あと1年で漫画家になる。新人賞30回落選のあたしを、消えかけの稲荷神が鍛える 作:鳳 雛
チャイムを押す。
ピンポーンという音と共に同居人が現れる。はずだった。だが、一向に扉は開かれない。
珍しいなと、実門《みかど》は思い鍵をバッグから取り出すと、スマホとクロッキー帳がないことに気づいた。
今から取りに戻るのは正直しんどい。漫画も描き進めないといけない。
応募した作品の結果発表が明日に迫っている。だけど期待はしていない。既に29作連続落選を経験しているから、落ちるのには慣れっこだ。
玄関にハイヒールを放り出し、スカートを脱ぎ、服を散らかすと、二つある部屋の片方に入る。
六畳の部屋。そこが実門の城だった。
突っ張り棒に赤いスーツを掛けると、ジャージに着替える。窮屈な外行き用の武装を解除して、楽ちんな恰好に解放される。
しばらくして、鍵が開く音がした。走って実門の部屋を開ける。
「ミカ先輩、最近ずっと遅いですよぉ。さっきまで探し回ってました!
男ですか!? 男なんですよね? そんなのダメですよぉ。だって、男なんて邪魔じゃないですかぁ」
「ここ一ヶ月、毎夜に神社に参拝してたの。もう神頼みしかないと思って……。浮いた話は一ミリもないわよ」
実門はかぶりを振ると、机に向かうなり新作の原稿にペンを走らせた。絵馬は安心したのか、「夜食作りますねっ」と言って台所に向かった。正直、食欲が湧かない。
神社で調べた漫画家として生活できる確率の低さにうんざりとしていたからだ。しかも、クロッキー帳とスマホを落としてきてしまった。
「絵馬、神社にスマホ忘れたから取ってきても良いかしら?」
「ダメダメダメダメ絶対ダメです。もう、0時過ぎです。危ないですよ」
「いや、でもスマホないと困るし」
「私の使えば良いじゃないですか。パスワードは3910です」
絵馬の押しの強さには勝てない。スマホを借りると、漫画家になって安定した生活をするのは難しいことを調べた。今の仕事を続けながら副業という手もある。しかし、漫画だけで生活したいと実門は考えていた。
トイレに行くために部屋を出ると、蒸し鶏の温かな匂いと辛いスパイスの香りが鼻孔をくすぐった。相変わらず絵馬の料理は上手い。短時間で美味しい料理が作れるのは才能だ。
「今日は冷蔵庫にあった鶏の胸肉をつかって『よだれ鶏』を作ってみました。オイスターソースがもうないので、また買わないといけないですね」
「相変わらず冷蔵庫の残りもので仕上げるの上手いわ。あたしもたまには料理作ろうかしら? 教えてちょうだい」
「えぇーっ、そんな必要ないですよ。ミカ先輩は漫画の神様なんですから、漫画を描くことに集中してください。私、小学校の時に新聞読んで感動したんですっ」
絵馬は当時一年生だった。学校新聞に掲載された作品を読んで、その時に実門のファンになったらしい。中学も高校も同じだったが、歳が離れているので同じ学校に通学することはなかった。
「また、その話? お酒が入るといつもその話をするのだから」
「だって、私にとっての原体験なんです。こんな漫画描ける人の側にいたいって」
「自分で描く気にはならないの?」
「読み専なんですっ」
向井絵馬は大学三年生教育学部だ。人を育てたり褒めたりするのが好きらしい。ここの家の家賃が払えなくなった時に、ルームシェアを提案してくれた。東京都で駅から近い副都心を5万で住めるのは感謝しかない。
「今度の作品は紙面に載れば嬉しいのだけれど」
「載りますよ! 私ミカ先輩の作品大好きですもん」
「そう言ってくれるのは、絵馬だけだわ」
「最悪、認められなくてもいいじゃないですか。私がずっと側で支え続けますよ」
「今の仕事を続けるのはもう辞めたいの」
「絵の仕事ですよね。素敵です」
「全然、素敵じゃないわよ。自由に物語を描く喜びに変わるものはないの」
実門が脱ぎ散らかした服を畳みながら、絵馬はチューハイを呷った。
「夢を持つって素敵ですよね。私の夢は夢を持つ人を応援すること」
「変な夢ね。もっと内側から煮えたぎるような欲望はないの?」
「ありますよ! ミカ先輩のデビューです」
よだれ鶏を口に運ぶと食欲が出てきたのかパクパクと箸が進んだ。
実門は冷蔵庫から栄養ドリンクと発泡酒を取り出す。
「あたしの夢が叶うと絵馬の夢も叶うってことね。次回作に向けて頑張るわ」
「今回の発表は明日じゃないですかぁ。諦めないでくださいよ」
「そうだったわね。朝一でコンビニ行って結果発表を見るわ。でも、まずは次回作を制作することにするの」
「頑張ってください! 応援してます!」
「ありがと」
実門がダイニングから自分の部屋に戻った。カリカリというペン入れの音が聞こえる。絵馬は小さな声で呟いた。
「デビューなんてできなくて良いんです。ずっーと、私が側にいるんですから」
残ったよだれ鶏を小さなタッパーに入れると冷蔵庫に入れた。