あと1年で漫画家になる。新人賞30回落選のあたしを、消えかけの稲荷神が鍛える 作:鳳 雛
神社の側を通り抜け、東に向かうと実門が働いていた職場がある。真っ直ぐ南に進むと自宅がある。途中には大きなスーパーがあり24時間営業していて便利だ。
そのスーパーから踵を返すと地下鉄があり、東京のあらゆる場所へアクセスできる。
実門《みかど》が退職して既に一週間が経とうとしていた。会社は無事回っているだろうか。同僚の顔がちらつく。会社で飼っていた黒猫の『マネキ』はご機嫌よくしているだろうか。色々と気になることがあるが、忘れて前に進もう。
絵馬が買い物かごに食材を放り込む。今晩は『ハニージンジャーソテー』、つまり蜂蜜の入った豚肉の生姜焼きだそうだ。料理が上手いパートナーと住むと太るというのは間違いがない。ただ、絵馬はカロリー計算もしてくれているので数年前に買ったスーツがキツくならない。
買い物袋を持つくらいのことはしないと罰が当たる。実門は絵馬と並んで家に向かった。駅から8分。立地は最高。治安は最悪。
前に雑誌を開くと、『子育てしたくない街ランキング』の1位に選ばれていた。だからこそ、安く住めるのだと思うと悪くない選択だ。
家のマンションのエントランスに入る瞬間、怪しい男が目に入った。サングラスにマスク。深く被った帽子。例の不審者かもしれない!?
男はポストの中を覗き回っていたようで、こちらに気づくと走って逃げようとした。実門はぶら下げていた買い物袋を地に置くと、突進する男を躱すと腕を掴み、関節を決める。
「痛い痛い、実門! やめろ、俺だ!」
「祝詞(のりと)叔父さん!? 一体何をしているのかしら!?」
「取りあえず、腕を解放してくれ」
「あ、ごめんあそばせ」
不審者だと思われていた実門の叔父さんを家に迎える。405号室だ。絵馬は初めての対面で若干緊張しているのか部屋着に着替えずにダイニングで三人揃ってこたつに足を突っ込んだ。
「実門。最近元気か?」
「そうね。今は外でバイト、内で副業って感じかしら」
「相変わらず全速力で突っ走っているな」
「――で、何で不審者みたいな動きをしていたの?」
「実はな、実門が辞めてから取引先が一斉に契約を破棄してきたんだ。要約すると、内の会社は漫画喫茶部門とキャラクタービジネス部門があって、キャラ部門の方は全て実門に任せていただろ? そのキャラを描ける人材が会社にはいなくなったので契約が破談となったのだ」
「あたしなんて、いてもいなくても、変わらないって言ってたじゃない。手の平返しするつもり?」
「恥ずかしながらそういうことになる。お前の絵が必要なんだ。漫画喫茶のPOPも実質実門が一人で担当してくれていたし、必要不可欠であることに気づかなかった。慌てて求人を出しても生成AIを使ってキャラクターを出力しました、みたいな者が多くてな。アナログで温かみのあるイラストを描けるのは実門だと、遅れて理解した」
「なんでそんな変質者みたいな恰好なんですかぁ?」
絵馬が不思議そうな顔で社長を見つめる。社長はちらりと絵馬を見た。
「スーツを着込んだ社長がマンションのポストを漁っていたら変だろう?」
「今でも充分変ですよぉ」
「今更、謝るのが恥ずかしくて部下にも秘密で来たんだ。ただ、実門の住んでいるマンションは覚えていても何階の何号室かがわからなくてな。実門、戻ってきてくれ」
「嫌よ」
社長は懐から小切手帳を出す。こたつの上に置くと表紙を捲る。横には万年筆を置く。
「顔料ブラックインクだ。後で改竄はできない。
好きな数字を書け。そして、帰ってきてくれ。この通りだ」
社長はこたつから出ると、床に頭をつけた。土下座だ。実門は小切手を眺めると、万年筆で1,000,000円と書き込んだ。
貯金30万とバイト代10万。あと100万で、専門学校への140万が用意できる。
「本気なら、誠意を見せて。あたしからの条件は100万円の小切手と、働くのは専門学校がない日だけ。大体週に三日。残業はなし。あと正社員として雇うこと!」
「週に三日では正社員としては雇えない。他の社員に申し訳が立たん。契約社員ではどうだ?」
「フリーターに近いってことですかぁ? ミカ先輩にとって丁度良いと思います」
「そうね。拘束時間も短いし、業務内容は知っている訳だし負担は少ないわ」
実門は立ち上がると社長の側に寄り、右手を差し出した。中指にペンだこができている。
社長は唾を飲み込むと、両手を差し出した。