あと1年で漫画家になる。新人賞30回落選のあたしを、消えかけの稲荷神が鍛える 作:鳳 雛
社長が事務所に出勤してきたのは昼休みが終わった午後番だった。社長椅子に座ると、鼻をほじりながら『できるオトコの100の習慣』という自己啓発本を読んでいる。重要な箇所には黄色い蛍光ペンで線を引く。
実門《みかど》は躊躇なく席を立つとインスタントの珈琲を作り運んだ。社長は黙って、豪快に飲む。一口が大きい。側から離れない実門を不審そうに眺める。
「なんだ? 昨日夜に連絡したキャラクターデザイン案100体分できたのか?」
実門は『辞表』と書かれているA4サイズの大きめの茶封筒を机に置いた。
「なんだ?イラストのデザイン案かと思ったら辞表じゃないか? また寝ぼけているのか実門」
「社長。あたしの覚悟は変わらないわ」
「 ハハハハ ハハハハッ 」
「急な話で申し訳ありませんの」
「 ……!! 」
「……」
実門の真剣な眼に気後れを取った社長は声色を変えた。
「堅苦しいぞ、実門。……いや、ミカちゃん。おじさんと呼んでくれ、昔のように」
「叔父さん。私には時間がないんです」
「なら今日はゆっくり休め。疲れが取れれば、頭も冷えるだろう」
「……」
実門は母親の病気のことを伝えるか迷ったが止めた。
「どうしても辞めるというのなら……、姉ちゃんに言いつけるぞ!」
「良いわよ? お母さんには、叔父さんにイラストレーターの仕事だと騙されたと真実を話すわ。実質はブラック企業で雑用全般させられたって」
「せ、せっかく正社員にしてやったのに恩を仇で返す気か。」
「正社員ったって小さな零細企業じゃない……、アルバイトの方がまだマシよ」
「安定した収入があることの幸せがわからないのか」
「安定なんて楽しくないわ」
「なんだと!?そもそも社会人としての責任はどうなんだ?せめて自分の仕事くらい終わらしてから去るべきじゃないのか!?」
「責任っていったって、昨晩にいきなりキャラクターデザイン案100人分描けだなんて非常識よ」
「ここでは私が常識だ!」
「……叔父さん」
社長は立ち上がると大きめの封筒を破いた。ビリビリという音に、書類を作成していた社員たちは視線を移す。地面に散らばった書類を踏みつけて社長は腕を組む。
「こんな辞表無効だ!! それにおじさんじゃない、私は社長だ!!」
「あたしは今、仕事に追われて漫画が描けない漫画家志望者。
そしてあたしは最後には漫画で生活するようになりたい。
そのためには、あたしは1年の間に専門学校に入学して勉強して、夜は秘密の授業を受けないといけない」
「なんだ、それは」
「あたしの人生のログラインよ」
「ぐぬぬぬ」
「今までありがとう。あたし、秘書というよりも、雑務をこなしたり、絵を描いたり変な仕事ばっかりだったけど。ここと皆のこと大好きよ」
実門は最低限の荷物を持って部屋を出て行った。
営業部の
「いかがなさいますか社長? デザイン案決定の打ち合わせまで時間がありませんが」
「……。まさか、辞表の中にイラスト案が入っていたとはな」
「ちゃんと100人分を描いてくれていたのに、社長が思いっきり破ってしまいましたね。……それにしても大丈夫ですか?」
「ミカちゃんは本来、明るい子だ。俺が少々追い詰め過ぎたかもしれない」
「いえ、デザイン案のイラストの納期が迫っているので」
「……あと何分ある?」
「……2時間少々ですね」
「美術の成績はどうだった?」
「そちらの方面の才能はなく……僕は2でした」
「そうか。俺は4だ。よし、筆を持ってこい」
「はっ、社長!!」