蛇喩経 作:kp3kp3
朝が来ても、穴から出なかった。
というより、出られなかった。
体を伸ばそうとすると、脇腹が引き攣れるみたいに痛んだ。噛まれたところは、鱗の下がぶよぶよと腫れていて、熱感知で見ると、そこだけ赤く熱を持っていた。
それでも昼前には、外に出た。
日向ぼっこをしないと、体が動かない。動かないと、何も獲れない。
ボンネットまで這っていくだけで、一苦労だった。
この日、私が食べたものはこうだ。
落ち葉の下のわらじ虫っぽいの、七匹。
植木鉢の裏のナメクジっぽいの、二匹。
側溝の壁に張り付いていた、名前もよく分からない何か、一匹。
『経験値を獲得しました』『経験値を獲得しました』
レベルは、当然のように上がらない。
こいつらは弱いから安全だ。安全だけど、腹の足しにもならない。虫を七匹食べたところで、傷が塞がるわけがなかった。
ちゃんとした獲物を獲らなきゃいけない。鳥とか、ネズミとか。
……分かってる。分かってるんだけど。
夕方、植え込みでスズメっぽい鳥を一羽、見つけた。じっと待って、距離が詰まって、飛びかかろうとして——
体が、途中で止まった。
脇腹が、焼けるみたいに痛んだ。バネが伸び切る前に失速した私の牙は、鳥の尻尾の羽を掠めることさえできない。鳥はぎゃっと鳴いて飛んでいった。
私は、地面に伸びたまま、しばらく動けなかった。
……これは……結構まずい。
食べないと、傷は治らない。
でも、傷が治らないと、獲れない。
そういう仕組みになっているらしい。誰が作ったのか知らないけど、性格が悪いと思う。
仕方なく、飢えをしのぐためだけに、また虫を食べた。
◇
次の日は、雨だった。
冷たい雨が一日中降って、体は一向に温まらなかった。私は穴の中で丸まって、外を眺めているしかなかった。
水抜き穴なので、そこそこ水が流れてくる。びしょ濡れである。理想の物件とは。……寒い。
空腹で、頭がぼんやりしてくる。
何も考えたくないとき、人間だった頃はスマホを見ていた。今は、見るものが何もない。だから、勝手にいろんなことを考えてしまう。
あの猫は、どこから来たのか。
塀の向こうに降りて、熱感知から消えて、それから私の真後ろに現れた。
ああ、そうか。
熱感知で見えているのは、いつも、私が頭を向けている方だけだ。視野の中、とはちょっと違うんだけれど全方位は感知できてない。
後ろは、見えない。
……今まで一度も、気にしたことがなかった。
雨の音を聞きながら、私はそれについて、ずいぶん長いこと考えていた。
……寒い。冷たい。
◇
雨が上がった翌日から、狩りの仕方を変えた。
まず、待ち伏せの場所を選ぶときは、必ず背中側に壁か塀か、何か固いものがあるところにした。植え込みの奥ではなく、塀に寄せた隅。側溝の縁。植木鉢と塀の隙間。
背中が見えないなら、背中を見られない場所にいればいい。
それから、移動するときは、意図的に何度も舌を出して周りのにおいを拾うようにした。なんか変な臭いがしたら、すぐ逃げよう。
効率は、落ちた。前の半分も獲れない。
でも、あんな思いをするより、ずっとマシだ。
傷のせいで、飛びかかれる距離は前より短い。だから、より近くまで引きつけなきゃいけない。いつもならもう飛びかかる距離。
けれど今は鳥が首を下げるまで、待つ。
まだ、だめ。
もう少し。
もうちょっと。
鳥が啄むように頭を下げた。
——今。
ばくん。
鳥が一度だけ跳ねて、動かなくなった。
『個体〈ハームスロストルム〉を撃破しました』『経験値を獲得しました』
『スキル【隠密】のレベルが上がりました Lv2→Lv3』
鳥を丸呑みにすると、腹の底からじんわり熱が広がって、脇腹の引き攣れが少しだけ緩んだ。まだ痛いけれど、とりあえず薄い透明な鱗が傷を覆った。
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状態 :負傷(中度)
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重度から、中度。
三日ぶりに、レベルじゃない何かが前に進んだ気がした。
それから数日、私は同じことを繰り返した。
背中を壁につけて、待って、引きつけて、噛む。
鳥を四羽、ネズミを二匹、カエルっぽいのを一匹。
『レベルが上がりました Lv5→Lv6』
状態の表示は、中度から軽度になった。
でも、そこで止まった。
軽度から先が、進まない。
朝は体が強張るし、飛びかかるとき、脇腹がまだ引き攣れる。塞がってはいるけど、治りきってはいない。
足りないのだ、量が。
鳥一羽やネズミ一匹を食べても、傷の修理には少しずつしか回らないらしい。
もっと大きくて、もっと肉のあるものを、まとめて食べたい。
舌を出して動き出す。
◇
血と、腐った肉のにおいだった。
それも、一匹分じゃない。何匹分もの、濃いにおい。
私は迷ったけど、結局、においの方へ進んだ。
十回くねって、止まって、舌を出す。まだにおう。もっと濃い。
通りを二本、三本。崩れたビルの脇を抜けて、ガードレールの下をくぐって。
においが強くなるにつれて、街の様子が変わってきた。
乗り捨てられた車が、道の端に寄せられている。ガラスの破片が、きれいに片側に掃かれている。
駐車場があって、バリケードが見える、その先。
人のたくさんいる、そこ。
……あのモールだ。
「追え、経験値だ!」と、追い立てられた場所。
屋上には、人影も見えた。
でも、確かに美味しそうなにおいがする。多分、狩った肉とかを置いてる場所があるんだと思う。それに、そこなら狩りの苦労もない。
駐車場にある車の下に潜って、とぐろを巻いた。