授業参観で「脚が速い」と発表されるアーモンドアイ(32) 作:Lagavulin
テレビに映った若い圭介を見て、悠が首を傾げた。
「本当にお父さん?」
「そうだよ」
「髪、違う」
圭介は自分の前髪を触った。アイはソファの反対側で、笑いながらクッションを抱え直す。
「このときは、今より少し長かったのよ」
「お母さんの髪は、今と同じだ」
「よく見ているわね」
悠は画面の中のアイと、ソファに座る母を見比べていた。
愛奈はアイの膝の間へ座り込んでいる。母と同じ髪飾りをつけた若いウマ娘を指差し、それから後ろを振り向いた。
「お母さん、細い」
アイはクッションを抱く手を止めた。
「服のせいじゃないかしら」
「今のは、ふわふわしてる」
今日着ている部屋着の袖を、愛奈が引っ張った。アイは腕を持ち上げ、娘の手を袖から抜いた。
圭介が横で、何も言わずに再生ボタンを押した。
学園の仕事場で見た写真が気になったらしく、悠が昔の母のレースを見たいと言った。圭介は保存してあった中継映像をテレビへつなぎ、ついでに当時の練習動画も見せてくれた。
今映っているのは、まだ担当を始めて間もない頃、コース脇に据えたカメラで撮った映像だった。
『もう1回、お願いできる?』
画面の中のアイが、カメラの方へ戻ってくる。耳の横へ張りついた髪を払い、息を整えながら、まだコースを見ている。
『今日の分は撮れたよ』
『分かってるわ。さっきの、少しだけ試したいの』
画面の端に立っていた圭介が、アイに顔を向けた。
『どこを変える?』
若いアイが説明を始める。指で腕の動きを示し、足元へ目を落としてから、もう一度コースを指差した。
愛奈が身体をひねり、今のアイを見上げる。
「お母さんも、もう1回って言うんだ」
「言うわよ。試してみたいことがあったから」
「わたしと同じ」
娘は満足そうに頷いた。
テレビの中では、圭介が腕時計を見ていた。相談の末に、速く走る区間を短くして、動きを確かめることになったらしい。アイが再びカメラから離れていく。
悠は、その背中より手前に置かれた紙袋を見ていた。
「あれ、何?」
「……パンだな」
圭介が答えた。
アイは映像を一時停止した。紙袋の横に、水のボトルがある。思い出して、夫の方を向いた。
「あなた、この日も昼食を後回しにしていたでしょう」
「撮り終わってから食べようと思ってたんだ」
「わたしが撮り直してって頼んだから?」
「それは関係ない。俺が先に食べておけばよかった」
悠が父を見る。
「お父さん、給食食べなかったの?」
「仕事中は、自分で買うか、食堂へ行くんだ」
「食べる時間も、自分で決めるの?」
「そう」
「忘れるの?」
圭介は少し考え、正直に頷いた。
愛奈が母の膝から降り、台所へ向かった。何をするのかと見ていると、小さな菓子の袋を1つ持って戻ってくる。
「お父さん、これ」
「今は食べたよ。さっき一緒に」
「忘れたときの」
圭介は礼を言って、袋をテーブルへ置いた。
*
次は、レースの中継だった。
画面いっぱいに映る観客席を見て、悠が姿勢を変えた。公園や体育祭とは違う広さに、愛奈も黙る。
アイは、スタート前の自分が映ると少しだけ背筋を伸ばした。
「お母さん、どこ?」
「今、真ん中にいるでしょう」
「あ、いた」
悠が指差す。アイは夫から渡された飲み物を一口飲み、グラスをテーブルへ置いた。
桜花賞の映像だった。自分の最初の大きな勝利。ララと同じレースを走り、後ろから追いかけた日だ。
レースが始まると、愛奈が画面へ近づこうとした。アイが手を引き、ソファへ戻す。
「ここからでも見えるわ」
「お母さん、後ろにいる」
「ええ」
「追いつく?」
アイは答えかけ、口を閉じた。
結果は子どもたちも聞いている。それでも、今は目の前で走る母が後ろにいることが気になるらしい。
悠が妹の肩へ手を置いた。
「見てよう」
コーナーを回り、画面の中の自分が外へ出る。
アイは膝へ置いた指を少し曲げた。走った日の感覚を全部覚えているわけではない。けれど、前が開けたときの景色には見覚えがある。
追いつける。そう思って踏み出した。
「来た!」
悠が声を上げた。
愛奈の両耳が前へ向く。アイが前を抜き、先頭でゴールするまで、2人とも画面から目を離さなかった。
ゴール後、愛奈が母の腕へ飛びつく。
「勝った!」
「ええ」
アイは娘を受け止め、悠へも顔を向けた。息子はまだ画面を見ている。もう一度流れた直線の映像を、身を乗り出して追っていた。
「お母さん、あそこから、あんなに抜いたの?」
「そうよ。うまく走れたでしょう」
「すごい」
素直な一言に、アイは笑った。夫の方を見ると、圭介もこちらを見ていた。
そこでテレビの画面が切り替わった。
若い圭介が映った。
片手にタオルを握り、口を開けたまま、ゴールの方を見ている。誰かに肩を叩かれてようやく振り向き、それから顔を覆った。
「お父さん、泣いてる」
悠が言った。
圭介はリモコンへ手を伸ばしかけたが、アイが先に取った。
「そこは飛ばさなくてもいいでしょう」
「長いんだよ、この映像」
「まだ5秒くらいよ」
愛奈が父の顔を覗き込んだ。
「痛かった?」
「嬉しかったんだ。お母さんが勝って」
「お父さん、走ってないのに?」
「うん。でも、お母さんと一緒に勝ったんだ」
圭介は画面へ目を戻した。
アイはその横顔を見た。今の夫は、当時ほど表情を隠せずに困ることは少ない。それでも、子どもがいい走りをしたときには、似た顔をする。
中継が終わると、悠がもう一度見たいと言った。
アイは再生位置を戻そうとして、指を止める。
「どこから?」
「最初から。お母さんが前を抜くところも」
「分かったわ」
圭介が立ち上がり、飲み物を足しに行った。愛奈は父のために持ってきた菓子の袋を、開けてもいいかとアイに差し出す。
「お父さんが戻ってから、一緒に食べましょう」
「うん」
2回目は、悠が少し早く母を見つけた。愛奈は、前を走っているララにも気づいた。
「莉良ちゃんのお母さんだ」
「ええ。とても強かったのよ」
「今も強い?」
「この前、負けたばかりでしょう」
圭介が笑いながらグラスを置いた。
レースの映像がまた直線へ入る。悠が同じところで身を乗り出し、愛奈が菓子を握ったまま母の腕へくっついた。
アイはリモコンをテーブルへ置き、子どもたちと一緒にゴールを見た。
直後に圭介の顔が映ると、愛奈が父へ菓子を1つ渡した。
「お父さん、また泣いてる」
圭介は受け取って頷いた。アイも横から、同じ袋へ手を伸ばした。