授業参観で「脚が速い」と発表されるアーモンドアイ(32) 作:Lagavulin
「お父さんとお母さんは、帰っていいです」
ララの家の玄関で、莉良が宣言した。
愛奈はすでに靴を脱ぎ、悠も持ってきたカードの箱を開けかけている。アイは娘の上着を渡しながら、少し首を傾げた。
「まだ、来たばかりなんだけど」
「今日は、子どもだけで遊ぶんだよ」
「店長、言い方があるやろ」
ララが奥から出てきた。
今日は子どもたちが遊ぶ約束をしていた。昼食も一緒にと誘われ、夕方までは任せてもらっていいと言われたのだ。
この前は、ララ夫妻が出かける間、莉良がアイの家で過ごした。代わりと言うほどのことでもないが、お互い都合が合えば預かり合っている。
「夕方5時くらいでええよ。何かあったら連絡するし」
「ありがとう。よろしくね」
アイが愛奈へ声を掛けると、娘はカードを選んだまま振り向いた。
「お母さん、いってらっしゃい」
送り出される方になって、アイは夫を見た。圭介も少し笑い、子どもたちへ手を振る。
玄関を出ると、手荷物が随分軽かった。
アイは歩き出してすぐ、自分の鞄を確かめた。財布、スマホ、ハンカチ。必要なものは入っている。
「水筒を忘れた気がするわ」
「今日は、自分の分だけでいい」
「分かってるんだけど」
角を曲がるところで、圭介が手を差し出した。
アイは迷わずその手を取った。いつも子どもとつなぐ側の手なので、少し高さが違う。
「さて、どこへ行く?」
「お昼のお店は、決めてあるんでしょう」
「うん。その前に、少し歩ける」
アイは夫の手を引き、駅とは違う方へ向かった。
「見たいお店があるの」
*
雑貨店で、アイは小さな皿を手に取った。
白い縁に細い青い線が入った、焼き菓子を載せるのによさそうな皿だった。重ねたものを数えようとして、手を止める。
「4枚?」
圭介に聞かれ、アイは首を振った。
「2枚にしようかしら。子どもたちのは、今のが気に入っているもの」
「愛奈は、まだ黄色いのがいいだろうな」
「悠も。もう柄は子どもっぽいって言うのに、別のお皿を出すと戻すのよ」
夫婦で笑い、同じ皿を2枚選んだ。
圭介は隣の棚にあった小さなスプーンを見ていた。アイが皿へ合わせてみると、大きさがちょうどいい。
「それも」
「決まった?」
「ええ」
レジへ向かう途中で、アイは子ども用のヘアゴムに足を止めかけた。
圭介も気づいたが、急かさなかった。アイは一度眺めてから、そのまま歩いた。
「愛奈と来たときに、選ばせるわ」
買い物を済ませると、夫が紙袋を受け取った。アイは空いた手を、また夫の手へ戻す。
通りを歩きながら、圭介が先ほどの店の窓を振り返った。
「あの皿、前から見てた?」
「時々通るときに。いつも、帰りに荷物が多くなっていたから」
「今度から、言ってくれれば寄るよ」
「今日は、一緒に選べたからよかった」
圭介が頷き、歩く速度を少しだけ落とした。アイも合わせた。予約の時間までは、まだ余裕があった。
昼食の店は、席数の少ない洋食店だった。
案内された窓際の席で、アイはメニューを開いた。夫は魚料理、アイは牛肉の煮込みを選ぶ。サラダとパンがつくことを確認して、飲み物を頼んだ。
注文を終えると、しばらく2人で店内を眺めた。
「今日は、煮込みにしたんだな」
「いつもは子どもたちと取り分けやすいものを選ぶでしょう。今日は、これが食べたかったの」
言ってから、アイは笑った。
料理が運ばれてきても、熱すぎないか確かめる相手はいない。自分の皿から、食べたいところを選べばよかった。
煮込まれた肉へナイフを入れると、ほとんど力をかけずにほぐれた。アイは一口食べ、夫の方へ顔を上げる。
「おいしい」
「よかった。前から気になってたんだ」
「あなたのは?」
圭介が魚を小さく切り、皿の端へ寄せた。アイも肉を一切れ分け、互いに味を確かめる。
夫は魚を食べながら頷いた。
「子どもたちも、これは食べられそうだな」
「ええ。でも、また2人で来たいわ」
