授業参観で「脚が速い」と発表されるアーモンドアイ(32) 作:Lagavulin
寝る支度を済ませた1年生の娘、愛奈が持ってきたぱかプチは、シンボリルドルフとジェンティルドンナ、それからアーモンドアイだった。
3体とも、悠が小さかった頃から家にある。ルドルフの冠は一度ほつれ、アイが縫い直した。自分のぱかプチだけは、髪の先に愛奈が付けた黄色いリボンを結んでいる。
「今日は、この人がお姫様」
愛奈はジェンティルドンナを掲げた。
アイはベッドの端に腰を下ろし、娘の膝から落ちかけたタオルケットを戻した。
「分かったわ。どんなお姫様?」
「お城から出られないの」
「この子が?」
隣のベッドで本を読んでいた悠が、顔を上げた。
「お母さん、もう始めようよ」
「そうね。次は誰?」
ジェンティルドンナが閉じ込められる城。扉の頑丈さを想像しかけて、アイはやめた。
愛奈はルドルフのぱかプチをアイの左手へ乗せた。
「この人が王様。お姫様を迎えに行くの」
「お母さんのは?」
「今日は配達屋さん」
悠が本を閉じた。
「お母さんの人形が?」
「速いもん。お手紙、すぐ持っていけるよ」
「王様と一緒に行くの?」
「うん。王様に道を教えてあげるの」
アイは自分のぱかプチを右手に持ち、ルドルフと並べた。ジェンティルドンナは枕のお城で待ってもらう。
「王様は、配達屋さんに案内してもらって、お城へ向かいました。ところが、森を抜けたところに、大きな川があったのです」
アイはタオルケットを指でなぞり、川の場所を決めた。愛奈が配達屋のぱかプチを持ち上げようとする。
「この人は跳べるよ」
「でも、王様を置いていけないでしょう」
「じゃあ、橋」
悠がベッドを降り、積み木の箱から細長い板を持ってきた。
アイはタオルケットを川の両岸に見立てて寄せ、その間へ板を渡した。橋ができると、愛奈が王様を前進させようとする。
「待って。橋を渡る前に、王様は聞きました。『この橋は、丈夫なのか』」
「丈夫です」
悠は板の中央を指で押してみせた。ぱかプチ程度なら、確かに問題ない。
アイは王様を頷かせ、2体を順番に橋へ進めた。愛奈は布団の中で脚を動かし、橋を揺らしてくる。
「地震!」
「大変。では、揺れが収まるまで止まりましょう」
ぱかプチを止めると、愛奈の脚も止まった。動かすとまた揺れる。
3度目には、悠が妹の膝を布団の上から押さえた。
「そこに地震がいる」
「ドラゴンが揺らしてるの!」
「今度はドラゴン? じゃあ、誰かにやってもらいましょう」
アイは王様を安全な側へ戻し、廊下へ顔を向けた。浴室から出た圭介が、タオルで髪を拭いている。
「ねえ、ドラゴンの役をやってくれない?」
「ドラゴン?」
圭介は寝室の中を見た。ぱかプチと積み木、ベッドの上で待っている子どもたちを順に確かめ、入口の壁に背を預ける。
「……この橋を渡りたいなら」
いつもより低い声に、愛奈の耳が立った。
「先に、お風呂へ入りなさい」
「もう入った!」
「では、歯を磨きなさい」
「磨いた!」
「では、通ってよし」
「弱いドラゴン」
悠が言うと、圭介はタオルを肩へ掛けた。
「お風呂も歯磨きも終わった子は、通してあげるんだ」
アイは笑いながら、配達屋に王様を案内させた。橋の先へ進むと、愛奈が枕のお城を持ち上げる。
閉じ込められたはずのお姫様が、すでに城ごとこちらへ来ていた。
「迎えに来ました、と王様は言いました」
「開かないよー。助けてー」
愛奈はジェンティルドンナを動かして答えた。
アイは王様に扉を叩かせる。悠が枕の前へ置いた絵本が、門の役になっていた。
「鍵はどこにあるのかしら」
「ドラゴンが持ってる」
夫婦で目が合った。
圭介は壁から離れ、ズボンのポケットを探るふりをした。
「鍵はここにあるぞ。取りに来られるかな?」
「お母さん、取ってきて」
愛奈が心配そうにアイを見る。
寝室の時計は、いつもの消灯時間まであと7分を示していた。アイは自分のぱかプチを前へ出した。
「配達屋さんに、取ってきてもらいましょう」
「王様は?」
「王様は、お姫様のそばで待っていて」
王様を枕元に置き、アイは配達屋を走らせた。タオルケットの山を越え、橋を渡り、廊下のドラゴンへ辿り着く。圭介が、見えない鍵を人形の腕へ持たせた。
「王様に届けてくれ」
「あなたも、そろそろ髪を乾かしなさい」
配達屋の声で言うと、悠が笑ってベッドへ倒れ込んだ。
アイは一気に城へ戻り、鍵を回す仕草をした。門の絵本を横へずらす。王様とお姫様が向き合うと、愛奈が2体の手をくっつけた。
「じゃあ、結婚しよう!」
「早いわね。まず、お家へ帰りましょう」
「ケーキは?」
「いま作る」
悠が積み木を1つ置いた。白い積み木に、赤い小さな積み木を載せる。十分にケーキだった。
王様とお姫様が食べる真似をすると、愛奈も大きく口を開ける。アイはケーキを娘の口元まで運び、それから配達屋にも一口食べさせた。
「配達屋さんにも?」
「たくさん走ったもの」
「じゃあ、全部いいよ」
愛奈は残りの積み木を寄せてくれた。
アイはそれを両手で受け取る。橋に門にケーキまで、布団の上が随分賑やかになっていた。
「王様たちはケーキを食べて、お城の寝室へ入りました。配達屋さんも、自分のお家に帰ります」
「ドラゴンは?」
「これから髪を乾かします」
廊下の向こうから圭介が答えた。直後にドライヤーの音がして、子どもたちはまた笑った。
アイは積み木を箱へ戻し、悠に自分のベッドへ入るよう促した。愛奈はぱかプチを3体とも抱こうとして、両腕からルドルフを落としかける。
「1体ずつ並べましょう。苦しくなるわ」
「お母さんの、真ん中」
配達屋のぱかプチは、王様とお姫様の間へ寝かされた。黄色いリボンを結び直してから、アイは娘の布団を直す。
「またやってね」
「ええ。今度は、お母さんもお姫様をやりたいわ」
「いいよ。すっごく速いお姫様ね」
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
アイは枕元の明かりを落とした。
寝室の扉を少し開けて廊下へ出ると、圭介が洗面所から戻ってきた。アイの手には、片づけ忘れた赤い積み木が1つ残っている。
「ケーキ、残ってるのか」
「あなたの分。配達屋さんが全部食べてしまうところだったわ」
圭介は積み木を受け取り、食べる真似をした。
その低い礼の声に、寝室の方から愛奈が起き上がる音がした。
「ドラゴンまだいる?」
夫婦は同時に口を閉じた。
アイが圭介の背中を押し、リビングまで連れていく。笑うのは、廊下の扉を閉めてからにした。