あと1年で漫画家になる。新人賞30回落選のあたしを、消えかけの稲荷神が鍛える 作:鳳 雛
長鳴実門《ながなきみかど》は、学校の帰り道に赤羽龍姫《あかはねたつひめ》と家に近い地下のスーパーに寄った。ルームシェアをしている向井 絵馬《むかいえま》のお遣いだった。龍姫は料理をするらしく、よく買い物をするので何が安いとか高いとか判断できるらしい。実門はさっぱりで、言われるがままにカゴに食材を入れていく。
「ここの店はどれも比較的安いですねー。こんなスーパーが近くにある立地がうらやましいです」
「そうかしら。普段は料理を作らないからわからないけど、これは必要」
缶チューハイをカゴに入れた。
「ミカ先輩。食材リストから推測するに、今日はすき焼きですね」
「やったぁ! すき焼き大好き。龍姫ちゃんも食べるでしょ? じゃあ、多めに食材用意しとかないと」
実門はすき焼きと聞いてビールもカゴに入れた。
「良いんですか? 嬉しいです。ただ、リストにお肉がないので、同居されている方が既に用意しているのだと思います。私の分は出させてもらってもいいですか?」
「いいのいいの。気にしないで。ここはミカお姉さんに任せなさい。好きなお肉を選んで。あと、お酒は飲める?」
「私、未成年ですー」
「そっか!」
買い物を終え、自宅へ戻る。マンションの405号室。チャイムを押すと、エプロンをしている絵馬が扉を開けた。笑顔が徐々に引きつり、三白眼になっている。
「はじめまして。私、ミカ先輩の同期の赤羽龍姫と申します。よろしくお願いします」
「入学式で会った日から仲良くしてるのよ」
「仲良く……してる? なんですか、それ。あっ、高そうな腕時計までしてるじゃないですかぁ。これって物て釣ったってことですか? 許せないんですけど」
絵馬が珍しく怒っている。何故かはわからないが、取りあえず龍姫を部屋に入れてあげた。こたつテーブルにはカセットコンロが準備されている。
「うわぁ、可愛い部屋ですねー。凄く整理されていて清潔です。あっ、これがお肉ですか。精肉店で買ったものですね。美味しそうですー」
「二人前しかないので赤羽さんの分はないですよ」
「大丈夫ですー。ミカ先輩に買ってもらいましたから」
「そのミカ先輩って呼ぶのはどうかな。私がミカ先輩って呼んでるのは長年の付き合いがある訳だし。あなたは実門さん、あるいは実門先輩あたりがふさわしいと思う」
「呼び方なんて、好きにしたらいいじゃないですかー。それに時計を私がプレゼントしたと勘違いしたんですか? 違いますよー」
「絵馬、別に良いじゃない呼び方くらい。ミカ先輩で問題なくってよ。あと、この時計はもらいものなの。誕生日プレゼントのね」
「まさか、……男?」
「うん、男」
絵馬は気を失いそうになったのか座椅子に座って項垂れている。
「男っていっても男の子って感じ。前に話した神社で一緒に勉強している少年よ。そろそろ青年になるけど、背が低くて生意気で、でも優しい子よ」
絵馬は満面の笑みを浮かべて、椅子から跳ねるように飛び起きた。
「子供なんですね。安心しました。それでは早速すき焼き作りますよぉ」
「私なにか手伝えますか?」
「それじゃ、白ネギと焼き豆腐を切っておいてくれる。私はしいたけとトマトを処理しておくから」
「すき焼きにトマトですかー。……変わってますね」
「ホクホクしてて意外と美味しいですよ」
「あたしもトマトはマスト」
実門は手持ち無沙汰になったので自分の部屋で服をジャージに着替えた。キッチンから絵馬と龍姫が言い争っている声が聞こえる。何を喧嘩しているのだろう。缶チューハイを開けた。
「だーかーらぁ、適当な大きさに切ってって言っているでしょう?」
「いや、具体的に指示してくださいよー。適当って抽象的です。何センチですか?」
「大体、感覚でわかるじゃない。すき焼き食べたことないの?」
「ありますよ。でも、この家のすき焼きはどのサイズが良いかわからないから、教えて欲しいって言っているだけじゃないですかー」
