授業参観で「脚が速い」と発表されるアーモンドアイ(32) 作:Lagavulin
ラッキーライラックは、受付でもらったプログラムを折らずに鞄へ入れた。
直人が横からそれを見て、何も言わず、娘の水筒を自分の肩へ移した。
「お母さん、今日も走るの?」
莉良が聞いた。
ララは娘の髪を整え、首を振る。
「今日はお話を聞いて、一緒に身体を動かすんよ」
「お母さん、知ってる人なんでしょう」
「うん。昔、学園でお世話になった先輩や」
市のスポーツ交流会に、オルフェーヴルが講師として招かれていた。
家族向けの催しで、午後は子どもたちが参加できる運動教室もある。学校で配られた案内を莉良が持ち帰った日に、ララは申し込んだ。
夕食の席につく頃には、申し込みを終えていた。その早さに笑った直人は、今朝も早くから車を出し、受付が開くのを一緒に待ってくれた。
会場の体育館では、ブラストが職員と一緒に用具を並べていた。今日は学校から協力に来ている。
こちらを見つけると、大きく手を振る。
「ララ! 莉良も、よく来たな!」
「先生、おはようございます」
娘が頭を下げる。ブラストは嬉しそうに頷き、受付の先を示した。
「最初はあそこの椅子だ。お話が終わったら、こっちで遊べるぞ」
莉良が、床へ並べられた輪や小さなコーンを見る。
ララも視線を向けたが、壇上の脇へ現れた金色の髪に気づき、その場で足を止めた。
オルフェーヴルだった。
動きやすい服を着て、担当の職員から説明を受けている。声を掛けるには少し遠い。仕事の話をしているところへ入るのもよくない。
そう思っていると、相手が顔を上げた。
「ラッキーライラックか」
名前を呼ばれ、ララは背筋を伸ばした。
「ご無沙汰しております」
近づいて頭を下げる。オルフェはララを見てから、その隣へ視線を落とした。
「お前の子だな」
「はい。娘の莉良です」
莉良が母の陰から出た。
母に教えられた通り挨拶をして、それから、迷いなく尋ねる。
「お母さんのお部屋に、写真がある人?」
ララは娘の肩へ置いた手を止めた。
オルフェの口元に笑みが浮かぶ。
「ほう」
「レースの写真を、飾らせていただいてまして」
「あとは、机の横にもある」
「莉良」
止めようとしたが、娘はまだ紹介の途中だと思ったらしい。
「お母さん、今日、いつもより早く起きたよ」
「……そちらは、もうええよ」
直人がいまにも笑いそうな表情で口元に力を入れていた。
ララは夫の腕を軽く引き、相手へ向き直った。
「今日は楽しみにしておりました」
「うむ。よく見ておけ」
オルフェは莉良にも同じように頷き、職員のところへ戻っていった。
ララが息を吐くと、娘が母の顔を見上げた。
「お母さん、顔赤い」
「暑いんよ」
直人が黙って、上着を受け取る手を差し出した。
*
最初の話は、子どもたちが見たことのあるレース映像から始まった。
オルフェは自分の走りを長く説明しなかった。速さを確かめるように画面へ目を向け、次に子どもたちを見た。
「今日ここに来た者は、何ができるようになりたい」
小さな声がいくつか上がる。オルフェは客席を見渡し、もう一度口を開いた。
「余の前で、遠慮などいらぬ。望むものを申せ」
前の列で手が上がる。かけっこで勝ちたい、ボールを遠くへ投げたい、転ばずに縄跳びをしたい。答えが出るたび、オルフェはその子の顔を見た。
莉良も手を上げた。
「リレーで、バトンをもらうのを速くしたいです」
オルフェが頷いた。
「ならば今日は、渡してくれる相手をよく見よ。己だけが速く動けばよいものではない」
莉良が座り直す。
ララは娘の横顔を見た。この前、学校の練習で受け渡しがうまくいかなかったと聞いていた。家でも話はしたが、本人から人前で言うとは思わなかった。
直人が、娘にだけ見えるよう小さく親指を立てていた。
実技では、柔らかい棒を受け渡しながら歩くところから始めた。人間の子もウマ娘の子も、まずは速さを出さずに合わせる。
ララが莉良の後ろに立つと、娘は手を後ろへ伸ばし、母の顔を見ようと首まで大きくひねった。
「前も見とかんと、歩きにくいやろ」
「でも、相手を見るって」
オルフェが横へ来た。
「受け取る前に、どこから来るかを確かめよ。受け取ると決めたら、その手を迷わせるな」
小さな手の位置を目で示し、ララへ棒を渡すよう促す。
莉良は一度母を見てから前を向いた。差し出した手が揺れ、ララはそこへ合わせて棒を運ぶ。
「もう一度」
次は、莉良の手があまり動かなかった。
棒が掌へ収まると、娘はすぐに振り向いた。ララを見るより先に、オルフェを見上げる。
「受け取れた」
「うむ。今の位置を覚えておけ」
莉良は何度も自分の手を確かめた。
ララが礼を言うと、オルフェは彼女の持つ棒へ目を向ける。
「合わせるのが上手いな」
オルフェはララにそう言ってから、莉良へ向き直った。
「次は父親とも試すがよい」
直人が呼ばれ、ララと入れ替わった。
父親の歩幅と差し出す位置は、母と少し違う。莉良は最初、一度取り損ねた。それから父を振り向き、もう少しこっち、と自分で頼んだ。
2人の様子を見ながら、ララはオルフェの横へ立った。
「うちが、先に合わせてしもてたんですね」
「お前が合わせすぎれば、あの子が相手に頼むことを覚えぬ」
直人と莉良が、今度はうまく受け渡した。
ララは娘へ手を振った。莉良は棒を掲げ、父の方へ戻っていく。もう一度やりたいらしい。
*
交流会の最後に、記念撮影の時間があった。
莉良は並ぶ列を見つけると、母の袖を引いた。ララは鞄からプログラムを取り出し、記念撮影の案内をもう一度読んでいた。
「お母さん、写真」
「うん。莉良、撮ってもらおか」
「お母さんも」
ララが夫を見ると、直人はすでにスマホを持っていた。
「撮るよ」
順番が来る。オルフェの横に莉良が立ち、その外側へララが並んだ。少し離れすぎたらしく、オルフェが目だけでこちらを見る。
「それでは収まらぬだろう」
「失礼しました」
近づくと、莉良が母の手を取った。
直人がスマホを構える。ララは顔を上げたが、どこへ目を向ければ自然なのか、急に分からなくなった。
「ラック、いつもの顔で」
夫の声に、思わず眉を寄せる。
「それができたら、苦労せえへん」
言ってから、隣に誰がいるかを思い出した。
オルフェが笑みを浮かべていた。莉良も笑い、直人が続けて写真を撮る。
「よい顔になったではないか」
ララはもう取り繕うのをやめ、娘の手を握り直した。
駐車場へ戻る道で、直人から送られた写真を何度も開いた。莉良は父と手をつなぎ、借りた棒の代わりに、自分の水筒を後ろへ渡そうとしている。
「それは重いから、前で渡して」
ララが言うと、娘は素直に身体ごと振り向いた。
スマホを鞄へしまいかけたとき、莉良が尋ねた。
「今日の写真も、お部屋に飾る?」
「うん。飾ろうと思う」
「机の横にも?」
直人が隣で咳払いをした。
ララはその腕を軽く叩き、娘へ頷いた。
「今度は、リビングにも置こか」