第ニ話 異世界転移、ここはゲームじゃない――キリト、強き師匠と出会う
――目を覚ました。
「……ここは……?」
桐ヶ谷和人――キリトは、見慣れない天井を見上げていた。
木造の天井。
壁も床も木でできている。
自分が寝かされているのは、簡素なベッドだった。
「…………」
ゆっくりと上半身を起こす。
身体に痛みはない。
キリトは、ここへ来る直前の記憶を辿ろうとした。
だが――どうしても、はっきりしない。
「……ゲーム?」
ふと、そんな考えが浮かんだ。
もしかすると、自分は新しいVRMMOの世界にいるのではないか。
これまでにも、ゲームの中で現実と見紛うほど精巧な世界を体験したことがある。
ならば今回も――。
「……メニュー」
何も起こらない。
「メニューウィンドウ」
やはり、何も表示されない。
「……」
キリトは自分の手を見た。
指を動かす。
握る。
開く。
確かな感触がある。
布団の感触。
木の床。
空気の冷たさ。
そして、自分自身の身体。
「HPバーも……ない」
視界の端に表示されるはずのものもない。
ステータス画面もない。
インベントリもない。
スキルウィンドウもない。
そもそも、システムメニューそのものが存在しない。
「……ゲームじゃない?」
そのときだった。
部屋の外から、声が聞こえた。
続いて――
ガチャ。
扉が開く。
「目が覚めたようじゃな」
入ってきたのは、小柄な老人だった。
白い髭を蓄え、年季の入った服を身につけている。
キリトは警戒しながら老人を見る。
「あなたは……?」
「この村の村長じゃよ」
「村……?」
「ここはココット村じゃ」
ココット村。
聞いたことのない名前だった。
「お主は村の外で倒れておった。村の者が見つけて、ここまで運んできたんじゃ」
「俺が……?」
キリトは眉を寄せる。
やはり記憶が曖昧だ。
「ここは……どこなんですか?」
「ココット村じゃと言ったじゃろう」
「そうじゃなくて……」
キリトは言葉を選ぶ。
「この村がある場所は?」
「この村はこの村じゃよ」
「……」
答えになっていない。
だが、老人の様子を見る限り、冗談を言っているわけでもなさそうだった。
「外を見てもいいですか?」
「構わんよ」
老人に案内され、キリトは家の外へ出た。
そこで――足を止める。
「……」
村だった。
木造の家。
人々の暮らし。
武器を携えた男たち。
見たことのない道具。
そして村の外。
遠くに広がる大自然。
さらにその向こうでは――巨大な生物が動いていた。
「……あれは?」
「モンスターじゃ」
「モンスター……」
キリトは目を細める。
ゲームなら、そういう存在がいても不思議ではない。
しかし――。
遠くからでも感じる。
巨大な身体。
地面を踏みしめる音。
こちらまで伝わってくる咆哮。
そして何より――風に乗って届く、生々しい獣の臭い。
「……本物?」
「何を当たり前のことを言っておるんじゃ?」
村長が不思議そうな顔をする。
「モンスターは、この世界では珍しくもないぞ」
「……この世界?」
キリトは、その言葉を聞き逃さなかった。
「ここは……俺が知っている世界じゃない?」
「お主がどこの者かは知らんがの」
村長は肩をすくめた。
「少なくとも、ここはお主が知っている場所ではないじゃろうな」
「…………」
キリトは黙り込んだ。
ゲームではない。
そして――自分がいた世界でもない。
「……異世界転移、ってことか」
口に出してみても、現実味はなかった。
だが、目の前にある光景が否定させてくれない。
ここは、現実だ。
モンスターが存在する、本物の世界。
村長から、この世界について聞いた。
この世界にはモンスターがいる。
そして、それらを狩る者たちがいる。
――ハンター。
「ハンター……」
キリトは、その言葉を反芻した。
モンスターと戦い、人々の暮らしを守る者。
武器を手にし、命懸けで狩猟を行う。
「お主も、いずれこの世界で生きていくことになるじゃろう」
「……だったら」
キリトは村の中を見渡した。
「俺もハンターになれますか?」
「ほう」
村長が目を細める。
「ずいぶんと決断が早いの」
「何もしないままっていうのは、性に合わないんで」
キリトは苦笑した。
見知らぬ世界。
帰る方法も分からない。
ならばまず、この世界で生きる術を身につけるしかない。
「ハンターについて知りたいです」
「ならば、集会所へ行ってみるといい」
村長はそう言った。
「そこなら、腕の立つハンターにも会えるじゃろう」
集会所。
キリトはそこで、一人の男を見つけた。
「……」
最初に感じたのは――違和感だった。
その男は、特別に威圧しているわけではない。
むしろ穏やかだった。
椅子に腰掛け、のんびりと飲み物を口にしている。
表情も柔らかい。
話しかければ、気さくに答えてくれそうな雰囲気だ。
だが。
「…………」
