あと1年で漫画家になる。新人賞30回落選のあたしを、消えかけの稲荷神が鍛える 作:鳳 雛
夜の神社は木がそよぐ音が気になるほど、静謐としている。夜の21時になると、不思議な世界が待っている。夜空に浮かぶ月が、特別な入り口の案内状だ。
実門《みかど》は公園のベンチで缶チューハイを流し込むと、月狐神社に足を運んだ。
一歩鳥居をくぐると、大きな風が全身に降りかかる。思わず目を閉じる。
目を見開くと空間は立派な神社に変貌していた。
「月狐、どこにいるの?」
「毎晩、来ているな自分。それだけ本気ってこっちゃ。ええことや」
「今日はログラインについて考えていたの。過去の作品について考えていたのだけれど、面白いログラインとつまらないログラインができちゃったわ。」
「せや。ログラインにはコツがいる。
ただ、物語の最初と最後と中間を決めるだけでは面白いログラインにはならへんねん」
「最初から教えなさいよ」
「まぁ、いきなり詰め込んでも混乱するやん。
今日は大事な要素を教えるわ」
大事な要素。ログラインにはコツがある。では、実門は何も知らない。
「ええか、まず一つ目は『皮肉』があること」
「皮肉? いじわるな要素を入れるってことかしら?」
「せや、それだけで疑問が生まれる。
正義のヒーローが敵を倒す話と、弱小のヒーローが敵を倒す話のどっちが見たい?」
「弱小のヒーローの方が面白そう」
「せや、それは捻りがあるからや。物語の疑問に読者を引き摺り込むってこっちゃ」
「昨日のアンパンマンの例では、どうなるのかしら?」
「自分で考えてみぃ」
「正義感の強いアンパンマンが、
バイキンマンにいじめられて困っている人を助けて、
平和な世界を維持するために奮闘するお話」
「せや、そこに皮肉を入れるんや」
「ダメよ。何も思いつかないわ」
「皮肉っていうのはイジワルのことや。どうやったらアンパンマンを虐められる?」
「アンパンマンは水に濡れたら力が出ない……。
じゃあ、バイキンマンが追い詰められている時に偶然雨を降らすっていうのはどうかしら?」
「ええやんけ。それだけで物語に起伏が生まれる。雨が降らなければ勝っていたアンパンマンにとって皮肉の雨やね。顔が濡れたアンパンマンはどうなるんや?」
「そうね。必死に戦うけど負けてしまう。そこにアンパンマン号に載ったバタコさんが現れて新しい顔を投げてくれる」
「でも、雨降ってんねんで。すぐに濡れてしまうやん」
「そっか。どうしよう」
「新しいアンパンマンの過去にはバターがたっぷり塗ってあった。だから、雨を弾いて弱体化しなかったっていうのはどうや」
実門は指を鳴らすと上機嫌になり、持っていた缶チューハイを飲み干した。
「ログラインには皮肉を入れる。何か面白い物語を考えられそうだわ」
「それは良かったな。ただ一つ重要なことがあるねん。重要なことや緊急性も高い」
実門は空き缶を踏みつけると真剣な顔で月狐の瞳を覗き込んだ。
「こうやって毎日月の出ている日に講義しているやろ。〆切があることを伝えようと思って」
「〆切? あたしは漫画家になるまで、死ぬまで夢を諦めないわよ」
「実門はそれでええ。
問題はウチの神通力が、残り1年しか持たへんってことや」
実門は持っていたバッグを落とした。化粧品や書籍が散らばる。
「あと1年ってどういうこと。あたしの才能に見切りを付けるってこと。嫌よ!」
「ちゃうねん。ウチは残り1年でただの狐になる。神様やなくなるんよ」
「喋ったり、特殊な魔法みたいなものを使えなくなるの?」
「せや。
神通力の仕組みについて簡単に説明するわ。神様ってのは神社を住処にしている。だから、参拝者が祈りや夢を叶えてもらおうと来るんや。で、神様は参拝者に神通力を与える」
「神通力を与えるってどういう意味?」
「まぁ、その祈りや夢が叶う確率を上げるってこっちゃ。ただ、神通力を与え続けると、神様自体の力が尽き果てる」
「そうね。与え続けたら消えてなくなるわ。それじゃ神様は損をするってこと?」
「ちゃうねん。
神通力を与えられた参拝者が、夢を叶えたとするやろ? その時に神様に感謝するはずや。ありがとうってな。その時、とてつもないエネルギーが生まれる。ほんで、神通力となって、力を与えていた神様の元へフィードバックするんや」
「夢を持っている人に力を与え、成功すれば何倍にもなって返ってくる。まるでギャンブルね」
「せや。ギャンブルや。しかも、参拝者の願いの成功率が低いほど、叶った際には莫大な神通力が返ってくる。ハイリスク・ハイリターンや」
「夢を叶える確率を上げる神通力。でも、全てを失うと神から降格する」
「神から降格したら、ただの動物になったり、石像になったりする」
実門は月狐の尻尾のことを思い出した。彼は2尾の尻尾を神通力で消耗した。実門の夢を叶えるために。
「あたしのために、そんな犠牲を払っていたなんて」
「この神社の運営には残りの尻尾が必要になるやろう。やから、残された時間は1年や。1年で実門の夢を達成する。もし、失敗したらただの野良狐になる。
――けど、成功したら莫大なリターンが返ってくる。尻尾の数はかなり増えるはずや」
実門は月狐の覚悟を甘く見ていた。このまま二人で修行を続けると、数年後に夢は叶うと信じていた。だが、月狐の猶予は1年ぽっちしかない。
自分を信じてくれた月狐に恩返しがしたい。漫画家として連載してみせる。
「今夜は月が綺麗やね」
「月狐。あたしこの1年、全力で頑張るわ。口だけじゃない。本気よ。だから……、
会社を辞めようと思う。そして、漫画の専門学校に通うわ」
「学費はあるんか? その手の学校はえらい高いで」
「プロの講師に作品を定期的に見てもらえるのは貴重でしょ?」
「昼は学校、夜は神社。この二刀流で挑むんやね。ええやんか。ただ無理はしなや」
実門はクロッキー帳を取り出すと、新作のログラインを考え始めていた。