白ネギの切り方で揉めている。
「ふふっ、あはははは!」
2人の視線が実門を貫く。包丁を握り合って喧嘩しているのに内容は野菜の切り方。その下らなさに実門は思わず大声で笑った。絵馬も龍姫もお互いの顔を見合わせて、馬鹿馬鹿しい言い合いをしていたと気づいて笑い合った。
すき焼きは関西式で、最初に肉だけを焼いて食べる。その後、野菜を敷き詰めて鍋で蓋をして煮込む。
座布団を敷いて、こたつテーブルに足をつっこみ3人で囲った。絵馬は教育学部の4年生で、6月頃に教育実習を行うらしい。本格的に教師になろうとしている。科目は現代文、国語の教師だ。私立の高校と言っていたがどこだろう。
絵馬は腕時計について質問してきた。
「そんなブランド品は普通の関係なら渡さないと思いますよぉ。何か相手に下心とかあったりして」
「ないない。結はそういったタイプじゃないの。何か文学少年って感じ」
「そうなのですね。文学少年。私の生徒にならないかなぁ、なんて」
「あたしなら新人の教師より、ベテランに教えてもらいたいですけどねー」
「わかるわよ。その気持ち。でもベテランは指導の熱量が弱い場合がある。私みたいな新米の教師の方が熱量は強いかもしれない」
「熱量は関係ないですよ。生徒は成績を伸ばしてくれる先生が良いんです」
2人が言い合いになっている空気を実門は気まずく感じていた。
「喧嘩している間に、お肉全部取っちゃうわよ! ほらほら!」
絵馬と龍姫は自分の器に焼きすぎた牛肉を移した。それにしても、なんで2人は仲が悪いのだろう。仲が悪いのに、強制的に一緒の空間にいなければならないって面白い?
そうだ、次の漫画のアイデアが降ってきた。
「ねぇ、聞いて。次の漫画のアイデアが思いついたの」
「えー、この状況でですか」
「流石はミカ先輩ですねぇ」
「犬猿の仲の猫系女子と犬系男子が、大阪から東京に引っ越してきて、親に無理矢理ルームシェアさせられる。何かを決める時には2人で勝負して勝った方の条件を通す。次第に相手のことが好きになっていき、特別な決まり事をすることになる……」
「その特別な決まり事は?」
「ふふっ、秘密!」
「ミカ先輩ずるいですー」
「ミカ先輩って呼ぶのは私の専売特許なんですから、ダメですよぉ」
「じゃあ、ここで勝負して決めるってのはどうかしら?」
「まさに、次の漫画と同じ条件ですねー」
「勝負の条件は片方が提示し、もう1人が受け入れると成立するの」
はい、と絵馬が手を上げた。
「さっきから見てたけど、赤羽さんトマト食べてないわよね。このお鍋に残っているトマト全部食べられたら、ミカ先輩って呼ぶの認めてあげる」
龍姫は震える箸でトマトを器に入れると、無理矢理口に押し入れ、一気にお茶で流し込んだ。
「これで良いですかー?」
「うん。わかりましたっ。赤羽さんの勝ちです」
「ミカ先輩、このやりとり漫画にできそうですか?」
「えぇ、タイトルを発表するわね!」
カセットコンロは既に消火しており、6畳のダイニングに、外から静かな車が走る音だけが聞こえる。
「『ルームシェア×勝負フェア』」
「良いですぅ! ルームシェアで勝負するってわかりやすい韻も踏んでますし」
「凄い。こんな短時間で漫画のアイデア出せるなんてー」
褒められて、鼻が痒くなった実門は空になったビール缶を潰し、缶チューハイを取り出した。
「まだ、雰囲気しか決まってないけどね。だけど、さっき2人が同じ目的を持ちながらも喧嘩しているのを見て面白いと思ったわ。これからは主人公や世界観の設定とか、物語の流れを意識しないといけない」
「『魔女ソフィーの助手』はもう手直ししないんですかー?」
「そうね。同じ作品に時間を掛けるよりも、色んな作品を描いた方が勉強になるっていうし」
「どんな形であっても、ミカ先輩の役に立てて嬉しいですぅ」
実門は鍋に残っていた最後の肉を摘まみあげると、生卵に絡めて口の中に放り込んだ。