授業参観で「脚が速い」と発表されるアーモンドアイ(32) 作:Lagavulin
悠と愛奈が2人で買い物へ出かけたあと、アイは玄関の鏡の前で帽子を被った。初めての兄妹だけのおつかいだ。2人には気づかれないよう、少し離れてついていくつもりだった。
いつもより目深に被り直し、サングラスも掛ける。これで、振り返られてもすぐには分からないだろうか。鏡に横顔を映してみた。
「日差しが強い日は、いつもそれだよな」
玄関で圭介が言った。
「今日は少し違うわ。帽子を深くしてる」
「視界は?」
「確保してる」
「ならいいけど。急に飛び出すなよ」
夫は開いた玄関の扉から通りを見た。
悠は近所の店への買い物なら慣れている。愛奈に一緒に行きたいと頼まれ、少し考えてから引き受けた。道は一本道で、途中に信号が1つある。
「圭介、わたしの鞄、取ってくれる?」
圭介が玄関の棚から鞄を取り、差し出した。
「その格好で走ったら、たぶん一発で分かるぞ」
「走らないわよ。買い物についていくだけだもの」
アイは普通の速度で玄関を出た。
兄妹は、信号の手前で並んでいた。悠が妹の手を握り、愛奈は空いた手で買い物袋を振っている。
青になっても、2人はすぐに渡らなかった。悠が左右を見て、愛奈も同じように首を動かす。それから一緒に歩き出した。
アイは電柱の手前で止まり、次の青を待った。
「アイさん!」
背後から、よく通る声がした。
振り返ると、グランアレグリアが買い物袋を提げていた。隣には息子の英里(えいり)がいる。悠と同じクラスの、人間の男の子だ。
「こんにちは。そんなところで何してるんですか?」
「少し、静かにお願いできる?」
アイは口元へ指を立て、向こうの歩道を示した。
兄妹は店の方へ歩いている。愛奈が一度こちらを振り向いたように見えたが、悠に何か言われて前へ向き直った。
「おつかいですか」
「ええ。2人では初めてなの」
「なるほど。それで変装を」
グランは、帽子からサングラスまでを見た。
「分かりやすくて助かりました!」
「そう」
英里が母の袖を引いた。
「それだと、変装になってないんじゃない?」
「でも、見つけてほしくないのは悠くんたちでしょう?」
「今、お母さんが大きな声で呼んだよ」
グランが信号の向こうを見る。アイも見た。兄妹の姿は、もう店の入口へ消えていた。
「すみません。次は小さな声で呼びます」
「もう隣にいるから、呼ばなくても大丈夫よ」
信号が青になり、3人は向こうの歩道へ渡った。
店は、小さなスーパーだった。アイは入口のそばで立ち止まり、外に並んだ鉢植えを見るふりをした。
窓越しに、悠の頭が見える。愛奈は買い物メモを両手で持ち、兄へ何か訴えていた。
頼んだのは、長ねぎ1本、油揚げ1袋、絹ごし豆腐1丁。愛奈が読めるよう、絹ごしだけは包みの特徴も描き添えた。
悠が棚から豆腐を取ると、愛奈が首を振った。兄が戻して、別の品を選ぶ。また首を振る。
アイはサングラスを少し下げた。
「豆腐の種類かしら」
「もうちょっと近づきます?」
グランは普通に窓から覗いていた。英里はその隣で、鉢植えの値札を読んでいる。
「近づいたら、見つかるでしょう」
「そうですね。あたしが見てきます」
返事を待たず、グランが店へ入っていく。
アイは呼び止めかけて、口を閉じた。ここで名前を呼び合っていたら、それこそ不自然だ。
窓の向こうで、グランが兄妹へ声を掛ける。愛奈がメモを見せ、悠が豆腐を持ち上げた。3人で何かを確認している。
「お母さんも、よく後ろから来るよ」
英里が言った。
アイは窓から目を離した。
「そうなの?」
「自転車で先に行っていいって言うのに、ずっと後ろにいる」
「それは、心配なのよ」
「うん。でも、普通に追いついてくる。坂でも」
英里は坂を思い出したように、店の先の道を見た。
店から戻ったグランが、2人の前で足を止めた。
「解決しました。愛奈ちゃんが、自分で籠に入れたかったそうです」
アイはもう一度、店内を見た。
愛奈が豆腐を両手で抱え、悠の持つ籠へそっと置いていた。包みの端を押して位置を直し、満足したように頷く。
「……そうだったの」
「種類は、最初から合っていましたよ」
グランは自分の袋を持ち直した。その中に、買い足したらしいヨーグルトが入っている。
アイが目を向けると、彼女は嬉しそうに言った。
「あたしの好きなのがありました」
英里が溜息をつき、自分の方へ袋を引き寄せた。
「冷たいの買っちゃったから、帰ろう」
「はい! また学校で!」
グランは今度こそ小声で挨拶し、息子と歩いていった。
*
兄妹がレジへ並ぶ頃、アイは通りの反対側へ移っていた。
小銭を出すのは悠、袋を開けるのは愛奈。店員が何か言うと、2人で袋の中を覗き込み、入れたものの位置を変えている。
無事に店を出たのを見て、アイは先に信号へ向かった。今なら、家へ戻って玄関で迎えられる。
歩幅を広げかけたところで、遠くから声がした。
「お母さん」
足を止めた。
振り返ると、悠が道の向こうで手を振っている。愛奈も隣で、買い物袋を持ち上げた。
アイは信号が変わるのを待ち、2人の方へ渡った。
「よく分かったわね」
「愛奈が、信号のところで見つけた」
愛奈は帽子を指差した。
「そのお帽子、わたしも選んだ」
そうだった。
今年の夏、娘が黄色いリボンを気に入って、自分にも同じ色のものを欲しがったのだった。
アイはサングラスを外し、鞄へ入れた。
「買い物、ちゃんとできた?」
「できた。絹ごしも買った」
悠がレシートと財布を渡してくる。アイは頼んだ品を確認してから、袋を持とうとした。
愛奈が少し遠ざける。
「これは、わたし」
「重くない?」
「自分で袋に入れたから、わたしが持つ」
悠が横から袋の取っ手を半分受け取った。
「豆腐、底にあるから、振らないでね」
「知ってるよ」
アイは手を下ろし、2人の隣へ並んだ。袋は兄妹の間で、慎重に運ばれている。
家へ帰る途中で、悠がふと顔を上げた。
「英里くんのお母さんも、一緒に見てたの?」
「ええ。途中で会ったの」
「じゃあ、お母さんがいるって知ってたんだ」
何を話したのかと聞くと、悠は少し笑った。
「どこから来たのって聞いたら、『外です』って言った」
アイは声を出して笑った。愛奈が袋を揺らさないよう、母の方を見ずに歩き続ける。
玄関では、圭介が待っていた。
「おかえり。見つかっちゃった?」
「最初の信号で」
アイが答えるより先に、悠が報告した。
圭介は妻の帽子を見て、頷いた。
「でも、買い物は自分たちでできたんだな」
「うん。お母さん、外でお花見てた」
愛奈が靴を脱ぎ、台所へ袋を運んでいく。圭介はその後ろを追いながら、アイの方を振り返った。
「気に入った花はあった?」
アイは帽子を脱いで夫へ渡した。
「何のお花だったかも、覚えていないわ」
圭介が笑って帽子を掛けた。アイは台所へ行き、子どもたちが買ってきた豆腐を冷蔵庫へしまった。