圭介の手が少し止まった。
アイは自分の皿へ視線を戻し、ソースをパンにつけた。
「ゆっくり食べて、こうして話せるの、久しぶりでしょう」
「確かに、昔を思い出すね」
夫が笑って食事を再開したあとも、アイはしばらく、その口元を見ていた。
*
食後、近くの書店へ寄った。
圭介は仕事の本の棚へ向かいかけ、途中でアイを振り返る。
「少し見ていい?」
「もちろん。わたし、向こうにいるわ」
別れたはずが、数分後には絵本の棚で合流した。
アイは間違い探しの本を開いていた。圭介の手には、紙で作る簡単な工作の本がある。
「悠の?」
「うん。よく飛ぶ紙飛行機が載っていたから」
「それ、あなたも作りたいでしょう」
「かなり」
圭介は素直に認め、アイの開いているページへ目を落とした。
よく似た2枚の絵に、違いが7つ隠れている。
「あと1つが、見つからないの」
「珍しいな」
「残りの6つは、すぐ分かったわ」
圭介が隣へ立つ。肩が触れる距離で、同じページを見る。
アイは見つけた箇所を指で示した。鳥の向き、窓の数、花の色。最後の1つだけ、どうしても違いが見えない。
夫が少し考え、右下の椅子を指差した。
「脚じゃないか」
椅子の脚のうち、奥の1本だけ、線の傾きが違っていた。
アイはページへ顔を寄せ、2つの絵を見比べた。
「……これは難しいわ」
「やっと見つかったね」
「待って。次のページも見ていい?」
圭介が声を出さずに笑った。
アイは次の問題を開いてから、夫の顔を見上げた。
「何?」
「今日は2人で来てよかったと思って」
アイはしばらく夫を見た。それから、本を閉じた。
「買って帰りましょう。家で、ちゃんと座って見たいわ」
会計を済ませ、店を出ると、ララから写真が届いていた。
莉良と悠と愛奈が、机へ顔を寄せてカードを並べている。手前には、直人の手と、どう見ても勝てそうにない手札が写っていた。
『店長が強いです』
アイは写真を夫にも見せ、短く礼を返した。
迎えまでには、まだ少し時間があった。
「お茶、飲んでいく?」
圭介に聞かれて、アイはスマホをしまった。
「ええ。あなたが飲んでいたコーヒー、さっき一口もらいそびれた」
通りを渡る前に夫が手を差し出す。今度は、アイから指を絡めた。
*
迎えに行くと、愛奈は母の紙袋を見つけ、何を買ったのかと聞いた。
アイが袋から2冊の本を取り出すと、悠が工作の本へ手を伸ばした。
「紙飛行機だ」
「あとで一緒に作ろう。今日は時間があったから、いろいろ見られた」
圭介が言うと、莉良が父母へ向き直った。
「うちも、2人で行ってきていいよ」
「おおきに。今度そうさせてもらおかな」
ララが笑った。直人はまだカードを片づけている。
アイが礼を言い、子どもたちの荷物を受け取ると、愛奈が紙袋を覗き込んだ。
「お皿も?」
「お母さんとお父さんの。夜に見せるわね」
「わたしの、黄色いのあるよ」
「ええ。知ってる」
帰り道は、いつものように4人になった。悠は夫へカードの遊び方を説明し、愛奈は莉良の家で食べたおやつを1つずつ報告している。
アイは娘の手を握り、信号で止まった。
圭介が買い物袋を持ち替え、アイの空いている方の手へ指を伸ばした。間に子どもが入っていないことに、そこで気づく。
4人で並ぶと歩道を塞いでしまうので、アイは夫の手を一度握ってから離した。愛奈と一緒に、男2人の後ろへ回る。
「お母さん」
「何?」
「お父さんと、楽しかった?」
アイは前を歩く夫を見た。圭介も聞こえたらしく、少し振り返る。
「ええ。とても」
愛奈は頷き、また菓子の話へ戻った。
夜、子どもたちが寝たあとで、アイは買った皿を2枚並べた。
帰りに寄った喫茶店で、持ち帰りにしてもらったレモンケーキを載せる。夫はコーヒーを淹れ、テーブルの真ん中へ間違い探しの本を置いた。
「続き、やる?」
「ええ。今度は、最初から2人でね」
圭介が隣の椅子を引いた。
アイは夫の肩へ軽く触れてから座り、まだ開いていないページをめくった。