あと1年で漫画家になる。新人賞30回落選のあたしを、消えかけの稲荷神が鍛える 作:鳳 雛
21時前には既に神社の前に立っていた。缶チューハイを片手に長鳴実門《ながなきみかど》は既にご機嫌だ。バタンと車のドアが閉まる音がすると、しばらくして上芝結《かみしばゆい》が現れた。
「お酒を飲んで物語の勉強ですか? 本気でやる気があるのですか?」
結は眉根を寄せて、吐き捨てるように喋った。実門はニッコリと笑っている。
「もちろん、やる気満々よ!
これは酔拳みたいなものね。もしくはエナドリかしら」
「お酒は身体に毒ですよ。まぁ、毒だと知っていて飲んでいるなら止めませんが」
「月狐は今日、何を教えてくれるのかしら?」
「今までは何を教わったのですか?」
「まだ『ログライン』だけよ。物語を三行に圧縮して骨格だけ残すの」
「骨だけ残す。秋刀魚の塩焼きみたいですね。余計な身は取り除き、上手に骨だけ残す」
「それで、その時に『皮肉』を入れると良いみたいなの」
「皮肉ですか。なるほど皮肉を加えることで、物語に捻りが生まれますね。漫画家を目指しているのにお酒ばかり飲んで、肝心の講義内容を覚えていない」
「結はイジワルね! でも、そのイジワルな見方が物語を面白くするようよ」
その時、神社に薄い紫色の煙が漂った。点々と狐火が周囲に浮かび、空間を膨張させる。実門が一度目を閉じて、開いた時には広い神社が出現していた。これが月狐の作り出した特別な空間。ここで物語創作を教わるのだと身体が熱くなった。
「こんな小さい狐なのに、やはり神様の端くれですね。幻術ですか」
「誰が端くれやねん。ウチの神通力で作った幻術や。外からは見えへん。境内の中にいる実門と結にしか感じ取ることはできひんのや」
「外から見たらオレ達は何をしているように見えるのですか?」
「いや、見えへん。空間ごと別次元にいるみたいなもんやから」
「恐ろしいですね。もし、元の世界に戻れなければ死ぬまでこの空間に閉じ込められるわけですか」
「それは大丈夫や。ウチが神通力を解いたら元の世界に戻れるし、2時間経っても帰れるから、心配せんでええ」
実門はクロッキー帳を取り出した。ベレー帽に付いている羽根ペンとイヤリングのインクを外して、メモをする準備は万端だ。
「ねぇ、お月ちゃんは今回何を教えてくれるの?」
「今回は三幕構成や」
「なんか難しそうね」
「三幕構成といえば有名ですね。ただ、実際にどう活用するのかは知りません」
月狐は空中に1本の線を描いた。それを4等分する。
「三幕構成なのに4つに分けるの?」
「不思議ですね。これだと四幕構成になるのでは?」
結の鋭い目が月狐に向けられる。月狐は細い目を少し開くと黄色い瞳を覗かせた。
「せやな。三幕構成は実質四幕構成やねん。見て欲しいのは比率や。一幕に4分の1、二幕に一幕に4分の2、三幕に4分の1や」
「どういうこと? 第二幕が長いってことかしら」
「なるほど。これは映画で例えるとわかりやすいですね。例えば2時間の映画だと、最初の30分は第一幕、その後の60分は第二幕、そして最後の30分が第三幕になる。合計で120分の作品が作れるということですか」
「ほぉ、結は飲み込みが早いな。その通りや。ほんで、これは映画だけやなくて、漫画・小説・アニメ・演劇にも応用できる考え方なんや」
「そういえば、昔アニメで3話切りって言葉があったわね。アニメが全12話で構成されていると、丁度第一幕が終わる頃になるわ」
「つまり、第一幕の間に視聴者の心を掴まなければならない、ということですか」
「ええやん。その通りや」
「それで物語を4つに分割するのはわかったのですが、それぞれ何を描写すれば良いのですか?」
「第一幕では、状況設定や。主人公の目的や動機、世界観をしっかりと読者に伝えるんや」
「なるほど。それは大事ですね。目的がわからなければどこに向かうのかわからない。動機がなければ応援できない」
「世界観がわからなければ、どんな価値観を持った舞台かわからないわね」
「せや。それを第一幕でしっかりと読者に伝えるんや。それともう一つ大事な点がある。それは作品への没入感を高めるんや」
「没入感って何?」
「世界に入り込む気持ちってとこですか?」