キリトは足を止めた。
――強い。
理由は説明できない。
ただ、そう感じた。
男は力を入れているようには見えない。
なのに――隙がない。
どこを見ても、攻撃の起点になる場所が見つからない。
キリトはしばらく男を見つめた。
そして決める。
「すみません」
「ん?」
男が顔を上げる。
「俺を……弟子にしてください」
「…………」
男は一瞬だけ目を丸くした。
「いきなりだな」
「はい」
「俺が何者かも知らないだろ?」
「でも、強いですよね」
キリトは即答した。
「……へえ」
男は少しだけ笑った。
「面白いな、お前」
そして、ゆっくり立ち上がる。
「本気でハンターを目指すなら、厳しいぞ」
「覚悟はあります」
「そうか」
男はキリトを見つめた。
「じゃあ、まずは身体を鍛えろ」
「はい!」
こうして――キリトの修行が始まった。
最初の頃は、とにかく厳しかった。
走る。
鍛える。
武器を扱うための身体を作る。
そして、モンスターについて学ぶ。
この世界では、ゲームのようにリトライはできない。
一度の判断ミスが、命を奪う。
それをキリトは、少しずつ理解していった。
ある日。
師匠はキリトを狩場へ連れていった。
「今日は実際の狩りを見るといい」
「俺は?」
「まずは見てろ」
「分かりました」
キリトは頷いた。
そして――モンスターが現れた。
「……!」
その瞬間だった。
いつもの師匠から、柔らかな雰囲気が消えた。
姿勢が変わる。
視線が鋭くなる。
空気そのものが変わった。
「……静かに」
低い声。
キリトは息を呑んだ。
次の瞬間。
師匠が背中に背負っていた双剣を抜く。
――二本の刃。
その姿を見た瞬間。
「……双剣」
キリトの脳裏に、かつての記憶が蘇った。
黒い剣士。
右手と左手。
二本の剣を使い、敵へと挑んだ日々。
――二刀流。
「…………」
キリトは双剣から目を離せなかった。
師匠が駆ける。
一撃。
二撃。
三撃。
速い。
だが、ただ速いだけではない。
無駄がない。
攻撃を避け、懐へ入り込み、二本の刃を正確に叩き込む。
普段の穏やかな姿からは想像もできない。
まるで別人だった。
「これが……師匠の狩り……」
モンスターが反撃する。
師匠は紙一重でかわす。
そして、すぐさま反撃。
最後の一撃がモンスターを捉えた。
静寂。
師匠は双剣を収めた。
そして振り返る。
「どうだった?」
「……すごいです」
「そうか」
師匠は、いつもの穏やかな笑顔に戻っていた。
「じゃあ、次はお前が使う武器を決めよう」
並べられた武器を、キリトは一つずつ見ていった。
大剣。
片手剣。
ランス。
ハンマー。
そして――双剣。
「…………」
キリトは双剣の前で立ち止まった。
手を伸ばす。
二本の柄を握る。
その感触。
かつて、自分が使っていた二本の剣を思い出す。
「……これにします」
「双剣か」
「はい」
「理由は?」
キリトは少しだけ考えた。
「……昔、似たような戦い方をしていたんです」
それ以上は語らなかった。
この世界ではない。
かつて自分がいた場所で。
黒の剣士と呼ばれていた頃。
その記憶が、双剣を握った瞬間に蘇ったのだ。
「なるほどな」
師匠は、それ以上聞かなかった。
「なら、しっかり使いこなせ」
「はい!」
こうして。
桐ヶ谷和人は――この世界で双剣を手に取った。
それから一年。
キリトは師匠のもとで鍛錬を続けた。
最初は振り回すだけだった双剣も、次第に自分の身体の一部のようになっていく。
モンスターとの戦い方。
地形の見方。
距離の取り方。
攻撃するタイミング。
そして――命の重さ。
師匠との狩りを重ねるたび、キリトは成長していった。
やがて彼は、ハンターとして認められるようになる。
身につけたのは――ハンターシリーズ。
そして、背中には愛用の双剣。
「……一年か」
村を見渡しながら、キリトは呟いた。
この世界へ来たばかりの頃には、何も分からなかった。
ゲームだと思った。
しかし、ここはゲームではなかった。
命があり、痛みがあり、そして帰る場所を失った現実の世界だった。
それでも。
「……やるしかないよな」
キリトは双剣を背負い直す。
そのとき――。
「キリト」
師匠が声をかけた。
「ベルナ村へ向かうといい」
「ベルナ?」
「龍歴院が、新しいハンターを集めてるらしい」
「龍歴院……」
「お前なら、そこで新しい道が見つかるかもしれない」
キリトは少しだけ笑った。
「分かりました」
振り返る。
ココット村。
この世界で初めて、自分が目を覚ました場所。
そして――師匠と出会った場所。
「……行ってきます」
「ああ。気をつけてな」
キリトは歩き出した。
背中には双剣。
身に纏うのはハンターシリーズ。
向かう先は――ベルナ村。
そして。
この世界で生きるための、新たな戦いが始まろうとしていた。
こんにちは19号です。
今回はキリト編です。