あと1年で漫画家になる。新人賞30回落選のあたしを、消えかけの稲荷神が鍛える 作:鳳 雛
夜の神社で長鳴実門《ながなきみかど》は緊張して喉が渇いていた。缶チューハイをプシュっと開けると一気に半分飲み干した。
月狐と上芝結《かみしばゆい》は、実門が作った漫画のネームを読んでいる。手水舎《てみずや》で顔を洗うと、眠かった眼がすっきりとした。薄化粧が落ちたかもしれない。今までは最初に向井絵馬に読んでもらっていたので、余計身体が拘束された気がした。
「ふっ」と結が笑う声が聞こえた。面白かったのかな? それともくだらないと冷笑したのだろうか。
「ええやん。実門は短期間でネームを完成させて偉いね。32ページと話が膨らみすぎてないのも好感触や」
「嬉しいわ。ありがとう」
「前に話していた物語がこうして形になるのは凄いですね。速筆ですし」
「じゃあまず、ログラインについて訊かせてえや」
「うん。
『主人公はヒロインが悪い魔女である証拠を見つけろと命令されてスパイとして潜入をするが、彼女が【生者探索】という禁忌を犯してることを知るも二人の仲は発展し、死んだと思っていた双子の一人が生きていることを知る。主人公は彼女が魔女ではないと報告する。出世の道は絶たれたが、彼女の正式な助手になる』って感じかしら」
「若干、長いですね」
結がハッカパイプを吸うと、小さく息を吐いた。月狐は眼を細めている。表情が読めない。
「せやな。まぁ、一作目にしては上出来や。ただ、これを32ページでまとめるのは結構厳しいな。感情表現や間を考えるともっと短い方がええ。ネームも後半が駆け足になっているやろ? もっと早く事件を起こして展開を進めた方が読み応えがあるんや」
「そうですね。オレも少し詰め込み過ぎているように考えました。もっと短くして読みやすい方が今の時代に合っているのでは?」
「やっぱりまだ、詰め込み過ぎなのね。
しかも、ログラインでは省いているけど伝説の黒魔術が登場したり、主人公が出世か絆か葛藤したりする場面もあるし、難しいわね」
「テーマは『世界の決まり事を破ってまで、信念を貫くことは許されるか』って決まっているから、それを基準に取捨選択するしかないな。いらん設定は省いて読者に考察させる余地を残すのも上級テクニックや」
「そうなの?」
「せや。新人は全てを説明しなアカンと思うて、全部描く。プロはあえて省いて空白を残す。それが大きな実力の差や」
「何を見せるかよりも、何を見せないか。それが大切ということですか」
「役に立つテクニックを教えたるわ。『四則演算《しそくえんざん》』って言うんやけど」
「小学生の時に算数で習うやつですね」
「えー、難しいわ」
「めっちゃ簡単。基本的には推敲する時に意識することを数学的に分析する方法や。順番に行くで。
足し算。加法。物語のある要素を増やす。
引き算。減法。物語のある要素を減らす。
掛け算。乗法。物語に新たな要素を加える。
割り算。除法。物語の要素を一つに圧縮する。」
「+・-・×・÷。この四つで四則演算ですか。わかりやすいですね」
「うぅっ、混乱してきたわ。難しいじゃないの」
「慣れたら簡単やよ。めっちゃ簡単にいうと、ええところを増やして、アカンところを減らすってだけやから」
「つまり、あたしのネームの場合、テーマから外れる部分は減らすか要約して、大事な部分は丁寧にたっぷりと描くってことかしら?」
「せやな。既に要素は多いから掛け算はせんでええ。思い切って減らす勇気や」
「四則演算を取り入れるだけで、推敲がスムーズに進みます。意味もなく悩むことがなくなりそうです。ログライン・テーマ・ペルソナ、そして四則演算。全て繋がっていますね」
「せや、点で覚えるんちゃうで、点を線にして、線を面にするんや。雑学みたいな覚え方をするんはアカンで。体系的に理解するんや」
「体系的な理解には、実際に体感する必要があります。情報の質感が大事です」
「なんの話かわからないけど、取りあえず四則演算はメモしておいたわ」
月狐は空中に狐火で二つの物語を描いた。
一人の女性が朝起きて、歯を磨き、パンを食べて、学校に向かう。途中で信号を待つ。
次に、一人の女性が朝起きて、次の場面では信号を待っている。
「どや、二つの物語の冒頭を比べてどう違うと感じた?」
「一つ目は丁寧な行動が描かれていて彼女の性格が良くわかったわ」
「二つ目は不必要な要素がばっさりカットされて、テンポが良いですね」
月狐は狐火を消す。再び暗い神社に外灯だけが明るく光っている。
「どっちがええっていう話やないねん。目的に合わせてどう表現するかは違うんや」
「テーマとペルソナね!」
「せや。その時に四則演算で優先順位を付けて取捨選択をするってこっちゃ」
四則演算。優先順位・取捨選択。頭がこんがらがってきた実門は急いでクロッキー帳にメモをした。
「今回実門が持ってきた原稿は、まだ四則演算が徹底されておらん。やから、もっと推敲する必要があるな」
「32ページの推敲。大変そうですが」
「大丈夫よ。ゴールまで一度作っているから、あとは修正するだけで良さそうだわ」
実門は自分の作品がもっと良くなると感じて嬉しくなってお酒を全部飲み干した。そして、ロボットダンスを踊る。月狐と結は頬を緩めた。
「ところで結は小説進んだんか?」
「いえ、まだ最高の一行が思い浮かばないんです」
「アカンかったら書き直したらええやんか。とりあえず毎日少しだけ書き進めてみ」
「そうですね。オレもミカ姉《ねぇ》みたいに気楽に書ければ楽なんですけど。どうしても完璧な状態の作品が作りたくて、悩んでしまうんです」
「まぁ、まだ時間はあるから結のペースで頑張りぃや」
「ありがとうございます。月狐先生」
実門が空になった缶チューハイを踏み潰す音が響いた。