授業参観で「脚が速い」と発表されるアーモンドアイ(32) 作:Lagavulin
莉良が玄関で差し出した紙には、『いらっしゃいませ おこのみやきやさん』と書いてあった。
アイが屈んで読むと、その下へ指が伸びる。
「お客さんは名前を書いてください」
「アイでいい?」
「人数も」
「4人よ」
「今、混んでます」
玄関の奥からララの声がした。
「混んでへんよ。早う上がってもろて」
莉良は名簿を覗き込み、急に思いついたように頷いた。
「ご予約のアイ様ですね」
「ええ。よろしくお願いします」
愛奈も真似をして頭を下げる。悠は靴を揃えながら、予約したのは自分たちだけなのかと聞いていた。
ララはエプロン姿で迎えに出てきた。髪をいつもより高い位置でまとめ、袖を肘まで上げている。
「ごめんな。朝からずっと店長やりたい言うて」
「いいお店ね。これ、冷蔵庫に入れてもらっていい?」
アイは切った果物を詰めた容器を渡した。台所へ運ぶ途中で、ホットプレートの向こうに直人が見えた。
両手にヘラを持ち、真剣な顔で焼き加減を見ている。
「どうぞ。焼くのは不慣れですが、食べる方は長年の経験があります」
「それはお客さんもや」
ララが即座に返した。
玄関では使っていなかった調子に、愛奈が母を見上げた。アイは娘の背中へ手を添え、椅子まで連れていく。
圭介は鞄を置くと、直人の隣へ回った。
「何か手伝える?」
「最初の1枚をひっくり返すところなんだ。責任のある仕事だよ」
「ほな、あんたがやって。ずっと見てたんやから」
直人は頷き、2枚のヘラを差し込んだ。きれいに返った生地を見て、子どもたちから拍手が起きる。
本人は片手を上げて応えた。
「今日の1枚目は、ちゃんと丸く焼けました」
「2枚目から形変わるん?」
ララが皿を並べながら言うと、悠まで笑った。
アイも隣で取り皿を配る手伝いを始める。
「ララ、こっちの小さいお皿も使う?」
「うん。愛奈ちゃん、熱いの苦手やったやろ。先に切り分けよ」
返事と同時に、ララは小さな皿をアイに渡してきた。夫へのツッコミをしながら、娘たちの座る場所も、熱いプレートとの距離も見ている。
莉良が席を立ち、愛奈へメニューを持っていった。
「何にしますか」
「これ」
指差した先には、莉良が描いた大きな丸があった。
「それは、お好み焼きです」
「こっちは?」
「それも、お好み焼きです」
「全部そうなんだ」
悠がメニューを覗くと、莉良は不満そうに唇を尖らせた。
「こっちは、チーズが入ってます」
「なるほど」
圭介が感心して頷いた。すると、莉良は嬉しそうに父へ注文を通した。
直人はメニューを受け取り、描かれた丸を確かめる。
「チーズをこの大きさまで入れるのか」
「それ、お好み焼きの輪郭や」
ララが言うより少し早く、悠も同じことを言った。
2人で顔を見合わせる。直人は真面目な顔のまま、圭介へ向き直った。
「育つのが早いね」
「学校で何を習ってるんだろうな」
「あんたの横で今習うてるんよ」
悠は感心したようにララを見た。
*
食事が進むと、愛奈のフォークから長くチーズが伸びた。空いた手でつまもうとしたところへ、隣の莉良が皿を寄せる。
「こっちに置いて。切ってあげる」
自分のフォークを使って分ける娘を見て、直人が笑った。
「莉良も前は、どこまで伸びるか試してたのに」
「それ、言わんで」
莉良が父を睨んだ。
ララが娘の口元についたソースを拭き、空いた皿を下げる。
「お姉さんしてくれてるんやから。なあ」
「うん」
莉良はすぐに頷いた。愛奈の世話へ戻ると、今度は水まで注いでやろうとしている。
アイはその手元を見ながら、自分の皿へ残った一切れを食べた。
「昔からこうだったの? 2人で食事をするときも」
「こう、いうのは?」
「あなたが返すのを、ずっと待っている感じ」
ララは直人を見た。夫は、まだ少し残っていた生地を小さく丸く焼いている。
「待ってるんやったら、返さん日も作ろかな」
「それは困る」
「ほら」
直人はヘラを置いて笑った。
「最初は、もっと心の中で言われていたと思う」
「今も言うてるよ」
「今も?」
「全部声に出してたら、食べ終わらへん」
圭介が飲みかけたお茶を下ろした。アイも、口に物が入っていなくてよかったと思った。
悠が箸を置き、ララへ尋ねる。
「莉良ちゃんのお母さん、漫才の人だったの?」
「違うよ。走る人やった」
「でも、お父さんとすごくうまい」
ララが返事を探している間に、直人が嬉しそうに頷いた。
「最高の相方だからね」
「そこで喜ばんと、うちのトレーナーやった話して」
言いながらも、ララの耳が少しだけ横へ傾いた。
アイが夫の方を見ると、圭介も笑っていた。
食後、果物を出す頃には、子どもたちの関心はメニューの裏へ移っていた。悠が新しい店の名前を考え、莉良が絵を描き、愛奈が丸いシールを貼っている。
ララが台所から戻ると、莉良が紙を掲げた。
「お母さん、これ面白い?」
書かれていたのは、『おこるのみやきやさん』だった。悠が文字を足したらしい。
直人が脇から覗き込み、どんなときに怒られる店なのかと聞いた。
「ソースをかけたら怒られる」
「かけなくても怒られる」
子どもたちが順番に設定を増やしていく。ララは椅子に座り、紙を受け取った。
「ほな、店員さんに何て言うたら、お客さん食べられるやろ」
3人が考え込む。愛奈はまず「いただきます」と答えた。
莉良が首を振り、悠が「怒ってない方ください」と言う。
直人は腕を組んで少し考えた。
「持ち帰りで」
ララが笑った。声を抑えることもせず、紙を持ったまま肩を揺らす。
子どもたちは意味を確かめ合い、やがて悠が父親たちの方へ身を乗り出した。
「それ、ずるい。店の中で食べるルール」
「今できたルールだな」
圭介が言うと、莉良がメニューの隅へ大きな文字を書き始めた。
帰る頃には、メニューには料理より注意書きの方が多くなっていた。ララは玄関まで見送りに来て、アイが渡した容器を返した。
「また来てな。次は店長に、もうちょっと穏やかな店にしてもらうわ」
「予約はできるかしら」
奥から莉良が答えた。
「予約したら怒られます」
「もう閉店しよか」
ララが言うと、玄関の全員が笑った。アイは靴を履き終えた愛奈の手を取り、もう片方の手でお好み焼きの入った容器を抱え直した。