あと1年で漫画家になる。新人賞30回落選のあたしを、消えかけの稲荷神が鍛える 作:鳳 雛
六畳のダイニングで一人の女性がガスコンロの上でフライパンを返している。彼女の身長は女性の平均よりやや高い。一方で、こたつテーブルで足を崩している長鳴実門《ながなきみかど》は、ぶつぶつと不満を垂らした。
「ミカ先輩、できましたよぉ」
ケチャップでハートが書かれたオムライス。実門はスプーンですくう。香ばしいベーコンの香りとケチャップの酸味が、玉子のまろやかな甘みを引き立てている。やっぱり絵馬《えま》が作る料理は手が止まらない。
ただ、先ほど編集担当の榊原《さかきばら》さんからメールで、ネームが没だと言われたことを考えると胃が痛い。
梅酒で心を癒やしながら、絵馬に愚痴った。
「勇気出してネーム送ったのに、すぐにダメって言われたわ。『君、天才?』って褒めてくれたのに、手の平返しよ。没の理由も教えてくれなかったわ」
「だから言っているじゃないですかぁ。編集者なんてホストみたいなものなんですから。所詮、会社員ですよ。会社と自分の利益のために動いているのです。信用したらダメですよぉ」
「でも、パートナーでもあるじゃない。それは極論だわ。それで、絵馬もネーム読んでくれるかしら?」
「もちろんですぅ。むしろ、最初に私に見せるべきです。ずっと、ミカ先輩の作品を見続けているのですからぁ」
「でも、何でも褒めるじゃない」
「今日は辛口で責めますぅ!」
「いや、傷心気味なのだから甘口でよろしくて?」
実門は自分の部屋に戻ってネームの束をダイニングに持ってきた。絵馬はオムライスを食べ終わると、真剣に目を通した。
「3パターンあるんだけれど、どれがいいかしら? あたしなりに、一番良いと思った作品を担当に送ったのだけれど、没だったのよね」
「どれもダメですねぇ」
絵馬の真剣な眼差しに、実門は怯んだ。腕を組む。
「どこがダメだと言えるかしら?」
「ちょっと考えさせてくださいぃ」
30分くらい経っただろうか。テレビの前にある時計の針の音が、冷蔵庫の低音にリズムを刻んでいる。実門は新しい梅酒を炭酸で割って飲んでいる。絵馬が何を言うか想像も期待もしていなかった。絵馬は創作者ではない。だから、感覚的なはずだ。昔の自分を思い出す。だけど、一生懸命読んでくれるのは嬉しかった。
「――そうですねぇ。整理できました。
タイトルを『ショウブフェア』にしていますよね。ショウブは菖蒲という花を連想させますぅ。白い菖蒲は『純粋』とか『あなたを大事にします』という花言葉があります。そういった言葉から読者に伝えられるメッセージを活かせていません」
「よく知っているわね」
「調べたに決まっているじゃないですか。それに勝負という観点から考えても、『ただの勝負』になっているだけですぅ」
「――どういうこと?」
「ミカ先輩のキャラには表裏が弱いんです。いいですかぁ、今から私が『指相撲』をしようと提案するとしますっ。私の目的は何でしょう?」
「それは、指相撲をすること」
「違いますよぉ。実際にやってみましょう」
実門は右手を出して、絵馬と手を繋いだ。
「今どうなっていますかぁ?」
「絵馬と指相撲している……かしら」
「違いますよ! 手を繋いでいるんですっ!」
「あ、ホントだわ!」
「つまり、『勝負』をただの競技にしたらダメなんですぅ。表と裏を考えないと」
「びっくりしたわ、絵馬! 国語教師を目指すだけあるわね」
「来月から教育実習ですよぉ。私立光難高等学校《しりつこうなんこうとうがっこう》です」
「なるほど、勝負に表裏があるなんて考えてもなかったわ」
「そういった視点から、勝負の内容を考えるのですっ。
例えば、変顔なら?」
「どこまで変な顔をできるか?」
「それだと表のままです。相手を笑わせてあげたいとかぁ、どこまで自分を曝け出せるかとかぁ、そういった裏があるはずです」
「なるほど! 凄いじゃない、絵馬。なんでわかったの?」
「心理学の授業も取っています」
「やるじゃない。他には何かあるかしら? プレゼントとか?」
「それならぁ、相手が何を求めているか理解できているか」
「隠れんぼはどうかしら?」
「相手の好きな場所とかぁ、どんな気分な時にどこに行きたくなるかとかぁ」
実門は急いでネタをクロッキー帳に書きだした。今作の一番の武器である『勝負』の構造に『裏の目的』が加わったことで、一気に物語の面白さが増した気がした。
「絵馬、ありがと。最近の中でも段違いで嬉しかったわ」
部屋に戻っていった実門の背を見て、絵馬は静かに瞬きした。深呼吸すると、こたつの上の食器を集めて、淡々と皿洗いを始めた。先ほど実門と繋いだ手の温度が消えていく。