「そ。物語を観る読者はそれぞれ違う感情、違う価値観を持っているやろ? それを第一幕でみんな同じ気持ちに初期設定するんや。怒っている人も泣いている人も、その第一幕を見ることで同じ気持ちになる。それが重要な役割なんやよ」
「同じ気持ちにする……、考えたこともなかったわ」
月狐は空中に第一幕という文字を描くと、下に状況設定と描き加えた。結は真剣にメモを取る。その姿を見た実門はクロッキー帳に真似して書いた。
「第二幕は全体の半分もありますね。ここでは何を描写するんですか?」
「ここからは主人公を『葛藤』させるんや」
「葛藤? 何それ?」
「葛藤というのは悩み苦しむということでしょう。つまり、第一幕で描写した目的に主人公は邁進するも、中々上手くいかない。一進一退を繰り返す。そういうことでは?」
「おっ、流石は結やね。もしかして、創作論の本を囓ったことあるんちゃう?」
「嗜む程度には読んだことがあります」
「あたしも創作論の本は持っているわよ!」
「本棚で埃を被っているってヤツやろな」
「……。お月ちゃん、名推理!」
「第二幕は4つに分類した内の2つを使うんや。2つ目は順調に進む。3つ目は失敗し困難な状況になるんやで」
「なるほど、120分の映画で考えると丁度60分で盛り上がり、そこから30分の間は危機的状況に向かっていくということですか」
「せや。この葛藤が第二幕のポイントで、物語を面白くするための重要な必須事項やな」
「あたしの漫画は全部ゴールに向かって突き進んでいたから失敗していたのね」
「起伏を作る意識が必要ということですか」
実門と結はそれぞれメモをした。
「三幕目は残り4分の1やね。ここでは変化を描くんや」
「悩み苦しんだ後に、状況が変化するんですか?」
「そうや。最初の主人公から変化して、目標を達成できるだけの力と心を手に入れるんや」
「だから、第二幕で葛藤することが大事なのね!」
「葛藤もなく、力も心も手に入れると説得力がないでしょうし」
「もちろん、第三幕で簡単に目的を達成したらアカンよ。ちゃんと障害を乗り越えるために努力したり頑張ったりせんとな。ここで伏線を回収したり、あらゆる問題を解決したりして、読者に満足感を与えることがコツやね」
「第三幕はとっても大事なのね。終わりよければ全て良しっていうし」
「ただ、終わりまで読者が付き合ってくれるかは第一幕と第二幕に掛かっている」
「そういうこっちゃ。ちなみに実門はログラインの話でアンパンマンを例に出したの覚えてるか?」
実門はクロッキー帳を捲ると声に出して読んだ。
「正義感の強いアンパンマンは、
バイキンマンにいじめられて困っている人を助けて、
平和な世界を維持するために奮闘する……物語」
キョトンとした顔の実門を月狐が見つめる。
――まさか!?
「これってもしかして、三幕構成になっているの?」
「まさか……」
「よぉ、気づいたな。一行目は一幕。二行目は二幕。三行目は三幕。それぞれログラインと三幕構成は対応しているんや!」
結は頭を掻いている。顎に手をやると、首を傾ける。
「これは、とても重要な話ですね。三行のログラインを、そのまま三幕構成に広げるテクニック。非常に有効です」
「凄いわ! この考え方を元にしたら迷子にならずに物語が作れるじゃないの!」
月狐の線のような目が弧を描く。
「物語創作はそんな簡単やないよ。もっと複雑で難しい。ま、でも今回は三幕構成の紹介とと、ログラインの関係性くらいでええやろな」
「自分の中でしっかりと咀嚼して飲み込まないと身に付きません。自分でもログラインと三幕構成を作ってみます」
「あたしも! 今回教えてもらったことを好きな漫画や映画に照らし合わせて体験してみたいわ」
「ええこっちゃ。机上の空論にならんためにも実践しなアカンな!」
そろそろ約束の2時間が経つ。月狐は尻尾に包まるとそのまま霧にように姿を消した。ひんやりとした空気の中で、実門と結は立っていた。
「本当に2時間で魔法が解けましたね」
「シンデレラみたいだわ」
「次も月が見える夜にここで会いましょう。……ミカ姉」
「やっと呼んでくれたわね」
実門は結の頭を撫でると、ぬるくなった缶チューハイを踏み潰した。