだから夜は冷えるのだけ難点。

 

 それでも物件としては悪くない。家賃ゼロだし。

 

 朝はいつものボンネットで日向ぼっこをして、体があったまったら狩りに出る。

 

 最初の一羽は、植え込みで待ち始めてからものの数分でやってきた。噛んで、終わる。

 

 毒が強くなってから、狩りにかかる時間はびっくりするくらい短くなった。以前は噛んだあとに暴れられて、追いかけて、弱るのを待って、というのが当たり前だったけど、今はそれがない。

 

 次のネズミは、ゴミ捨て場を漁っているところを後ろから近づいて噛んだ。向こうが振り向く前に届いた。終わる。

 

『レベルが上がりました Lv4→Lv5』

 

 待ち伏せは確実だけど、時間がかかる。獲物がこっちに来てくれるのを待つしかないから。気づかれていない相手なら、こっちから行った方がずっと早い。

 

 そういえば、この辺りは獲物が減ってきた気がする。三日も同じ場所で狩っていれば、当然かもしれない。

 

 動物は学習するから、同じ場所に同じ罠だと段々かからなくなる、ときいたことがある。たぶんそういうやつだ。

 

 昨日の三つ目カラスのことを思い出す。飲み込めなくて、結局庭に置いてきてしまったあれ。

 

 体が大きくならないと、せっかく倒しても食べられない。体を大きくするには、進化。進化するには、レベル。

 

 私は、いつもの住宅街から少し離れて、二本向こうの通りまで体を延ばしてみることにした。

 

◇

 

 新しい通りは、前の場所より庭の広い家が多かった。植え込みも多いし、塀の上には鳥が止まっている。悪くない。

 

 お昼すぎ、ちょうどいい感じに日の当たる車を見つけて、ボンネットの上で二回目の日向ぼっこをした。ちろちろと舌を出して、新しい場所のにおいを覚える。土、枯れ葉、錆びた鉄。それから、何かの獣のにおい。

 

 視界の端で、何かが動いた。

 

 向かいの家のブロック塀の上。

 

 猫がいた。

 

 灰色の、すらっとした猫。ぱっと見は普通の猫だ。ただ、ちょっと大きい。中型犬くらいある。それから尻尾が、先のほうで二股に分かれていた。二本の尻尾の先が、それぞれ別々にゆらゆら揺れている。

 

 猫又、だっけ。そういう妖怪がいたような。

 

 猫は塀の上に座って、こっちを見ていた。金色の目。瞳孔が、細い糸みたいに縦に伸びている。

 

 熱感知で見ると、猫の体は、ぼうっと赤く光っていた。大きい。三つ目カラスよりも、たぶん大きい。

 

 鎌首をもたげて、軽く威嚇。お前には気付いてるぞ。

 

 距離はある。塀の上から、ボンネットまで。あそこから一息で飛びかかってこられる距離ではない。と思う。

 

 しばらく、見つめ合った。

 

 猫がふいっと顔をそらした。興味をなくしたみたいに、塀の向こうへ、すとんと飛び降りる。

 

 熱感知から、赤い塊が消えた。

 

 ……行った、のかな。

 

 念のため、しばらくボンネットの上で様子を見る。塀の向こうから、何かが出てくる気配はない。舌を出しても、猫のにおいはあちこちからして、どこにいるのかまでは分からなかった。この辺りはあいつの縄張りなのかもしれない。

 

 あんまり長居しない方がいいかな。

 

 私はボンネットから降りて、通りの反対側の庭へ向かった。さっきから、植え込みの奥にネズミっぽい熱がちらちら見えている。あれを一匹獲ったら、今日は元の場所に戻ろう。

 

 庭の芝生を横切って、植え込みに近づく。熱感知の中で、小さな熱が動いている。気づかれてはいない。いける。

 

 とん。

 

 背中に、何かが乗った。

 

 柔らかくて、あったかくて、重いもの。

 

 振り返るより先に、体がぎゅっと地面に押し付けられた。

 

 ——前脚だ。

 

 猫の前脚が、私の胴体の真ん中を、上から踏んでいた。

 

 いつの間に。どこから。

 

 首だけねじって見上げると、金色の目が真上から私を見下ろしていた。

 

「シャアアアッ!」

 

 体をひねって、前脚に噛みつく。

 

 ——空を切った。

 

 牙が届く寸前、前脚がひょいっと持ち上がっていた。押さえつけていた重みが消えて、私は勢い余ってごろんと転がる。

 

 体勢を立て直して、もう一度。今度は顔を狙って、全身をばねにして飛びかかる。

 

 猫が、首を横にかしげた。

 

 それだけで、私の牙は猫の頬の横をすり抜けた。

 

 え。

 

 着地した瞬間、横から衝撃が来た。

 

 私の体は地面を何回転かして、植木鉢にぶつかって止まった。脇腹が熱い。見ると、鱗が何枚もめくれて、赤いものが滲んでいた。

 

 爪だ。

 

 猫が、ゆっくり歩いてくる。急がない。尻尾の先を二本とも揺らしながら、散歩でもするみたいに。

 

 逃げなきゃ。

 

 植木鉢の裏の隙間に頭を突っ込む。体を半分まで押し込んだところで、尻尾を押さえられた。

 

 前脚で、ぎゅっと。そのまま、ずるずると引きずり出される。

 

 そして、ぽーん、と放り投げられた。

 

 空が見えた。塀が見えた。地面が見えた。

 

 べしゃっ、と背中から落ちる。息が詰まる。

 

