あと1年で漫画家になる。新人賞30回落選のあたしを、消えかけの稲荷神が鍛える 作:鳳 雛
道を覆うように向かい合って並ぶ木々の葉からは水滴が垂れていた。
水溜まりに雫が落ちる音が響く。
緑の香りが立ち込める夜の神社は、静けさに包まれている。
その静寂を切り裂くように『コツコツ』とリズム良く赤いハイヒールが石畳を打つ。
靴音のテンポは徐々に早くなり、向かい合う
賽銭箱の前で彼女は背筋を伸ばした。
深紅と黒を基調にしたジャケットとチューリップスカートが月夜の中で存在感を放っている。
財布に百円以下の小銭がないことを一瞥すると、そのままショルダーバッグにしまう。
静かに瞼を閉じて、左手の指先で眼鏡の赤紫のフレームをそっと押し上げる。
深く息を吸うと、両手で鈴緒を握り力一杯左右に振り回した。
ガランガランと、境内に鈴の音が響き渡るが、それよりも彼女の声の方が大きい。
「漫画家になりたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあい!!!!」
そう全力で叫ぶと膝に手をつき、息を整える。
狭かった呼吸の間隔が、徐々に広がっていく。
落ち着いた彼女が頭を勢いよく上げると、お尻まである長髪がふわりと舞った。
その艶やかな黒髪は天使の羽根の様な髪飾りで留められている。
羽根ペンが刺さった赤いベレー帽の位置を調整すると、肩に掛かった髪をかきあげて「フッ」っと、一仕事終えたかのように満足そうなドヤ顔を浮かべる。
彼女の名前は『
漫画家志望の25歳で、零細企業で秘書として働いている。
「自分それ毎晩やっとるけど、夜に神社に来るんはアカンよ。
大声出して周囲にも迷惑やんか」
急に背後から聞こえた中性的な声に、実門は瞬間的に反応する。
「あら、ごめんなさい!
今日が最後!
明日結果発表なの!!」
振り向き深く頭を下げた実門は、少しずつ顔を上げて恐る恐る片目を開く。
顔の横でピラミッド型のイヤリングが揺れている。
誰もいない!?
幻聴?
いや絶対に聞こえたわ。
実門はうろうろと参道を歩いて誰かいないか探し回る。
彼女の側にあった向かい合っていた稲荷神の像が、一つ消えている。
モゾッっと、茂みから一匹の獣が現れた。
「ひっ!」っと驚く実門。
「キャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ」と叫ぶが、よく見るとその動物は小さくて白くて尻尾がもふもふでキュートだった。
「――ァァァァァァァァァァワイイ!! キャワイイ!!」
神社にこんなに可愛い生き物が?
その動物を犬だと思った実門が思わず屈んで手の平を差し出す。
「お手♪」
白い生き物は彼女の手を大きな尻尾で振り払うと、
線のように細い目を満月の如く見開いた。
ブワッっと、強い突風に吹き飛ばされ実門は尻餅をつく。湿っている地面の嫌な温度がスカートを通してじんわりと伝わってくる。
バッグに入っていた書籍やコスメも散らばってしまった。
実門が顔を上げると周囲に複数の狐火が漂っている。
ぼんやりと紫色に発光した炎に照らされて神域全体が異様な雰囲気だ。
実門は恐怖に思わず大きく口を開けた。喉の奥までよく見える。
その中心には先ほどの白くて小さな動物がいた。
火の玉! 都会に狐が? 尻尾も三尾もあるし!?
目を点にする実門にさらに信じられないことが起きる。
「お手やと!?
誰が犬やねん!
ウチは血統書付きの狐。
月見神社の神様、
狐が喋った!
――っていうより、神様なの!?
「漫画家になりたい!
漫画家になりたい!!
漫画家になりたい!!!」
「流れ星見た時みたいな反応やな……」
実門は目の前に神様が現れた事実を受け止めきれずにいた。
今日はお酒も入っていないのに、こんな奇妙な幻覚を見るなんて。
柄にもなく自分の感覚を疑っていた。
「安心し。
実門は初めての参拝客や。
一ヶ月間も毎日来てくれておおきに」
実門は不安げな表情を浮かべている。
この状況を飲み込めずにいた。
月狐はそんなことを意に介さずに細い目をさらに細める。
「ウチが幸せにしたる」
頭上にある
漫画家志望者、長鳴実門。25歳。
この物語は短期間でプロの漫画家になった彼女に何が起きたのか?
――に迫る少し不思議なお話である。