あと1年で漫画家になる。新人賞30回落選のあたしを、消えかけの稲荷神が鍛える 作:鳳 雛
約束の21時に遅れてしまう。長鳴実門《ながなきみかど》はハイヒールの踵を取り外し、フラットシューズにして神社に現れた。急いだけど10分遅れてしまった。
既に上芝結《かみしばゆい》は準備万端なようで、パイプを咥えて腕を組んでいる。
「結は子供なんだから、パイプなんか吸ってちゃダメじゃないの!」
「ハッカパイプです。生ハッカを入れて味を楽しむものです。将来の文豪に相応しいでしょう?」
「良かった。結が不良になったのかと勘違いしたわ」
「実門が遅れるなんて珍しいやん。また徹夜してたんか?」
「えぇ、でも徹夜は控える方針にしたの。量と質、これからは質も大事にしないとね」
「ええ判断や。読者にとっては量よりも質が大事やからな。特に週刊連載や月刊連載みたいに定期的に出版されたら、量は武器にならん。みんな20P前後やから質が求められるんや」
「同じページ数であれば、筆が速いことは関係ないですね。例えるなら、長距離走れるマラソン選手でも、50メートル走だとその能力は活かせない」
「そっか。早く描けても一度に提示できる量がみんな同じだから特技にならないのね」
「所で、ミカ姉《ねぇ》が来る前に準備していたものがあります」
実門は何が起きるのか想像できずに身構えた。思わず両拳を強く握る。結は封筒を懐から出すと、実門に手渡した。何やら手紙のようだ。封を開けると便箋が入っていた。
「読むわね。
拝啓、長鳴実門様。オレ、上芝結は初めてあなたにお会いした時から、恋に落ちました。あなたの深謀遠慮な言葉使いと、優しくて女性らしい振る舞いに一目惚れしたのです。オレは金持ちです。死んだ父が残した貯金が数億円あります。なので、オレと付き合ってください。後悔はさせません。漫画家にならなくても一生困らない生活を送れます。返事はできるだけ早く、いや今すぐください。良い反応を期待しています。敬具」
神社の静けさが居心地の悪さを強調している。実門は体中に鳥肌が立ち、不気味で奇妙な感覚になった。結が自分に好意を向けているとは一切思わなかった。それに手紙の内容が実門の実体とはかけ離れている。自分は賢くもないし、女性らしくもない……と思う。
引きつった顔で結に言葉を掛ける。
「悪いけど全然、響かなかったわ。あたしのこと本当に好き? なんかあたしのこと誤解しているんじゃないかしら?」
「もちろん、全部デタラメですよ。オレがミカ姉のことを恋愛対象として好きなはずがありません。年齢差も10歳近くありますし」
「どういうこと!?」
月狐がキャキャッキャと笑っている。月狐は恋文を受け取ると、狐火で焼却した。
「これはな、実門に体感してもらうためにした工夫や。つまり、これは恋文という形で漫画や小説なんかの物語をわかりやすくしたってこっちゃ」
「どういうこと?」
「今回教えるんは、『テーマ』と『ペルソナ』や」
「ペルソナは心理学用語ですね。誰しも仮面を被っているように二面性を持っている」
「流石、結。知っとったか。ただ物語創作におけるペルソナは読者ターゲットのことなんや」
「読者ターゲットって? それって絞る必要あるの?」
「大ありや。実門は高級ステーキと水、どっちが欲しい?」
「もちろん、高級ステーキ!」
「オレは晩飯をさっき食べたので水が欲しいですね。喉が渇きました」
「な? 相手によって何が欲しいんかは異なるんや。だから、相手が何を求めているかを決めるっていうのは絶対考慮せなアカンねやよ」
「それは、この前に習った第一幕で読者がみんな同じ気持ちにさせるっていうテクニックに近い気がしますね」
「結、鋭い。その通りや。初めから読者が何を求めているかを調べて、受け入れてもらえそうな作品を作る。これが成功率を高める方法やねん」
「そっか。何も考えずに好き放題描くのは自分に向けて描いているのと同じってことね!」
「せや。例えば野球雑誌に載っている野球漫画と、少年漫画に載っている野球漫画は違うってことや」
「野球雑誌に掲載する作品は専門性を押し出す。少年漫画は野球というゲームの仕組みから丁寧に伝える必要性がある」
「そっか、あたし今まで自分が面白いと思っているのを詰め込んでいて、読者の顔を考えていなかったわ」
