あと1年で漫画家になる。新人賞30回落選のあたしを、消えかけの稲荷神が鍛える 作:鳳 雛
共有空間のダイニングで絵馬《えま》が作ってくれた『チューリップの唐揚げ』に齧りつく。長鳴実門《ながなきみかど》は手を拭いて、LINEで担当になった榊原迅《さかきばらじん》とやり取りを始めた。
「ミカ先輩、唐揚げ冷めますよぉ。さっきから誰とLINEしているんですかぁ。まさか、男じゃないですよねぇ? まさか?」
「男よ! あたし、恋したかもしれないわ」
「はぁ? 何言っているんですか? 例の男の子の話ですよね? まさか、大人の男?」
「学校に出張持ち込みで来てくれた編集者の人なのだけど、担当になってくれたの。ほら、この名刺を見て。QRコードのシールが貼ってあるでしょ?」
「こんなの、みんなに貼っているに決まっているじゃないですか! 騙されたらダメですよぉ。こうやってミカ先輩の才能を独占しようとしているのですから」
「榊さんはそんなことしないわよ」
「ただ作品褒められただけで、恋するなんてミカ先輩らしくないですよ」
「だって、とっても嬉しかったのですもの」
「それにいつも私が褒めているじゃないですか」
「だって、絵馬は何でも褒めるじゃないの」
「その編集者も同じですよ。そうやって名刺配って束縛して、まるでホストと一緒ですよ。誰にでも良い顔するんです。冷静になってくださいよぉ!!」
「多分、今は絵馬よりは冷静よ」
「確かにそうですぅ」
絵馬はガスコンロの火を止めに戻った。残っていたチューリップを回収すると踵を返し、実門の側に座る。
「良く考えてください。ミカ先輩が昼に感じたドキドキは『吊り橋効果』かもしれないですよぉ。恋愛指南書に載っていたテクニックです。吊り橋にいる緊張感と目の前にいる異性への興味を混同してしまうことです。結果、目の前の人にドキドキしていると錯覚する。それじゃないですかぁ?」
「それかもしれない!
だってこんなにドキドキするの小学校以来ですもの。相手のことが好きなのではなくて、ただ褒めてくれたから好きになってるだけってこと?」
「その通りです。相手は相当のやり手です。シールを貼ることで、特別感を演出している。それに編集者は何人にでも名刺を配れるのですから」
「そっか。冷静に考えれば、有頂天になるほどのことでもないのね」
「そうですよ。他に何か言われましたか? 美人と可愛いとか」
「いや、同い年だねって言っただけよ」
「そうやって特別感を演出してるんですよ? 一緒に漫画家になって単行本出そう! みたいなことは言われませんでした?」
「言われた……かも。単行本出しましょうって」
「ほら! 同じ夢を共有して独占しようというテクニックですよ!」
「そうかしら。漫画家を目指している以上、当たり前のことだと思うのだけれど」
「違いますよ。他に何を言われました?」
「なんだっけ。浮気ダメみたいな?」
「はぁ? 何様ですかそれ。彼氏でもあるまいし、浮気もクソもないでしょう。どうしようがミカ先輩の自由ですよ。この名刺の『月刊少女トライ』の榊原以外の所に作品持っていっても良いに決まっているじゃないですか!」
「言われてみればそうね。相手はたくさんの新人作家を同時に抱えているのだから、あたしも他の出版社に持ち込みに行っても良いかもしれないわ」
「その通りです」
絵馬はチューリップの唐揚げを肩を上げて、ぱくぱくと食べている。実門もスマホは置いておいて食事することにした。
「前のよりも美味しいわね」
「気づきましたぁ? これ手羽元じゃなくて、手羽先で作ったんですよぉ。前回の少し硬かったんですけど、今回は正解です。脂があって柔らかくて美味しいです」
「チューリップの形にしているんで食べやすいわ。毎晩ありがとう。絵馬」
絵馬は笑顔を浮かべると身を縮こませた。目を細めて鼻を啜《すす》った。
榊原から実門のLINEに『メールを読んで』というメッセージがあった。部屋からノートパソコンをダイニングへ持ってくる。画面を開いてメールを確認する。Wordのデータで『読んで欲しい漫画一覧』、『見るべき映画一覧』が箇条書きにしてあった。あまりの量に絵馬は悲鳴を上げた。
実門は自分の勉強不足を恥じた。一方で、全ての作品に目を通すのは不可能であることに気づいた。
これは月狐に相談して考えた方が良さそうだ。気楽に考えよう。今は絵馬が作ってくれた美味しいチューリップを綺麗に食べることに集中しよう。
うん、旨い。ビールが進むわ。
『榊原迅 月刊少女トライ 評価』
「あれ、絵馬何をしているの?」
「いえ、何も調べてなどいませんよぉ」