 猫は、落ちた私のそばに座って、前脚でちょいちょいとつついて、ぺいっと叩いて転がした。

 

 起きろ、と言わんばかりに。

 

 ……なんで、すぐに殺さないんだろう。

 

 そういえば猫って、捕まえたトカゲとか虫とかをすぐには殺さずにいじくり回して遊ぶんだっけ。転がして、放して、逃げたらまた捕まえて。

 

 体を丸める。とぐろを巻いて、頭を真ん中に隠す。どこで覚えたのか知らないけど、体が勝手にそうした。

 

 猫が、とぐろの端をちょいちょいする。動かない。ちょいちょいする。動かない。

 

 ……飽きて、どっか行ってくれないかな。

 

 とぐろの隙間に、爪が差し込まれた。ばりっ、と鱗が剥がされる音。

 

「シュッ——!」

 

 痛い。痛い痛い痛い!

 

 反射的にとぐろがほどける。むき出しになった頭めがけて、前脚がまた振り下ろされる。ぎりぎりで頭を引っ込める。地面を叩く音が、すぐ横で鳴った。

 

 噛めない。

 

 何回やっても、牙が届く前にいなくなる。私の一番速い動きが、こいつにとってはたぶん、全然速くない。

 

 猫が、ぐいっと顔を近づけてきた。

 

 湿った鼻。ひげがぴんと張っている。生臭い息。

 

 そして、口を開けた。

 

 牙が、胴体に食い込んだ。

 

 鈍い、骨に響くような痛み。体が持ち上がる。猫の口にくわえられて、地面から浮いている。

 

 死にたくない。

 

 死にたくない、死にたくない、死にたくない——!

 

 目の前に、猫の顔があった。

 

 近い。今までで一番近い。鼻先が、私の頭のすぐ横にある。

 

 私をくわえているから、猫の頭は動かない。

 

 私は首をひねって、目の前の湿った鼻先に、思いきり噛みついた。

 

 牙が、柔らかいところに刺さった。

 

 浅い。一本しか入っていない。それでも、牙の根元から熱いものが流れ出ていく。

 

「ニ゛ャアアアッ!?」

 

 口が開いた。私の体が、地面に落ちる。

 

 猫が、前脚で顔をばしばしこすっていた。頭を振って、よろけて、植木鉢にぶつかる。倒れはしない。倒れはしないけど、効いてはいる。

 

 今しかない。

 

 私は、這った。

 

 脇腹が痛い。噛まれたところが痛い。尻尾が痛い。どこが痛くないのか分からない。それでも、這った。

 

 植え込みを抜けて、塀の隙間を通って、通りを二本。

 

 後ろで、低い唸り声がした。でも、すぐ後ろじゃない。まだ、顔の毒に手こずっているのかもしれない。

 

 振り返らない。振り返ったら、たぶん体が止まる。

 

 目の前に、見覚えのあるブロック塀が見えた。

 

 下のほうに、小さな四角い穴。

 

 頭から飛び込む。体をねじ込む。鱗がコンクリートに擦れて、傷口がまた開く。それでも押し込む。尻尾の先まで、全部。

 

 直後、穴の入り口が暗くなった。

 

 金色の目が、穴を覗き込んでいた。

 

 前脚が差し込まれる。爪が、私の鼻先のすぐ手前で、空を掻く。届かない。

 

 何度も、何度も、爪が穴の中を掻き回す。

 

 私は、穴の一番奥で、体を小さく小さく丸めていた。

 

 やがて、前脚が引っ込んだ。

 

 しばらく、金色の目が穴の外からこっちを見ていた。

 

 その鼻先が、少しだけ腫れていた。それ以外は、どこにも傷ひとつない。

 

 やがて、その目もふいっと消えた。

 

 足音はしなかった。最初から最後まで、あいつは一度も足音を立てなかった。

 

 あいつは、鼻先が少し腫れただけ。比べて、私は全身ボロボロで、穴の奥に逃げ籠っている。

 

 惨めだ。

 

◇

 

 どれくらい、そうしていたんだろう。

 

 穴の外が、オレンジ色になって、それから暗くなった。

 

 体が冷えていく。重くなっていく。でも、外に出て温まろうという気には、とてもなれなかった。

 

 ステータスを開く。

 

 

――――――――――――――――

種族 :ウェネヌムセルペンス

Lv  :5

状態 :負傷(重度)

スキル:【毒牙Lv5】【熱感知Lv2】【隠密Lv2】【毒耐性Lv1】【邪神の種Lv2】

進化 :条件未達成

――――――――――――――――

 

 

 重度。

 

 経験値は、入っていない。何も倒していないのだから当然だった。

 

 あいつは、どこから来たんだろう。

 

 ボンネットから降りたとき、塀の向こうには何もいなかった。植え込みに向かっていたときも、熱感知には前のネズミしか映っていなかった。

 

 ……前しか、見ていなかった。

 

 ちろ、と舌を出す。穴の外の空気に、まだあいつのにおいが残っていた。

 

 スキルの欄を、ぼんやりと眺める。

 

 【隠密Lv2】。

 

 そういえば今日は、朝の一羽のあと、一度も待ち伏せをしていなかった。

 

 気づかれていない相手なら、こっちから行った方が早い。そう思って、ずっと自分から動いていた。

 

 胸の奥で、あのざわざわが小さく動いた。

 

 体が冷え切る前に、私はとぐろをいっそう固く巻いた。穴の中は冷たくて、狭くて、傷が痛くて。

 

 それでも、今日一日で一番安心できる場所だった。

 

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