あと1年で漫画家になる。新人賞30回落選のあたしを、消えかけの稲荷神が鍛える 作:鳳 雛
朝の5時に実門《みかど》はランニング用のスーツに着替えて外に出た。薄い水色の世界で、息を吸うと冷たい空気が肺に入り込む。このちょっとした緊張感が実門は好きだった。
昨日は2時間漫画を描いた。つまり、3時間しか寝ていない。
ショートスリーパーというわけではない。ただ、寝不足が常態化しているだけで、目の下には黒い隈ができていた。
コンビニで週刊誌と栄養ドリンクを買って、神社に向かった。
賞の結果が今日発表される。デビューできるだろうか? いや、絶対大丈夫。
神社は大きな公園の片隅にある。運動のために遠回りして向かう。運動と緊張で心臓が早鐘を打つ。夢が叶う第一歩だ。
公園では老人たちが太極拳のような変な動きをしていた。日課なのだろうか。健康を大切にしないといけないと思いつつも、不摂生の自分の生活を振り返ると反省点ばかりだ。
「昨日はあたしに夢を諦めろと言ったわね。月狐、私の本気を見せてあげる」
実門は巻末の目次から新人賞発表を調べて、該当するページをそっと捲った。
大賞を受賞したのは19歳の若者だった。該当者なしのこともある。今回は彼が入賞したのだ。舐めるように紙面を確認したが、自分の名前はなかった。それよりも気になったのは、受賞者たちの年齢だ。
10代後半から20代前半が多い。審査員のコメントにも目を通す。
『若いからこそのフレッシュな着眼点が重要です。それが新人作家の武器だからです』
実門は栄養ドリンクを胃に流し込むと、賽銭箱にコンビニで買った商品のお釣りを投げ込んだ。
30作連続落選。
誰も自分の作品を楽しんでくれないのではないかと不安になった。
うじうじしていても始まらない。
実門は変な太極拳をしている老人の中に混じって身体を動かした。
ふと、横を見ると一緒の会社で働いているおばさんがいた。こんな朝早く起きていることにも驚いたが、公園で遭遇するとは思いもしなかった。
「長鳴実門《ながなきみかど》さん、おはようございます」
「ごきげんよう」
「一ヶ月、毎日参拝ご苦労様」
「いえいえ、あたし自身のためです。後悔は残したくありませんの」
「――で、何か好機は掴めたかしら」
一ヶ月に渡る毎日参拝。占いが得意なおばさんに勧められた行動だったが、効果はなかった。
「神頼みではなく、自分自身で頑張ろうと改めて思いましたわ」
「それは勿体ない。今朝あなたを占ったら、人生の岐路とありました。
今日何か特別なことが起きます」
「もう起きましたわ。新人賞の落選ですの」
「いやいや、これは人生を変えるレベルの衝撃が走るはず」
「漫画家を諦めろという神様に会いに行くべきということかしら」
「そうね。それにあなた、なくし物をしたでしょう? それも今日見つかるはず」
実門はクロッキー帳とスマホを紛失したことと、先ほど訪れた神社には落ちていなかったことを思い出した。
夜にでも取りに行こう。それにしてもこのおばさん占い師の勘は鋭い。社長がシャッター街の前で占いをやっていた彼女を会社に雇ったのも頷ける。
「そろそろ帰って、お風呂に入りますわ」
「そうね。それでは会社で」
「はい。会社で」
――その日の
参道で向かい合う稲荷神が一体いない。つまり、近くに月狐がいるということだ。
実門がキョロキョロとしていると、茂みの中から、尻尾が一尾になった白い狐が現れた。
「あたしが落選したのを笑いに来たの? どうせ、馬鹿にしてるんでしょ」
「なんやそれ。実門はウチの最初のお客様で唯一の氏子や。めっちゃ応援してるんよ」
「応援するより神様パワーでなんとかしてご覧なさいよ」
「その神様パワーやねんけど、3分の1に減ってもうた」
そういうと、月狐はお尻をこちらに向けて一尾を左右に振った。そして、スマホとクロッキー帳を返してくれた。
「夢を叶えるために、パスワード解除してスマホ借りたで」
「全然、構わないわ。優先順位は常に漫画家になることなのだから」
「ウチな。物語創作のこと舐めててん。簡単やと思うてた。だから、15年経っても成果が上がらん実門に諦めてしまえ、言うてしもた。ほんまにすまん」
「別に謝らなくても良いわよ。あたしの事を影で笑っている人なんてたくさんいるわ」
「ウチの尻尾減ってんの気づいた?」
「そうね。三尾が一尾になってる」
「これな、時間を止めるのに使ってん」
「どういう意味?」
「要はな、実門の前におるんは昨日から10年後のウチやんね。詳しくいうと、10年世界の時間を止めて、その間に勉強したんや」
実門は月狐の言っている言葉の意味が理解できずにいた。
「神社の神様にはな、神通力っていう能力があるねん。その神通力を使えば、奇跡を起こせるんや。ウチは尻尾の二尾分の神通力を使った」
「神通力なんて使えるのね。見た目は唯の白い狐なのに」
「その力の影響で、まずは『100万円を賽銭箱に入れる少年が現れた』んや」
「100万円!! しかも少年!?」
「凄いやろ? 神通力のお陰やな。爆運を呼び寄せた。因果律が変わったんや。
その金で、実門のスマホ使うてネットの創作論の電子書籍買いまくって、流行の漫画も映画も観まくった。なんせ10年の時間があったからな。めっちゃ勉強になったわ」
「えーっと、……どういう事?」
「実門は大切な唯一無二の参拝客や。神通力やのうて、ウチが物語創作術を叩き込んだる」
実門はようやく、月狐の言葉の意味が理解出来た。
魔法や直接的な神通力じゃなく、努力と根性で物語創作技術を高めるのだ。
今までも創作論の本は買っていたのだが、読まずに新品同様に本棚に挟まっている。
「実門のために消費した神通力や。成功してな? 万馬券やと期待しとるよ。
ほな、この札束。電子書籍の請求に使てな」
『人生の岐路』
実門は分厚い札束をパラパラと捲ると、白い息を吐き、大きく息を吸った。
「月狐様、いえ月狐と呼ばせてもらえるかしら。
あなたから物語の創作術を教えてもらって、漫画家になるわ!
もちろん、教える才能がなかったら、ここには来ないのだけれど」
「安心し、人に教えるのは得意や。京都に住んでいた時に、両親が参拝客にどういった助言を授けていたかを何十年も見てきたからな」
「なら、安心ね。信じるわ。廃れた神社の神様、月狐」
夜空を見上げると小さな星がいくつか輝いていた。
それを繋げると何かの星座になるだろうか、という発想は実門にはなかった。