あと1年で漫画家になる。新人賞30回落選のあたしを、消えかけの稲荷神が鍛える 作:鳳 雛
――翌朝。
散らばっていたクラスメイト達は、
どうやら昨日の昼休み以降、様子がおかしかった実門を心配していたようだ。
「見てもらいたいものがあるんだ!」
実門の目の下に隈があることに違和感を覚えつつも、いつもの調子を取り戻している姿にクラスメイト達は安心した。
実門は興奮気味にランドセルからノートを取り出して、机の上で開く。
近くにいた
「これって……、漫画?」
漫画と聞いたとある男子生徒は先生がいないかキョロキョロと周囲を見渡した。
昨日、学校に漫画は持ってきてはいけないと言われたからだろう。
「うん、昨日徹夜で描いたんだ!
あたしのせいでナオっちの漫画に没収されたでしょ?
みんなも続き気になるだろうし、あたしも気になるから描いてみたの」
実門は若干震える声でそういうと、ドキドキという心臓の音がみんなに聞こえないだろうか、と不安になった。
「徹夜!?
ミカちゃんプロの漫画家みたい」
「俺、先に読みたい!」
「駄目だよー、まずは女子から。
男子は
「では、休み時間にみんなで順番に読むのはどうだろう?」
学級委員の提案に生徒達は納得したようだ。
実門は好意的なみんなの反応が嬉しかった。
今までも話題の中心に自分がいることは多かったが、今日ほど気持ちが
昨日は一睡もしていないにも関わらず、目が冴えて天井の蛍光灯が眩しいくらいだ。
朝の授業が始まるまでに既に何人かのクラスメイトは実門の漫画を読んだ。
一つ一つのコマに目を凝らし、大切にページを
漫画を読んだ生徒はその内容を熱く語り、今後の展開を予測した。
まだ読んでいない生徒は話を聞いたら楽しみが減ると好奇心を必死に抑えた。
――事件は三限目の国語の授業の時に起きた。
休み時間に読むという約束を破ったクラスのお調子者の男子生徒が、授業中に実門の漫画に声を上げて笑ってしまった。
担任の先生は板書を止めて、教科書を教卓に叩きつけると男子生徒に近寄る。
「君たち高学年は低学年の模範にならないといけない。
決して授業中に遊んではならないんだ。
昨日注意したのに全然理解できていないじゃないか!」
眉間に深いシワ刻んだ先生は男子生徒の側で腕を組み、読んでいた漫画を出すように迫る。
彼が差し出したのが『漫画の単行本』ではなく『一冊の自由帳』だったことに先生は怪訝そうな顔をした。
「どうせ、俺を馬鹿にした落書きでも描いているんだろう?
先生は何でもお見通しなんだ!」
そう言って男子生徒から乱暴に取り上げたノートをぱらぱらと
教室に緊張が走り、首を振る扇風機の音が異様にうるさく感じる。
軽い眠気に船を漕いでいた実門も思わず、背筋をピンと伸ばす。
沈黙を破ったのは、先生の馬鹿笑いだった。
驚くクラスメイト達が顔を見合わせる。
先生の笑っている姿を初めて見たからだ。
次第に教室を支配していた緊張が解かれ、和やかな雰囲気になっていく。
先生はノートを閉じると表紙の『ながなき みかど』という名前を確認した。
「長鳴、これお前が描いたのか?
いつから漫画を描いている?」
「昨日からです。
でも徹夜したので、今日から? かもしれないです」
いつも眉に皺を寄せる先生に、深いほうれい線が浮かび上がる。
実門は怒られるのではないかと怯えていたが、先生の柔和な顔を見てホッと安堵の息を漏らす。
「これ、昨日の漫画『花子物語』の続きだろ?
あの作品も興味深いが、これも負けず劣らず面白いぞ。
本当に初めて漫画を描いたのだとしたら、末恐ろしい」
「先生も『花子物語』を知ってるの?」
先生の意外な一面にクラスメイト達は好感を抱いた。
尚美だけは『昨日、私から取り上げたのを読んだんだろうな』と鋭い読みを働かせた。
「長鳴、お前才能あるぞ。
この漫画を学校新聞に載せないか?」
「学級新聞? クラスの?」
「違う、学校新聞だ。
この学校の全校生徒400人が目にする特別な新聞だ。
俺が担当している枠を一ページ空ける。
そこにお前が描くんだ」
学校の全校生徒に自分の漫画が読まれる!?
実門は興奮のあまり、思わず立ち上がった。
「ミカちゃん、すごいね!
わたし早く続き読みたい」
「ちょっと待てよ、オレの方が先だ!」
「ずるい! ミカちゃんの友達から順番だよ!」
騒々しくなる教室を、先生が両手をパンと叩いて引き締める。
「一番最初に読むのは先生だ」
誰も逆らえない暴君のような振る舞いに、クラスメイト達は顔を伏せ口を尖らせた。
先生は再びノートを
漫画の内容だけでなく、実門の今後の可能性に期待しているのだろう。
いつも大人しい尚美が大きな声で質問した。
「先生!!
誰が先に読んだらいい!?」
担任の先生はノートから顔を上げると嬉しそうに目を細める。
「騒ぐな、浜波。
先生が読んだ後はコピーしてやるから、みんな仲良く読めばいいじゃないか?」
「ちがうよ、先生。
今の先生ってのは『ミカちゃん先生』のことだよ!」
「あたしが……先生?」
実門は『先生』という響きに、体がとろけそうな高揚感を覚えた。
自分が特別な何者かになれた気がした。
これからの人生は今までとはまるで違うものになる。
理由は分からないが今、この世界に生まれたような感覚があった。
担任の先生はノートを実門の元まで持ってくると優しく手渡した。
「これだけ上手いんだ。
ひょっとしたら中学生でプロ漫画家になれるかもしれないぞ。
サインの練習をしときなさい。
ファン一号は先生だからな!」
「プロ……あたしがプロの漫画家に!?」
将来の夢など考えたこともなかった実門に一筋の道が見えた。
その道は平坦で、走ればすぐにゴールに到達できるのではないか、と思わせた。
漫画家になったら、あたしはどうなるんだろう?
一生懸命考えてみたが何も思い浮かばなかった。
だからこそ、挑戦してみる価値があると信じられる。
気付いたら眠気は吹き飛び、頭の中で様々な未来を想像していた。
ボーッっと立っている実門にクラスメイトは声を揃えて唱えるように呼んだ。
「ミカちゃん先生!!」
「実門ちゃん先生……」
「実門先生……」
「――実門先生よぉ!!
また寝てるのか!」
実門が顔を上げると、視界にでっぷりとした腹が飛び込んできた。
このお腹が目の前にあるということはここは事務所。
またこの夢か。
潤んだ瞳をハンカチで押さえると、眼鏡を掛けて社長に詫びる。
「ごめんあそばせ」
長鳴実門、25歳。
漫画家志望歴15年。
未だに、
――夢は叶わず、恋は実らず、仕事は振るわず。