「せやな。大事なんは、誰に届けるかってことや。さっき、結が描いたラブレターが全然実門に響かなかったのは、ペルソナを本来の実門の性質に設定していなかったからや」
「だからピンとこなかったのね!」
「次はテーマを感じてもらおか。実門は手紙読んでどう感じた? 特に後半」
実門は恋文の内容を思い出すのに時間が掛かったが違和感があった部分を説明した。
「お金持ちだから安定した生活が保障される、みたいな部分が全然嬉しくなかったわ」
「実門は自分の力で連載を勝ち取って一流の漫画家になりたい。つまり、お金が目的やないんや。お金に執着がないから、お金の要素が響かなかったんやよ」
「つまり、誰に伝えるかを意識するのが『ペルソナ』、何を伝えるのかが『テーマ』ということになりそうですね」
「結、すごい! わかりやすいわ」
結は鼻を掻くとパイプから息を吸った。月狐も満足そうに尻尾を毛繕いしている。実門は忘れないうちに、クロッキー帳にペルソナとテーマを描き加えた。
「今、『魔女ソフィーの助手』って漫画描いているのだけれど、ペルソナもテーマも考えていなかったわ。ログラインと三幕構成だけ考えて描いてた」
「その作品で『誰に』『何を伝えたい』か。それを考えなアカンな」
「それをわかりやすく説明したのが恋文でしたか。恋文は相手に気持ちを伝えて付き合いたい、というテーマが入っている。それと相手にどう伝えれば成功するかというペルソナが入ってますね」
「そうね。結の恋文はびっくりしたけど、重要性が体験できたわ。ありがとう、結」
結は頭を撫でられると、不愉快そうに手で払った。髪を触り、大学帽子の位置を整えた。
「テーマっていうのはな、作者の主張やねん。恋文の場合は、『あなたと付き合いたい』っていう主張が入っているやろ? それを決めることの重要性は何やと思う?」
「何を伝えたいかがわかりやすい。ってことかしら?」
「それもある。でももっと本質的なことがあるんや」
「……そうですね。これは推敲の時に役に立つのではないですか? 幹と枝葉を見極めて、不必要な要素を削るための指標になる」
「正解や。テーマがある作品は軸がぶれへん。何を伝えたいかより、何を削るかが大事なんや」
「優先順位をつけて取捨選択をするための基準になる」
「すっごーい、結。とってもわかりやすいわ! と同時に今の漫画の問題点が浮かび上がってきたわ。中途半端に恋愛要素があって、一番伝えたかった『自分の正しいと思うことのために必死になることの大切さ』の邪魔になってしまっているの」
「そして、テーマが決まるとふさわしいジャンルが決まるんや」
「テーマはジャンルまで決めるの?」
「どんな気分になりたいかはジャンルで考えますね」
「DVDを借りられる店やサブスクで映画を観る時にはジャンルで探すやろ? あれがペルソナや」
「あたし、テーマもペルソナもジャンルも曖昧だったわ」
「愛の大切さを伝えたいなら、それに適したジャンルがある。戦争モノやラブコメですね。逆にミステリーやサスペンスなら愛を伝えにくい」
「でも、不可能ではないと思うわ。『容疑者Xの献身』なんかはミステリーだけど、愛について語られているもの」
「そうや。あくまでも目安なだけなんや。でも、それに気づいたんは成長や。今から直せばええ」
「テーマ・ペルソナ・ジャンル、全部別々なものだと思っていたけど関連しているのね」
「ちなみに結は小説順調に進んでるんか?」
「いや、まだですね。一応構想はあるんですけど」
「じゃあ、今日はこれくらいにしとこか」
一瞬で公園の片隅にある小さな神社に戻った。結は神社から車に向かって歩いて行った。片足を引きずっている。前からそうだ。足を怪我しているようだった。
実門は小銭を賽銭箱に入れた。
「あたしの漫画が面白くなりますように。結の足が良くなりますように。家に帰ったら絵馬が美味しい料理を作ってくれていますように。生命線が繋がりますように。母親の病状がよくなりますように。会社での仕事が順風満帆に進みますように。専門学校で歳の離れた友達ができますように」
「自分、小銭の癖に願い事多いねん!」
月狐の声が聞こえた気がした。空を見上げると、月が満ちていた。