あと1年で漫画家になる。新人賞30回落選のあたしを、消えかけの稲荷神が鍛える 作:鳳 雛
ドゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ♪♪♪♪♪
轟音に耳が潰されそうだ。向井絵馬の同居人(ルームシェア)の長鳴実門《ながなきみかど》の部屋から、頭痛を引き起こしてもおかしくない目覚まし時計が鳴る。
隣の部屋で寝ていた絵馬は飛び起きた。いつもは一瞬で頭を叩かれて大人しくなる時計が、未だに鳴り響いているからだ。
もしかしたら、ミカ先輩に何かあったのかもしれない。もしくは、深酒で酔っ払っているか。後者の確率の方が高い気がする。冷蔵庫から飲み物を取り出す。
部屋をノックした後に開けると、ベッドを見る。ミカ先輩がいない。部屋の奥にある机に向かってペンを走らせている。ヘッドホンやイヤホンもしていない。
ただ、集中している。
ミカ先輩の世界においては、この目覚まし時計の音も聞こえないのだ。
そっと、時計の頭のボタンを押すと音が止まった。
「ミカ先輩」
絵馬が小学一年生の頃、学校新聞で初めて漫画を読んだ。内容はハチャメチャだけど、絵がとても好きだった。作者は『長鳴実門』。長鳴とはニワトリのことだ。長鳴鳥。
絵馬は裕福な家庭で育った。あらゆる習い事をさせられたが、一番楽しかったのは絵を描くことだった。不透明水彩で描いた『瓶に入った薔薇の絵』は表彰されて褒められた。周囲から才能があるとか、将来が楽しみだとか色々と決めつけられた。
神童。そう呼ぶ家庭教師もいた。居心地が悪かった。
絵馬が色々なことができるのは、全てのお金と時間と労力をそこに費やしているから。ピアノ・水泳・そろばん・塾・絵画。全部うんざりした。
だけど、学校新聞の漫画を読んだ瞬間、この作者は本物の天才だと身体が痺れた。自分は天才じゃない。こんな漫画もイラストも定期的に短期間で継続して制作するなんて絶対にできない。
良かった。自分は天才じゃないのだ。天才でなくても良いのだ。
漫画を読んで泣きながら、でも周囲にバレないように声を押し殺した。絵馬を縛っていた鎖が、ドロドロと脆く崩れていき、全身が解放されて空を飛べるような気持ちになった。
パパにお願いして全ての習い事を止めさせてもらった。ママは最後まで反対したけど、絵馬は拒否の姿勢を崩さなかった。
人生の全て、天才を支える側の人間として生きよう。自分はスポットライトを浴びなくて良い。ただ、最前列で応援することが何よりも幸せだ。
そして、天才は会場のみんなに手を振りながらも、一番熱い視線は自分に向けるのだ。
「ミカ先輩、朝ですよぉ」
ミカ先輩はビクッと身体を動かすと、眼鏡を掛け直した。
「喉が渇いたわ」
「はいどうぞ。ヤクルトです」
「お酒は?」
「ダメですよ! これから仕事でしょう。また、徹夜して会社で働けますか?」
「大丈夫よ。全然眠くならないの。アイデアがいっぱい浮かんできて止まらないわ」
「あ、また悪い傾向でてるじゃないですか! 詰め込み癖の問題点!」
「大丈夫よ。ログラインも三幕構成も意識してるし、きっとオッケーよ」
「目の下に隈ができてますよ! 徹夜は美容の天敵です。毎日最低6時間くらい睡眠は取りましょう。背景とかベタとかトーンは私も手伝いますし」
「嫌よ。全部自分でやりたいの」
「私も役に立ちたいです」
「充分じゃない。最初の読者として支えてくれているわ」
胸に暖かいものが湧き上がる。ミカ先輩が絵馬を必要としている。一番最初の読者。一番。天才の一番側にいて、一番頼りにされ、一番愛される。
それが絵馬の座る椅子。
ミカ先輩はヤクルトを飲むと外に空気を吸いに出かけて行った。
絵馬はミカ先輩の原稿を見る。側にある雑誌に載っていてもおかしくないくらい上手い。先輩は神社で秘密の授業も受けているし、専門学校にも通い始める。いつか、絵馬の元から飛び去っていくかもしれない。心がちくりと針で刺された気分になった。
自分の部屋に戻ってパジャマからガーリースタイルのワンピースに着替えた。薄い化粧をし、ローズピンクのリップスティックで唇を撫でる。
「ニワトリは
――飛べないんですよぉ」
一言呟いた。